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2018年01月18日

地つ巻 第26帖

雨の日は傘いるのざと申して晴れたら要らぬのざぞ、その時その時の御用あるのざぞ、晴れた日とて傘要らぬのでないぞ、今御用ある臣民と、明日御用ある臣民とあるのざぞ、二歳(ふたつ)の時は二歳の着物、五歳(いつつ)は五歳、十歳(とう)は十歳の着物あるのざぞ。
十柱の御役もその通りざぞ、役変わるのぞ。
八月の十二日、ひつ九のか三。


「雨の日は傘いるのざと申して晴れたら要らぬのざぞ、その時その時の御用あるのざぞ、晴れた日とて傘要らぬのでないぞ」
御用は、その時々の状況で変わるということです。雨の日は雨傘、晴れの日は日傘というように。

「今御用ある臣民と、明日御用ある臣民とあるのざぞ、二歳(ふたつ)の時は二歳の着物、五歳(いつつ)は五歳、十歳(とう)は十歳の着物あるのざぞ。」
しかも、御用の役目を果たす臣民は、それぞれの段階でも入れ替わります。

「十柱の御役もその通りざぞ、役変わるのぞ。」
世の元からの活神様の十神(とおかみ)についても同様で、容れ物となる臣民は、その時々で変わるということです。

「八月の十二日」は旧暦です。西暦では9月28日となります(日本時間)。


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地つ巻 第25帖

新しくその日その日の生まれ来るのぞ、三日は三日、十日は十日の神殿(どの)守るのざぞ、時の神ほど結構な恐い神ないのざぞ、この方とて時節にはかなわんことあるのざぞ。
今日なれば九月の二十八日であるが、旧の八月十一日殿を拝みてくれよ。
二十八日殿もあるのざぞ。
何事も時待ちてくれよ、炒り豆にも花咲くのざぞ、この世では時の神様、時節を忘れてはならんぞ、時は神なりぞ。
何事もその時節来たのざぞ、時過ぎて種蒔(ま)いてもお役には立たんのであるぞ、草物言うぞ。
旧の八月の十一日、ひつ九か三。


時の神様は毎日変わられ、しかも旧暦、新暦ごとにいらっしゃるようです。十干十二支(じっかんじゅうにし)のことだと思われますが、そうであれば甲子から癸亥までの60柱となります。

「時の神ほど結構な恐い神ないのざぞ、この方とて時節にはかなわんことあるのざぞ。」
時を遡ってやり直すことはできないということだと思います。

「今日なれば九月の二十八日であるが、旧の八月十一日殿を拝みてくれよ。二十八日殿もあるのざぞ。」
正確に言うと昭和19年9月28日は、旧暦で8月12日となります。この1日のずれは何なんでしょう。
神様が間違えられるはずないので、こちらの方が気になります。日月神示の神様は日付変更線の向こう側?
それとも、新暦と西暦の差?

「何事も時待ちてくれよ、炒り豆にも花咲くのざぞ、この世では時の神様、時節を忘れてはならんぞ、時は神なりぞ。」
これは、国之常立大神が艮の金神として封印される時の「炒り豆に花咲く時に出て来い」という言葉に対応するものですが、時が来れば「炒り豆にも花咲く」ということです。

「何事もその時節来たのざぞ、時過ぎて種蒔(ま)いてもお役には立たんのであるぞ、草物言うぞ。」
時節が到来したので、種を蒔けよ、つまり準備しておけよ、やり直しきかんぞということです。


posted by mydears at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 地つ巻

地つ巻 第24帖

この方、明神とも現われているのざぞ、臣民守護のために現われているのであるぞ。
衣はくるむものであるぞ、くるむものとは、まつらうものぞ、Θの衣は人であるぞ、汚れ破れた衣ではΘは嫌ざぞ。
衣は何でもよいと申すようなものではないぞ、暑さ寒さ防げばよいと申すような簡単なものでないぞ。
今は神の衣なくなっている、九分九厘の臣民、Θの衣になれないのざぞ。
悪神の衣ばかりぞ、今に臣民の衣も九分九厘なくなるのざぞ、Θの国、霊の国と、この世とは合わせ鏡であるから、この世に映って来るのざぞ、臣民身魂洗濯してくれとくどう申してあろうがな、この道理よくわかりたか。
十月とは十(かみ)の月ぞ、❘(陽)と −(陰)との組みた月ぞ。
九月の二十八日、ひつ九のか三。


