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2017年12月31日

下つ巻 第22帖の後半部原文

二三 三 二二✓〇Θ
二五五五二一二二六一
一二三二八一四五
三二三四四五二
二二九三二五四
五三五
一二Θ
七かつの二十八二ち


扶桑(ふそう) 仐(さん) 富士✓〇Θ(富士の仕組=ひふみ)
ヲ(双子=身魂)ここに一時に向き
一二三(ひふみ)に拝し後
讃じ見よ横に
富士草地濃し
五三五
(子年真中(三年)に前後十年ということでしょうか。)

または、 
(日の神五体、造化三神、月の神五体)=ヤアワ
かもしれません。

あるいは、
(五+三+五=十三なので、ひふみ「一二三四五六七八九十百千万」を唱えよということかもしれません。)



翻訳頑張ってみましたが、私には霊性がないので、間違っていると思います。
努力したことだけは分かってくださいね。(笑)


今年はこれで終わりです。
皆さま、良いお年をお迎えください。

posted by mydears at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第38帖

富士は晴れたり日本晴れ、これで下つ巻の終わりざから、これまでに示したこと、よく肚(はら)に入れてくれよ。
Θが真中で取り次ぎ役員いくらでもいるぞ、役員はみな神柱ぞ。
国々、ところどころから訪ねて来るぞ、その神柱には御告(みつげ)の道知らしてやりてくれよ、日本の臣民みな取り次ぎぞ、役員ぞ。
この方は世界中丸めて大神様にお目にかける御役、Θの臣民は世界一つに丸めて、てんし様に献(ささ)げる御役ぞ。
この方とこの方のΘΘ(神々)と、Θの臣民一つとなりて世界丸める御役ぞ。
Θ祀りてくれたらいよいよ仕組知らせる神示書かすぞ、これからが正念場ざから、ふんどし締めてかかりてくれよ。
秋立ちたらΘ烈しくなるぞ、富士は晴れたり日本晴れ、てんし様の三四五(御代出づ)となるぞ。
八月三日、ひつくのか三。


「国々、ところどころから訪ねて来るぞ、その神柱には御告(みつげ)の道知らしてやりてくれよ、日本の臣民みな取り次ぎぞ、役員ぞ。」
「この方とこの方のΘΘ(神々)と、Θの臣民一つとなりて世界丸める御役ぞ。」

これで、上つ巻、下つ巻の2巻が終わりました


posted by mydears at 17:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第37帖

世が変わりたら天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌うぞ、雨も欲しい時に降り、風も欲しい時に吹くと、雨の神、風の神様申しておられるぞ。
今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かんようになりているのがわからんか。
盲、聾の世の中ぞ。
神のいる場所塞いでおりてお蔭ないと不足申すが、わからんと申してもあまりであるぞ。
神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の容れものと申してあろが、天のひつくの民と申すのは、世界治める御魂の容れもののことぞ、民草とは一人を護る入れものぞ、ひつく臣民は神がとことん試めしに試すのざから、可哀そうなれど我慢してくれよ、その代わり御用つとめてくれたら、末代名を残して、神から御礼申すぞ。
何事も神は帳面につけとめているのざから間違いないぞ、この世ばかりでないぞ、生まれ代わり死に代わり鍛えているのぞ、ひつくの臣民落ちぶれていると申してあろがな、今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元の善き楽の姿になるのが近づいたぞ、逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使うぞ。
八月三日、ひつ九のか三。


「今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かんようになりているのがわからんか。」
現在は、世界中で異常気象が起こっており、台風も巨大化するなど、地球はまさにワヤの状態です。

「神のいる場所塞いでおりてお蔭ないと不足申す」
神のいる場所塞ぐというのは、神社ではなく、神が宿る人間の身魂の掃除が遅れている(改心していない)ので入れないということでしょう。

「何事も神は帳面につけとめているのざから間違いないぞ、この世ばかりでないぞ、生まれ代わり死に代わり鍛えているのぞ、ひつくの臣民落ちぶれていると申してあろがな」
ひつくの臣民は、庶民として、苦労することで鍛えられているそうです。
苦労している貴方こそが、ひつくの臣民かもしれませんよ。



posted by mydears at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第36帖

Θをそちのけにしたら、何も出来上がらんようになりたぞ。
九分通り出来てグレンと引っ繰り返りておろがな、それへも気づかんか。
一にも神、二にも神、三にも神ぞ、一にもてんし様、二にもてんし様、三にもてんし様ぞ。
この道つらいようなれど貫きてくれよ、だんだんと良くなりて、こんな結構なお道かと申すようにしてあるのざから、何もかもお国にささげて自分の仕事を五倍も十倍も精出してくれよ。
戦ぐらい何でもなく終わるぞ。
今のやり方ではとことんに落ちてしまうぞ、Θくどう気つけておくぞ。
国々の神様、臣民さま、改心第一ぞ。
八月三日、ひつ九のか三。


これは、岡本天明氏への神様からの苦言でしょう。
戦争が厳しさを増してきて、なかなかご神業が難しくなっているのでしょう。
ご苦労さまでした。

posted by mydears at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第35帖

何もかも持ちつ持たれつであるぞ、臣民喜べばΘも喜ぶぞ、金(きん)では世は治まらんと申してあるのに
まだ金追うている見苦しい臣民ばかり、金は世をつぶす本ぞ、臣民、世界の草木まで喜ぶやり方はΘの光のやり方ぞ。
臣民の生命も長うなるぞ、てんし様は生き通しになるぞ、御玉体(おからだ)のままに神界に入られ、またこの世に出られるようになるぞ、死のないてんし様になるのぞ、それには今のような臣民のやり方ではならんぞ、今のやり方はてんし様に罪ばかりお着せしているのざから、このくらい不忠なことないぞ、それでもてんし様はお赦(ゆる)しになり、位までつけて下さるのぞ、このことよく改心して、一時(ひととき)も早く忠義の臣民となってくれよ。
八月の三日、ひつ九のΘ。


「Θの光のやり方ぞ」
四つの「足り」でしたね。拝金主義ではなく、「与える」政治でないと世は収まらないということです。

「てんし様は生き通しになるぞ、御玉体(おからだ)のままに神界に入られ、またこの世に出られるようになるぞ、死のないてんし様になるのぞ」
これは、天皇陛下のことでしょうか。「天日嗣皇尊大神」(アマツヒツグスメラミコト)は天皇陛下のことかもしれません。

「今のやり方はてんし様に罪ばかりお着せしているのざから、このくらい不忠なことないぞ」
戦争中のことでしょうね。天皇陛下も危うく「戦犯」にされるところでした。

「このことよく改心して、一時(ひととき)も早く忠義の臣民となってくれよ。」
要するに、侵略戦争の片棒担ぎを早く止めて、本来の平和的な国民に戻るようにということでしょう。

日本も、もともとは「八紘一宇」の精神で、地球上から差別を無くし平等な世界を作るという崇高な理想を抱いていたのですが、いつの間にか、逆に差別意識を持って、侵略戦争の中に踏み込むという「悪の道」に入って行きました。

