2018年01月20日
地つ巻 第35帖
日本の国はこの方の肉体であるぞ。
国土拝(おろが)めと申してあろうがな、日本は国が小さいから、一握りに握りつぶして喰うつもりで攻めて来ているなれど、この小さい国が、喉(のど)につかえてどうにも苦しくて堪忍してくれというように、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ。
外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願いと申してあろうがな、今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来ておらぬ臣民は、苦しくて日本のお土の上におれんようになるのぞ。
自分から外国行きとなるのざぞ。
魂のままの国に住むようになるのぞ。
南の島に埋めてある宝を御用に使う時近づいたぞ。
お土の上がり下がりある時近づいたぞ。
人の手柄で栄耀(えいよう)している臣民、もはや借銭なしの時となりたのぞ、改心第一ぞ。
世界に変わりたことは皆この方の仕組の節々ざから、身魂磨いたらわかるから、早う身魂磨いて下されよ。
身魂磨くにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつろうことぞと申して説いてきかすと、Θ祀りはしないでいる臣民おるが、Θ祀り元ぞ、Θ迎えねばならんぞ、取り違いと天狗が一番恐いのざぞ、千刄(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。
Θの規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面に記してあるのざぞ、借銭なしで裁きの時になっているのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんな偉い人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭なしが始まっているのぞ、済ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日(おおみそか)ぞ、晦日は闇と決まっているであろうがな。
借り返すとき辛いなれど、返したあとの晴れた気持ち良いであろうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらえてΘの申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返してくれよ、番頭殿、下にいる臣民殿、国々の守護神殿、外国の神々様、臣民殿、卍(仏)も十(キリスト)も九(何もかも?)もみな聞いてくれよ、その国その民のやり方伝えてあろうがな、九十に気つけて用意してくれよ。
十月十日、ひつ九のか三。
「日本の国はこの方の肉体であるぞ。国土拝(おろが)めと申してあろうがな」
原文を確認したわけではないので確定は出来ませんが、「ひつ九のか三」が「国之常立大神」であることが分かりました(須佐之男尊かと思っていたのですが)。日月地の「地つ巻」ですものね。
「日本は国が小さいから、一握りに握りつぶして喰うつもりで攻めて来ているなれど、この小さい国が、喉(のど)につかえてどうにも苦しくて堪忍してくれというように、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ」
「外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願いと申してあろうがな」
世界中の人が全て「神の子」です。
「今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来ておらぬ臣民は、苦しくて日本のお土の上におれんようになるのぞ。」
日本が神の国になれば光り輝き、眩しくて苦しくなるので、近づけなくなるということです。
「自分から外国行きとなるのざぞ。魂のままの国に住むようになるのぞ。」
これは「幽界」のことでしょうね。
「南の島に埋めてある宝を御用に使う時近づいたぞ。お土の上がり下がりある時近づいたぞ。」
ついに出て来ましたね「南の島に埋めてある宝」。「お土の上がり下がりある」ですから、やはり「潮満珠」か「潮涸玉」のようですね。
「人の手柄で栄耀(えいよう)している臣民、もはや借銭なしの時となりたのぞ、改心第一ぞ。」
部下の犠牲で勲章をもらっているような人は借銭してるぞということでしょう。
「世界に変わりたことは皆この方の仕組の節々ざから、身魂磨いたらわかるから、早う身魂磨いて下されよ。」
世界中の天変地異は、国之常立大神の仕組の現れなので、その意味は「身魂磨いたら」分かるということですね。
「身魂磨くにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつろうことぞと申して説いてきかすと、Θ祀りはしないでいる臣民おるが、Θ祀り元ぞ、Θ迎えねばならんぞ、取り違いと天狗が一番恐いのざぞ、千刄(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。」
心だけではなく、祀るという形も必要ということです。
「Θの規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面に記してあるのざぞ、借銭なしで裁きの時になっているのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんな偉い人でも、それだけに苦しむぞ」
身録の仕組ですね。
「家は家の、国は国の借銭なしが始まっているのぞ、済ましたら気楽な世になるのぞ」
「世界の大晦日(おおみそか)ぞ、晦日は闇と決まっているであろうがな。」
日本は、大戦中に併合した国からの借銭返還要求に苦しめられていますね。相手が納得しなければ借銭の返済にはならないのでしょうか。侵略した国に対する賠償は解決しているのですが、相手国民の心の傷は完全に癒されたとはいえない状況です。なかなか気楽な世にはなりそうもありませんね。
「借り返すとき辛いなれど、返したあとの晴れた気持ち良いであろうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらえてΘの申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返してくれよ」
日本のやり方で返済するとはどういうことでしょう。謝罪、様々な賠償、経済協力、無償借款、技術協力、友好・親善活動などを行って来ました。それだけではダメなのでしょうか。
「番頭殿、下にいる臣民殿、国々の守護神殿、外国の神々様、臣民殿、卍(仏)も十(キリスト)も九(何もかも?)もみな聞いてくれよ、その国その民のやり方伝えてあろうがな、九十に気つけて用意してくれよ。」
世界中の神々、国々、人々にも借銭返しをするように手配しているということでしょうね。
またまた「九十に気つけて用意してくれよ」と、出て来ました。「九十に間に合うように」ともとれますが、「その国その民のやり方、殊に=特に気つけて」ともとれます。