この「明神」という言葉は、「日本の民を救済するために現れた仏教の仏の化身である」という仏教由来のものですが、「鹿島大明神」「香取大明神」という戦神のことを言っているように思われます(本名はそれぞれ武甕槌大神、経津主大神)。

「衣は何でもよいと申すようなものではないぞ、暑さ寒さ防げばよいと申すような簡単なものでないぞ。」
「今は神の衣なくなっている、九分九厘の臣民、Θの衣になれないのざぞ。」
九分九厘はダメということは、わずか1%(1億人で100万人)しか神の衣になれないということです。

「悪神の衣ばかりぞ、今に臣民の衣も九分九厘なくなるのざぞ、Θの国、霊の国と、この世とは合わせ鏡であるから、この世に映って来るのざぞ」
神の世とこの世とは合わせ鏡ですから、神の衣が1%しかないので、臣民の衣も1%しかなくなるということです。つまり、Θは1%で、残り99%は〇(悪の衣)ということでしょう。

「十月とは十(かみ)の月ぞ、❘(陽)と −(陰)との組みた月ぞ。」
十月は神無月(かんなづき)ですね(出雲では神在月(かみありづき))。しかし、元の意味は、かみな月=神の月だそうです。十の字は縦棒と横棒の組み合わせで、縦が陽、横が陰だそうです。以前、ムウとアヤワのお話をしました。ヤが陽、ワが陰でした。多分ムが陽でウが陰なのでしょう。

日月神示でも、神を表す記号として、Θと✓の他、十が併用されています。

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2018年01月17日

地つ巻 第23帖

この神示、心で読みてくれよ、声出して読みてくれよ、病も治るぞ、草木もこの神示読みてやれば花咲くのざぞ。
この道広めるには、教会のようなものつとめてくれるなよ、集団(まどい)を作りてくれるなよ。
心から心、声から声、身体から身体へと広めてくれよ、世界中の臣民みなこの方の民ざから、早う伝えてくれよ。
神も人も一つであるぞ、考えていては何も出来ないぞ、考えないで思う通りにやるのが神のやり方ぞ、考えは人の迷いざぞ、今の臣民、身魂雲りているから考えねばならぬが、考えればいよいよと曇りたものになる道理わからぬか。
日暮れを気つけてくれよ。
日暮れ良くなるぞ。
日暮れに始めたことは何でも成就するようになるのざぞ、日暮れを日の暮れとばかり思うていると、臣民の狭い心で取りていると間違うぞ。
Θのくれのことを申すのざぞ。
九月二十八日、ひつ九のか三。


「この神示、心で読みてくれよ、声出して読みてくれよ、病も治るぞ、草木もこの神示読みてやれば花咲くのざぞ」
「この道広めるには、教会のようなものつとめてくれるなよ、集団(まどい)を作りてくれるなよ。」
これらは、何度か出て来ました。

「心から心、声から声、身体から身体へと広めてくれよ、世界中の臣民みなこの方の民ざから、早う伝えてくれよ。」
戦争中は無理でしたでしょうね。今は可能となりましたが、文化の土壌が違うのでなかなか難しいですね。

「神も人も一つであるぞ、考えていては何も出来ないぞ、考えないで思う通りにやるのが神のやり方ぞ、考えは人の迷いざぞ、今の臣民、身魂雲りているから考えねばならぬが、考えればいよいよと曇りたものになる道理わからぬか」
まず、日本を好きになってもらうことから始めないといけませんね。日本には宗教的な感情の対立がないのが強みです。