本来、守るべきはずのアジアの諸民族を攻めるという事態に陥ってしまったのです。

天皇陛下は、「戦線不拡大」の意思を示されたにもかかわらず、軍部や周りの意見に押し流されていきました。

結果的には、敗戦によって軍国主義の一掃がかなったわけですから、良かったのですが(負けた相手が、寛大なアメリカであったことも幸いしました)。

ただ、その後、自虐的歴史観の押し付けや欧米の文化の流入により、内部からの崩壊(心・精神の崩壊)の危機に瀕してしまうことになってしまいましたが。



posted by mydears at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第34帖

臣民はすぐにも戦済みて善き世来るように思うているが、なかなかそうはならんぞ、臣民にΘうつりてせねばならんのざから、まことの世の元からの臣民、幾人もないぞ、みな曇りているから、これでは悪の神ばかりが憑(か)かりて、だんだん悪の世になるばかりぞ、それで戦済むと思うているのか、自分の心よく見てござれ、よくわかるであろがな、戦済んでもすぐに善き世とはならんぞ、それからが大切ぞ、胸突き八丁はそれからぞ、富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろがな、戦は雲のかかっているところぞ、頂(いただき)までの正味のところはそれからぞ。
一、二、三年が正念場ぞ。
三四五(みよいづ)の仕組と申してあろがな。
八月の三日、ひつ九のか三。


「臣民はすぐにも戦済みて善き世来るように思うているが」
「だんだん悪の世になるばかりぞ」
「戦済んでもすぐに善き世とはならんぞ」
やはり、太平洋戦争の終結後も「悪の世」は続いているようです。

「それからが大切ぞ、胸突き八丁はそれからぞ」
「富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろがな」
「戦は雲のかかっているところぞ、頂きまでの正味のところはそれからぞ。」
これから、胸突き八丁がやって来ます。

「一、二、三年が正念場ぞ。三四五(みよいづ)の仕組と申してあろがな。」
一、二、三年というのは、子の年真ん中に前後十年ですから、「申」「酉」「戌」年だと思います。
三四五は、「戌」「亥」「子」年のことでしょう。



posted by mydears at 10:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第33帖

親となり子となり夫婦となり、同胞(はらから)となりて、生き代わり死に代わりして御用に使っているのぞ、臣民同士、世界の民、みな同胞と申すのは喩(たと)えではないぞ、血がつながりているまことの同胞)ぞ、同胞喧嘩(けんか)も時によりけりぞ、あまりわからぬとΘも堪忍袋の緒(お)切れるぞ、どんなことあるか知れんぞ、この道の信者は神が引き寄せると申せば役員ふところ手でおるが、そんなことでこの道開けると思うか。
一人が七人の人に知らせ、その七人が済んだら、次の御用にかからすのぞ、一聞いたら十知る人でないと、この御用つとまらんぞ、裏表、よく気つけよ。
因縁の身魂はどんなに苦しくとも勇んで出来る世の元からのお道ぞ。
七人に知らしたら役員ぞ、神が命ずるのでない、自分から役員になるのぞと申してあろがな、役員はΘの直々の使いぞ、神柱ぞ。
肉体男なら魂は女ぞ、この道盗りに来る悪魔あるから気つけおくぞ。
八月三日、ひつくのか三。


「世界の民、みな同胞と申すのは喩(たと)えではないぞ」
世界中の人々がみな「ミツグ」であることが分かりました。「人類はみな兄妹」です。

「同胞喧嘩(けんか)も時によりけりぞ、あまりわからぬとΘも堪忍袋の緒(お)切れるぞ」
世界中で「兄弟同士の喧嘩」が起きています。兄弟喧嘩は終わりにしたいものです。

「生き代わり死に代わりして」
仏教の般若心経でも同じことが述べられています。輪廻転生を信じる宗教では多分共通認識だと思います。
科学者的見地から般若心経を解読された岩根和郎さんの「暗号は解読された般若心経」でも、日月神示の世界観と全く同じ見解が述べられています。

簡単に言うと、現界は天界と繋がっていて、天界「空」からぶら下がっている「受想行識」(じゅそうぎょうしき)であり、「生き代わり死に代わりして」現生で修業をしているというものです。

「肉体男なら魂は女ぞ、この道盗りに来る悪魔あるから気つけおくぞ。」
大本教のことは詳しく知りませんが、出口王仁三郎氏も「変性女子」とご自分のことをおっしゃっていたようですね。

陰陽の考え方から来ているのでしょう。現生と天界は裏表。

「この道盗りに来る悪魔」とは何を言っているのでしょうか。
おそらく、この「輪廻転生」の仕組を邪魔する「悪魔」。つまり、天界でも現界でもない「幽界」に導こうとする悪魔、または人間自身の悪い心を意味しているのだと思います。


posted by mydears at 09:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第32帖

この道ひろめて金儲けしようとする臣民沢山に出て来るから、役員気つけてくれよ、役員の中にも出て来るぞ、
金は要らぬのざぞ、金いるのは今しばらくぞ、生命は国にささげても金は自分のものと頑張っている臣民、気の毒出来るぞ、何もかも天地へ引き上げぞと知らしてあること近づいて来たぞ、金かたきの世来たぞ。
八月三日、一二Θ。


「この道ひろめて金儲けしようとする臣民沢山に出て来る」
今でも、ちらほら見かけられますね。出版するにも、セミナーを開催するにも、布教するにもお金がかかりますので仕方ない部分もあると思いますが、逆に考えれば、多額のお金を要求されれば、それは真実の「教え」が分かっていないということなので、信じるかどかの判断の基準にもなるといえますね。

私も、日本の歴史を紹介した時は広告を出していましたが、日月神示に入ってからは、一切の広告を出さないようにしています。

「生命は国にささげても金は自分のものと頑張っている臣民、気の毒出来るぞ」
太平洋戦争中のことですね。命よりも金が大事、人間の本性を表していて興味深い言葉です。

「金かたきの世来たぞ」
金(富と名誉)が人間性を奪い、平和な世の中の障害になっていることを言っているのだと思います。
資本主義の否定でもあります。
かと言って、共産主義が機能しないことは時代が証明しましたので、これからは、神を中心とする社会主義に移行するということなのでしょう。


posted by mydears at 08:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

2017年12月30日

下つ巻 第31帖

この神に供えられたものは何によらん、私することならんぞ、参りた臣民にそれぞれ分けて喜ばしてくれよ、
臣民喜べばΘも喜ぶぞ、神喜べば天地光りて来るぞ、天地光れば富士晴れるぞ、富士は晴れたり日本晴れとはこのことぞ。
このような仕組でこの道ひろめてくれよ、それが政治ぞ、経済ぞ、まつりぞ、わかりたか。
八月の三日、ひつ九のか三。


神に供えられたものを自分だけのもののにせず、人々に分け与えることにより、人が喜び、神も喜ぶ。
その結果、天地が光り、富士晴れる。
これが「富士は晴れたり日本晴れ」の意味だそうです。

二二八八れ十二ほん八れ

八は富士でしょう。山頂から裾野が広がる姿を、国の形にたとえているのだと思います。
二二八八十二八で十(足り)が四つということはお話しました。

四つの「足り」、これが「臣民」「神」「天地=世界」「富士=日本」ということでしょう。

臣民が喜べば神が喜ぶ、神が喜べば世界が光る、世界が光れば日本が晴れる
これが、「政治、経済のまつりごと」だそうです。

政治家、財界の皆様方、このことを胸に刻み、私欲を捨てて「まつりごと」を行ってくださいませ。


posted by mydears at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第30帖

八のつく日に気つけてくれよ、だんだん近づいたから、辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ。
冬に桜咲いたら気つけてくれよ。
八月二日、一二Θ。


短い文章ですが、日月神示では非常に重要な一節です。
2041年が辛酉の本命の年と申し上げました。
別の文章に「いくら伸ばしても100年も待てんぞ」という記述があります。
太平洋戦争の終結が1940年なので、2041年がタイムリミットとなります。

ただ、今年初めの冬に、桜はおろか、向日葵(ひまわり)も咲いたので、気になるところではありますが。


posted by mydears at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第29帖

Θの土出ると申してありたが、土は五色の土ぞ、それぞれに、国々、ところどころから出るのぞ。
白、赤、黄、青、黒の五つ色ぞ、薬のお土もあれば食べられるお土もあるぞ、Θに供えてから頂くのぞ、何事もΘからぞ。
八月二日、一二Θ。



