2018年01月15日
地つ巻 第12帖
この道は道なき道ざぞ。
天理も金光も黒住も今は魂抜けておれど、この道入れて生きかえるのぞ。
日蓮も親鸞も耶蘇も何もかもみな脱け殻ぞ。
この道で魂入れてくれよ、この道は✓、〇の中に✓ 入れてくれと申してあろうが。
臣民も、世界中の臣民も国々も、みな同じことぞ、✓ 入れてくれよ。
〇を掃除しておらぬと✓入らんぞ、今度の戦は〇の掃除ぞと申してあろうがな、まつりとは、まつり合わすことと申してあろうがな、この道は教えでないと言うてあろうが、協会や他の集いでないと申してあろうがな、人集めてくれるなと申してあろうがな。
世界中の臣民みな信者と申してあろうが、この道は道なき道ぞ、時なき道ぞ、光ぞ。
この道でみな生き返るのざぞ。
天明(岡本天明)阿保(あほう)になりてくれよ、我捨ててくれよ、神憑かるのに苦しいぞ。
九月二十二日、あの一二Θ。
「この道は道なき道ざぞ。」
「天理も金光も黒住も今は魂抜けておれど、この道入れて生きかえるのぞ。」
「日蓮も親鸞も耶蘇も何もかもみな脱け殻ぞ。」
「この道で魂入れてくれよ、この道は✓、〇の中に✓ 入れてくれと申してあろうが。」
「臣民も、世界中の臣民も国々も、みな同じことぞ、✓ 入れてくれよ。」
この道は道なき道、未知なき道、三千(世界)なき満ち、いろんな解釈が出来そうです。少なくとも言えるのは、この道は「✓」、「〇の中に✓ 入れる」ということ。
天理、金光、黒住、日蓮、親鸞、耶蘇を始め何もかも、「✓」が入っていないということだそうです。
「〇を掃除しておらぬと✓入らんぞ、今度の戦は〇の掃除ぞと申してあろうがな」
「まつりとは、まつり合わすことと申してあろうがな」
「この道は教えでないと言うてあろうが、協会や他の集いでないと申してあろうがな、人集めてくれるなと申してあろうがな。」
この道は教えではなく、実践だということです。神が助けてくれるのではなく、自分が自分を助けるそうです。神が助かるのだそうです。
「世界中の臣民みな信者と申してあろうが、この道は道なき道ぞ、時なき道ぞ、光ぞ。」
世界中の誰もが、この道なき道を歩むことが出来るそうです。
「道なき道ぞ、時なき道ぞ、光ぞ。」の意味は、地球に絶えず降り注ぐ光のように、方法、方位、方角、時間にかかわらず常に与えられている「道」だということだと思います。
別の場所で「光」は「曲がっているのぞ、真っ直ぐぞ」という記載もあるので、光が直進しながら波の性質を持って進むということを「道」に例えているとも思われます。
「この道でみな生き返るのざぞ。」
「天明(岡本天明)阿保(あほう)になりてくれよ、我捨ててくれよ、神憑かるのに苦しいぞ。」
「あの一二Θ」は珍しいですね。
天理も金光も黒住も今は魂抜けておれど、この道入れて生きかえるのぞ。
日蓮も親鸞も耶蘇も何もかもみな脱け殻ぞ。
この道で魂入れてくれよ、この道は✓、〇の中に✓ 入れてくれと申してあろうが。
臣民も、世界中の臣民も国々も、みな同じことぞ、✓ 入れてくれよ。
〇を掃除しておらぬと✓入らんぞ、今度の戦は〇の掃除ぞと申してあろうがな、まつりとは、まつり合わすことと申してあろうがな、この道は教えでないと言うてあろうが、協会や他の集いでないと申してあろうがな、人集めてくれるなと申してあろうがな。
世界中の臣民みな信者と申してあろうが、この道は道なき道ぞ、時なき道ぞ、光ぞ。
この道でみな生き返るのざぞ。
天明(岡本天明)阿保(あほう)になりてくれよ、我捨ててくれよ、神憑かるのに苦しいぞ。
九月二十二日、あの一二Θ。
「この道は道なき道ざぞ。」
「天理も金光も黒住も今は魂抜けておれど、この道入れて生きかえるのぞ。」
「日蓮も親鸞も耶蘇も何もかもみな脱け殻ぞ。」
「この道で魂入れてくれよ、この道は✓、〇の中に✓ 入れてくれと申してあろうが。」
「臣民も、世界中の臣民も国々も、みな同じことぞ、✓ 入れてくれよ。」
この道は道なき道、未知なき道、三千(世界)なき満ち、いろんな解釈が出来そうです。少なくとも言えるのは、この道は「✓」、「〇の中に✓ 入れる」ということ。
天理、金光、黒住、日蓮、親鸞、耶蘇を始め何もかも、「✓」が入っていないということだそうです。
「〇を掃除しておらぬと✓入らんぞ、今度の戦は〇の掃除ぞと申してあろうがな」
「まつりとは、まつり合わすことと申してあろうがな」
「この道は教えでないと言うてあろうが、協会や他の集いでないと申してあろうがな、人集めてくれるなと申してあろうがな。」
この道は教えではなく、実践だということです。神が助けてくれるのではなく、自分が自分を助けるそうです。神が助かるのだそうです。
「世界中の臣民みな信者と申してあろうが、この道は道なき道ぞ、時なき道ぞ、光ぞ。」
世界中の誰もが、この道なき道を歩むことが出来るそうです。
「道なき道ぞ、時なき道ぞ、光ぞ。」の意味は、地球に絶えず降り注ぐ光のように、方法、方位、方角、時間にかかわらず常に与えられている「道」だということだと思います。
別の場所で「光」は「曲がっているのぞ、真っ直ぐぞ」という記載もあるので、光が直進しながら波の性質を持って進むということを「道」に例えているとも思われます。
「この道でみな生き返るのざぞ。」
「天明(岡本天明)阿保(あほう)になりてくれよ、我捨ててくれよ、神憑かるのに苦しいぞ。」
「あの一二Θ」は珍しいですね。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/7185633
この記事へのトラックバック