「日暮れを気つけてくれよ。日暮れ良くなるぞ。日暮れに始めたことは何でも成就するようになるのざぞ、日暮れを日の暮れとばかり思うていると、臣民の狭い心で取りていると間違うぞ。Θのくれのことを申すのざぞ。」
これは、難問です。正直言ってよく分かりません。
「Θのくれのことを申すのざぞ」ですから、もしかしたら、明治以降の国家神道で神格化された天皇の「現人神(あらひとがみ)」にこだわり過ぎるなよということかもしれません。当時、公然と批判すると不敬罪となりましたので、奥歯にもののはさまったような言い方しかできなかったのかもしれません。

日暮れが終戦後の日本のことだとすると、以前出て来た「夕方よくなるぞ」とも共通点を持ちます。
つまり、夜になる前の最後の輝きを日本が放つぞという意味かもしれません。
我々は、バブル崩壊後の日本を「失われた20年」といっていますが、夜は明けたのでしょうか、それとも、まだまだ夕方は続いているのでしょうか。



posted by mydears at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 地つ巻

地つ巻 第22帖

我が助かろと思うたら助からぬのざぞ、その心我善しざぞ。
身魂磨けた人から救うてやるのざぞ、Θうつるのざぞ、身魂曇りた人にも〇はうつるのざぞ、Θのうつりた人と〇の憑かりた人との大戦ぞ、✓ と〇とが戦して、やがては✓ を中にして〇がおさまるのぞ。
その時は〇は〇でなく、✓も✓でないのざぞ、Θとなるのざぞ、✓と〇のまつりぞと申してあろうがな。
どちらの国も潰れるところまでになるのぞ、人民同士はもう戦かなわんと申しても、この仕組成就するまでは、Θが戦やめさせんから、Θがやめるわけに行かんから、今やめたら、またまた悪くなるのぞ、〇の世となるのぞ、〇の世界となるのぞ、今の臣民九分通り〇になりているぞ、早う戦済ませてくれと申しているが、今、夜明けたら、臣民九分通り無くなるのざぞ。お洗濯第一ざぞ。
九月二十六日、ひつ九のか三。


自分だけ助かろうと思う心が「我善し」なので助からないということです。

「身魂磨けた人から救うてやるのざぞ、Θうつるのざぞ」
「身魂曇りた人にも〇はうつるのざぞ」
身魂磨けた人には神がうつり、身魂曇った人には〇=悪(幽界)がうつるということです。

「Θのうつりた人と〇の憑かりた人との大戦ぞ、✓ と〇とが戦して、やがては✓ を中にして〇がおさまるのぞ。」
「その時は〇は〇でなく、✓も✓でないのざぞ、Θとなるのざぞ、✓と〇のまつりぞと申してあろうがな。」
日本と米国の戦争ではなく、最終的には、善と悪との戦争(日本の中にも悪がいて、米国の中にも善がいる)になるということです。

「どちらの国も潰れるところまでになるのぞ、人民同士はもう戦かなわんと申しても、この仕組成就するまでは、Θが戦やめさせんから、Θがやめるわけに行かんから」
終戦直前に、本土決戦主張派の軍人が、戦争をやめるかクーデターを起こす(戦争継続)かどうかのお伺いを日月神示の神に尋ねたところ、「クーデター」はならんとの答えがありました。
それまでに、何らかの状況の変化があったと思われます。臣民のお洗濯が済んでいなかったからでしょうか。

「今やめたら、またまた悪くなるのぞ、〇の世となるのぞ、〇の世界となるのぞ」
確かにそうなっています。

「今の臣民九分通り〇になりているぞ、早う戦済ませてくれと申しているが、今、夜明けたら、臣民九分通り無くなるのざぞ。お洗濯第一ざぞ。」
今も、その状況は続いています。臣民のお洗濯は進むどころか益々汚れ続けています。


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地つ巻 第21帖

神界のことは現界ではなかなかにわかるものでないということわかりたら、神界のことわかるのであるぞ。
一に一足すと二となるというソロバンや物差しでは見当取れんのざぞ。
今までの戦でも、神が蔭から護っていることわかるであろうがな、あんな者がこんな手柄立てたと申すことあろうが、臣民からは阿呆に見えても、素直な人にはΘが憑かりやすいのであるから、早う素直に致してくれよ。
海の津波気をつけてくれ、前に知らしてやるぞ。
九月二十五日、ひつ九か三。