上記五色は、古代中国の「陰陽五行説」から来ている考え方です。
白=白虎、西(金)
赤=朱雀、南(火)
黄=中央  (土)
青=青龍、東(木)
黒=玄武、北(水)
となります。
七夕の「五色の短冊」もこの考え方を採用しています。

因みに、日月が加わると一週間です。

やはり、日月神示の神様は、古代中国がルーツであることは間違いないようです。
(古史古伝の「五色人」もありますが)

「薬のお土もあれば食べられるお土もあるぞ」
土食は、古代より世界各国で行われて来たものだそうです。
ミネラルや稀少物質を含んだものもあり、整腸剤やカルシウム補充など薬的な使用をされることもあるようです。

土といっても、粘土(クレイ)で、しかも、どこの土でも食べられるというわけではないので、食いしん坊の方はお気を付けください。(笑)


posted by mydears at 15:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第28帖

またたきの間に天地引っ繰り返るような大騒動が出来るから、くどう気つけているのざ、さあという時になりてからでは間に合わんぞ、用意なされよ。
戦の手伝いくらいなら、どんな神でも出来るのざが、この世の大洗濯は、我れ善しの神ではよう出来んぞ。
この方は元のままの身体持ちているのざから、いざとなればどんなことでもして見せるぞ。
仮名(かな)ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出てくるが、しまいにはその仮名に頭下げて来ねばならんぞ、カナとはΘの名ぞ、神の言葉ぞ。
今の上の臣民、自分で世の中のことやりているように思うているが、みなΘが化かして使っているのに気づかんか、気の毒なお役も出て来るから、早う改心してくれよ。
年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戦やめず、Θの国の人種(ひとだね)の無くなるところまで、やりぬく悪の仕組もう見ておれんから、Θはいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、身魂曇りているから、それでは虻蜂(あぶはち)取らずざから、早う改心せよと申しているのぞ、このことよく心得て下されよ、Θ急けるぞ。
八月二日、ひつくのか三。


「元のままの身体持ちている」というには、龍体か日本の国土そのもののことでしょう。

「カナとはΘの名ぞ、神の言葉ぞ。」カナは「カミのナ」。分かり易いですね。「カ」「ナ」という文字もそれぞれ神の名を表しています。言葉は言霊なので、神の名を呼ぶことが、神の言葉にもなります。

「今の上の臣民、....みなΘが化かして使っているのに気づかんか、気の毒なお役も出て来るから、早う改心してくれよ。」
「悪のお役」ですか、気の毒なお役はその後たくさん出て来ます。

「年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戦やめず、Θの国の人種(ひとだね)の無くなるところまで、やりぬく悪の仕組もう見ておれんから」
まだ、8月2日ですから、サイパン島、テニアン島のことを言っているのでしょうね。
しかも、これ、日本軍の作戦方針のことを言っているようです。

悪の仕組は、日本の中にもあったことは間違いないようです。

「Θはいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、身魂曇りているから、それでは虻蜂(あぶはち)取らずざから、早う改心せよと申しているのぞ」
日本人の身魂が曇っているため、神は手を出したくても出せない状況のようです。
改心が先に必要だということです。



posted by mydears at 12:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第27帖

この方は祓戸のΘとも現われるぞ。
この方祀るのは富士に三と所(みとところ)、渦(右回り)海(うずうみ)に三と所、江戸にも三と所ぞ。
奥山、中山、一の宮ぞ。
富士は、榛名に祀りてくれて御苦労でありたが、これは中山ぞ、一の宮と奥の山にまた祀らねばならんぞ、渦海の仕組も急ぐなれど、甲斐(カイ)の仕組、早うさせるぞ。
江戸にも三と所、天明(岡本天明)の住んでいるところ奥山ぞ。
あめのひつくの家、中山ぞ、富士が一の宮ざから気つけておくぞ。
この方祀るのは、真中に神の石鎮め、そのあとにひもろぎ、前の右左にひもろぎ、それが「あ」と「や」と「わ」ぞ、そのあとに三つ、七五三とひもろぎ立てさすぞ。
少しはなれて四隅にイウエオの言霊(ことだま)石置いてくれよ。
鳥居も注連(しめ)もいらぬと申してあろがな、このことぞ。
この方祀るのも、役員の仕事も、この世の組立も、みな七七七七と申して聞かしてあるのには気がまだつかんのか。
臣民の家に祀るのは神の石だけでよいぞ、天のひつくの家には、どこでも前に言うたようにして祀りてくれよ。
江戸の奥山には八日、秋立つ日に祀りてくれよ、中山九日、一の宮には十日に祀りてくれよ。
気つけてあるのにΘの神示読まぬからわからんのぞ、このことよく読めばわかるぞ。
今のようなことではΘの御用つとまらんぞ、正直だけではΘの御用つとまらんぞ。
裏と表とあると申して気つけてあろがな、シッカリ神示読んで、スキリと肚に入れてくれよ。
読むたびごとにΘが気つけるように声出して読めば、読むだけお蔭あるのぞ。
七月の三十一日、一二Θ。


「この方は祓戸のΘとも現われるぞ。」
祓戸(はらえど)四神のお話はしましたよね。日月神示の神様も罪穢れを払う神様としても現れるそうです。

富士と鳴門の仕組

       奥山    中山    一の宮
火 富士   帯那山   榛名    富士
水 渦海   印旛沼   諏訪湖   鳴門
地 穢土   天明    天日津久  天日津久
       8日    9日    10日

「あ」「や」「わ」、「イウエオ」は、もう良いですね。

「江戸の奥山には八日、秋立つ日に祀りてくれよ、中山九日、一の宮には十日に祀りてくれよ。」
秋立つ日は秋分の日でしょうから9月22・23日頃になるはずです。
因みに、昭和19年9月23日は旧暦8月7日になりますので、八日、九日、十日は旧暦でしょう。


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下つ巻 第26帖

Θの国を真中にして世界分けると申してあるが、Θ祀るのと同じやり方ぞ。
天のひつくの家とは天のひつくの臣民の家ぞ。
天のひつくと申すのは天の益人(ますひと)のことぞ、江戸の富士と申すのは、ひつくの家の中に富士の形作りて、その上に宮作りても良いのぞ、仮でよいのぞ。
こんなにこと分けてはこの後は申さんぞ。
小さいことは審神(サニワ)で家来の神々様から知らすのであるから、そのこと忘れるなよ。
仏(ぶつ)も耶蘇(やそ)も、世界中まるめるのぞ。
喧嘩して大き声するところにはこの方鎮まらんぞ、このこと忘れるなよ。
七月の三十一日、一二Θ。


日本を真ん中にして、他の世界を7つに分け、神棚に祀るように配置するということでしょうか。

天のひつくの家とは臣民の家、天のひつく神は天の益人。
江戸の富士は、家の中に富士の形を作って、その上に宮を作っても良いそうです。

「仏(ぶつ)も耶蘇(やそ)も、世界中まるめるのぞ」
仏教もキリスト教も全ての宗教を一つに集約して、世界中に争いのない世を作るということでしょう。

「喧嘩して大き声するところにはこの方鎮まらんぞ」
喧嘩ばかりして、大きな声を出している修羅のような場所には神様は宿らないということでしょう。


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2017年12月29日

下つ巻 第25帖

今度の戦で何もかも埒(らち)ついてしまうように思うているが、それが大きな取り違いぞ、なかなかそんなチョロコイことではないぞ、今度の戦で埒つくくらいなら、臣民でも致すぞ。
今に戦も出来ない、動くことも引くことも進むことも、どうすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものと言うようになるぞ、それからがいよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。
戦出来る間はまだΘの申すこときかんぞ、戦出来ぬようになりて、初めて分かるのぞ、神の申すこと、ちっとも違わんぞ、間違いのことなら、こんなにくどうは申さんぞ。
Θは気(け)もない時から知らしてあるから、いつ岩戸が開けるかということも、この神示よく読めばわかるようにしてあるぞ、改心が第一ぞ。
七月の三十日、ひつくのか三のふで。


