2018年04月02日
雨の巻 第16帖
この世と申しても臣民の世ばかりでないぞ、Θの世界も引っくるめて申しているのぢゃぞ、勇んでやって下されよ、勇むところこの方力添え致すぞ。心配顔この方嫌いぞ、歌唄い下されよ、笑いて下されよ、笑えば岩戸開けるぞ。今の人民キリキリ舞いしながらまだキリキリ舞いするようもがいて御座るぞ。土に返ると申してあろうがな、早う気づいた臣民人民楽になるぞ。
Θの守護と申すものは人民からはちっともわからんのであるぞ、わかるような守護は低いΘの守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、悪Θの守護でも大将の守護ともなれば人民にはわからんのざぞ、心せよ、どんなことあっても不足申すでないぞ、不足悪ざぞ、皆人民の心からぞとくどう申してあろうがな、人民、キから起こって来たのざぞ、我の難儀、我が作るのざぞ、我恨むよりほかないぞ、人民の心さえ定まったら、この方自ずから出て手柄立てさすぞ、手柄結構ざぞ。
この世のもの一切Θのものということまだわからんのか、一切取り上げられてから成程なァとわかったのでは遅いから、嫌がられても、くどう同じようなこと申しているのざぞ、人民の苦しみこの方の苦しみざぞ、人民もこの方も同じものざぞ、この道理わかりたか、この方人民の中にいるのざぞ、言分けて申しているのざぞ。
まだまだ大き戦烈しきぞ、これで世良くなると思っていると大間違いとなるのざぞ、これからが褌(ふんどし)ざぞ、善き世となれば褌要らんぞ、フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、ヘチマ愉快で嬉しいなあ、風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろうがな、何もかも嬉し真から楽しき世ざぞよ。誠がΘであるぞ、コトがΘであるぞ、元であるぞ、道であるぞ、一であるぞ二であるぞ。始めコトありと申してあろうがな、キであるぞ、まつりであるぞ。
十二月十九日、一二Θ 。
「この世と申しても臣民の世ばかりでないぞ、Θの世界も引っくるめて申しているのぢゃぞ、勇んでやって下されよ、勇むところこの方力添え致すぞ。心配顔この方嫌いぞ、歌唄い下されよ、笑いて下されよ、笑えば岩戸開けるぞ。今の人民キリキリ舞いしながらまだキリキリ舞いするようもがいて御座るぞ。土に返ると申してあろうがな、早う気づいた臣民人民楽になるぞ。」
神と人の世、表裏合わせ鏡です。「笑う門には福来る」思考をポジティブに明るく行動することで周囲の人たちにも良い影響を与え、ひいては自分に還って来ます。
「Θの守護と申すものは人民からはちっともわからんのであるぞ、わかるような守護は低いΘの守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、悪Θの守護でも大将の守護ともなれば人民にはわからんのざぞ、心せよ」
ご利益を求めて信心しているようではまだまだです。貴方が今生きていること自体がご利益なのですから、神様には、日々感謝の気持ちをもってお礼を申し上げましょう。
「どんなことあっても不足申すでないぞ、不足悪ざぞ、皆人民の心からぞとくどう申してあろうがな、人民、キから起こって来たのざぞ、我の難儀、我が作るのざぞ、我恨むよりほかないぞ、人民の心さえ定まったら、この方自ずから出て手柄立てさすぞ、手柄結構ざぞ。」
困難は自分が作り出すものです。もし、その心当たりがなければ、それは因縁です。因縁を取り除いているところなのです。
「この世のもの一切Θのものということまだわからんのか、一切取り上げられてから成程なァとわかったのでは遅いから、嫌がられても、くどう同じようなこと申しているのざぞ」
取り上げられても、取り上げられなくても惟神(かんながら)ですね。
「民の苦しみこの方の苦しみざぞ、人民もこの方も同じものざぞ、この道理わかりたか、この方人民の中にいるのざぞ、言分けて申しているのざぞ。」
人の中に神様はいらっしゃるのでしょう。「この方」は、貴方の中にいらっしゃるかもしれません。
「まだまだ大き戦烈しきぞ、これで世良くなると思っていると大間違いとなるのざぞ、これからが褌(ふんどし)ざぞ」
朝鮮戦争、ベトナム戦争、米ソ冷戦、イラン・イラク戦争、湾岸戦争等々、沢山の戦争がありました。
「善き世となれば褌要らんぞ、フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、ヘチマ愉快で嬉しいなあ、風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろうがな、何もかも嬉し真から楽しき世ざぞよ。」
日本の現在は、まさにこのヘチマ状態です。「善き世」なのでしょう。いつまで続くか分かりませんが。
「誠がΘであるぞ、コトがΘであるぞ、元であるぞ、道であるぞ、一であるぞ二であるぞ。始めコトありと申してあろうがな、キであるぞ、まつりであるぞ。」