神界がどうなっているかなんて分かりませんが、「わかるものでない」ということが分かったら、「神界のことわかる」というのはどういうことでしょう。常識では計り知れないということでしょうが。

「一に一足すと二となるというソロバンや物差しでは見当取れんのざぞ。」
例えば、「大きなリンゴ」1個と「小さなリンゴ」1個があったとします。合わせていくつですか?
答えは2個ですね。では、その体積は2倍になりましたか?答えはNoですね。
つまり、定義次第で答えはどうとでもなるということです。
「神」と「人間」が合わさると2になりますか?答えは、分かりません。そういうことだと思います。
日月神示では「千人力」とか「万人力」とも書いてありますが、それも答えの一つだと思います。

「今までの戦でも、神が蔭から護っていることわかるであろうがな、あんな者がこんな手柄立てたと申すことあろうが、臣民からは阿呆に見えても、素直な人にはΘが憑かりやすいのであるから、早う素直に致してくれよ。」
これもその例の一つであると思います。
太平洋戦争時にも不死身といわれた方がいらっしゃったとか。舩坂 弘(ふなさか ひろし)でググってみてください。真偽のほどは存じませんので、あしからず。

「海の津波気をつけてくれ、前に知らしてやるぞ。」
M7.9のプレート境界型巨大地震、昭和東南海地震が、1944年(昭和19年)12月7日に起きました。熊野灘が震源で、東海地域の軍需工場が壊滅的な打撃を受けたとあります。
2か月以上前の警告です。因みに「九月二十五日」は旧暦で8月9日です。

鳥取地震、三河地震、南海地震と合わせて、太平洋戦争終戦前後における「4大地震」と云われています。
 鳥取地震    M7.2 昭和18年 9月10日(旧暦 8月11日)
 昭和東南海地震 M7.9 昭和19年12月 7日(旧暦 10月22日)
 三河地震    M6.8 昭和20年 1月13日(旧暦 11月30日)
 南海地震    M8.0 昭和21年12月21日(旧暦 11月28日)


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地つ巻 第20帖

世界に変わりたこと出来たら、それはΘΘ様の渡られる橋ぞ。
本清めねば末は清まらんぞ、根断ちて葉繁らんぞ、元の種が大切ざぞ、種は元から選り分けてあるのざぞ。
せんぶり苦いぞ。
九月二十四日、ひつ九のか三。


これまた、わけの分からない文章ですね。(笑)

「世界に変わりたこと出来たら、それはΘΘ様の渡られる橋ぞ。」
局地的な異常気象や異常現象は多々ありますが、「世界」ですからね。しかも「橋」です。
インターネットのことでしょうか、それなら、世界中の情報が共有できますし、発信もできますからね。
または、グローバリゼーションでしょうか。世界中の労働力や物資の移動が活発化します(文化や伝統も根絶やしになりますが)。

「本清めねば末は清まらんぞ、根断ちて葉繁らんぞ、元の種が大切ざぞ、種は元から選り分けてあるのざぞ。」
これは、今までの記載から考えて、「日本人」が元の種となります。日本人がまず改心しないと世界も改心しないし、日本が滅亡したら、世界も繁栄しないということでしょう。

「せんぶり苦いぞ。」
「千振(センブリ)」は、薬草として日本で利用されてきました。ゲンノショウコ、ドクダミと共に日本の三大民間薬の一つです。熊野路を代表する花でもあり、「千回振出してもまだ苦い」最も苦い生薬(ハーブ)といわれています。「腹痛を治し、虫を殺す」とされています。
虫(寄生虫)下しのこととすると、「日本人の中の寄生虫を殺すぞ」ということだと思われます。

また、「ヨハネの黙示録」にも、「第三の御使がラッパを吹き鳴らすと、苦よもぎというたいまつのように燃えている大きな星が落ちて、水の3分の1が苦くなり、そのため多くの人が死ぬ」という記述があります。
これは、チェルノブイリ原発の事故のことではないかと云われていますが、その後、福島原発でも同様の事故が起こっています。この「苦よもぎ」も殺虫剤として使われており、「せんぶり」との類似性が際立ちます。
その他、ヨハネの黙示録の記載内容についても日月神示との類似性が多々あるので、いずれ検証してみたいと思っています。