やはり、先の大戦では決着はついてないようですね。
「今に戦も出来ない、動くことも引くことも進むことも、どうすることも出来んことになりて」
「戦出来ぬようになりて、初めて分かるのぞ」
まさに、現在の日本の状況に似ていますね。

戦争は放棄したのですが、周囲の国々はそれを許さず、あるいはそれを利用して、虎視眈々と日本を脅かしています。

「いつ岩戸が開けるかということも、この神示よく読めばわかるようにしてあるぞ」
もう少しすると出て来ます。
それまで、お待ちください。


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下つ巻 第24帖

一が十にと申してありたが、一が百に、一が千に、一が万になる時いよいよ近づいたぞ。
秋立ちたらスクリと厳しきことになるから、Θの申すこと一分一厘違わんぞ。
改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、臣民のものというもの何一つもあるまいがな、草の葉一枚でもΘのものぞ。
七月の三十日、ひつくのか三。


ひふみ祝詞の出だし部分ですね。
ひふみよいむなやこともちろ(一二三四五六七八九十百千万)。
または、太祝詞
ひとふたみよいつむゅななやここのたりももちよろず
です。

一の神様から始まり二、三...とついに八百万の神々に至るまで準備が近づいたということでしょう。

改心とは、人の命を始め、この世で人が所有する一切合切を神にお返しする(全て神様からお借りしているものだとの認識を持つ)ことだそうです。



posted by mydears at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第23帖

世が引っ繰り返って元の神世に返るということは、ΘΘ様にはわかっておれど、世界ところどころにそのこと知らし告げる神柱あるなれど、最後のことはこのΘでないとわからんぞ。
この方は天地をキレイに掃除して、天の大神様に御目にかけねば済まん御役であるから、Θの国の臣民はΘの申すようにして、天地を掃除して、てんし様に奉らなならん御役ぞ。
江戸にΘ早う祀りてくれよ。
仕組どおりにさすのであるから、臣民我を去りてくれよ。
この方祀るのは天のひつくの家ぞ。
祀りて秋立ちたら、Θいよいよ烈しく、臣民の性来によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、神急けるぞ。
七月の三十日、ひつくのか三。


世界中にハルマゲドンのような予言や言い伝えがたくさんあります。
ユダヤ教、キリスト教の「ヨハネの黙示録」「最後の審判」、イスラム教の「最後の審判」、仏教の「末法思想=弥勒菩薩の到来」、ヒンドゥー教の「ユガ思想」、中国の「百王説」のほか、「ノストラダムスの大予言」、「ファティマの予言」、「ババ・ヴァンガの予言」、「ジョン・タイターの予言」、その他「未来人の予言」など枚挙のいとまが有りません。

共通するのは、「破壊と再生」です。

「最後のことはこのΘでないとわからんぞ。」
「この方は天地をキレイに掃除して、天の大神様に御目にかけねば済まん御役」

日月神示の神様は、これらの神様方の総元締めCEO(最高経営責任者)のようなものでしょう。

株主様は天之御中主大神様です。やっぱり「主」(ぬし=しゅ)でしたか。(笑)


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下つ巻 第22帖

岩戸開く仕組知らしてやりたいなれど、この仕組、言うてはならず、言わねば臣民にはわからんし、Θ苦しいぞ、早うΘ心になりてくれと申すのぞ、身魂の洗濯急ぐのぞ。
アイカギ ✓〇Θ コノカギハ イシヤト シカ テ ニギルコトゾ、
一二Θ、七月の二十八日。


岩戸開きの仕組み、意味不明の文章の一つです。

「アイカギ ✓〇Θ」
これは、これまでの文脈から、✓〇Θは「ひふみ」=秘文、「一二三の仕組」、「ひふみ祝詞」のことであろうと考えられます。

「一二三四五六七八九十」の太祝詞のお話はしました。
おそらく、これが、合鍵(アイカギ)ではないかと思われます。

へブル語への翻訳の話を覚えていらっしゃいますか?
つまり、ユダヤ(イシヤ)の神と天之御中主神は同一だということです(世界中の神は同根)。
これが、アイカギではないかと思います。


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下つ巻 第21帖

✓ばかりでもならぬ、〇ばかりでもならぬ。
ΘがまことのΘの元の国の姿ぞ。
元のΘの国の臣民はΘでありたが、✓がΘの国に残り、〇が外国で栄えて、どちらも片輪(かたわ)となったのぞ。
✓もかたわ、〇もかたわ、✓と〇とを合わせてまことのΘの世に致すぞ。
今の戦は✓と〇との戦ぞ、Θの最後の仕組と申すのは、〇に✓入れることぞ。
〇も五ざ、✓も五ぞ、どちらもこのままでは立ちて行かんのざ。
一厘の仕組とは〇にΘの国の✓を入れることぞ、よく心にたたみておいてくれよ。
Θは十柱、五十九柱のからだ持ちているぞ。
五十と九柱のみたまのΘΘ(かみがみ)様お待ちかねであるから、早う参りてくれよ。
今度の御役大層であるが、末代残る結構なお役であるぞ。
七月の二十四日、一二のか三。


日本人は元々Θの民だったのですね。良かった〜ただのミツグじゃなかった〜(笑)
「上つ巻第32帖」の「神から見た世界の民と、人の見た世界の人は、さっぱりアベコベ」というのは、当時の日本の状況が軍国主義で歪められて「神こころ」がなくなっているぞという警告だったようです。

では、「〇が外国で栄えて」とは、どういうことでしょう。

これは、日本には「神こころ」のみ残り、日本を含め世界中の外国(幽界)で「神こころのない」人々が充満するに至ったということでしょう。

「神こころ」の精神(✓)だけでも、「神こころのない」身体(〇)だけどもダメで、「神こころのある身体」=Θ(ヒツグ)の世の中にしますよということでしょう。

それぞれが五で合わせて十(足り=完成)となります。

「一厘の仕組とは〇にΘの国の✓を入れることぞ」
だ、そうです。



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2017年12月28日

下つ巻 第20帖

上、中、下の三段に身魂をより分けてあるから、Θの世となりたら何事もきちりきちりと面白いように出来て行くぞ。
Θの世とはΘの心のままの世ぞ、今でも臣民Θごころになりたら、何でも思う通りになるぞ。
臣民近欲(ちかよく)なから、心曇りているからわからんのぞ。
今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。
神力が九分九厘まで負けたようになった時に、まことの神力出して、グレンと引っ繰り返して、Θの世にして、日本のてんし様が世界まるめて治(しろ)しめす世と致して、天地神々様にお目にかけるぞ。
てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組ぞ、岩戸開きぞ。
いくら学力強いと申しても、百日の雨降らすこと出来まいがな。
百日雨降るとどんなことになるか、臣民にはわかるまい。
百日と申しても、Θから言えば瞬きの間ぞ。
七月二十三日、ひつ九のΘ。


「上、中、下の三段に身魂をより分けてある」
わ〜、こわいですね。究極の通信簿ですよ、これは。

今でも神ごころになりたら、何でも思う通りになるそうです。
心が曇っているので、分かりませんし、思う通りにもなりませ〜ん。(涙)