国土拝(おろが)めと申してあろうがな、日本は国が小さいから、一握りに握りつぶして喰うつもりで攻めて来ているなれど、この小さい国が、喉(のど)につかえてどうにも苦しくて堪忍してくれというように、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ。
外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願いと申してあろうがな、今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来ておらぬ臣民は、苦しくて日本のお土の上におれんようになるのぞ。
自分から外国行きとなるのざぞ。
魂のままの国に住むようになるのぞ。
南の島に埋めてある宝を御用に使う時近づいたぞ。
お土の上がり下がりある時近づいたぞ。
人の手柄で栄耀(えいよう)している臣民、もはや借銭なしの時となりたのぞ、改心第一ぞ。
世界に変わりたことは皆この方の仕組の節々ざから、身魂磨いたらわかるから、早う身魂磨いて下されよ。
身魂磨くにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつろうことぞと申して説いてきかすと、Θ祀りはしないでいる臣民おるが、Θ祀り元ぞ、Θ迎えねばならんぞ、取り違いと天狗が一番恐いのざぞ、千刄(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。
Θの規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面に記してあるのざぞ、借銭なしで裁きの時になっているのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんな偉い人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭なしが始まっているのぞ、済ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日(おおみそか)ぞ、晦日は闇と決まっているであろうがな。
借り返すとき辛いなれど、返したあとの晴れた気持ち良いであろうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらえてΘの申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返してくれよ、番頭殿、下にいる臣民殿、国々の守護神殿、外国の神々様、臣民殿、卍(仏)も十(キリスト)も九(何もかも?)もみな聞いてくれよ、その国その民のやり方伝えてあろうがな、九十に気つけて用意してくれよ。
十月十日、ひつ九のか三。
「日本の国はこの方の肉体であるぞ。国土拝(おろが)めと申してあろうがな」
原文を確認したわけではないので確定は出来ませんが、「ひつ九のか三」が「国之常立大神」であることが分かりました(須佐之男尊かと思っていたのですが)。日月地の「地つ巻」ですものね。
「日本は国が小さいから、一握りに握りつぶして喰うつもりで攻めて来ているなれど、この小さい国が、喉(のど)につかえてどうにも苦しくて堪忍してくれというように、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ」
「外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願いと申してあろうがな」
世界中の人が全て「神の子」です。
「今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来ておらぬ臣民は、苦しくて日本のお土の上におれんようになるのぞ。」
日本が神の国になれば光り輝き、眩しくて苦しくなるので、近づけなくなるということです。
「自分から外国行きとなるのざぞ。魂のままの国に住むようになるのぞ。」
これは「幽界」のことでしょうね。
「南の島に埋めてある宝を御用に使う時近づいたぞ。お土の上がり下がりある時近づいたぞ。」
ついに出て来ましたね「南の島に埋めてある宝」。「お土の上がり下がりある」ですから、やはり「潮満珠」か「潮涸玉」のようですね。
「人の手柄で栄耀(えいよう)している臣民、もはや借銭なしの時となりたのぞ、改心第一ぞ。」
部下の犠牲で勲章をもらっているような人は借銭してるぞということでしょう。
「世界に変わりたことは皆この方の仕組の節々ざから、身魂磨いたらわかるから、早う身魂磨いて下されよ。」
世界中の天変地異は、国之常立大神の仕組の現れなので、その意味は「身魂磨いたら」分かるということですね。
「身魂磨くにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつろうことぞと申して説いてきかすと、Θ祀りはしないでいる臣民おるが、Θ祀り元ぞ、Θ迎えねばならんぞ、取り違いと天狗が一番恐いのざぞ、千刄(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。」
心だけではなく、祀るという形も必要ということです。
「Θの規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面に記してあるのざぞ、借銭なしで裁きの時になっているのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんな偉い人でも、それだけに苦しむぞ」
身録の仕組ですね。
「家は家の、国は国の借銭なしが始まっているのぞ、済ましたら気楽な世になるのぞ」
「世界の大晦日(おおみそか)ぞ、晦日は闇と決まっているであろうがな。」
日本は、大戦中に併合した国からの借銭返還要求に苦しめられていますね。相手が納得しなければ借銭の返済にはならないのでしょうか。侵略した国に対する賠償は解決しているのですが、相手国民の心の傷は完全に癒されたとはいえない状況です。なかなか気楽な世にはなりそうもありませんね。
「借り返すとき辛いなれど、返したあとの晴れた気持ち良いであろうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらえてΘの申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返してくれよ」
日本のやり方で返済するとはどういうことでしょう。謝罪、様々な賠償、経済協力、無償借款、技術協力、友好・親善活動などを行って来ました。それだけではダメなのでしょうか。
「番頭殿、下にいる臣民殿、国々の守護神殿、外国の神々様、臣民殿、卍(仏)も十(キリスト)も九(何もかも?)もみな聞いてくれよ、その国その民のやり方伝えてあろうがな、九十に気つけて用意してくれよ。」
世界中の神々、国々、人々にも借銭返しをするように手配しているということでしょうね。
またまた「九十に気つけて用意してくれよ」と、出て来ました。「九十に間に合うように」ともとれますが、「その国その民のやり方、殊に=特に気つけて」ともとれます。
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