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地つ巻 第19帖

世成り、神国の太陽足り満ちて、皆みち足り、神国の月神、世をひらき足り、弥栄にひらき、月光、総てはみち、結び出づ、道は極みに極む、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)、弥栄々々ぞ、神、仏、耶(や)、ことごと和し、和して足り、太道ひらく永遠、富士は晴れたり、太神は光り出づ、神国のはじめ。
九月二十四日、一二Θふみ。


月の神様のお働きで世が開く、「ヤサワ」の世界を暗示しています。
神道も仏教もキリスト教も統合され、「太神」によって、永遠に統治されるということでしょう。

後で、原文を検証してみます。


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2018年01月16日

地つ巻 第18帖 修正しました

我れ善しの政治ではならんぞ、今の政治経済は我れ善しであるぞ。
臣民のソロバンで政治や経済してならんぞ、Θの光のやり方でないと治まらんぞ、与える政治がまことの政治ぞよ、臣民勇む政治とは、上下まつろい合わす政治のことぞ、Θ(日)の光ある時は、いくら曇っても闇ではないぞ、いくら曇っても悪が妨げても昼は昼ぞ、いくら灯りつけても夜は夜ぞ、Θのやり方は日の光と申して、くどう気つけてあろうがな。
政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、政事でないぞ。
Θの臣民、魂と肉体の別ないと申してあることわからぬか、Θのやり方は人の身魂(からたま)、人のはたらき見ればすぐわかるでないか。
肚にチャンとΘ鎮まっておれば何事も箱さしたように動くのざぞ、いくら頭が偉いと申して、胃袋は頭の言う通りには動かんぞ、この道理わかりたか、ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。
Θの政治はやさしい難しいやり方ぞ、高きから低きに流れる水のやり方ぞ。
Θの印つけた悪来るぞ。
悪の顔したΘあるぞ、飛行機も船も臣民もみな同じぞ、足元に気つけてくれよ、向こうの国はちっとも急いではおらぬのぞ、自分で目的達せねば子の代、子で出来ねば孫の世と、気長くかかりているのざぞ、Θの国の今の臣民、気が短いからしくじるのざぞ、しびれ切らすと立ち上がれんぞ、急いではならんぞ、急がねばならんぞ。
Θの申すこと取り違いせぬようにしてくれよ。
よくこの神示読んでくれよ、元の邪気凝りて湧いて出た悪の種は、邪鬼と大蛇(おろち)と四ツ足となって、邪鬼には二本の角、大蛇は八ッ頭、八ッ尾、四ツ足は金毛(きんもう)であるから気つけておくぞ。
四ツ足は女に憑いて化けているから、守護神殿、臣民殿、騙されぬように致して下されよ。
九月二十三日、あの、ひつ九のか三。


「我れ善しの政治ではならんぞ、今の政治経済は我れ善しであるぞ。」
完全にそうなってます。

「Θの光のやり方でないと治まらんぞ、与える政治がまことの政治ぞよ」
神でないと「与える政治」はできないでしょうね。現在できているのは、資源のあるアラブ首長国連邦とブルネイくらいでしょう。国民満足度トップのブータンも軍事をインドに頼っているのが現実ですし。

「臣民勇む政治とは、上下まつろい合わす政治のことぞ」
日本で一番それに近かったのが「一億総中流社会」でしたが、累進課税が縮小され、グローバルスタンダードに蹂躙(じゅうりん)され、BIS規制で追い詰められ、急激なバブル破壊でとどめを刺されました。
それでも世界最大の債権国のままなのですが、政府の負債は1,000兆円となりました(国全体で考えればまだ余裕があるようです。それが証拠に円は世界の安全資産のままです)。

「Θ(日)の光ある時は、いくら曇っても闇ではないぞ、いくら曇っても悪が妨げても昼は昼ぞ、いくら灯りつけても夜は夜ぞ、Θのやり方は日の光と申して、くどう気つけてあろうがな。」

