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2018年01月20日

地つ巻 第19帖 原文

原文
四七十Θ九二一十十三七三十Θ九二四八十八八二一十九三六五一 三一九九一二三三四五五六七七八九九〇一三十卍十九〇✓十三九十八二二八十Θ八十一十九三 九二四 一二Θ 二三

対訳
四七(世成り)十Θ九二一十十(神国の太陽足り満ちて)三七三十(皆みち足り)Θ九二(神国の月神)四八十(世をひらき足り)八八二一(弥栄にひらき、月光)十九三(総てはみち)六五一(結び出づ) 三一九九(道は極みに極む)一二三(ひふみ)三四五(みよいづ)五六七(みろく)七八九九〇一三(弥栄々々ぞ)十卍十(神、仏、耶)九〇✓十(ことごと和し、和して足り)三九十八(太道ひらく永遠)二二八(富士は晴れたり)十Θ八十一(太神は光り出づ)十九三(神国のはじめ) 九二四(九月二十四日) 一二Θ 二三(一二Θふみ)

ひふみ
世成り、神国の太陽足り満ちて、皆みち足り、神国の月神、世をひらき足り、弥栄にひらき、月光、総てはみち、結び出づ、道は極みに極む、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)、弥栄々々ぞ、神、仏、耶(や)、ことごと和し、和して足り、太道ひらく永遠、富士は晴れたり、太神は光り出づ、神国のはじめ。
九月二十四日、一二Θふみ。

私見
四七(世成り)十Θ九二一(とおかみ国の始め)十十三七三十(神々皆みち足り)Θ九二四八十(神国世をひらきたり)八八二一十九三(山々に初めて神極むぞ)六五一(結び出づ始め) 三一九九(道は極みに極む)一二三(ひふみ)三四五(みよいづ)五六七(みろく)七八九(なやこ)九〇(こと)一三(弥栄ぞ)十卍十(神、仏、耶)九〇✓十(ことごと和して足り)三九十八(道極む永遠)二二八(富士は)十Θ八十一十九三(とおかみ開くと言っとくぞ)または(とおかみ開くと初めて神極むぞ) 九二四(九月二十四日) 一二Θ 二三(一二Θふみ)

とおかみ=十神 世の元からの活神様
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地つ巻 第36帖

富士は晴れたり日本晴れ、てんし様が富士から世界中に稜威(みいづ)される時近づいたぞ。
富士はヒの山、日の本の山で、汚してならん御山ざから人民登れんようになるぞ、神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世のさま見て早う改心して、身魂洗濯致してΘの御用つとめてくれよ。
大き声せんでも静かに一言いえばわかる臣民、一言えば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ、今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示あてにならん、騙されていたと申す人も出て来るぞ、よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世浄めてくれよ。
わからんと申すのは神示読んでいないしるしぞ、身魂芯から光り出したら、人もΘも同じことになるのぞ、それがまことの臣民と申してあろうがな。
山から野(ぬ)から川から海から何が起こっても神は知らんぞ、みな臣民の心からぞ、改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧払いてくれよ、御光出ぬようにしていてそれでよいのか、気づかんと痛い目に遭うのざぞ、誰れ彼れの別ないと申してあろうがな。
いずれは天のひつくの神様、御憑かりになるぞ、遅し早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂磨かねば、御憑かり遅いのざぞ、よくとことん掃除せねば御憑かり難しいぞ、役員も気つけてくれよ、御役ご苦労ぞ、その代わり御役済みだら富士晴れるぞ。
十月十一日、一二か三。


これで「地つ巻」が終わりました。

「富士はヒの山、日の本の山で、汚してならん御山ざから人民登れんようになるぞ」
人が登れなくはなっていませんが、2013年6月26日に富士山は世界文化遺産登録されました。マイカー規制が導入され、自然保護のため厳しい規制がかけられています。

「神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世のさま見て早う改心して、身魂洗濯致してΘの御用つとめてくれよ。」

「大き声せんでも静かに一言いえばわかる臣民、一言えば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ」
日本人は「大き声せんでも静かに一言いえばわかる臣民」ではありますが、「一言えば十知る臣民」はそれほど多くありませんね。「一言えば十批判する臣民」はたくさんいますが。(笑)

「今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示あてにならん、騙されていたと申す人も出て来るぞ」
終戦時はそういう状態だったでしょうね。今、読み返すと、結構あたっていることが分かるんですが。

「よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世浄めてくれよ。」
世が浄まっていなかったのでしょうね。

「わからんと申すのは神示読んでいないしるしぞ、身魂芯から光り出したら、人もΘも同じことになるのぞ、それがまことの臣民と申してあろうがな。」
まだまだ、分からないことが多いですね。

「山から野(ぬ)から川から海から何が起こっても神は知らんぞ、みな臣民の心からぞ、改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧払いてくれよ、御光出ぬようにしていてそれでよいのか、気づかんと痛い目に遭うのざぞ、誰れ彼れの別ないと申してあろうがな。」
山津波、放射能汚染、海の津波ですね。日本人の身魂磨きが足りないせいだそうです。磨いてあれば、少なくとも事前に避難・対策することが出来たということなのでしょう。

「いずれは天のひつくの神様、御憑かりになるぞ、遅し早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂磨かねば、御憑かり遅いのざぞ、よくとことん掃除せねば御憑かり難しいぞ」
これは、岡本天明氏に言われたことでしょうが、いずれ二代目が現れられるのでしょう。

「役員も気つけてくれよ、御役ご苦労ぞ、その代わり御役済みだら富士晴れるぞ。」
役員の方も同様でしょうね。70年以上経ってますから、生まれ変わりとして、20〜30代の方かもしれませんね。

「御役ご苦労ぞ、その代わり御役済みだら富士晴れるぞ。」


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地つ巻 第35帖

日本の国はこの方の肉体であるぞ。
国土拝(おろが)めと申してあろうがな、日本は国が小さいから、一握りに握りつぶして喰うつもりで攻めて来ているなれど、この小さい国が、喉(のど)につかえてどうにも苦しくて堪忍してくれというように、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ。
外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願いと申してあろうがな、今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来ておらぬ臣民は、苦しくて日本のお土の上におれんようになるのぞ。
自分から外国行きとなるのざぞ。
魂のままの国に住むようになるのぞ。
南の島に埋めてある宝を御用に使う時近づいたぞ。
お土の上がり下がりある時近づいたぞ。
人の手柄で栄耀(えいよう)している臣民、もはや借銭なしの時となりたのぞ、改心第一ぞ。
世界に変わりたことは皆この方の仕組の節々ざから、身魂磨いたらわかるから、早う身魂磨いて下されよ。
身魂磨くにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつろうことぞと申して説いてきかすと、Θ祀りはしないでいる臣民おるが、Θ祀り元ぞ、Θ迎えねばならんぞ、取り違いと天狗が一番恐いのざぞ、千刄(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。
Θの規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面に記してあるのざぞ、借銭なしで裁きの時になっているのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんな偉い人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭なしが始まっているのぞ、済ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日(おおみそか)ぞ、晦日は闇と決まっているであろうがな。
借り返すとき辛いなれど、返したあとの晴れた気持ち良いであろうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらえてΘの申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返してくれよ、番頭殿、下にいる臣民殿、国々の守護神殿、外国の神々様、臣民殿、卍(仏)も十(キリスト)も九(何もかも?)もみな聞いてくれよ、その国その民のやり方伝えてあろうがな、九十に気つけて用意してくれよ。
十月十日、ひつ九のか三。


「日本の国はこの方の肉体であるぞ。国土拝(おろが)めと申してあろうがな」
原文を確認したわけではないので確定は出来ませんが、「ひつ九のか三」が「国之常立大神」であることが分かりました(須佐之男尊かと思っていたのですが)。日月地の「地つ巻」ですものね。

「日本は国が小さいから、一握りに握りつぶして喰うつもりで攻めて来ているなれど、この小さい国が、喉(のど)につかえてどうにも苦しくて堪忍してくれというように、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ」
「外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願いと申してあろうがな」
世界中の人が全て「神の子」です。

「今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来ておらぬ臣民は、苦しくて日本のお土の上におれんようになるのぞ。」
日本が神の国になれば光り輝き、眩しくて苦しくなるので、近づけなくなるということです。

「自分から外国行きとなるのざぞ。魂のままの国に住むようになるのぞ。」
これは「幽界」のことでしょうね。

「南の島に埋めてある宝を御用に使う時近づいたぞ。お土の上がり下がりある時近づいたぞ。」
ついに出て来ましたね「南の島に埋めてある宝」。「お土の上がり下がりある」ですから、やはり「潮満珠」か「潮涸玉」のようですね。

「人の手柄で栄耀(えいよう)している臣民、もはや借銭なしの時となりたのぞ、改心第一ぞ。」
部下の犠牲で勲章をもらっているような人は借銭してるぞということでしょう。

「世界に変わりたことは皆この方の仕組の節々ざから、身魂磨いたらわかるから、早う身魂磨いて下されよ。」
世界中の天変地異は、国之常立大神の仕組の現れなので、その意味は「身魂磨いたら」分かるということですね。

「身魂磨くにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつろうことぞと申して説いてきかすと、Θ祀りはしないでいる臣民おるが、Θ祀り元ぞ、Θ迎えねばならんぞ、取り違いと天狗が一番恐いのざぞ、千刄(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。」
心だけではなく、祀るという形も必要ということです。

「Θの規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面に記してあるのざぞ、借銭なしで裁きの時になっているのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんな偉い人でも、それだけに苦しむぞ」
身録の仕組ですね。

「家は家の、国は国の借銭なしが始まっているのぞ、済ましたら気楽な世になるのぞ」
「世界の大晦日(おおみそか)ぞ、晦日は闇と決まっているであろうがな。」
日本は、大戦中に併合した国からの借銭返還要求に苦しめられていますね。相手が納得しなければ借銭の返済にはならないのでしょうか。侵略した国に対する賠償は解決しているのですが、相手国民の心の傷は完全に癒されたとはいえない状況です。なかなか気楽な世にはなりそうもありませんね。

「借り返すとき辛いなれど、返したあとの晴れた気持ち良いであろうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらえてΘの申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返してくれよ」
日本のやり方で返済するとはどういうことでしょう。謝罪、様々な賠償、経済協力、無償借款、技術協力、友好・親善活動などを行って来ました。それだけではダメなのでしょうか。

「番頭殿、下にいる臣民殿、国々の守護神殿、外国の神々様、臣民殿、卍(仏)も十(キリスト)も九(何もかも?)もみな聞いてくれよ、その国その民のやり方伝えてあろうがな、九十に気つけて用意してくれよ。」
世界中の神々、国々、人々にも借銭返しをするように手配しているということでしょうね。
またまた「九十に気つけて用意してくれよ」と、出て来ました。「九十に間に合うように」ともとれますが、「その国その民のやり方、殊に=特に気つけて」ともとれます。



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地つ巻 第34帖

Θは言葉ぞ、言葉とはまことぞ、息吹ぞ、道ぞ、まこととは、まつり合わした息吹ぞ、言葉で天地濁(にご)るぞ、言葉で天地澄むぞ、戦なくなるぞ、神国になるぞ、言葉ほど結構な恐いものないぞ。
十月十日、あの一二のか三。


