2018年01月05日
富士の巻 第22帖
まつりまつりと、くどう申して知らしてあるが、まつり合わしさえすれば、何もかも、嬉し嬉しと栄える仕組ぞ、悪も善もないのぞ、まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ、この道理わかりたか、まつりと申して
Θばかり拝んでいるようでは何もわからんぞ。
そんな我れ善しではΘの臣民とは申せんぞ、早うまつりてくれと申すこと、よく聞き分けてくれよ。
我が我がと思うているのはまつりていぬ証拠ぞ、鼻高となればポキンと折れると申してある道理よくわかろうがな、この御道は鼻高と取り違いが一番邪魔になるのぞ、と申すのは、慢心と取りちがいはまつりの邪魔になるからぞ。
ここまで分けて申さばよくわかるであろう、何事もまつりが第一ぞ。
八月二十九日、Θに一二Θ。
「まつり合わしさえすれば、何もかも、嬉し嬉しと栄える仕組ぞ、悪も善もないのぞ、まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ」
お互いに尊敬と愛情をもって接すれば、善も悪もなく、嬉し嬉しと栄える仕組ということでしょう。
なかなか難しいことですけどね。まずはご家庭や、職場で実践してみてください。
「Θばかり拝んでいるようでは何もわからんぞ。」
「そんな我れ善しではΘの臣民とは申せんぞ」
「我が我がと思うているのはまつりていぬ証拠ぞ」
「慢心と取りちがいはまつりの邪魔になるからぞ。」
自分だけが良いと思い、その私利私欲のために神様を拝むという行為は「まつりの邪魔」になるということだと思います。
Θばかり拝んでいるようでは何もわからんぞ。
そんな我れ善しではΘの臣民とは申せんぞ、早うまつりてくれと申すこと、よく聞き分けてくれよ。
我が我がと思うているのはまつりていぬ証拠ぞ、鼻高となればポキンと折れると申してある道理よくわかろうがな、この御道は鼻高と取り違いが一番邪魔になるのぞ、と申すのは、慢心と取りちがいはまつりの邪魔になるからぞ。
ここまで分けて申さばよくわかるであろう、何事もまつりが第一ぞ。
八月二十九日、Θに一二Θ。
「まつり合わしさえすれば、何もかも、嬉し嬉しと栄える仕組ぞ、悪も善もないのぞ、まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ」
お互いに尊敬と愛情をもって接すれば、善も悪もなく、嬉し嬉しと栄える仕組ということでしょう。
なかなか難しいことですけどね。まずはご家庭や、職場で実践してみてください。
「Θばかり拝んでいるようでは何もわからんぞ。」
「そんな我れ善しではΘの臣民とは申せんぞ」
「我が我がと思うているのはまつりていぬ証拠ぞ」
「慢心と取りちがいはまつりの邪魔になるからぞ。」
自分だけが良いと思い、その私利私欲のために神様を拝むという行為は「まつりの邪魔」になるということだと思います。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/7156000
この記事へのトラックバック