「政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、政事でないぞ。Θの臣民、魂と肉体の別ないと申してあることわからぬか、Θのやり方は人の身魂(からたま)、人のはたらき見ればすぐわかるでないか。」
政治と経済は一体不可分です。それを分けて考えようという「甘い誘惑」に乗ってはいけません(外交上、乗ったふりをして乗らないのはありです。但し、言霊には気をつけましょう。言質を取られます)。

「肚にチャンとΘ鎮まっておれば何事も箱さしたように動くのざぞ」

「いくら頭が偉いと申して、胃袋は頭の言う通りには動かんぞ、この道理わかりたか、ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。」
食糧の安定供給確保は至上命題です。だからといって、安全性の低い食物やカントリーリスクのある国からの輸入に頼り切ることはダメですよということでしょう。

「Θの政治はやさしい難しいやり方ぞ、高きから低きに流れる水のやり方ぞ。」
おっ、現在の「トリクルダウン」ですね。今の所、上手くいっていないようですが。
途中にダムがあったり、外国へ流出したりで流れて来にくくなってますものね。

「Θの印つけた悪来るぞ。悪の顔したΘあるぞ、飛行機も船も臣民もみな同じぞ、足元に気つけてくれよ」
これは、現代のことでしょうか。
        Θの印つけた悪          悪の顔したΘ
飛行機    商売目的の戦闘機        国土防衛に必要な戦闘機
船      商売目的のイージス       ミサイル防衛に必要なイージス
臣民     外国の言いなり勢力       軍隊のような自衛隊
足元は、国民感情。それから外国からの不法入国者。もしかすると、盤石だと思っている米国との安全保障体制。

「向こうの国はちっとも急いではおらぬのぞ、自分で目的達せねば子の代、子で出来ねば孫の世と、気長くかかりているのざぞ」
神の国は急いでないようです。戦後72年を経過しました。(誤)
向こうの「国」で子の代、孫の代ですから、これはC国のことですね。ご明察、おみそれしました。


「Θの国の今の臣民、気が短いからしくじるのざぞ、しびれ切らすと立ち上がれんぞ、急いではならんぞ、急がねばならんぞ。」
間に合うように準備はしておけよということでしょう。(誤)
挑発に乗らないで、しっかり準備して守れよということでしたね。
72年も前から、何でもお見通しなんですね。

「元の邪気凝りて湧いて出た悪の種は、邪鬼と大蛇(おろち)と四ツ足となって、邪鬼には二本の角、大蛇は八ッ頭、八ッ尾、四ツ足は金毛(きんもう)であるから気つけておくぞ。四ツ足は女に憑いて化けているから、守護神殿、臣民殿、騙されぬように致して下されよ。」
大蛇     八ッ頭、八ッ尾
邪鬼     二本の角
四ツ足    金毛の女性です。
国名は、はばかられるので、敢えて言いません。想像してください。


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地つ巻 第17帖

まことの善は悪に似ているぞ、まことの悪は善に似ているぞ、よく見分けなならんぞ。
悪の大将は光り輝いているのざぞ、悪人はおとなしく見えるものぞ。
日本の国は世界の雛型(ひながた)であるぞ、雛型でないところは真のΘの国でないから、よほど気つけておりてくれよ、一時は敵となるのざから、ちっとも気許せんことぞ、Θがとくに気つけておくぞ。
今は日本の国となりても、Θの元の国でないところもあるのざから、雛型よく肚に入れておりて下されよ。
後悔間に合わんぞ。
九月二十三日、ひつ九のΘ。


この文章は、深い意味を内蔵しているようです。
まず、分かり易い所から解読して行きましょう。

「日本の国は世界の雛型(ひながた)であるぞ、雛型でないところは真のΘの国でないから、よほど気つけておりてくれよ」
これは、日本の形が世界の形に対応しているというものです。
北海道・樺太が南北アメリカ、本州がユーラシア大陸、四国がオーストラリア、九州がアフリカです。
この当時の「雛型でないところは真のΘの国でないから」は、満洲国、中国の沿岸部、朝鮮半島、台湾、東南アジア、太平洋諸島が該当します。やはり出て行くべきではなかったようです。