言葉は言霊(ことだま)です。言葉によって世の中善くもなるし悪くもなるということです。綺麗な言葉を使えば善い人になれるし、悪い言葉を使えば悪い人になります。また、単なる形式的な綺麗さではなく、心から発する言葉は他人の心に届きやすくもなります。

しかし、ヒトラーのように他人を扇動し、狂信的に巻き込む者があることも注意しなければなりません。冷静さを失わず、他人の意見に惑わされず、真実はどこにあるのか正確に判断することが必要です。

ちょっと前に、「言葉をなくするぞ」という話がありました。テレパシーのことではないかと申しました。そうなれば、相手の全ての考えも分かってしまうため、嘘ということがなくなります(嘘をつこうとしても相手は分かってしまうのですから嘘が嘘でなくなります)。その結果、全ての言葉は「まこと」の言霊になると思われます。

呪術、呪文、密教も言葉や印によって、神仏に願い、ある事を成就させようというものですが、これもある種の言霊といえるでしょう。祝詞もそうですね。

以前、ある人から、「嘘をついて何が悪い、嘘は誰でもつくものじゃないか」と言われて愕然としたことがありますが、その嘘は自分自身を傷つけていることにぜひ気づいて欲しいと思います。


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2018年01月19日

地つ巻 第33帖

江戸の仕組済みたら尾張の仕組にかからすぞ。
その前に仕組む所あるなれど、今では成就せんから、その時は言葉で知らすぞ。
宝持ち腐りにしてくれるなよ、猫に小判になりてくれるなよ。
天地一度に変わると申してあること近づいたぞ、世は持ちきりにはさせんぞよ、息吹払いて論なくするぞ、コトなくするぞ、物言われん時来るぞ、臣民見当とれんことと申してあろうが、上の人辛くなるぞ、頑張りてくれよ。
十月八日、ひつ九のか三。


「尾張の仕組」が出て来ましたね。「オワリ=終わり」、美濃尾張=身の終わりです。大本教を始め諸説あるようですが、仕組の内容はよく分かりません。面白い話が多いので結構楽しませて頂いております。美濃といえば、木曽御岳山や白山、尾張は津島神社や真清田神社、尾張氏など気になることが多く、いろんな可能性があって興味は尽きません。ただ、昭和南海地震と関係があるのかもしれないとも思っております。

「その前に仕組む所あるなれど、今では成就せんから、その時は言葉で知らすぞ。宝持ち腐りにしてくれるなよ、猫に小判になりてくれるなよ。」
いよいよ、お宝を出されるのでしょうか。北の海一つ向こうの「お宝」のことだと思います。

「天地一度に変わると申してあること近づいたぞ、世は持ちきりにはさせんぞよ」
持ちきりとは「あるあいだ中、同じ話題が続くこと」です。世が突然一変するということでしょう。

「息吹払いて論なくするぞ、コトなくするぞ、物言われん時来るぞ」
息吹のみで言葉がなくなるそうです。議論はなくなり、意志疎通ができるようになるようです。テレパシーでしょうか。


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地つ巻 第32帖

仕組み通りが出て来るのざが、大難を小難にすること出来るのざぞ。
Θも泥海は真っ平ぞ、臣民喜ぶほどΘ嬉しきことないのざぞ、曇りておれど元はΘの息入れた臣民ぞ。
打つ手あるのぞ。
番頭殿、役員殿、フンドシ締めよ。
十月の七日、ひつ九のか三。


「仕組み通りが出て来るのざが、大難を小難にすること出来るのざぞ。」
結果的には中の上難くらいでしたね。本土の諸都市、広島、長崎、沖縄と悲惨な目に遭いましたが「泥海」だけにはなりませんでした。

「臣民喜ぶほどΘ嬉しきことないのざぞ、曇りておれど元はΘの息入れた臣民ぞ。打つ手あるのぞ。」
敗戦後日本は、一時的に占領下におかれましたが、いざなぎ、バブル景気を経て、いざなみ景気、現在のアベノミクス景気?と紆余曲折はありつつも何とか平和国家として順調に発展して来ました。
有難うございました。

しかし、ついに近隣諸国の軍事的脅威にさらされ、「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず」状態になって来ました。まだ、眠ったままの方が半数近くおられますが。

「打つ手」はあるのでしょうか。


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地つ巻 第31帖

この神示読ますようにするのが役員の務めでないか、役員さえ読んではいないではないか。
神示に一二三(ひふみ)つけたもの、まず大番頭、中番頭、小番頭殿に読ましてくれよ、道さえつければ読むぞ、肚に入るものと入らぬものとはあるなれど、読ますだけは読ませてやるのが役員の務めでないか。
旧九月になったら忙しくなるから、それまでに用意しておかんと悔しさが出るぞよ。
いざとなりて地団駄踏んでも間に合わんぞ。
餅搗(つ)くには搗く時あるのざぞ、それで縁ある人を引き寄せているのざぞ、Θは急けるのぞ。
十月の七日、ひつ九のか三、いそぐ。



「神示に一二三(ひふみ)つけたもの、まず大番頭、中番頭、小番頭殿に読ましてくれよ、道さえつければ読むぞ」
「肚に入るものと入らぬものとはあるなれど、読ますだけは読ませてやるのが役員の務めでないか。」

「旧九月になったら忙しくなるから、それまでに用意しておかんと悔しさが出るぞよ。」
いよいよ、焼夷弾による全国的な空襲が始まります。

「餅搗(つ)くには搗く時あるのざぞ、それで縁ある人を引き寄せているのざぞ、Θは急けるのぞ。」
これが、前帖でもあった御役の方々でしょう。
大番頭3人、中番頭7人、小番頭殿49人でしょうか。


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地つ巻 第30帖

一度に立て替えすると世界が大変が起こるから、延ばし延ばしているのざぞ、目覚めぬと末代の気の毒できるぞ。
国取られた臣民、どんなにむごいことになりても何も言うこと出来ず、同じΘの子でありながらあまりにもひどいやり方、ケダモノよりもむごいことになるのが、よくわかりているから、Θが表に出て世界中救うのであるぞ、この神示肚に入れるとΘ力出るのざぞ、疑う臣民沢山あるが気の毒ざぞ。
一通りは嫌がる臣民にもこの神示一二三(ひふみ)として読むように、上の人、してやりて下されよ。
生命あるうちにΘの国のこと知らずに、死んでからΘの国に行くことは出来んぞ、Θの力でないと、もう世の中はどうにも動かんようになっていること、上の番頭殿わかりておろうがな、どうにもならんと知りつつ、まだ智や学ばかりに縋(すが)りておるようでは上の人とは申されんぞ、智や学越えてΘの力にまつわれよ、飛行機でも飛行機にまつわれば命通うのざぞ、お土拝みて米作る百姓さんがΘのまことの民ぞ、カミ拝(おろが)みて神示とれよ、神のない世とだんだんなりておろがな。
まつることは生かすことぞ。
生かすことは能(はたら)かすことぞ。
Θの国には何でもないものないのざぞ、Θの御用ならば何でも出て来る結構な国ざぞ、何もなくなるのはやり方悪いのぞ、Θの心に副(そ)はんのぞ。
十月七日、一二Θ。


「一度に立て替えすると世界が大変が起こるから、延ばし延ばしているのざぞ、目覚めぬと末代の気の毒できるぞ。」
「国取られた臣民、どんなにむごいことになりても何も言うこと出来ず、同じΘの子でありながらあまりにもひどいやり方、ケダモノよりもむごいことになるのが、よくわかりているから」
これは、日本の将来を暗示していますね。C国の支配下に入るとそうなるでしょう。
民族浄化が行われて、男は殺され、女は凌辱されるでしょう。これは長い歴史が証明していますし、現実に今でも行われていることです。あなた方の子孫がそういう目に合わされても良いのであれば、どうぞ、今のまま、お気楽な生活をお続けください。ついに縄文時代から続いたD1b遺伝子が消滅するのを見届けてください。特に沖縄の方、ご注意ください。あなたたちが古代日本人の代表ですから。50%に近い方がD1b遺伝子をお持ちなんですからね。

「Θが表に出て世界中救うのであるぞ、この神示肚に入れるとΘ力出るのざぞ、疑う臣民沢山あるが気の毒ざぞ。」
よろしくお願いいたします。私の大好きな「日本人」を救ってやってください。
バカ(正直)でお人好しですが、良い人ばかりなんです。

「一通りは嫌がる臣民にもこの神示一二三(ひふみ)として読むように、上の人、してやりて下されよ。」
「生命あるうちにΘの国のこと知らずに、死んでからΘの国に行くことは出来んぞ」
「Θの力でないと、もう世の中はどうにも動かんようになっていること、上の番頭殿わかりておろうがな」
「どうにもならんと知りつつ、まだ智や学ばかりに縋(すが)りておるようでは上の人とは申されんぞ、智や学越えてΘの力にまつわれよ」

「飛行機でも飛行機にまつわれば命通うのざぞ」

「お土拝みて米作る百姓さんがΘのまことの民ぞ」

「カミ拝(おろが)みて神示とれよ、神のない世とだんだんなりておろがな。」

「まつることは生かすことぞ。生かすことは能(はたら)かすことぞ。」

「Θの国には何でもないものないのざぞ、Θの御用ならば何でも出て来る結構な国ざぞ」

「何もなくなるのはやり方悪いのぞ、Θの心に副(そ)はんのぞ。」


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地つ巻 第29帖

天明(岡本天明)は神示書かす御役ぞ、蔭の役ぞ、この神示はアとヤとワのつく役員から出すのざぞ、表ぞ。
旧九月までにはその御方お揃いぞ、カのつく役員裏なり、タのつく役員表なり、裏表あると申してあろうがな、コトが大切ぞ、コトによりて伝えるのがΘは嬉しきぞよ、文字は次ぞ、このことよく心得よ。
天の異変は人の異変ぞ、一時は神示も出んことあるぞ、神示読んでくれよ、神示読まないで臣民勝手に智恵絞りても何にもならんと申してあろうがな、Θにくどう申さすことはΘ国の臣民の恥ぞ。
神示は要らぬのがまことの臣民ぞ、Θそれぞれにわたりたら神示要らぬのざぞ、それが神世の姿ぞ。
上に立つ人にこの神示わかるようにしてくれよ、国は国の、団体(まどい)は 団体の上の人に早う知らしてくれよ。
アとヤとワから表に出すと上の人も耳傾けるのざぞ。
アとはアイウエオぞ、ヤもワも同様ぞ、カは裏ぞ、タは表ぞ、サとナとハとマとまつわりてくれよ、ウは別の御役ぞ、御役に上下ないぞ、みなそれぞれ貴い御役ぞ。
この神示、『上つ巻』と『下つ巻』まず読みてくれよ、肚に入れてから神集(つど)うのぞ、神は急けるぞ。
山の津波に気付けよ、
十月の七日、ひつ九のか三。


「御役の一覧」

    七柱    三柱
      裏表 表表表
 ラハナマカタ ワヤア   世の元からの活神様 十柱
         ヰ イ
          ユ
         ヱ エ
      コト ヲヨオ