「神力が九分九厘まで負けたようになった時に、まことの神力出して、グレンと引っ繰り返して」
先の大戦では、九分九厘まではいってませんものね。九割方負けてましたけど。

「日本のてんし様が世界まるめて治しめす」
「てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組」
「岩戸開きぞ」

この「てんし様」がどなたなのかは畏れ多いのでこの場では触れません。
「岩戸開き」です。

「いくら学力強いと申しても、百日の雨降らすこと出来まいがな。」
「百日雨降るとどんなことになるか」
「百日と申しても、Θから言えば瞬きの間ぞ。」

世界中で百日も雨が降ったら、「ノアの箱舟」状態ですね。

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下つ巻 第19帖

苦しくなりたら何時でもござれ、その場で楽にしてやるぞ、Θに従えば楽になって、逆らえば苦しむのぞ。
生命も金もいったん天地へ引き上げてしまう知れんから、そうならんように心の洗濯第一ぞと申して、くどく気つけていることまだわからんか。
七月の二十三日、一二のか三。


神に従えば楽になり、逆らえば苦しむ。

「生命も金もいったん天地へ引き上げてしまう知れんから、そうならんように心の洗濯第一ぞ」
逆に言えば、心の洗濯をしておけば、「生命も金もいったん天地へ引き上げ」られないか、または、なっても大丈夫ということのようです。


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下つ巻 第18帖

この道はΘの道であり、人の道であるぞ。
この道の役員は神が命ずることもあるが、己が御用すれば、自然と役員となるのぞ、誰かれの別ないぞ、世界中の臣民みな信者ざから、臣民が人間ごころでは見当とれんのも無理ないなれど、このことよく腹に入れておいてくれよ。
Θの土出るぞ、早く取りて用意して皆に分けてやれよ。
Θに心向ければいくらでも神徳与えて、何事も楽にしてやるぞ。
七月の二十三日、ひつ九のか三のふで。


「この道はΘの道であり、人の道であるぞ。」
この道は神の道であると共に「人の道」であるということです。
私が日月神示を好きなのは、まさに、この点なのです。
何も特別なことをしなくても、「人の道」を歩むことこそ神意であるということです。

「この道の役員は神が命ずることもあるが、己が御用すれば、自然と役員となるのぞ、誰かれの別ないぞ、世界中の臣民みな信者ざから」


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下つ巻 第17帖

学や智恵では外国にかなうまいがな、神頼れば神の力出るぞ、善いこと言えば善くなるし、悪きこと思えば悪くなる道理わからんか。
今の臣民口先ばかり、こんなことではΘの民とは申さんぞ。
天明(岡本天明)は神示書かす役ぞ。
神の心取り次ぐ役ざが、慢心すると誰かれの別なく、替え身魂使うぞ。
因縁のある身魂は、この神示見れば心勇んで来るぞ。
一人で七人ずつ道伝えてくれよ、その御用がまず初めの御用ぞ。
この神示通り伝えてくれればよいのぞ。
自分ごころで説くと間違うぞ。
神示通りに知らしてくれよ。
我を張ってはならぬぞ、我がなくてはならぬぞ、この道難しいなれど、縁ある人は勇んで出来るぞ。
七月二十一日、一二のΘ。


学や智恵では外国にかないませんでした。本当の神を頼らなかったため、神の力が出なかったのかもしれません。

「善いこと言えば善くなるし、悪きこと思えば悪くなる道理わからんか。」
言霊(ことだま)ですね。気を付けましょう。

「今の臣民口先ばかり、こんなことではΘの民とは申さんぞ。」
ますます、その傾向が強くなっています。

「一人で七人ずつ道伝えてくれよ、その御用がまず初めの御用ぞ。」
なかなか、難しいですけどね。

「自分ごころで説くと間違うぞ。神示通りに知らしてくれよ。」
これが、難しいんです。人によって、取り方が全然違いますから。

「我を張ってはならぬぞ、我がなくてはならぬぞ」
私も、妄想をたくましくしつつ、なるべく忠実に解釈するように努めております。


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下つ巻 第16帖

智恵でも学問でも、今度は金積んでもどうにもならんことになるから、そうなりたらΘ✓を頼るよりほかに手はなくなるから、そうなってから助けてくれと申しても間に合わんぞ。
イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。
日本精神と申して卍(仏教)の精神や十(キリスト教)の精神ばかりぞ。
今度は神があるかないかを、ハッキリと神力(しんりょく)見せて、イシヤも改心さすのぞ。
Θの国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神渡りて来ているから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。
Θの国ざと口先きばかりで申しているが、心の内は外国(幽界)人、沢山あるぞ。
富士から流れ出た川には、それぞれ名前の付いている石置いてあるから、縁ある人は一つずつ拾って来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾って来い、御霊入れて守りの石と致してやるぞ、これまでに申しても疑う臣民あるが、嘘(うそ)のことならこんなにくどうは申さんぞ。
因縁の身魂にはΘから石与えて守護神の名つけてやるぞ。
江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。
てんし様を都に遷さなならん時きたぞ。
江戸には臣民住めんような時が一度は来るのぞ。
前のような世が来ると思うていたら大間違いぞ。
江戸の仕組済みたらカイの御用あるぞ。
今にさびしくなりて来ると、この道栄えて、世界の臣民みな訪ねて来るようになるぞ。
七月二十一日、一二のΘ。


「イシヤの仕組」
出て来ました、石屋の仕組。
石屋=フリーメイソン(イルミナティ)と一般には考えられているようです。
医者かもしれませんよ。国民健康保険制度とか。まあ、冗談ですけど。(笑)

あとで、「イシヤとも手を組まないとダメだぞ」という文章も出て来ます。
「イシヤも改心」させて手を組むということなのでしょう。

フリーメイソン自体は、自由と博愛を目指す団体で、フランス革命やアメリカ合衆国の独立などの立役者になった、いわば近代文明社会の生みの親とも言える存在です。

ただ、現在はNWO(ニューワールドオーダー=世界新秩序)という世界統一国家を目指す方たちも混ざっているようです。

世界統一国家構想自体は非常に結構なことなのですが、一部の為政者による世界人民の総奴隷化ということであれば、これは大問題です。

その「イシヤの仕組」が、前にも述べた3S(スポーツ、セックス、スクリーン)による日本人の「一億総ハクチ化政策」だと云われています。既に、ほぼ完成していますね。(涙)

また、「クリスマス、ハロウィン、バレンタインデー」など商売に利用されて、その本来の意味も知らず踊らされている人ばかりです。仏教も「仏間」(思わず笑っちゃいますね。)仏教ばかりで、戒名だお布施だの形式的な側面のみが強調されて、先祖を供養するという本質が忘れ去られています。

「悪の神渡りて来ているから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。」
もう、たくさん渡って来ていますね。日本の主要ポストがたくさん牛耳られています。

「Θの国ざと口先きばかりで申しているが、心の内は外国(幽界)人、沢山あるぞ。」
はい、はい、その通りです。

「これまでに申しても疑う臣民あるが、嘘(うそ)のことならこんなにくどうは申さんぞ。」
本当ですね。これが嘘なら、神様も相当な暇人(ひまじん)ですね。(笑)

「江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。」
「江戸には臣民住めんような時が一度は来るのぞ。」
怖いですね〜。核爆弾の使用を思わせるような言葉です。言っておきますが、「江戸」は、東京ばかりではありませんからね。全ての都市のことですから、お間違えの無いように。