九十(コト)が始めで一二(日月)となります。まコトです。苦です、足りです。口と心と行いです。
Θの守護と申すものは人民からはちっともわからんのであるぞ、わかるような守護は低いΘの守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、悪Θの守護でも大将の守護ともなれば人民にはわからんのざぞ、心せよ、どんなことあっても不足申すでないぞ、不足悪ざぞ、皆人民の心からぞとくどう申してあろうがな、人民、キから起こって来たのざぞ、我の難儀、我が作るのざぞ、我恨むよりほかないぞ、人民の心さえ定まったら、この方自ずから出て手柄立てさすぞ、手柄結構ざぞ。
この世のもの一切Θのものということまだわからんのか、一切取り上げられてから成程なァとわかったのでは遅いから、嫌がられても、くどう同じようなこと申しているのざぞ、人民の苦しみこの方の苦しみざぞ、人民もこの方も同じものざぞ、この道理わかりたか、この方人民の中にいるのざぞ、言分けて申しているのざぞ。
まだまだ大き戦烈しきぞ、これで世良くなると思っていると大間違いとなるのざぞ、これからが褌(ふんどし)ざぞ、善き世となれば褌要らんぞ、フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、ヘチマ愉快で嬉しいなあ、風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろうがな、何もかも嬉し真から楽しき世ざぞよ。誠がΘであるぞ、コトがΘであるぞ、元であるぞ、道であるぞ、一であるぞ二であるぞ。始めコトありと申してあろうがな、キであるぞ、まつりであるぞ。
十二月十九日、一二Θ 。
「この世と申しても臣民の世ばかりでないぞ、Θの世界も引っくるめて申しているのぢゃぞ、勇んでやって下されよ、勇むところこの方力添え致すぞ。心配顔この方嫌いぞ、歌唄い下されよ、笑いて下されよ、笑えば岩戸開けるぞ。今の人民キリキリ舞いしながらまだキリキリ舞いするようもがいて御座るぞ。土に返ると申してあろうがな、早う気づいた臣民人民楽になるぞ。」
神と人の世、表裏合わせ鏡です。「笑う門には福来る」思考をポジティブに明るく行動することで周囲の人たちにも良い影響を与え、ひいては自分に還って来ます。
「Θの守護と申すものは人民からはちっともわからんのであるぞ、わかるような守護は低いΘの守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、悪Θの守護でも大将の守護ともなれば人民にはわからんのざぞ、心せよ」
ご利益を求めて信心しているようではまだまだです。貴方が今生きていること自体がご利益なのですから、神様には、日々感謝の気持ちをもってお礼を申し上げましょう。
「どんなことあっても不足申すでないぞ、不足悪ざぞ、皆人民の心からぞとくどう申してあろうがな、人民、キから起こって来たのざぞ、我の難儀、我が作るのざぞ、我恨むよりほかないぞ、人民の心さえ定まったら、この方自ずから出て手柄立てさすぞ、手柄結構ざぞ。」
困難は自分が作り出すものです。もし、その心当たりがなければ、それは因縁です。因縁を取り除いているところなのです。
「この世のもの一切Θのものということまだわからんのか、一切取り上げられてから成程なァとわかったのでは遅いから、嫌がられても、くどう同じようなこと申しているのざぞ」
取り上げられても、取り上げられなくても惟神(かんながら)ですね。
「民の苦しみこの方の苦しみざぞ、人民もこの方も同じものざぞ、この道理わかりたか、この方人民の中にいるのざぞ、言分けて申しているのざぞ。」
人の中に神様はいらっしゃるのでしょう。「この方」は、貴方の中にいらっしゃるかもしれません。
「まだまだ大き戦烈しきぞ、これで世良くなると思っていると大間違いとなるのざぞ、これからが褌(ふんどし)ざぞ」
朝鮮戦争、ベトナム戦争、米ソ冷戦、イラン・イラク戦争、湾岸戦争等々、沢山の戦争がありました。
「善き世となれば褌要らんぞ、フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、ヘチマ愉快で嬉しいなあ、風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろうがな、何もかも嬉し真から楽しき世ざぞよ。」
日本の現在は、まさにこのヘチマ状態です。「善き世」なのでしょう。いつまで続くか分かりませんが。
「誠がΘであるぞ、コトがΘであるぞ、元であるぞ、道であるぞ、一であるぞ二であるぞ。始めコトありと申してあろうがな、キであるぞ、まつりであるぞ。」
九十(コト)が始めで一二(日月)となります。まコトです。苦です、足りです。口と心と行いです。
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