コトは「言葉」


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2018年01月18日

地つ巻 第28帖

Θの国にはΘの国のやり方、外国には外国のやり方あると申してあろうがな、戦もその通りぞ、Θの国はΘの国のやり方せねばならんのざぞ、外国のやり方真似(まね)ては外国強いのざぞ、戦するにも身魂磨き第一ぞ。
一度に始末することは易いなれど、それではΘの国を一度は丸潰しにせねばならんから、待てるだけ待っているのざぞ、仲裁する国はなく、出かけた船はどちらも後へ引けん苦しいことになりて来るぞ、Θ気つけるぞ。
十月六日、ひつくのか三。


「Θの国にはΘの国のやり方、外国には外国のやり方あると申してあろうがな」

「戦もその通りぞ、Θの国はΘの国のやり方せねばならんのざぞ、外国のやり方真似(まね)ては外国強いのざぞ、戦するにも身魂磨き第一ぞ。」
日本という国は、昔から個別の技術では出色の製品を生み出すのですが、総合力で負けてしまうんですよね。
「和を以て貴しとなす国」ですから、なれ合いの部分も多く、他国にも自分たちと同様の思いやりと意思疎通を期待してしまうところがあります。政治的、外交的、経営的な分析力や実行力に欠けるところもあります。
卑怯なことは出来ませんし、強引な手法もとれません。
また、それが、良いところでもあります。

みんなで仲良く一緒にという体制の中では実力を十分に発揮しますが、生き馬の目を抜く環境にはどうしても馴染めません。その役割りを商社が引き受けて来たのですが、近ごろは各企業が直接交渉を行って騙されてしまうというケースが多く見受けられます。

餅は餅屋ということわざがありますが、護送船団方式というぬるい環境の中で育って来た企業は、その技術力に特化し、交渉は専門家に任せたらいかがでしょうか。

技術を磨きましょう。そして、安易に技術移転したり、盗まれたり、会社毎乗っ取られないよう注意してください。組織防衛力も大事なスキルです。情報管理もしっかりしてください。技術者の引き抜きにも気をつけてください。

50年後、100年後の世代のために、ぜひ、日本という国をよろしくお願いします。

脱線してしまいました。(笑)

「一度に始末することは易いなれど、それではΘの国を一度は丸潰しにせねばならんから、待てるだけ待っているのざぞ」
有難うございます。

「仲裁する国はなく、出かけた船はどちらも後へ引けん苦しいことになりて来るぞ、Θ気つけるぞ。」
日本は「日ソ不可侵条約」の相手国であるソ連に仲裁の希望を託していました。
翌年、8月8日には、ソ連が日ソ中立条約を破棄し、日本に宣戦布告をして来ます。
10か月前からの警告です。

全く、日本人の発想は「甘ちゃん」ですね。

なんか、段々腹が立って来ました。

将来的に同じことを繰り返さないように祈っております。



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地つ巻 第27帖

天地には天地の、国には国の、ビックリ箱開くのざぞ。
ビックリ箱開いたら臣民みな思いが違っていることわかるのぞ、早う洗濯した人からわかるのぞ、ビックリ箱開くと、Θの規則通りに何もかもせねばならんのぞ、目あけておれん人出来るぞ、Θの規則は日本も支那(しな)もインドもメリカもキリスもオロシヤもないのざぞ、一つにして規則通りが出来るのざから、今に敵か味方かわからんことになりて来るのざぞ。
学の世はもう済みたのぞ、日に日に神力現われるぞ、一息入れる間もないのぞ。
ドシドシ事を運ぶから遅れんように、取り違いせんように、慌てぬようにしてくれよ。
神々様もえらい心配なされてござる方あるが、仕組はりゅうりゅう、仕上げ見て下されよ。
旧九月になればこの神示に代わりて天のひつくの神の御神示出すぞ、初めの役員それまでに引き寄せるぞ、八分通り引き寄せたなれど、あと二分通りの御役の者引き寄せるぞ。
遅し早しはあるなれど、神の申したこと一厘も違わんぞ、二三(ふみ)は晴れたり日本晴れ、おけ、
十月の四日、ひつくのか三、二三(ふみ)


「天地には天地の、国には国の、ビックリ箱開くのざぞ。」
天地の神様にも国の人民にも驚くような事が起きるということです。

「ビックリ箱開いたら臣民みな思いが違っていることわかるのぞ」
日本がアメリカに勝つというような我善し事ではないぞということでしょう。

「ビックリ箱開くと、Θの規則通りに何もかもせねばならんのぞ、目あけておれん人出来るぞ」
これは、原子爆弾のことかもしれませんし、Θの光輝いて目が開いていられないの二通り考えられます。

「Θの規則は日本も支那(しな)もインドもメリカもキリスもオロシヤもないのざぞ、一つにして規則通りが出来るのざから、今に敵か味方かわからんことになりて来るのざぞ。」
国籍、人種にかかわらず魂の磨き方次第で七つに分けられるので、敵も味方もないということです。
あるとすれば、善と悪の戦いです。

「学の世はもう済みたのぞ、日に日に神力現われるぞ、一息入れる間もないのぞ。ドシドシ事を運ぶから遅れんように、取り違いせんように、慌てぬようにしてくれよ。」

「神々様もえらい心配なされてござる方あるが、仕組はりゅうりゅう、仕上げ見て下されよ。」
心配されている神様もいらっしゃるんですね。

「旧九月になればこの神示に代わりて天のひつくの神の御神示出すぞ」
次の「日の巻」からは「天のひつくの神」の神示が出るようです。旧暦九月一日は、西暦10月17日となります。

「初めの役員それまでに引き寄せるぞ、八分通り引き寄せたなれど、あと二分通りの御役の者引き寄せるぞ。」
59人のうち、47人は集まったので、後12人ほどということでしょう。

「遅し早しはあるなれど、神の申したこと一厘も違わんぞ」
幸いなことに73年遅れているようです。


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地つ巻 第26帖

雨の日は傘いるのざと申して晴れたら要らぬのざぞ、その時その時の御用あるのざぞ、晴れた日とて傘要らぬのでないぞ、今御用ある臣民と、明日御用ある臣民とあるのざぞ、二歳(ふたつ)の時は二歳の着物、五歳(いつつ)は五歳、十歳(とう)は十歳の着物あるのざぞ。
十柱の御役もその通りざぞ、役変わるのぞ。
八月の十二日、ひつ九のか三。


「雨の日は傘いるのざと申して晴れたら要らぬのざぞ、その時その時の御用あるのざぞ、晴れた日とて傘要らぬのでないぞ」
御用は、その時々の状況で変わるということです。雨の日は雨傘、晴れの日は日傘というように。

「今御用ある臣民と、明日御用ある臣民とあるのざぞ、二歳(ふたつ)の時は二歳の着物、五歳(いつつ)は五歳、十歳(とう)は十歳の着物あるのざぞ。」
しかも、御用の役目を果たす臣民は、それぞれの段階でも入れ替わります。

「十柱の御役もその通りざぞ、役変わるのぞ。」
世の元からの活神様の十神(とおかみ)についても同様で、容れ物となる臣民は、その時々で変わるということです。

「八月の十二日」は旧暦です。西暦では9月28日となります(日本時間)。


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地つ巻 第25帖

新しくその日その日の生まれ来るのぞ、三日は三日、十日は十日の神殿(どの)守るのざぞ、時の神ほど結構な恐い神ないのざぞ、この方とて時節にはかなわんことあるのざぞ。
今日なれば九月の二十八日であるが、旧の八月十一日殿を拝みてくれよ。
二十八日殿もあるのざぞ。
何事も時待ちてくれよ、炒り豆にも花咲くのざぞ、この世では時の神様、時節を忘れてはならんぞ、時は神なりぞ。
何事もその時節来たのざぞ、時過ぎて種蒔(ま)いてもお役には立たんのであるぞ、草物言うぞ。
旧の八月の十一日、ひつ九か三。


時の神様は毎日変わられ、しかも旧暦、新暦ごとにいらっしゃるようです。十干十二支(じっかんじゅうにし)のことだと思われますが、そうであれば甲子から癸亥までの60柱となります。

「時の神ほど結構な恐い神ないのざぞ、この方とて時節にはかなわんことあるのざぞ。」
時を遡ってやり直すことはできないということだと思います。

「今日なれば九月の二十八日であるが、旧の八月十一日殿を拝みてくれよ。二十八日殿もあるのざぞ。」
正確に言うと昭和19年9月28日は、旧暦で8月12日となります。この1日のずれは何なんでしょう。
神様が間違えられるはずないので、こちらの方が気になります。日月神示の神様は日付変更線の向こう側?
それとも、新暦と西暦の差?

「何事も時待ちてくれよ、炒り豆にも花咲くのざぞ、この世では時の神様、時節を忘れてはならんぞ、時は神なりぞ。」
これは、国之常立大神が艮の金神として封印される時の「炒り豆に花咲く時に出て来い」という言葉に対応するものですが、時が来れば「炒り豆にも花咲く」ということです。

「何事もその時節来たのざぞ、時過ぎて種蒔(ま)いてもお役には立たんのであるぞ、草物言うぞ。」
時節が到来したので、種を蒔けよ、つまり準備しておけよ、やり直しきかんぞということです。


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地つ巻 第24帖

この方、明神とも現われているのざぞ、臣民守護のために現われているのであるぞ。
衣はくるむものであるぞ、くるむものとは、まつらうものぞ、Θの衣は人であるぞ、汚れ破れた衣ではΘは嫌ざぞ。
衣は何でもよいと申すようなものではないぞ、暑さ寒さ防げばよいと申すような簡単なものでないぞ。
今は神の衣なくなっている、九分九厘の臣民、Θの衣になれないのざぞ。
悪神の衣ばかりぞ、今に臣民の衣も九分九厘なくなるのざぞ、Θの国、霊の国と、この世とは合わせ鏡であるから、この世に映って来るのざぞ、臣民身魂洗濯してくれとくどう申してあろうがな、この道理よくわかりたか。
十月とは十(かみ)の月ぞ、❘(陽)と −(陰)との組みた月ぞ。
九月の二十八日、ひつ九のか三。


この「明神」という言葉は、「日本の民を救済するために現れた仏教の仏の化身である」という仏教由来のものですが、「鹿島大明神」「香取大明神」という戦神のことを言っているように思われます(本名はそれぞれ武甕槌大神、経津主大神)。

「衣は何でもよいと申すようなものではないぞ、暑さ寒さ防げばよいと申すような簡単なものでないぞ。」
「今は神の衣なくなっている、九分九厘の臣民、Θの衣になれないのざぞ。」
九分九厘はダメということは、わずか1%(1億人で100万人)しか神の衣になれないということです。

「悪神の衣ばかりぞ、今に臣民の衣も九分九厘なくなるのざぞ、Θの国、霊の国と、この世とは合わせ鏡であるから、この世に映って来るのざぞ」
神の世とこの世とは合わせ鏡ですから、神の衣が1%しかないので、臣民の衣も1%しかなくなるということです。つまり、Θは1%で、残り99%は〇(悪の衣)ということでしょう。

「十月とは十(かみ)の月ぞ、❘(陽)と −(陰)との組みた月ぞ。」
十月は神無月(かんなづき)ですね(出雲では神在月(かみありづき))。しかし、元の意味は、かみな月=神の月だそうです。十の字は縦棒と横棒の組み合わせで、縦が陽、横が陰だそうです。以前、ムウとアヤワのお話をしました。ヤが陽、ワが陰でした。多分ムが陽でウが陰なのでしょう。