「前のような世が来ると思うていたら大間違いぞ。」
これなんか、終戦後の焼け野原の状態で済むと思うなよと言われているような気がします。

「てんし様を都に遷さなならん時きたぞ。」
これは良く分からないんです。「てんし様」は天皇陛下でしょうか。天皇家を京都に還すと言っているのでしょうか。

「江戸の仕組済みたらカイの御用あるぞ。」
「カイの御用」まだ済んでなかったのですね。
まあ、「5千の山に祀りくれよ」ですから、そう簡単に済まないとは思いますが。

「今にさびしくなりて来ると、この道栄えて、世界の臣民みな訪ねて来るようになるぞ。」
「さびしくなりて来る」という言葉は先般も出て来ましたが、どうやら「淋しい、寂しい」という意味ではないようですね。語源由来辞典には、「林は木立が続くことから絶え間なく続くという意であり、淋は水+林で絶え間なく汁がしたたることを表す。淋という字には本来寂しいの意味はない」とあります。
なるほど、野山が戻って青々と繁り神の恩が水のようにしたたる状態ということですか。


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2017年12月27日

下つ巻 第15帖

この方祀りて神示書かすのは一所(ひとところ)なれど、いくらでも分け御霊(みたま)するから、一人ひとり祀りてサニワ作りてもよいぞ。
祀る時は、まず鎮守様、よくお願いしてから祀れよ。
鎮守様は御苦労な神様ぞ、忘れてはならんぞ。
この神には鳥居と注連(しめ)は要らんぞ。
おいおいわかりて来るぞ、一二七七七七七忘れてはならんぞ、次の世の仕組であるぞ。
身魂磨けば何事もわかりて来ると申してあろうがな、黙っていてもわかるように、早うなって下されよ、Θの国近づいたぞ。
七月の二十一日、ひつくのか三。


神示が下される場所は岡本天明氏の所だけですが、神が御霊分けするので、それぞれの場所で神を祀り、サニワで神のご意思を尋ねても良いぞということでしょう。

日月の神を祀る時は、まず鎮守神=産土神(住まいの場所に近い神様)にお願いしてからということでしょう。鎮守神は、日々の生活を守ってくださる神様なので、ご恩を忘れないでくださいとおっしゃってます。

鳥居と注連(しめ)が要らないということですが、鳥居と注連は結界を張るということですので、結界が不要なほど力のある神だぞということでしょう。

「一二七七七七七忘れてはならんぞ」
元の神の仕組ですね。一二の3体の下に7体さらに七✕七=49体、合計59体のことでしょう。
七の数が足りませんが、欠落してしまったか、ご愛敬でしょう。(笑)

「次の世の仕組であるぞ。」
日本は別にして、7つの国で治めるぞという言葉がありましたね。
日本が、一二の3体と下の7体、合計10体、外国が7体、さらにその下にそれぞれ7体ということでしょう。


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下つ巻 第14帖

臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせなならんから、なかなか大層(たいそう)と申すのぞ。
一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠に動かぬ道のことぞ、三四五の仕組とは、みよいずの仕組みぞ、御代出づとは、Θの御代になることぞ、この世をΘの国にねり上げることぞ、Θ祀りたら三四五の御用にかかるから、そのつもりで用意しておいてくれよ。
このΘは世界中の神と臣民と、獣も草木も構わねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。
神様と臣民、同じ数だけあるぞ。
それぞれに神つけるから、早う身魂磨いてくれよ、磨けただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。
小さいことはそれぞれの神に聞いてくれよ、一人ひとり、何でも聞きたいことや、病治すことも、それぞれの神がするから、サニワ(審神)でお告げ受けてくれよ、この方の家来の神が知らせるから、何でも聞けよ。
病も治してやるぞ、この神頼りたなら、身魂磨けただけの神徳あるぞ。
この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。
とんだところにとんだこと出来るぞ。
それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけておれば、先のこともよくわかるようになるぞ。
元のΘ代に返すと申すのは喩(たと)えでないぞ。
七から八から九から十から神烈しくなるぞ、臣民の思う通りにはなるまいがな。
それは逆立ちしているからぞ。
世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたように、もうかなわんと言うところまでになるから、神はこの世におらんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたように見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、いよいよとなりて来ねばわからんようでは御用出来んぞ。
七月の二十日、ひつくのか三。


三四五の仕組は、「神の御代出づ」の仕組。

「七から八から九から十から神烈しくなるぞ」
8月にテニアン・グアム島玉砕。9月ペリリュー島。10月はレイテ沖海戦。11月にはとうとう東京初空襲となります。


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下つ巻 第13帖

逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。
あたま下で、手で歩くのは苦しかろうがな、上にいては足も苦しかろうがな、上下逆様(さかさま)と申してあるが、これでよくわかるであろう、足はやはり下の方が気楽ぞ、あたま上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、この道理わかりたか。
岩戸開くとは元の姿に返すことぞ。
神の姿に返すことぞ。
三(みち)の役員は別として、あとの役員の御役は、手、足、目、鼻、口、耳などぞ。
人の姿見て、役員よく神の心悟れよ、もの動かすのは人のような組織でないと出来ぬぞ。
この道の役員は、己が自分で自ずからなるのぞ、それが神の心ぞ。
人の心と行いとΘの心に融けたら、それが神の国のまことの御用の役員ぞ、この道理わかりたか。
この道は神の道ざから、神心になるとすぐわかるぞ、金銀要らぬ世となるぞ。
御用嬉しくなりたら神の心に近づいたぞ、手は手の役、嬉しかろうがな、足は足の役、嬉しかろうがな、足はいつまでも足ぞ、手はいつまでも手ぞ、それがまことの姿ぞ、逆立ちしていたからよくわかりたであろうがな。
いよいよ世の終わりが来たから役員気つけてくれよ。
神代近づいて嬉しいぞよ。
日本は別として、世界七つに分けるぞ。
今にわかりて来るから、静かに神の申すこと聞いておりて下されよ。
この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組ぞ、わかりた臣民から御用つくりてくれよ、御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、心配なくつとめてくれよ。
七月の十八日の夜、ひつくのか三。


「岩戸開くとは元の姿に返すことぞ。」
本来の役目を忘れず、本分を守ることが大事だそうです。

「日本は別として、世界七つに分けるぞ。」
悪の計画は「日本を八つに切って殺す計画」でした。

神の計画は「世界を八つに分けて生かす計画」ということなのでしょうか。


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下つ巻 第12帖

このΘは日本人のみのΘでないぞ。
自分で岩戸開いておれば、どんな世になりても楽に行けるように神がしてあるのに、臣民というものは欲が深いから、自分で岩戸しめて、それでお蔭ないと申しているが困ったものぞ。
早う気づかんと気の毒出来るぞ。
初めの役員十柱集めるぞ、早うこの神示写して置いてくれよ、Θ急けるぞ。
七月の十八日、ひつくのΘ。


神は日本人のみの神ではなく、全世界の「神こころ」を持つ人々の神である。
自分の欲で自分の岩戸を閉めて、それで神様にご利益がないと言ってもお門違いだと申しておられます。



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下つ巻 第11帖

けものさえ、Θの御旨(みむね)に息せるを、Θを罵る民のさわ(多)なる。
草木さえ神の心に従っているではないか、Θの旨に、それぞれに生きているでないか、 あの姿に早う返りてくれよ、青人草(あおひとぐさ)と申すのは、草木の心の民のことぞ。
道は自分で歩めよ、御用は自分でつとめよ、人がさしてくれるのでないぞ、自分で御用するのぞ、道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ。
七月の十八日、ひつくのか三。



神を罵る人の多いことよ。草木の心の民の姿に早く返ってくれ。
「道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ。」
と、おっしゃってます。

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下つ巻 第10帖

八月の十日には江戸に祀りてくれよ。
アイウは縦ぞ、アヤワは横ぞ、縦横組みて十となるぞ、十は火と水ぞ、縦横結びて力出るぞ。
何も心配ないから、ドシドシとΘの申す通りに御用進めてくれよ。
臣民は静かに、Θは烈しき時の世近づいたぞ。
七月の十七日、一二Θ。


