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2018年01月18日

地つ巻 第25帖

新しくその日その日の生まれ来るのぞ、三日は三日、十日は十日の神殿(どの)守るのざぞ、時の神ほど結構な恐い神ないのざぞ、この方とて時節にはかなわんことあるのざぞ。
今日なれば九月の二十八日であるが、旧の八月十一日殿を拝みてくれよ。
二十八日殿もあるのざぞ。
何事も時待ちてくれよ、炒り豆にも花咲くのざぞ、この世では時の神様、時節を忘れてはならんぞ、時は神なりぞ。
何事もその時節来たのざぞ、時過ぎて種蒔(ま)いてもお役には立たんのであるぞ、草物言うぞ。
旧の八月の十一日、ひつ九か三。


時の神様は毎日変わられ、しかも旧暦、新暦ごとにいらっしゃるようです。十干十二支(じっかんじゅうにし)のことだと思われますが、そうであれば甲子から癸亥までの60柱となります。

「時の神ほど結構な恐い神ないのざぞ、この方とて時節にはかなわんことあるのざぞ。」
時を遡ってやり直すことはできないということだと思います。

「今日なれば九月の二十八日であるが、旧の八月十一日殿を拝みてくれよ。二十八日殿もあるのざぞ。」
正確に言うと昭和19年9月28日は、旧暦で8月12日となります。この1日のずれは何なんでしょう。
神様が間違えられるはずないので、こちらの方が気になります。日月神示の神様は日付変更線の向こう側?
それとも、新暦と西暦の差?

「何事も時待ちてくれよ、炒り豆にも花咲くのざぞ、この世では時の神様、時節を忘れてはならんぞ、時は神なりぞ。」
これは、国之常立大神が艮の金神として封印される時の「炒り豆に花咲く時に出て来い」という言葉に対応するものですが、時が来れば「炒り豆にも花咲く」ということです。

「何事もその時節来たのざぞ、時過ぎて種蒔(ま)いてもお役には立たんのであるぞ、草物言うぞ。」
時節が到来したので、種を蒔けよ、つまり準備しておけよ、やり直しきかんぞということです。


posted by mydears at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 地つ巻
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