日月神示でも、神を表す記号として、Θと✓の他、十が併用されています。

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2018年01月17日

地つ巻 第23帖

この神示、心で読みてくれよ、声出して読みてくれよ、病も治るぞ、草木もこの神示読みてやれば花咲くのざぞ。
この道広めるには、教会のようなものつとめてくれるなよ、集団(まどい)を作りてくれるなよ。
心から心、声から声、身体から身体へと広めてくれよ、世界中の臣民みなこの方の民ざから、早う伝えてくれよ。
神も人も一つであるぞ、考えていては何も出来ないぞ、考えないで思う通りにやるのが神のやり方ぞ、考えは人の迷いざぞ、今の臣民、身魂雲りているから考えねばならぬが、考えればいよいよと曇りたものになる道理わからぬか。
日暮れを気つけてくれよ。
日暮れ良くなるぞ。
日暮れに始めたことは何でも成就するようになるのざぞ、日暮れを日の暮れとばかり思うていると、臣民の狭い心で取りていると間違うぞ。
Θのくれのことを申すのざぞ。
九月二十八日、ひつ九のか三。


「この神示、心で読みてくれよ、声出して読みてくれよ、病も治るぞ、草木もこの神示読みてやれば花咲くのざぞ」
「この道広めるには、教会のようなものつとめてくれるなよ、集団(まどい)を作りてくれるなよ。」
これらは、何度か出て来ました。

「心から心、声から声、身体から身体へと広めてくれよ、世界中の臣民みなこの方の民ざから、早う伝えてくれよ。」
戦争中は無理でしたでしょうね。今は可能となりましたが、文化の土壌が違うのでなかなか難しいですね。

「神も人も一つであるぞ、考えていては何も出来ないぞ、考えないで思う通りにやるのが神のやり方ぞ、考えは人の迷いざぞ、今の臣民、身魂雲りているから考えねばならぬが、考えればいよいよと曇りたものになる道理わからぬか」
まず、日本を好きになってもらうことから始めないといけませんね。日本には宗教的な感情の対立がないのが強みです。

「日暮れを気つけてくれよ。日暮れ良くなるぞ。日暮れに始めたことは何でも成就するようになるのざぞ、日暮れを日の暮れとばかり思うていると、臣民の狭い心で取りていると間違うぞ。Θのくれのことを申すのざぞ。」
これは、難問です。正直言ってよく分かりません。
「Θのくれのことを申すのざぞ」ですから、もしかしたら、明治以降の国家神道で神格化された天皇の「現人神(あらひとがみ)」にこだわり過ぎるなよということかもしれません。当時、公然と批判すると不敬罪となりましたので、奥歯にもののはさまったような言い方しかできなかったのかもしれません。

日暮れが終戦後の日本のことだとすると、以前出て来た「夕方よくなるぞ」とも共通点を持ちます。
つまり、夜になる前の最後の輝きを日本が放つぞという意味かもしれません。
我々は、バブル崩壊後の日本を「失われた20年」といっていますが、夜は明けたのでしょうか、それとも、まだまだ夕方は続いているのでしょうか。



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地つ巻 第22帖

我が助かろと思うたら助からぬのざぞ、その心我善しざぞ。
身魂磨けた人から救うてやるのざぞ、Θうつるのざぞ、身魂曇りた人にも〇はうつるのざぞ、Θのうつりた人と〇の憑かりた人との大戦ぞ、✓ と〇とが戦して、やがては✓ を中にして〇がおさまるのぞ。
その時は〇は〇でなく、✓も✓でないのざぞ、Θとなるのざぞ、✓と〇のまつりぞと申してあろうがな。
どちらの国も潰れるところまでになるのぞ、人民同士はもう戦かなわんと申しても、この仕組成就するまでは、Θが戦やめさせんから、Θがやめるわけに行かんから、今やめたら、またまた悪くなるのぞ、〇の世となるのぞ、〇の世界となるのぞ、今の臣民九分通り〇になりているぞ、早う戦済ませてくれと申しているが、今、夜明けたら、臣民九分通り無くなるのざぞ。お洗濯第一ざぞ。
九月二十六日、ひつ九のか三。


自分だけ助かろうと思う心が「我善し」なので助からないということです。

「身魂磨けた人から救うてやるのざぞ、Θうつるのざぞ」
「身魂曇りた人にも〇はうつるのざぞ」
身魂磨けた人には神がうつり、身魂曇った人には〇=悪(幽界)がうつるということです。

「Θのうつりた人と〇の憑かりた人との大戦ぞ、✓ と〇とが戦して、やがては✓ を中にして〇がおさまるのぞ。」
「その時は〇は〇でなく、✓も✓でないのざぞ、Θとなるのざぞ、✓と〇のまつりぞと申してあろうがな。」
日本と米国の戦争ではなく、最終的には、善と悪との戦争(日本の中にも悪がいて、米国の中にも善がいる)になるということです。

「どちらの国も潰れるところまでになるのぞ、人民同士はもう戦かなわんと申しても、この仕組成就するまでは、Θが戦やめさせんから、Θがやめるわけに行かんから」
終戦直前に、本土決戦主張派の軍人が、戦争をやめるかクーデターを起こす(戦争継続)かどうかのお伺いを日月神示の神に尋ねたところ、「クーデター」はならんとの答えがありました。
それまでに、何らかの状況の変化があったと思われます。臣民のお洗濯が済んでいなかったからでしょうか。

「今やめたら、またまた悪くなるのぞ、〇の世となるのぞ、〇の世界となるのぞ」
確かにそうなっています。

「今の臣民九分通り〇になりているぞ、早う戦済ませてくれと申しているが、今、夜明けたら、臣民九分通り無くなるのざぞ。お洗濯第一ざぞ。」
今も、その状況は続いています。臣民のお洗濯は進むどころか益々汚れ続けています。


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地つ巻 第21帖

神界のことは現界ではなかなかにわかるものでないということわかりたら、神界のことわかるのであるぞ。
一に一足すと二となるというソロバンや物差しでは見当取れんのざぞ。
今までの戦でも、神が蔭から護っていることわかるであろうがな、あんな者がこんな手柄立てたと申すことあろうが、臣民からは阿呆に見えても、素直な人にはΘが憑かりやすいのであるから、早う素直に致してくれよ。
海の津波気をつけてくれ、前に知らしてやるぞ。
九月二十五日、ひつ九か三。


神界がどうなっているかなんて分かりませんが、「わかるものでない」ということが分かったら、「神界のことわかる」というのはどういうことでしょう。常識では計り知れないということでしょうが。

「一に一足すと二となるというソロバンや物差しでは見当取れんのざぞ。」
例えば、「大きなリンゴ」1個と「小さなリンゴ」1個があったとします。合わせていくつですか?
答えは2個ですね。では、その体積は2倍になりましたか?答えはNoですね。
つまり、定義次第で答えはどうとでもなるということです。
「神」と「人間」が合わさると2になりますか?答えは、分かりません。そういうことだと思います。
日月神示では「千人力」とか「万人力」とも書いてありますが、それも答えの一つだと思います。

「今までの戦でも、神が蔭から護っていることわかるであろうがな、あんな者がこんな手柄立てたと申すことあろうが、臣民からは阿呆に見えても、素直な人にはΘが憑かりやすいのであるから、早う素直に致してくれよ。」
これもその例の一つであると思います。
太平洋戦争時にも不死身といわれた方がいらっしゃったとか。舩坂 弘(ふなさか ひろし)でググってみてください。真偽のほどは存じませんので、あしからず。

「海の津波気をつけてくれ、前に知らしてやるぞ。」
M7.9のプレート境界型巨大地震、昭和東南海地震が、1944年(昭和19年)12月7日に起きました。熊野灘が震源で、東海地域の軍需工場が壊滅的な打撃を受けたとあります。
2か月以上前の警告です。因みに「九月二十五日」は旧暦で8月9日です。

鳥取地震、三河地震、南海地震と合わせて、太平洋戦争終戦前後における「4大地震」と云われています。
 鳥取地震    M7.2 昭和18年 9月10日(旧暦 8月11日)
 昭和東南海地震 M7.9 昭和19年12月 7日(旧暦 10月22日)
 三河地震    M6.8 昭和20年 1月13日(旧暦 11月30日)
 南海地震    M8.0 昭和21年12月21日(旧暦 11月28日)


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地つ巻 第20帖

世界に変わりたこと出来たら、それはΘΘ様の渡られる橋ぞ。
本清めねば末は清まらんぞ、根断ちて葉繁らんぞ、元の種が大切ざぞ、種は元から選り分けてあるのざぞ。
せんぶり苦いぞ。
九月二十四日、ひつ九のか三。


これまた、わけの分からない文章ですね。(笑)

「世界に変わりたこと出来たら、それはΘΘ様の渡られる橋ぞ。」
局地的な異常気象や異常現象は多々ありますが、「世界」ですからね。しかも「橋」です。
インターネットのことでしょうか、それなら、世界中の情報が共有できますし、発信もできますからね。
または、グローバリゼーションでしょうか。世界中の労働力や物資の移動が活発化します(文化や伝統も根絶やしになりますが)。

「本清めねば末は清まらんぞ、根断ちて葉繁らんぞ、元の種が大切ざぞ、種は元から選り分けてあるのざぞ。」
これは、今までの記載から考えて、「日本人」が元の種となります。日本人がまず改心しないと世界も改心しないし、日本が滅亡したら、世界も繁栄しないということでしょう。

「せんぶり苦いぞ。」
「千振(センブリ)」は、薬草として日本で利用されてきました。ゲンノショウコ、ドクダミと共に日本の三大民間薬の一つです。熊野路を代表する花でもあり、「千回振出してもまだ苦い」最も苦い生薬(ハーブ)といわれています。「腹痛を治し、虫を殺す」とされています。
虫(寄生虫)下しのこととすると、「日本人の中の寄生虫を殺すぞ」ということだと思われます。

また、「ヨハネの黙示録」にも、「第三の御使がラッパを吹き鳴らすと、苦よもぎというたいまつのように燃えている大きな星が落ちて、水の3分の1が苦くなり、そのため多くの人が死ぬ」という記述があります。
これは、チェルノブイリ原発の事故のことではないかと云われていますが、その後、福島原発でも同様の事故が起こっています。この「苦よもぎ」も殺虫剤として使われており、「せんぶり」との類似性が際立ちます。
その他、ヨハネの黙示録の記載内容についても日月神示との類似性が多々あるので、いずれ検証してみたいと思っています。



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地つ巻 第19帖

世成り、神国の太陽足り満ちて、皆みち足り、神国の月神、世をひらき足り、弥栄にひらき、月光、総てはみち、結び出づ、道は極みに極む、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)、弥栄々々ぞ、神、仏、耶(や)、ことごと和し、和して足り、太道ひらく永遠、富士は晴れたり、太神は光り出づ、神国のはじめ。
九月二十四日、一二Θふみ。