「ヤ」は左、「ワ」は右ですから、

  (ム)           無

ヤ  ア  ワ      日  魂  月

   イ            意

   ウ            有

縦は、無(ム)から有(ウ)。横は、左から日(ヤ)、魂=地(ア)、月(ワ)となります。
「縦横組みて十」となり、縦は火(無から生まれ、無に帰る)、横は水(横は水平)ということでしょう。
十は「足り」=完成を意味します。

イとウ(介添えの身魂)が出て来ましたね。
エとオがそれに続きます。


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2017年12月26日

下つ巻 第9帖

今度の戦はΘと〇との大戦ぞ。
Θ様にもわからん仕組が世の元の神がなされているのざから、下の神々様にもわからんぞ。
何が何だか誰もわからんようになって、どちらも丸潰れというところになりた折り、大神の命(みこと)によりてこの方らが神徳出して、九分九厘という所で、Θの力がどんなにえらいものかということ知らして、悪のΘも改心せなならんように仕組みてあるから、Θの国はΘの力で世界の親国になるのぞ。
Θと〇とは心の中に✓があるか、✓がないかの違いであるぞ。
この方は三四五のΘとも現われるぞ。
江戸の御社(みやしろ)は誰でも気楽に来て拝めるようにしておいてくれよ、この方の神示書く役員、神示うつす役員、神示説いてきかす役員要るぞ、役員は人の後について便所を掃除するだけの心がけないとつとまらんぞ。
役員づらしたら、すぐ替え身魂使うぞ。
七月の十七日、一二のか三。


「今度の戦はΘと〇との大戦ぞ。」
普通に読めば、「日本」と「外国」。

このΘと〇は、「ヒツグ」と「ミツグ」のことではないと思います。
ただ、もしΘ(ヒツグ)の米軍と〇(ミツグ)の日本軍と言っているとすれば、それは、とても恐ろしいことですね。...ブルブル

「Θと〇とは心の中に✓があるか、✓がないかの違いであるぞ。」
日本であろうと外国であろうと、心に神があるかないか、すなわち、「善」と「悪」、「平和主義」と「軍国主義」、もしくは「天国」と「幽界」の大戦だと思います。

「どちらも丸潰れというところになりた折り」「九分九厘という所で」悪の神も改心させて、神の国は世界の親国になるとあります。

日本は「型」として丸潰れになりましたが、世界はいまだに丸潰れにはなっておりません。

将来的には、地球規模で「丸潰れ」がやって来るのかもしれません。



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下つ巻 第8帖

この神示皆に読みきかしてくれよ。
一人も臣民おらぬ時でも、声出して読んでくれよ、臣民ばかりに聞かすのでないぞ、ΘΘ(かみがみ)様にも聞かすのざから、そのつもりで力ある誠の声で読んでくれよ。
七月の十七日、ひつくのか三。


特にコメントはありません。

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下つ巻 第7帖

この神示読んで嬉しかったら、人に知らしてやれよ、しかし無理には引っ張ってくれるなよ。
このΘは信者集めて喜ぶようなΘでないぞ、世界中の民みな信者ぞ、それで教会のようなことするなと申すのぞ、世界中大洗濯するΘざから、小さいこと思うていると見当とれんことになるぞ。
一二三祝詞(ひふみのりと)する時は、Θの息に合わして宣(の)れよ、Θの息に合わすのは、三五七・三五七に切って宣れよ。
終(しま)いだけ節(ふし)長く読めよ、それを三度読みて宣りあげよ。
天津祝詞(あまつのりと)の神ともこの方申すぞ。
七月の十五日、一二Θ。


「人に知らしてやれよ、しかし無理には引っ張ってくれるなよ。」
「世界中の民みな信者ぞ」
いわゆる選民的思想を持って、小さくまとまるような、自己満足的な集まりにするなよということでしょう。

「世界中大洗濯するΘざから、小さいこと思うていると見当とれんことになるぞ。」
世界中の「ヒツグ」と「ミツグ」が協力しなければ、この大仕事はできないという意味でしょう。

「一二三祝詞」は、
ひふみ
よいむなや
こともちろらね
しきる
ゆゐつはぬ
そをたはくめか
うおえ
にさりへて
のますあせゑほれけ〜

です。

出だしは、
「一二三四五六七八九十」百千万羅祢(ひふみよいむなやこともちろらね)
となり、「」内は「天津祝詞の太祝詞(ふとのりと)事」そのままです。
意味は、宇宙の全て、森羅万象およびその神々でしょう。

面白いのは、「万」が「ろ」になっています。
そういえば、形が似ていますよね。
おやじギャグでしょうか。(笑)

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下つ巻 第6帖

今までの神示、縁ある臣民に早う示してくれよ、御用の身魂が喜んでいろいろ御用するようになるから、早う示して江戸に仮の宮作りてくれよ。
ΘΘ様臣民まつろいて、岩戸開く元出来るから、早う知らせてくれよ、誰でも見て読めるように写して、神前に置いて、誰でも読めるようにしておいてくれよ。
役員よく考えて、見せる時、間違えぬようにしてくれよ、
七月の十五日、ひつくのか三のふで。


印刷さえしてもならない日月神示ですが、誰でも見て読めるようになりました。
ただ、誰でもとはいえ、見せるタイミングは重要のようですね。

江戸の仮の宮は、まだ作れてないようですね。


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2017年12月25日

下つ巻 第5帖

江戸にΘと人との集まる宮建てよ、建てると申しても家は型でよいぞ、仮のものざから人の住んでいる家で良いぞ。
Θの石まつりて、Θ人祀りてくれよ。
それが出来たら、そこでお告げ書かすぞ。
淋しくなった人は集まりて、その神示見て読んでみれば、誰でも甦るぞ。
この神示うつす役要るぞ、この神示印刷してはならんぞ。
Θの民の言葉はΘ讃えるものと思え、てんし様讃えるものと思え、人褒(ほ)めるものと思え、それで言霊(ことだま)幸わうぞ、それが臣民の言葉ぞ。
悪き言葉は言ってはならんぞ。
言葉は善き事のために神が与えているのざから忘れんようにな。
七月の十五日、ひつくのか三のふで。


「Θの民の言葉はΘ讃えるものと思え、てんし様讃えるものと思え、人褒(ほ)めるものと思え、それで言霊(ことだま)幸わうぞ、それが臣民の言葉ぞ。」
「悪き言葉は言ってはならんぞ。言葉は善き事のために神が与えている」

人は誰でも他人の悪口を言ったり、蔭口をたたいたり、非難をしたりしてしまいがちですが、それは、神様のご意思にそぐわないようです。

人の悪口を言うことは、自分自身のことを傷つけることにもなることを知るべきでしょう。

人をほめることにより、自分も他人も幸せになれる。そういう言霊(ことだま)なのでしょう。

早速、実践してみてください。

岩戸が一つ開くかもしれませんよ。



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下つ巻 第4帖

早く皆のものに知らしてくれよ、Θ急けるぞ。
お山の宮も五十九の岩で作らせておいたのに、まだ気がつかんか、それを見てもΘが使ってさしておること、よくわかるであろうが、それで素直にΘの申すこと聞いてくれて我を出すなと申しているのぞ、何事もΘにまかせて、取り越し苦労するなよ、我がなくてもならず、我があってもならず、今度の御用なかなか難しいぞ。
五十九の石の宮出来たから、五十九の石身魂、いよいよΘが引き寄せるから、しっかりしておりて下されよ、今度の五十九の身魂は御苦労の身魂ぞ。
人のようせん辛抱さして、生き変わり死に変わり修行さしておいた昔からの因縁の身魂のみざから、見事御用つとめ上げてくれよ。
教会作るでないぞ、信者作るでないぞ。
この仕組、知らさなならず、知らしてならんし、Θもなかなかに苦しいぞ。
世の元からの仕組ざから、いよいよ岩戸開く時来たぞ。
七月の十三日、ひつくのか三。


