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2018年03月29日

雨の巻 第13帖

世界中から神示通りに出て来て、足元から火がついてもまだ我張りているようでは、今度は灰にするより方法ないぞ。恐しなっての改心では御役難しいぞ。因縁あるミタマでも曇りひどいと、御用難しいことあるぞ、神示頂いたとて役員面(づら)すると鼻ポキンぞと気つけてあろうがな。五十九柱いくらでもあるのざぞ、替え身魂あると申してあろうがな、務めた上にも務めなならんぞ、因縁深いほど罪も借銭も深いのざぞ。
岩戸閉めにも善き身魂あるぞ、岩戸開きにも悪きあるぞ、気つけ合って善き御用結構ざぞ、勇んで務め下されよ。心から勇む仕事善きことぞ、この方の好くことざぞ。木の葉落ちて冬となれば淋しかろうがな、紅葉あるうちにと気つけおいたが、紅葉の山も落ちたであろうがな、外でわからん根本のキのこと知らすこの方の神示ぢゃ、三千世界のこと一切のこと、説いて聞かして得心させてあげますぞや。落ちついて聞き落しないようになされよ、悔しさ目に見えておろうがな、どぶつぼに我と落ち込む人民ばかり出て来て、Θの国臭くて足踏む場もないぞ、なれども見て御座れ、三千世界一度に開いて世界一列一平一つのてんしで治めるぞ。
地の世界に大将なくなって五大州引っくり返りていると申すことまだわからんのか、目に見せても耳に聞かしても、まだわからんか、尻の毛まで悪魔に抜かれていてまだわからんのか、あんまりなことぢゃなあ。これまでは高し低しの戦でありたが、これからは誠の深し浅しの戦ざぞ、誠とはコトざぞ、口でないぞ、筆でないぞ、 コトざぞ、コト気つけと申してあろうがな。コト、コト、コトざぞ。
始めウタあったぞ、終わりもウタぞ、今も昔もウタざぞ、人民も動物もウタ唄うのざぞ、終わりの御用の始めはウタぞ、ウタの集いとせよ。この神示ウタとして知らす集いとせよ、ウタの集い始めざぞ、表ざぞ、裏の裏ぞ、表の表ぞ、道開く表の終わりの御用ぞ、江戸の御用済みたら、尾張の御用ぞと申してあろうがな、甲斐の御用も忘れてならんのざぞ。食物(おしもの)の集いも作らなならんぞ、カイの御用のことぞ、この集いも表に出してよいのざぞ、時に応じてどうにでも変化(へんげ)られるのが誠の神の集いざぞ。
不動明王殿も力あるに、あそこまで落としてあるは、Θに都合あることぞ。世に落ちて御座る守護神と、世に落ちているΘΘ様と、世に出ているΘΘ様と、世に落ちて出ている守護神殿と和合なさりて物事やって下されよ、二人でしてくれと申してあろうがな、わかりたか。
十二月十八日、ひつ九のΘ神示。


「世界中から神示通りに出て来て、足元から火がついてもまだ我張りているようでは、今度は灰にするより方法ないぞ。恐しなっての改心では御役難しいぞ。因縁あるミタマでも曇りひどいと、御用難しいことあるぞ、神示頂いたとて役員面(づら)すると鼻ポキンぞと気つけてあろうがな。五十九柱いくらでもあるのざぞ、替え身魂あると申してあろうがな、務めた上にも務めなならんぞ、因縁深いほど罪も借銭も深いのざぞ。」
まさに現在の国際情勢です。北朝鮮の後はイラン、そして中国、ロシア問題が出て来そうです。中東、ヨーロッパも依然不安定です。日本の立ち位置もだんだん怪しくなって来ています。内部をしっかり固めて、この国難に臨んで欲しいものです。

「岩戸閉めにも善き身魂あるぞ、岩戸開きにも悪きあるぞ、気つけ合って善き御用結構ざぞ、勇んで務め下されよ。心から勇む仕事善きことぞ、この方の好くことざぞ。」
善き身魂であっても岩戸閉めすることもあり、悪き身魂であっても岩戸開きに繋がることもあるということでしょう。戦略的忍耐のオバマ政権、これを否定するトランプ政権、今後の岩戸開きはあるのでしょうか。そして、どんな展開になるのでしょうか。今世紀最大の岐路に立っているような気がします。

「木の葉落ちて冬となれば淋しかろうがな、紅葉あるうちにと気つけおいたが、紅葉の山も落ちたであろうがな、外でわからん根本のキのこと知らすこの方の神示ぢゃ、三千世界のこと一切のこと、説いて聞かして得心させてあげますぞや。落ちついて聞き落しないようになされよ」

「悔しさ目に見えておろうがな、どぶつぼに我と落ち込む人民ばかり出て来て、Θの国臭くて足踏む場もないぞ、なれども見て御座れ、三千世界一度に開いて世界一列一平一つのてんしで治めるぞ。」
どぶつぼに落ち込んだ人ばかりで、臭くて足踏む場もない状況です。

「地の世界に大将なくなって五大州引っくり返りていると申すことまだわからんのか、目に見せても耳に聞かしても、まだわからんか、尻の毛まで悪魔に抜かれていてまだわからんのか、あんまりなことぢゃなあ。」
Gゼロの世界、尻の毛まで悪魔に抜かれ、善の仮面を被った悪に牛耳られている状況です。

「これまでは高し低しの戦でありたが、これからは誠の深し浅しの戦ざぞ、誠とはコトざぞ、口でないぞ、筆でないぞ、 コトざぞ、コト気つけと申してあろうがな。コト、コト、コトざぞ。」
高し低しの戦とは、力の強弱、身分の高低、学力の高低、財力の有る無しのことでしょう。これからは、誠のコト(行動)が深いか浅いかが重要だそうです。

「始めウタあったぞ、終わりもウタぞ、今も昔もウタざぞ、人民も動物もウタ唄うのざぞ、終わりの御用の始めはウタぞ、ウタの集いとせよ。この神示ウタとして知らす集いとせよ、ウタの集い始めざぞ、表ざぞ、裏の裏ぞ、表の表ぞ、道開く表の終わりの御用ぞ、江戸の御用済みたら、尾張の御用ぞと申してあろうがな」
神示ウタとして知らす集いが大事だそうです。江戸の御用は火と水の仕組、その後に尾張の御用(終わりの御用)が来て道が開けるそうです。

「甲斐の御用も忘れてならんのざぞ。食物(おしもの)の集いも作らなならんぞ、カイの御用のことぞ、この集いも表に出してよいのざぞ、時に応じてどうにでも変化(へんげ)られるのが誠の神の集いざぞ。」
甲斐の御用(カイの御用)は「食い物大切に、家の中キチンとしておき神を迎えよ」のことでしたね。

「不動明王殿も力あるに、あそこまで落としてあるは、Θに都合あることぞ。世に落ちて御座る守護神と、世に落ちているΘΘ様と、世に出ているΘΘ様と、世に落ちて出ている守護神殿と和合なさりて物事やって下されよ、二人でしてくれと申してあろうがな、わかりたか。」
不動明王の元は「ヒンドゥー教の最高神シヴァ神」だと言われています。つまり「不動明王殿」はインドのことと思われます。二人でしてくれというのは、世に落ちている守護神と世に出ている神々、世に落ちている神々と世に出ている守護神のセットということでしょう。大日如来が日本とすると不動明王のインドが和合して手を取り合って世界を善い方向に導いて行けともとれますが、妄想でしょうか(笑)


posted by mydears at 09:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 雨の巻
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