月の神様のお働きで世が開く、「ヤサワ」の世界を暗示しています。
神道も仏教もキリスト教も統合され、「太神」によって、永遠に統治されるということでしょう。

後で、原文を検証してみます。


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2018年01月16日

地つ巻 第18帖 修正しました

我れ善しの政治ではならんぞ、今の政治経済は我れ善しであるぞ。
臣民のソロバンで政治や経済してならんぞ、Θの光のやり方でないと治まらんぞ、与える政治がまことの政治ぞよ、臣民勇む政治とは、上下まつろい合わす政治のことぞ、Θ(日)の光ある時は、いくら曇っても闇ではないぞ、いくら曇っても悪が妨げても昼は昼ぞ、いくら灯りつけても夜は夜ぞ、Θのやり方は日の光と申して、くどう気つけてあろうがな。
政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、政事でないぞ。
Θの臣民、魂と肉体の別ないと申してあることわからぬか、Θのやり方は人の身魂(からたま)、人のはたらき見ればすぐわかるでないか。
肚にチャンとΘ鎮まっておれば何事も箱さしたように動くのざぞ、いくら頭が偉いと申して、胃袋は頭の言う通りには動かんぞ、この道理わかりたか、ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。
Θの政治はやさしい難しいやり方ぞ、高きから低きに流れる水のやり方ぞ。
Θの印つけた悪来るぞ。
悪の顔したΘあるぞ、飛行機も船も臣民もみな同じぞ、足元に気つけてくれよ、向こうの国はちっとも急いではおらぬのぞ、自分で目的達せねば子の代、子で出来ねば孫の世と、気長くかかりているのざぞ、Θの国の今の臣民、気が短いからしくじるのざぞ、しびれ切らすと立ち上がれんぞ、急いではならんぞ、急がねばならんぞ。
Θの申すこと取り違いせぬようにしてくれよ。
よくこの神示読んでくれよ、元の邪気凝りて湧いて出た悪の種は、邪鬼と大蛇(おろち)と四ツ足となって、邪鬼には二本の角、大蛇は八ッ頭、八ッ尾、四ツ足は金毛(きんもう)であるから気つけておくぞ。
四ツ足は女に憑いて化けているから、守護神殿、臣民殿、騙されぬように致して下されよ。
九月二十三日、あの、ひつ九のか三。


「我れ善しの政治ではならんぞ、今の政治経済は我れ善しであるぞ。」
完全にそうなってます。

「Θの光のやり方でないと治まらんぞ、与える政治がまことの政治ぞよ」
神でないと「与える政治」はできないでしょうね。現在できているのは、資源のあるアラブ首長国連邦とブルネイくらいでしょう。国民満足度トップのブータンも軍事をインドに頼っているのが現実ですし。

「臣民勇む政治とは、上下まつろい合わす政治のことぞ」
日本で一番それに近かったのが「一億総中流社会」でしたが、累進課税が縮小され、グローバルスタンダードに蹂躙(じゅうりん)され、BIS規制で追い詰められ、急激なバブル破壊でとどめを刺されました。
それでも世界最大の債権国のままなのですが、政府の負債は1,000兆円となりました(国全体で考えればまだ余裕があるようです。それが証拠に円は世界の安全資産のままです)。

「Θ(日)の光ある時は、いくら曇っても闇ではないぞ、いくら曇っても悪が妨げても昼は昼ぞ、いくら灯りつけても夜は夜ぞ、Θのやり方は日の光と申して、くどう気つけてあろうがな。」

「政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、政事でないぞ。Θの臣民、魂と肉体の別ないと申してあることわからぬか、Θのやり方は人の身魂(からたま)、人のはたらき見ればすぐわかるでないか。」
政治と経済は一体不可分です。それを分けて考えようという「甘い誘惑」に乗ってはいけません(外交上、乗ったふりをして乗らないのはありです。但し、言霊には気をつけましょう。言質を取られます)。

「肚にチャンとΘ鎮まっておれば何事も箱さしたように動くのざぞ」

「いくら頭が偉いと申して、胃袋は頭の言う通りには動かんぞ、この道理わかりたか、ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。」
食糧の安定供給確保は至上命題です。だからといって、安全性の低い食物やカントリーリスクのある国からの輸入に頼り切ることはダメですよということでしょう。

「Θの政治はやさしい難しいやり方ぞ、高きから低きに流れる水のやり方ぞ。」
おっ、現在の「トリクルダウン」ですね。今の所、上手くいっていないようですが。
途中にダムがあったり、外国へ流出したりで流れて来にくくなってますものね。

「Θの印つけた悪来るぞ。悪の顔したΘあるぞ、飛行機も船も臣民もみな同じぞ、足元に気つけてくれよ」
これは、現代のことでしょうか。
        Θの印つけた悪          悪の顔したΘ
飛行機    商売目的の戦闘機        国土防衛に必要な戦闘機
船      商売目的のイージス       ミサイル防衛に必要なイージス
臣民     外国の言いなり勢力       軍隊のような自衛隊
足元は、国民感情。それから外国からの不法入国者。もしかすると、盤石だと思っている米国との安全保障体制。

「向こうの国はちっとも急いではおらぬのぞ、自分で目的達せねば子の代、子で出来ねば孫の世と、気長くかかりているのざぞ」
神の国は急いでないようです。戦後72年を経過しました。(誤)
向こうの「国」で子の代、孫の代ですから、これはC国のことですね。ご明察、おみそれしました。


「Θの国の今の臣民、気が短いからしくじるのざぞ、しびれ切らすと立ち上がれんぞ、急いではならんぞ、急がねばならんぞ。」
間に合うように準備はしておけよということでしょう。(誤)
挑発に乗らないで、しっかり準備して守れよということでしたね。
72年も前から、何でもお見通しなんですね。

「元の邪気凝りて湧いて出た悪の種は、邪鬼と大蛇(おろち)と四ツ足となって、邪鬼には二本の角、大蛇は八ッ頭、八ッ尾、四ツ足は金毛(きんもう)であるから気つけておくぞ。四ツ足は女に憑いて化けているから、守護神殿、臣民殿、騙されぬように致して下されよ。」
大蛇     八ッ頭、八ッ尾
邪鬼     二本の角
四ツ足    金毛の女性です。
国名は、はばかられるので、敢えて言いません。想像してください。


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地つ巻 第17帖

まことの善は悪に似ているぞ、まことの悪は善に似ているぞ、よく見分けなならんぞ。
悪の大将は光り輝いているのざぞ、悪人はおとなしく見えるものぞ。
日本の国は世界の雛型(ひながた)であるぞ、雛型でないところは真のΘの国でないから、よほど気つけておりてくれよ、一時は敵となるのざから、ちっとも気許せんことぞ、Θがとくに気つけておくぞ。
今は日本の国となりても、Θの元の国でないところもあるのざから、雛型よく肚に入れておりて下されよ。
後悔間に合わんぞ。
九月二十三日、ひつ九のΘ。


この文章は、深い意味を内蔵しているようです。
まず、分かり易い所から解読して行きましょう。

「日本の国は世界の雛型(ひながた)であるぞ、雛型でないところは真のΘの国でないから、よほど気つけておりてくれよ」
これは、日本の形が世界の形に対応しているというものです。
北海道・樺太が南北アメリカ、本州がユーラシア大陸、四国がオーストラリア、九州がアフリカです。
この当時の「雛型でないところは真のΘの国でないから」は、満洲国、中国の沿岸部、朝鮮半島、台湾、東南アジア、太平洋諸島が該当します。やはり出て行くべきではなかったようです。

「一時は敵となるのざから、ちっとも気許せんことぞ」
「今は日本の国となりても、Θの元の国でないところもあるのざから、雛型よく肚に入れておりて下されよ。」
これは、中国、北朝鮮、韓国のことでしょうか。現在、まさにその通りの展開となっております。
1944年ですから、74年前の予言ですよ。驚きです。ちょっと、後悔してますが、今ならまだ間に合います。
今のうちに対策しておきましょう。

「後悔間に合わんぞ。」


さて、前半部です。

「まことの善は悪に似ているぞ、まことの悪は善に似ているぞ、よく見分けなならんぞ。」
例えば、親が子供を躾ける、先生や先輩が厳しく指導する。単なるうさ晴らしの場合もありますが、本当に本人のためを思っての行為であれば、それは「悪」に似た「善」でしょう(やり過ぎは「悪」ですけどね)。逆に、単に優しいふりをしているだけならば、それは「甘やかす」ということであり、「善」に似た「悪」でしょう(本当に優しい場合もありますが)。
もちろん、教えられる方にも個人差があり、「ほめて伸びるタイプ」と「しかって伸びるタイプ」がありますから、ケース・バイ・ケースで違いますが、それを「よく見分けなならんぞ。」ということでしょう。

また、詐欺師は見た目では「善人」ですが、心の中は「悪」です。それが商売ですから。
人と人の付き合い方でも、だいたい蔭口をたたく人は要注意です(自分も他人に言われていると思いましょう)。逆に、本人のいない所でその人をほめる人は信頼できます。

女性によくあるのが「自分だけに優しいから好き」という人ですが、大間違いです。貴方だけに優しいのは下心があるから。そのうち、優しくしてくれるのは、他の誰かになります。男女問わず誰にでも優しい人を選びましょう(かといって、だらしないのはダメですよ)。

お相手のご両親を見てみましょう。お相手が男性ならばお父さん、女性ならお母さんを見れば、それが20年後のお相手の姿です。但し、外見ではなく内面をよく観察してくださいね。


「悪の大将は光り輝いているのざぞ、悪人はおとなしく見えるものぞ。」
これですね。現在「光り輝いて」いて「おとなしく見える」政治家は存在しません。
誰もが「素晴らしい」と思うような人物が、実は「一番危険」な人物だということでしょう。
今後も、注意深く見守って行きましょう。
そのうち、「悪の大将」が姿を現すでしょう。


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地つ巻 第16帖

Θが臣民の心の中に宝いけておいたのに、悪に負けて汚してしもうて、それで不足申していることに気づかんか。
一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようが我さえよけらよいと申しているでないか。
それはまだよいのぞ、Θの面かぶりて口先きばかりで神様神様、てんし様てんし様と申したり、頭下げたりしているが、こんな臣民一人もいらんぞ、いざという時は尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ、犬猫は正直でよいぞ、こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しぞ。
Θの申したこと一分一厘違わんのざぞ、その通りになるのざぞ。
上に唾(つばき)すればその顔に落ちるのざぞ、時節ほど結構な恐いものないぞ、時節来たぞ、慌てずに急いで下されよ。
世界中唸(うな)るぞ。
陸が海となるところあるぞ。
今に病神(やまいがみ)の仕組にかかりている臣民苦しむ時近づいたぞ、病はやるぞ、この病は見当とれん病ぞ、病になりていても、人もわからねば我もわからん病ぞ、今に重くなりて来るとわかりて来るが、その時では間に合わん、手遅れぞ。
この方の神示よく肚に入れて病追い出せよ、早うせねばフニャフニャ腰になりて四ツン這(ば)いで這い廻らなならんことになると申してあろうがな、Θの入れものワヤにしているぞ。
九月二十三日、ひつ九のか三。


