2017年12月25日
下つ巻 第1帖
富士は晴れたり日本晴れ。
青垣山めぐれる下つ岩根に祀りくれた、御苦労ぞ。
いよいよΘも嬉しいぞ。
鳥居はいらぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある、それ鳥居ぞ。
皆の者御苦労ぞ。
蛇ヶ岳(じゃがたけ)は昔からΘが隠しておりた大切の山ざから、人の登らぬようにして、竜神となりて護りてくれた神々様にもお礼申すぞ。
富士は晴れたり日本晴れ。
いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用きいてくれよ、Θ急けるぞ、山晴れ、地(くに)晴れ、海晴れて、初めて晴れるぞ。
天晴れてΘの働きいよいよ烈しくなりたら、臣民いよいよわからなくなるから、早う神心になり下されよ。
次々に書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。
この道(おしえ)は宗教(おしえ)ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までのような教会作らせんぞ。
ミチとは臣民に神が満ちることぞ、Θの国の中に神が満ち満ちることぞ。
金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。
七月の十二日のふで、ひつくのか三。
「青垣山めぐれる下つ岩根」「蛇ヶ岳(じゃがたけ)」は、おそらく大神神社のご神体である三輪山のことではないかと思われます。
天照大神が「蛇となって夜な夜な斎宮のもとに通い、斎宮の寝床には毎朝蛇の鱗が落ちている」という話が伝わっていることや、先般述べました、能の「三輪」でも「男(三輪明神)は最後には蛇となって現れ、三輪明神とは蛇の姿であったことが判明する」となっており、また、日本書紀の中にも、「倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ=卑弥呼)は大物主神(=天照大神)の妻となったが、大物主神は夜にしかやって来ず昼に姿は見せなかった。百襲姫が明朝に姿を見たいと願うと、翌朝大物主神は櫛笥の中に小蛇の姿で現れたが、百襲姫が驚き叫んだため大物主神は恥じて御諸山(三輪山)に登ってしまった。百襲姫がこれを後悔して腰を落とした際、箸が陰部を突いたため百襲姫は死んでしまい、大市に葬られた。時の人はこの墓を「箸墓」と呼び」とあります。
また、三輪山は蛇がとぐろを巻いたような形の象徴とされる山でありますから、「蛇ヶ岳」は三輪山のことであると推察する次第です。
ただ、近年は、一般の参拝も認められており、多数の人が上っているので、神様もお怒りかもしれませんね。
私も登りましたが、山頂間際で、明るい陽射しの中霧が舞うという神秘的な体験をさせて頂きました。
お礼を申し上げると共に、禁則地に足を踏み入れたことをお詫び申し上げます。
「山晴れ、地晴れ、海晴れて、初めて晴れる」というのは、「地上の一切が晴れて(キレイになって)、初めて天晴れる」ということでしょうね。
「天晴れて神の働きいよいよ烈しく」なるそうです。
「この道は宗教ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までのような教会作らせんぞ。」
人を集め、お金を集めるような既存の宗教を全否定されておられます。
「ミチとは臣民に神が満ちることぞ、Θの国の中に神が満ち満ちることぞ」
「道」という言葉は、日本人には抵抗なく、自然に受け止められますね。
「武士道」「華道」「茶道」などと同じように、「神道」も一人ひとりの心を鍛える「道」であって、総ての日本人に実践して欲しいと述べられていらっしゃるのでしょう。
青垣山めぐれる下つ岩根に祀りくれた、御苦労ぞ。
いよいよΘも嬉しいぞ。
鳥居はいらぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある、それ鳥居ぞ。
皆の者御苦労ぞ。
蛇ヶ岳(じゃがたけ)は昔からΘが隠しておりた大切の山ざから、人の登らぬようにして、竜神となりて護りてくれた神々様にもお礼申すぞ。
富士は晴れたり日本晴れ。
いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用きいてくれよ、Θ急けるぞ、山晴れ、地(くに)晴れ、海晴れて、初めて晴れるぞ。
天晴れてΘの働きいよいよ烈しくなりたら、臣民いよいよわからなくなるから、早う神心になり下されよ。
次々に書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。
この道(おしえ)は宗教(おしえ)ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までのような教会作らせんぞ。
ミチとは臣民に神が満ちることぞ、Θの国の中に神が満ち満ちることぞ。
金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。
七月の十二日のふで、ひつくのか三。
「青垣山めぐれる下つ岩根」「蛇ヶ岳(じゃがたけ)」は、おそらく大神神社のご神体である三輪山のことではないかと思われます。
天照大神が「蛇となって夜な夜な斎宮のもとに通い、斎宮の寝床には毎朝蛇の鱗が落ちている」という話が伝わっていることや、先般述べました、能の「三輪」でも「男(三輪明神)は最後には蛇となって現れ、三輪明神とは蛇の姿であったことが判明する」となっており、また、日本書紀の中にも、「倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ=卑弥呼)は大物主神(=天照大神)の妻となったが、大物主神は夜にしかやって来ず昼に姿は見せなかった。百襲姫が明朝に姿を見たいと願うと、翌朝大物主神は櫛笥の中に小蛇の姿で現れたが、百襲姫が驚き叫んだため大物主神は恥じて御諸山(三輪山)に登ってしまった。百襲姫がこれを後悔して腰を落とした際、箸が陰部を突いたため百襲姫は死んでしまい、大市に葬られた。時の人はこの墓を「箸墓」と呼び」とあります。
また、三輪山は蛇がとぐろを巻いたような形の象徴とされる山でありますから、「蛇ヶ岳」は三輪山のことであると推察する次第です。
ただ、近年は、一般の参拝も認められており、多数の人が上っているので、神様もお怒りかもしれませんね。
私も登りましたが、山頂間際で、明るい陽射しの中霧が舞うという神秘的な体験をさせて頂きました。
お礼を申し上げると共に、禁則地に足を踏み入れたことをお詫び申し上げます。
「山晴れ、地晴れ、海晴れて、初めて晴れる」というのは、「地上の一切が晴れて(キレイになって)、初めて天晴れる」ということでしょうね。
「天晴れて神の働きいよいよ烈しく」なるそうです。
「この道は宗教ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までのような教会作らせんぞ。」
人を集め、お金を集めるような既存の宗教を全否定されておられます。
「ミチとは臣民に神が満ちることぞ、Θの国の中に神が満ち満ちることぞ」
「道」という言葉は、日本人には抵抗なく、自然に受け止められますね。
「武士道」「華道」「茶道」などと同じように、「神道」も一人ひとりの心を鍛える「道」であって、総ての日本人に実践して欲しいと述べられていらっしゃるのでしょう。
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