「早く皆のものに知らしてくれよ」というのは、岡本天明氏の同志59人のことでしょう。

「五十九の石身魂、いよいよΘが引き寄せるから」というのは、59体の神様ということだと思われます。

「生き変わり死に変わり修行さしておいた昔からの因縁の身魂」も同志59人のこと。

いよいよ59の身魂に59の神を入れるという最終段階に来たようです。

「教会作るでないぞ、信者作るでないぞ。」
協会はおろか、信者さえも作ってはならないというのは、足を引っ張るような者を入れるなということでしょう。

「この仕組、知らさなならず、知らしてならん」
「いよいよ岩戸開く時来たぞ」

仕組みを知らないと行動できないし、知らせてしまうと邪魔が入る可能性がある、神様もお困りのようです。


posted by mydears at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第3帖

このΘのまことの姿見せてやるつもりでありたが、人に見せると、びっくりして気を失うかもしれんから、石に彫らせて見せておいたのに、まだ気づかんから木の型をやったであろうがな、それがΘのある活動の時の姿であるぞ、Θを見せ物にしてはならんぞ、お山の骨もその通りぞよ。
これまで見せてもまだわからんか、何もかもΘがさしてあるのぞ。
心配いらんから欲出さずに、素直に御用きいて下されよ、今度のお山開き、まことに結構であるぞ。
Θが烈しくなると、Θの話より出来んことになるぞ、Θの話結構ぞ。
七月の十三日、ひつ九のかみ。


「このΘのまことの姿」は、おそらく「龍体」だと思われます。

日本列島の形も「龍体」だと云われています。
朝鮮半島からひきちぎられるような形で西日本と東日本が形成され、それに南方から島々が次々にぶつかって中央が形成され、合わさって、日本列島が出来たのです。

このような陸地の成立過程は世界のどこにも例がなく、極めて特殊な事例とのことです。


まさに、龍がのたうち回るようにして出来たのが、この日本列島なのでしょう。




posted by mydears at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第2帖

今度の岩戸開く御用は、人の五倍も十倍も働く人でないとつとまらんぞ。
岩戸開くと申しても、それぞれの岩戸あるぞ、大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と、それぞれの岩戸あるから、それぞれ身魂相当の岩戸開いてくれよ。
欲が出るとわからんことに、盲(めくら)になるから、Θ気つけるぞ。
神の御用と申して自分の仕事休むような心では、神の御用にならんぞ。
どんな苦しい仕事でも、今の仕事、十人分もして下されよ。
神は見通しざから、次々に良きようにしてやるから、欲出さず、素直に今の仕事致しておりてくれよ、その上で、Θの御用してくれよ。
役員と申しても、それで食うたり飲んだり暮してはならん、それぞれに臣民としての役目あるぞ、役員づらしたら、その日から代わりの者出すぞ、鼻ポキン折れるぞ、神で食うことはならんから、くれぐれも気をつけておくぞ。
七月の十二日のふで、ひつくのか三。


この文章は、私が最も好きなものの一つです。
人それぞれの岩戸開けよ。
自分の仕事をまずは精一杯しなさい。その上で神の御用をしなさい。

普通の宗教であれば、まず第1に信仰。とにかく信仰が全てです。

しかし、日月神示の神は、まず自分の仕事が第1だと言われます。

まさに「道」です。

日々の生活の中から、自分だけの「岩戸」を開きなさいということです。

夫には、夫の岩戸。
妻には、妻の岩戸。
子供にも、子供の岩戸。

表面的なものだけではなく、その裏側にある深層心理まで問われているような気がします。
自分のこだわりを捨てなさいということです。私たちが、それぞれ、どうしても触れられたくない一線、どうしても破られたくない一線、それが「岩戸」なのでしょう。


最後のパラグラフは、「神が選んだ」神示の御用の役員とても、おごり高ぶったり、欲を出してはならない。神をダシにして飲んだり食ったりしてはならんぞという戒めです。


posted by mydears at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第1帖

富士は晴れたり日本晴れ。
青垣山めぐれる下つ岩根に祀りくれた、御苦労ぞ。
いよいよΘも嬉しいぞ。
鳥居はいらぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある、それ鳥居ぞ。
皆の者御苦労ぞ。
蛇ヶ岳(じゃがたけ)は昔からΘが隠しておりた大切の山ざから、人の登らぬようにして、竜神となりて護りてくれた神々様にもお礼申すぞ。
富士は晴れたり日本晴れ。
いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用きいてくれよ、Θ急けるぞ、山晴れ、地(くに)晴れ、海晴れて、初めて晴れるぞ。
天晴れてΘの働きいよいよ烈しくなりたら、臣民いよいよわからなくなるから、早う神心になり下されよ。
次々に書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。
この道(おしえ)は宗教(おしえ)ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までのような教会作らせんぞ。
ミチとは臣民に神が満ちることぞ、Θの国の中に神が満ち満ちることぞ。
金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。
七月の十二日のふで、ひつくのか三。


「青垣山めぐれる下つ岩根」「蛇ヶ岳(じゃがたけ)」は、おそらく大神神社のご神体である三輪山のことではないかと思われます。

天照大神が「蛇となって夜な夜な斎宮のもとに通い、斎宮の寝床には毎朝蛇の鱗が落ちている」という話が伝わっていることや、先般述べました、能の「三輪」でも「男(三輪明神)は最後には蛇となって現れ、三輪明神とは蛇の姿であったことが判明する」となっており、また、日本書紀の中にも、「倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ=卑弥呼)は大物主神(=天照大神)の妻となったが、大物主神は夜にしかやって来ず昼に姿は見せなかった。百襲姫が明朝に姿を見たいと願うと、翌朝大物主神は櫛笥の中に小蛇の姿で現れたが、百襲姫が驚き叫んだため大物主神は恥じて御諸山(三輪山)に登ってしまった。百襲姫がこれを後悔して腰を落とした際、箸が陰部を突いたため百襲姫は死んでしまい、大市に葬られた。時の人はこの墓を「箸墓」と呼び」とあります。

また、三輪山は蛇がとぐろを巻いたような形の象徴とされる山でありますから、「蛇ヶ岳」は三輪山のことであると推察する次第です。

ただ、近年は、一般の参拝も認められており、多数の人が上っているので、神様もお怒りかもしれませんね。
私も登りましたが、山頂間際で、明るい陽射しの中霧が舞うという神秘的な体験をさせて頂きました。

お礼を申し上げると共に、禁則地に足を踏み入れたことをお詫び申し上げます。

「山晴れ、地晴れ、海晴れて、初めて晴れる」というのは、「地上の一切が晴れて(キレイになって)、初めて天晴れる」ということでしょうね。
「天晴れて神の働きいよいよ烈しく」なるそうです。

「この道は宗教ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までのような教会作らせんぞ。」
人を集め、お金を集めるような既存の宗教を全否定されておられます。

「ミチとは臣民に神が満ちることぞ、Θの国の中に神が満ち満ちることぞ」

「道」という言葉は、日本人には抵抗なく、自然に受け止められますね。

「武士道」「華道」「茶道」などと同じように、「神道」も一人ひとりの心を鍛える「道」であって、総ての日本人に実践して欲しいと述べられていらっしゃるのでしょう。


posted by mydears at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻
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