「Θが臣民の心の中に宝いけておいたのに、悪に負けて汚してしもうて、それで不足申していることに気づかんか。一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようが我さえよけらよいと申しているでないか。」
地震や津波などの被災地にボランティアに行かれる方もたくさんいて、まだまだ日本も捨てたもんじゃないなと思うこともありますが、自分を振り返るとなかなか「我」が捨てられないことにつらい思いがします。

「それはまだよいのぞ、Θの面かぶりて口先きばかりで神様神様、てんし様てんし様と申したり、頭下げたりしているが、こんな臣民一人もいらんぞ」
痛いですね〜。排除しないで〜(笑)

「いざという時は尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ」
それはないな。できる限り、戦いますよ〜。

「犬猫は正直でよいぞ、こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しぞ。」
犬はともかく、猫は逃げ出すでしょう。正直ではありますが。

「Θの申したこと一分一厘違わんのざぞ、その通りになるのざぞ。」
そこまで言われると、自信がなくなりますが。(笑)

「上に唾(つばき)すればその顔に落ちるのざぞ」
いわゆるブーメランというやつですね。伝統芸にしていらっしゃる人たちもいらっしゃいますが。(笑)

「時節ほど結構な恐いものないぞ、時節来たぞ、慌てずに急いで下されよ。」

「世界中唸(うな)るぞ。陸が海となるところあるぞ。」
世界規模での津波災害でしょうか。

「今に病神(やまいがみ)の仕組にかかりている臣民苦しむ時近づいたぞ、病はやるぞ、この病は見当とれん病ぞ、病になりていても、人もわからねば我もわからん病ぞ、今に重くなりて来るとわかりて来るが、その時では間に合わん、手遅れぞ。」
エイズがその代表格ですね。その他、鳥インフルエンザ、SARS、エボラ出血熱等々、新しい病気が次々と生まれてますね。病神の仕組でしたか。ただ、この時点で考えると、放射能障害のことでしょうね。

将来的には、旧約聖書の「エジプトに対する十の災い」のようなことが起こるのかもしれませんね。

「Θの入れものワヤにしているぞ」
この文章からは、薬物、抗生物質、環境ホルモン、大気汚染、水質汚染、もしかしたら遺伝子組み換え食品などの人体に影響を及ぼす物質の摂取のことを言っているのかもしれません。


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地つ巻 第15帖

Θの国の上(かみ)の役員にわかりかけたらバタバタに埒(らち)つくなれど、学や智が邪魔してなかなかにわからんから、くどう申しているのざぞ。
臣民物言わなくなるぞ、この世の終わり近づいた時ぞ。
石、物言う時ぞ。
神の目には外国も日本(やまと)もないのざぞ。
みながΘの国ぞ。
七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせんぞ、一つの王で治めさすぞ。
てんし様が世界みそなわすのざぞ。
世界中の罪負いておわしますスサノオの大神様に気づかんか、盲、聾ばかりと申してもあまりでないか。
九月二十三日、ひつ九のか三。


「Θの国の上(かみ)の役員にわかりかけたらバタバタに埒(らち)つくなれど、学や智が邪魔してなかなかにわからんから、くどう申しているのざぞ。」
これは、当時の為政者、軍部、知識階級の人たちのことを言っているのでしょう。
現代でも科学絶対主義者は、その考え方自体が「宗教的」だということに気が付いていません。(笑)
アインシュタインや多くの物理学者は神の存在を否定していません。

「臣民物言わなくなるぞ、この世の終わり近づいた時ぞ。石、物言う時ぞ。神の目には外国も日本(やまと)もないのざぞ。」
これは、日本人が全て死に絶えてしまうぞということでしょう。「石」は、意志とか意思のことでしょう。前にも「石物言う時来るぞ、草物言う時来るぞ。」という文章がありました。その時は、「一番神に近い所にいる石や草が光り輝く(物言う)時が来るぞということでしょう。」と述べさせて頂きました。
もしかしたら、「墓石」と「草」しか残らないぞということかもしれませんが。(笑)


「みながΘの国ぞ。七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせんぞ、一つの王で治めさすぞ。」
ここでは「日本は別として七つの国で治めるぞ」という文章に対応している言葉だと思います。
王をたくさん作るとまた争い始めるので、そうはさせないぞということでしょう。

「八王」は、祇園牛頭天王の8人の王子だったり、天照大神と須佐之男命の誓約時に出現した5男3女神のことだと言われたりします。祇園牛頭天王は、実は須佐之男命のことで、その王子は「大歳神(たいさいじん)、大将軍神、大陰神、歳刑神(さいぎょうじん)、歳破神、歳殺神、黄幡神(おうばんしん)、豹尾神(ひょうびしん)の八将神」とされています。このうち「大歳神」(おおとしかみ)は大和国を作った「饒速日命」で本家「天照大神」であるというお話は以前いたしました。「恵方巻」の恵方にいらっしゃる方です。
面白いのは、この「大歳神」(歳徳神とも、とんどさんとも言われます)も女神として描かれていることです。

「てんし様が世界みそなわすのざぞ。世界中の罪負いておわしますスサノオの大神様に気づかんか」
ついに出て来ました。真打ちのご登場です。「てんし様」が「スサノオの大神様」かどうかは定かではありませんが、少なくとも、「三千世界の立て直し」の中心人物であることは確かです。「アヤワ」の世界から「ヤサワ」の世界に移りますが、その中心の「ヤ」です。

「世界中の罪負いておわします」という表現は「イエス・キリスト」にも似ていますね。

また、そのうち、そんなお話が出て来ます。


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地つ巻 第14帖

この道わかりた人から一柱でも早う出て参りて神の御用なされよ。
何処におりても御用はいくらでもあるのざぞ。
神の御用と申して、稲荷下げや狐憑きの真似はさせんぞよ。
この道は厳しき道ざから楽な道なのぞ。
上にも下にも花咲く世になるのざぞ、後悔は要らぬのざぞ。
上(かみ)は見通しでないとカミでないぞ、今のカミは見通しどころか目ふさいでいるでないか。
蛙(かえる)いくら鳴いたとて夜明けんぞ。
赤児になれよ、ごもく(汚い心)捨てよ、その日その時から顔まで変わるのざぞ、Θ烈しく結構な世となりたぞ。
九月二十三日、ひつ九のか三。


「この道わかりた人から一柱でも早う出て参りて神の御用なされよ。何処におりても御用はいくらでもあるのざぞ。」
ですって、みなさん!
このブログを読んで下さっているのも何かのご縁でしょう。とりあえず、お近くの神社で「感謝の心」でお礼申し上げてみてください。それから、毎日を「感謝の心」で過ごすように努力してみてください。他人や家族に「優しく」してみてください。それだけでも、日々の生活が変わるかもしれませんよ。

「神の御用と申して、稲荷下げや狐憑きの真似はさせんぞよ。この道は厳しき道ざから楽な道なのぞ。」
変な宗教に騙されないようにしてくださいね。騙されないコツは「お金」を要求されるかどうかで判断できると、前に申し上げましたよね。

「上にも下にも花咲く世になるのざぞ、後悔は要らぬのざぞ。」
未来志向で良いそうです。これからどうするかです。

「上(かみ)は見通しでないとカミでないぞ、今のカミは見通しどころか目ふさいでいるでないか。
蛙(かえる)いくら鳴いたとて夜明けんぞ。」
上は素直に「神」でしょうね。神といってもいろいろあって、ニセの神や畑違いの神もあるので、騙されないように正神を祀ってくださいということでしょう。

「赤児になれよ、ごもく(汚い心)捨てよ、その日その時から顔まで変わるのざぞ」



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2018年01月15日

地つ巻 第13帖

赤い眼鏡かければ赤く見えると思うているが、それは相手が白い時ばかりぞ、青いものは紫に映るぞ。
今の世は色とりどりの眼鏡とりどりざから見当とれんことになるのざぞ、眼鏡はずすに限るのぞ、眼鏡はずすとは洗濯することざぞ。
上ばかり良くてもならず、下ばかり良くてもならんぞ。
上も下も天地揃うて良くなりて、世界中の臣民、獣まで安心して暮らせる新(さら)の世に致すのざぞ、取り違えするなよ。
九月二十三日、一二Θ。


目が曇っていては、あるものが別のものに見えてしまうということです。身魂が磨けていれば、取り違いないそうです。

現代社会でも、どこをどう解釈したら、そういう結論になるのかと思うことが多々あります。
みなさん「色とりどりの眼鏡」をかけて、いろいろな「色」を見ていらっしゃるので、そうなってしまうのでしょうね。

見えていればまだ良いのですが、「赤」い眼鏡で「赤」を見ると何も見えなくなってしまう方もいらっしゃるようですね。それとも「金」に見えるのでしょうか。(笑)


「上ばかり良くてもならず、下ばかり良くてもならんぞ。」
「上も下も天地揃うて良くなりて、世界中の臣民、獣まで安心して暮らせる新(さら)の世に致すのざぞ」
三千世界の大建て替えですから、上も下も全ての天地を安心して住みやすい世の中に作り変えるぞということでしょう。


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地つ巻 第12帖

この道は道なき道ざぞ。
天理も金光も黒住も今は魂抜けておれど、この道入れて生きかえるのぞ。
日蓮も親鸞も耶蘇も何もかもみな脱け殻ぞ。
この道で魂入れてくれよ、この道は✓、〇の中に✓ 入れてくれと申してあろうが。
臣民も、世界中の臣民も国々も、みな同じことぞ、✓ 入れてくれよ。
〇を掃除しておらぬと✓入らんぞ、今度の戦は〇の掃除ぞと申してあろうがな、まつりとは、まつり合わすことと申してあろうがな、この道は教えでないと言うてあろうが、協会や他の集いでないと申してあろうがな、人集めてくれるなと申してあろうがな。
世界中の臣民みな信者と申してあろうが、この道は道なき道ぞ、時なき道ぞ、光ぞ。
この道でみな生き返るのざぞ。
天明(岡本天明)阿保(あほう)になりてくれよ、我捨ててくれよ、神憑かるのに苦しいぞ。
九月二十二日、あの一二Θ。


「この道は道なき道ざぞ。」
「天理も金光も黒住も今は魂抜けておれど、この道入れて生きかえるのぞ。」
「日蓮も親鸞も耶蘇も何もかもみな脱け殻ぞ。」
「この道で魂入れてくれよ、この道は✓、〇の中に✓ 入れてくれと申してあろうが。」
「臣民も、世界中の臣民も国々も、みな同じことぞ、✓ 入れてくれよ。」
この道は道なき道、未知なき道、三千(世界)なき満ち、いろんな解釈が出来そうです。少なくとも言えるのは、この道は「✓」、「〇の中に✓ 入れる」ということ。
天理、金光、黒住、日蓮、親鸞、耶蘇を始め何もかも、「✓」が入っていないということだそうです。

「〇を掃除しておらぬと✓入らんぞ、今度の戦は〇の掃除ぞと申してあろうがな」
「まつりとは、まつり合わすことと申してあろうがな」

「この道は教えでないと言うてあろうが、協会や他の集いでないと申してあろうがな、人集めてくれるなと申してあろうがな。」
この道は教えではなく、実践だということです。神が助けてくれるのではなく、自分が自分を助けるそうです。神が助かるのだそうです。

「世界中の臣民みな信者と申してあろうが、この道は道なき道ぞ、時なき道ぞ、光ぞ。」
世界中の誰もが、この道なき道を歩むことが出来るそうです。
「道なき道ぞ、時なき道ぞ、光ぞ。」の意味は、地球に絶えず降り注ぐ光のように、方法、方位、方角、時間にかかわらず常に与えられている「道」だということだと思います。
別の場所で「光」は「曲がっているのぞ、真っ直ぐぞ」という記載もあるので、光が直進しながら波の性質を持って進むということを「道」に例えているとも思われます。

「この道でみな生き返るのざぞ。」


「天明(岡本天明)阿保(あほう)になりてくれよ、我捨ててくれよ、神憑かるのに苦しいぞ。」

「あの一二Θ」は珍しいですね。



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地つ巻 第11帖

世界丸めて一つの国とするぞと申してあるが、国はそれぞれの色の違う臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。
その心々によりて、それぞれの教え作らすのぞ。
旧きものまかりて、また新しくなるのぞ、その心々の国と申すは、心々の国であるぞ、一つの王で治めるのざぞ。
天津日嗣(ひつぎ)の皇子様が世界中照らすのぞ。
地のひつきの御役も大切の御役ぞ。
道とは三つの道が一つになることぞ、満ち満つ事ぞ、元の昔に返すのざぞ、修理固成(つくりかため)の終わりの仕組ぞ、終わりは始めぞ、始めは一(霊 ひ)ぞ。
富士、都となるのざぞ、幽界(がいこく)行きは外国行きぞ。
Θの国、光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光りによりて、その御役、位、わかるのざから、ミロクの世となりたら何もかもハッキリして嬉し嬉しの世となるのぞ、今の文明なくなるのでないぞ、魂入れて、いよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四つ足もみな歌うこととなるのぞ、御光にみな集まりて来るのざぞ、てんし様の御光はΘの光であるのだぞ。
九月二十日と一日、一二か三。


「国はそれぞれの色の違う臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。」
これは人種ではなくオーラの色ごとに国が出来るという意味でしょう。7つの国ですから、青、赤、黄、白、黒の五色の他に2色ですが、五色が木火土金水に対応するので、残りは日と月の金と銀でしょうか。

「その心々によりて、それぞれの教え作らすのぞ。」
「旧きものまかりて、また新しくなるのぞ、その心々の国と申すは、心々の国であるぞ」
全て心の磨けた人ばかりですから、オーラの色ごとに若干の性質の差があって、「それぞれの教え」が存在するということなのでしょう。

「天津日嗣(ひつぎ)の皇子様が世界中照らすのぞ。地のひつきの御役も大切の御役ぞ。」
「天津日嗣の皇子」は、おそらく天皇家のご先祖、「地のひつき」は天皇陛下だと思います。

「道とは三つの道が一つになることぞ、満ち満つ事ぞ、元の昔に返すのざぞ、修理固成(つくりかため)の終わりの仕組ぞ、終わりは始めぞ、始めは一(霊 ひ)ぞ。」
「三つの道」とは、元の昔が一つだったわけですから、「天、地、人」でしょうね。修理固成の終わりの仕組では、天地人が一つとなって、霊(ひ)となり、二、三、四と開いていくのでしょうね。
別の場所では、「Θ国の道」「外国の道」「世界の道」が三つの道ぞと述べられている箇所もありますのでご紹介しておきます。

「富士、都となるのざぞ、幽界(がいこく)行きは外国行きぞ。」

「Θの国、光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光りによりて、その御役、位、わかるのざから」
これが、上述のオーラの色だと思います。

「ミロクの世となりたら何もかもハッキリして嬉し嬉しの世となるのぞ」

「今の文明なくなるのでないぞ、魂入れて、いよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四つ足もみな歌うこととなるのぞ」
良かったですね〜。文明は残っていました。ゲームはどうかなぁ。(笑)

「御光にみな集まりて来るのざぞ、てんし様の御光はΘの光であるのだぞ。」


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地つ巻 第10帖

何事も方便と申して自分勝手なことばかり申しているが、方便と申すものΘの国には無いのざぞ。
まことがことぞ、まのことぞ、言霊ぞ。
これまでは方便と申して逃げられたが、もはや逃げること出来ないぞ、方便の人々、早う心洗いてくれよ、方便の世は済みたのざぞ、今でも仏の世と思うているとビックリが出るぞ、Θの国、元のΘがスッカリ現われて富士の高嶺から天地(あめつち)へ祝詞するぞ、岩戸閉める御役になるなよ。
九月二十日、ひつ九のか三。


言霊が存在する限り、方便も嘘はうそということのようです。
「まことがことぞ、まのことぞ」ということですから、誠が真の言だということです。
以前、「九十(こと)に気づけよ」という九十を「古都・京都」であると申しましたが、「誠」に気づけよという意味だったかもしれません。いずれにせよ、神の言葉はたくさんの意味を持つということもありますから、その全てかもしれません。

「今でも仏の世と思うているとビックリが出るぞ」
日本人には仏教が深く根付いています。先祖を敬う行為自体も何ら悪いわけではないと思います。
ただ、最終的に「神上がり」することを目指しているわけですから、「仏(菩薩=修業中の身)になる」より上位のことを言っているのかもしれません(菩薩が生まれ変わり修業することにより完成する)。
末法の世を救うといわれている弥勒菩薩も「菩薩」ですからね。

「岩戸閉める御役になるなよ。」
以前、「岩戸開ける役」と「岩戸閉める役」があるという話が出て来ました。
その時は、「悪魔」を封印する役だと思っていましたが、それはどうやら、「悪魔」を身に入れたまま獣になるか灰になる役ということのようです。

ミロクの仕組は、身録(記録・録音の録)した者の選別なのかもしれません。
私たちも「排除」(笑)されないよう気をつけましょう。


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地つ巻 第9帖

一二のΘ(ひつくの神)にひと時拝せよ、Θの恵み、身にも受けよ、からだ甦るぞ、Θの光を着よ、み光を頂けよ、食べよ、Θほど結構なものないぞ、今の臣民、ヒ(日)を頂かぬから病になるのざぞ、Θの子はΘの子と申してあろうがな。
九月二十日、ひつ九のか三。


日光を浴びることの大切さが述べられています。

 日光の紫外線を浴びると、皮膚でビタミンDが合成されます
 ビタミンDの効果
  カルシウムの吸収
  がん細胞の増殖低下
  免疫力向上(かぜやインフルエンザなどの感染症)
  糖尿病予防
  筋肉の強度を高める
 太陽光の効果
  セロトニンが生成される(うつ病の治療や予防)
  体内時計を整える
 紫外線の効果
  一酸化窒素の増加による血管の拡張・血圧の低下(脳卒中や心臓病などの予防)

但し、日光の浴び過ぎも良くありませんから、ほどほどにお願いします。


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2018年01月14日

地つ巻 第8帖

祓えせよと申してあることは、何もかも借銭なしにすることぞ。
借銭なしとはメグリなくすることぞ、昔からの借銭は誰にもあるのざぞ、それ払ってしまうまでは誰によらず苦しむのぞ、人ばかりでないぞ、家ばかりでないぞ、国には国の借銭あるぞ。
世界中借銭なし、何しても大望であるぞ、
今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ぞ。
神主、お祓いの祝詞あげても何にもならんぞ、お祓祝詞は宣(の)るのぞ、今の神主宣ってないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けているぞ。
畔放(あはなち)、頻蒔(しきまき)や、国津罪、みな抜けて読んでいるでないか、臣民の心には汚く映るであろうが、それは心の鏡曇っているからぞ。
悪や学に騙されて、肝心の祝詞まで骨抜きにしているでないか、これでは世界は浄まらんぞ。
祝詞は読むものではないぞ、神前で読めばそれでよいと思うているが、それだけでは何にもならんぞ。
宣るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、とけきるのざぞ、神主ばかりでないぞ、皆心得ておけよ、Θのことは神主に、仏は坊主にと申していること根本の大間違いぞ。
九月十九日、ひつ九のΘ。


「祓えせよと申してあることは、何もかも借銭なしにすることぞ。借銭なしとはメグリなくすることぞ、昔からの借銭は誰にもあるのざぞ、それ払ってしまうまでは誰によらず苦しむのぞ」
「人ばかりでないぞ、家ばかりでないぞ、国には国の借銭あるぞ。世界中借銭なし、何しても大望であるぞ」

「今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ぞ。」
前回の大戦で借銭なしになったとは思えないですね。まだ、これから「世界の大祓」がありそうです。

「神主、お祓いの祝詞あげても何にもならんぞ、お祓祝詞は宣(の)るのぞ、今の神主宣ってないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けているぞ。」

「畔放(あはなち)、頻蒔(しきまき)や、国津罪、みな抜けて読んでいるでないか、臣民の心には汚く映るであろうが、それは心の鏡曇っているからぞ。」

  天津罪 全て農耕を妨害する人為的な行為
   畔放(あはなち)田に張っている水を、畔を壊すことで流出させ、水田灌漑を妨害すること
   頻播(しきまき)他の人が種を蒔いた所に重ねて種を蒔いて作物の生長を妨げること
  国津罪 病気・災害を含み、人体から穢れが発生し、ひいては天変地異を引き起こす事

「悪や学に騙されて、肝心の祝詞まで骨抜きにしているでないか、これでは世界は浄まらんぞ。」

「祝詞は読むものではないぞ、神前で読めばそれでよいと思うているが、それだけでは何にもならんぞ。宣るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、とけきるのざぞ」

「神主ばかりでないぞ、皆心得ておけよ、Θのことは神主に、仏は坊主にと申していること根本の大間違いぞ。」

六月晦大祓祝詞(抜粋)
如此依さし奉し四方の国中と 大倭日高見之国を安国と定奉て 下津磐根に宮柱太敷立て 高天原に千木高知て 皇御孫之命の美頭の御舎仕奉て 天之御蔭日之御蔭と隠坐て 安国と平けく所知食む国中に成出む 天の益人等が 過犯けむ雑々の罪事は
天津罪と 畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 ここだくの罪を 天津罪と法別て
国津罪と 生膚断死膚断 白人胡久美 己が母犯罪己が子犯罪 母と子と犯罪子と母と犯罪 畜犯罪 昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 畜仆し蟲物為罪 ここだくの罪出でむ
如此出ば 天津宮事を以て 大中臣天津金木を本打切末打断て 千座の置座に置足はして 天津菅曾を本苅断末苅切て 八針に取辟て 天津祝詞の太祝詞事を宣れ


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地つ巻 第7帖

Θにまつろう者には生きも死もないのぞ、死のこと、まかると申してあろがな、生き通しぞ、亡骸は臣民は残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ、それがまことのΘ国の臣民ぞ、ミコトぞ。
世の元と申すものは、天も地も泥の海でありたのざぞ。
その時から、この世始まってから生き通しの神々様の御働きで五六七の世が来るのざぞ。
肚が出来ておると、肚に神つまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐、神漏美の命忘れるでないぞ。
そこからわかりて来るぞ。
海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまんようにしてくれよ、海めぐらしてあるΘの国、清めに清めておいたΘの国に、外国の悪渡りて来てΘは残念ぞ。見ておざれ、Θの力現わす時来たぞ。
九月十八日、ひつ九Θ。


「Θにまつろう者には生きも死もないのぞ、死のこと、まかると申してあろがな、生き通しぞ」
「亡骸は臣民は残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ、それがまことのΘ国の臣民ぞ、ミコトぞ。」
死ぬことは、「薨=身罷る(みまかる)」ですが、あえて「罷る(まかる)」と書いてあります。罷るの意味は「去る、どこかに行く」ですから「生き通し」なのでしょう。これは、肉体は滅びても精神は生きていることを意味します。しかし、死体を残さないで死ぬというのはどういうことでしょう。
昔の臣民は、より神に近い命(ミコト)だったので、死体も残らなかったということでしょうか。
それとも、神風特攻隊のことを言っているのでしょうか。
よく分かりません。

「世の元と申すものは、天も地も泥の海でありたのざぞ。その時から、この世始まってから生き通しの神々様の御働きで五六七の世が来るのざぞ。」

「肚が出来ておると、肚に神つまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐、神漏美の命忘れるでないぞ。そこからわかりて来るぞ。」
神は「肚」に宿るそうです。神漏岐、神漏美はご存じ「伊弉諾尊、伊邪那美尊」ですが、おそらく「日の神」「月の神」の総称で述べられているのだと思います。

「海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまんようにしてくれよ」
船をみな沈めてしまうので、その後の航海や漁業が出来なくなっても大丈夫なようにしておけよということでしょう。

「海めぐらしてあるΘの国、清めに清めておいたΘの国に、外国の悪渡りて来てΘは残念ぞ。見ておざれ、Θの力現わす時来たぞ。」
日本は島国で、外国の侵入を許さないようにしてきたのに、「外国の悪渡りて来て」残念だということでしょう。


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地つ巻 第6帖

Θの国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ、八つの国、一つになりてΘの国に攻めて来るぞ。
目覚めたらその日の生命お預かりしたのざぞ、Θの肉体、Θの生命、大切せよ。
Θの国はΘの力でないと治まったことないぞ、Θ第一ぞ、いつまで卍(仏)や十(キリスト)や九(いろいろなもの?)にこだわっているのざ。
出雲のΘ様大切に、有り難くお祀りせよ、尊い御Θ様ぞ。
天津Θ、国津神、みなのΘΘ様に御礼申せよ、まつろいて下されよ、結構な恐い世となりて来たぞ、上下グレンぞ。
九月十七日、一二Θ。


「Θの国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ」
「八つの国、一つになりてΘの国に攻めて来るぞ。」
八つの国は、アメリカ、イギリス、オランダ、中華民国、オーストラリア・ニュージーランド連合、ソビエト連邦、自由フランス、蒙古人民共和国でしょうか。

 日本分割占領案(四か国)日本降伏の翌8月16日付
  ソ連:北海道、東北地方。
  アメリカ:本州中央、関東、信越、東海、北陸、近畿。
  中華民国:四国。
  イギリス:西日本(中国、九州)をそれぞれ統治
  東京は四カ国共同占領。

「目覚めたらその日の生命お預かりしたのざぞ、Θの肉体、Θの生命、大切せよ。」
「Θの国はΘの力でないと治まったことないぞ、Θ第一ぞ」
「いつまで卍(仏)や十(キリスト)や九(いろいろなもの?)にこだわっているのざ。」
天照大神=キリスト説などもありますが、ここで明確に否定されています。
弥勒菩薩(マイトレーヤ)もダメだそうです。

「出雲のΘ様大切に、有り難くお祀りせよ、尊い御Θ様ぞ。」
大国主命のことでしょうね。戦争の神様ということもありますが、天界との連絡役というお勤めがあるのかもしれませんね。または、「大黒様」なので、渡来系の神様なのかもしれません。因みに、ハンサムでモテモテの神様だったようです。

「天津Θ、国津神、みなのΘΘ様に御礼申せよ、まつろいて下されよ」

「結構な恐い世となりて来たぞ、上下グレンぞ。」
終戦(本土決戦)1年前の警告です。

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地つ巻 第5帖

片輪車でトンテントンテン、骨折損のくたびれ儲けばかり、いつまでしているのぞ、Θにまつろえと申してあろうがな、臣民の知恵で何出来たか、早う改心せよ。
三月三日、五月五日は結構な日ぞ。
九月十六日、ひつ九のか三。


「片輪車でトンテントンテン、骨折損のくたびれ儲けばかり、いつまでしているのぞ」
神と人の両輪の神がなく、人だけでいくら頑張っても何もできないぞということでしょう。

さて、次の謎です。
「三月三日、五月五日は結構な日ぞ。」
三月三日は「ひな祭り(女の子の祭り)」、五月五日は「こどもの日(男の子の祭り)」です。
結構な日ですが、それだけではないでしょう。何より日月神示では、「結構な日」は「こわい日」でもありますから。

なかなか、回答は見つからないのですが、可能性として、
@旧暦昭和20年8月8日⇒9月13日 大本営廃止(これで全て終結)。
A旧暦昭和20年4月4日⇒5月15日 第二次世界大戦におけるヨーロッパ戦線が終結。
B旧暦昭和20年7月7日⇒8月14日 天皇が御前会議でポツダム宣言受諾の意思を表明(終戦直後は8月14日が日本政府にとっての終戦の日であった)。

となります。

ゾロ目の七月七日(三五七でもある)が「結構な日」であることを暗示していたのでしょうか。

因みに
旧暦昭和20年3月3日⇒4月14日
旧暦昭和20年5月5日⇒6月14日
と、なっています。


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地つ巻 第4帖

この神示いくらでも出て来るのざぞ、今の事と先の事と、三千世界、何もかもわかるのざから、よく読みて、肚に入れておいてくれよ、この神示盗まれぬようになされよ、神示盗りに来る人あるから気つけておくぞ。
この道は中行く道ぞ、左も右も偏ってはならんぞ、いつも心にてんし様拝みておれば、何もかも楽にゆけるようになりているのざぞ、我が我がと思うていると、鼻ポキリと折れるぞ。
九月十六日、ひつ九Θ。


「この神示いくらでも出て来るのざぞ、今の事と先の事と、三千世界、何もかもわかるのざから、よく読みて、肚に入れておいてくれよ」
本当ですね。終戦前の昭和19年から始まり、最終的には昭和36年頃まで続きますから、約17年間もの長きに亘り降ろされ続けました。
おそらく、日本滅亡の危機に陥ったのを見るに見かねた神様が現れて1年ちょっとで終戦となり、最大の危機は回避されましたが、やはり予言通り、世の中は段々と悪化し、再びの危機を迎えつつあります。

「この神示盗まれぬようになされよ、神示盗りに来る人あるから気つけておくぞ。」
これは、原本のことだと思います。よくは存じませんがゴタゴタも少しあったようですね。

「この道は中行く道ぞ、左も右も偏ってはならんぞ」
これは大事なことですね。しかし、今の社会が全体的に左に偏り過ぎていて、おかしくなっているので、余程注意していないと騙されてしまいます。
安倍政権を歴史修正主義だの極右などと言う人もいますが、実際は、リベラルで、どちらかと言えば左寄り過ぎじゃないのと思える政策も多々見られるほどです。

今年は、憲法改正論議でまたマスコミより集中砲火を浴びることになるでしょうから、どうか頑張って乗り越えて欲しいものです。

「いつも心にてんし様拝みておれば、何もかも楽にゆけるようになりているのざぞ、我が我がと思うていると、鼻ポキリと折れるぞ」


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2018年01月13日

地つ巻 第3帖

人民同志の戦いでは到底かなわんなれど、いよいよとなりたらΘがうつりて手柄さすのであるから、それまでに身魂磨いておいてくれよ。
世界中が攻め寄せたと申しても、誠には勝てんのであるぞ、誠ほど結構なものないから、誠がΘ風であるから、臣民に誠なくなりていると、どんな気の毒出来るかわからんから、くどう気つけておくのざぞ、肚、掃除せよ。
九月十六日、ひつ九のか三。


人民同志の戦いは全くかないませんでしたね。
ここで、新たなキイワードが出て来ました。「誠」です。誠が神風だそうです。
誠を辞書で調べると「本当のこと。うそ・偽りのないこと。誠実で偽りのない心。すなおでまじめな心。」ということです。

ただ、古代中国では、「道徳実践による天の理法との合一」であるのに対し、日本では、「人と交わり事をなすときにおける心情の純粋さそのもの」や「心に思うことを実行に移すこと(実)、その一事に集中すること(一)、事が成就するまで持続すること(久)」とバラツキがあるようです。

統合すると、「誠」とは、「うそ、偽りのない純粋でまじめな心を持ち、誠実に実行する道徳的な行い」ということになりましょうか。


posted by mydears at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 地つ巻

地つ巻 第2帖

今は闇の世であるから夜の明けたこと申しても、誰にもわからんなれど、夜が明けたらなるほどそうでありたかとビックリするなれど、それでは間に合わんのざぞ、それまでに心改めておいて下されよ、この道信ずれば、すぐ良くなると思うている臣民もあるなれど、それは己の心のままぞ、道に外れたものは誰れ彼れはないのざぞ、これまでのやり方スクリと変えねば、世は治まらんぞと申してあるが、上の人苦しくなるぞ、途中の人も苦しくなるぞ、おまわりの言うこと聞かんようになるぞ。
九月十六日、ひつ九のか三。


「夜が明けたらなるほどそうでありたかとビックリするなれど、それでは間に合わんのざぞ、それまでに心改めておいて下されよ」
「この道信ずれば、すぐ良くなると思うている臣民もあるなれど、それは己の心のままぞ、道に外れたものは誰れ彼れはないのざぞ」
「これまでのやり方スクリと変えねば、世は治まらんぞと申してあるが、上の人苦しくなるぞ、途中の人も苦しくなるぞ」

ここまでは、なるほどと思うのですが、また、突然の謎です。
「おまわりの言うこと聞かんようになるぞ。」
これは、時代的な背景があるのでしょうね。現在では、「お巡りさん」は地域の安全を守ってくれる頼りになる、道案内もしてくれる親切な存在で、親しみを込めて呼ばれています(交番が少なくなっているのは残念です)が、戦時中は、むしろ住民を監視し、取り締まる役目が重要だったからでしょう。
ですから、「監視も取り締まりも出来なくなるぞ」ということになります。

だって、「悪」が無くなるんですもの。「善」も当たり前になって無くなりますが。


posted by mydears at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 地つ巻

地つ巻 第1帖

地(くに)つ巻書き知らすぞ。
世界は一つのミコトとなるのぞ、それぞれの言の葉はあれど、ミコトは一つとなるのであるぞ。
てんし様のミコトに従うのざぞ、ミコトの世近づいて来たぞ。
九月十五日、一二Θ。


「世界は一つのミコトとなるのぞ、それぞれの言の葉はあれど、ミコトは一つとなるのであるぞ。」
このミコトは「命」でしょう。世界の人々は、言葉の違いはあっても、一つの神のもとに一つにまとまって存在することになるということでしょう。

「てんし様のミコトに従うのざぞ」
このミコトは「御言」でしょうね。「詔(みことのり)」でもあるでしょう。


「ミコトの世近づいて来たぞ。」

昭和20年1-4月.png

posted by mydears at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 地つ巻
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