「一時は敵となるのざから、ちっとも気許せんことぞ」
「今は日本の国となりても、Θの元の国でないところもあるのざから、雛型よく肚に入れておりて下されよ。」
これは、中国、北朝鮮、韓国のことでしょうか。現在、まさにその通りの展開となっております。
1944年ですから、74年前の予言ですよ。驚きです。ちょっと、後悔してますが、今ならまだ間に合います。
今のうちに対策しておきましょう。

「後悔間に合わんぞ。」


さて、前半部です。

「まことの善は悪に似ているぞ、まことの悪は善に似ているぞ、よく見分けなならんぞ。」
例えば、親が子供を躾ける、先生や先輩が厳しく指導する。単なるうさ晴らしの場合もありますが、本当に本人のためを思っての行為であれば、それは「悪」に似た「善」でしょう(やり過ぎは「悪」ですけどね)。逆に、単に優しいふりをしているだけならば、それは「甘やかす」ということであり、「善」に似た「悪」でしょう(本当に優しい場合もありますが)。
もちろん、教えられる方にも個人差があり、「ほめて伸びるタイプ」と「しかって伸びるタイプ」がありますから、ケース・バイ・ケースで違いますが、それを「よく見分けなならんぞ。」ということでしょう。

また、詐欺師は見た目では「善人」ですが、心の中は「悪」です。それが商売ですから。
人と人の付き合い方でも、だいたい蔭口をたたく人は要注意です(自分も他人に言われていると思いましょう)。逆に、本人のいない所でその人をほめる人は信頼できます。

女性によくあるのが「自分だけに優しいから好き」という人ですが、大間違いです。貴方だけに優しいのは下心があるから。そのうち、優しくしてくれるのは、他の誰かになります。男女問わず誰にでも優しい人を選びましょう(かといって、だらしないのはダメですよ)。

お相手のご両親を見てみましょう。お相手が男性ならばお父さん、女性ならお母さんを見れば、それが20年後のお相手の姿です。但し、外見ではなく内面をよく観察してくださいね。


「悪の大将は光り輝いているのざぞ、悪人はおとなしく見えるものぞ。」
これですね。現在「光り輝いて」いて「おとなしく見える」政治家は存在しません。
誰もが「素晴らしい」と思うような人物が、実は「一番危険」な人物だということでしょう。
今後も、注意深く見守って行きましょう。
そのうち、「悪の大将」が姿を現すでしょう。


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地つ巻 第16帖

Θが臣民の心の中に宝いけておいたのに、悪に負けて汚してしもうて、それで不足申していることに気づかんか。
一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようが我さえよけらよいと申しているでないか。
それはまだよいのぞ、Θの面かぶりて口先きばかりで神様神様、てんし様てんし様と申したり、頭下げたりしているが、こんな臣民一人もいらんぞ、いざという時は尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ、犬猫は正直でよいぞ、こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しぞ。
Θの申したこと一分一厘違わんのざぞ、その通りになるのざぞ。
上に唾(つばき)すればその顔に落ちるのざぞ、時節ほど結構な恐いものないぞ、時節来たぞ、慌てずに急いで下されよ。
世界中唸(うな)るぞ。
陸が海となるところあるぞ。
今に病神(やまいがみ)の仕組にかかりている臣民苦しむ時近づいたぞ、病はやるぞ、この病は見当とれん病ぞ、病になりていても、人もわからねば我もわからん病ぞ、今に重くなりて来るとわかりて来るが、その時では間に合わん、手遅れぞ。
この方の神示よく肚に入れて病追い出せよ、早うせねばフニャフニャ腰になりて四ツン這(ば)いで這い廻らなならんことになると申してあろうがな、Θの入れものワヤにしているぞ。
九月二十三日、ひつ九のか三。


「Θが臣民の心の中に宝いけておいたのに、悪に負けて汚してしもうて、それで不足申していることに気づかんか。一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようが我さえよけらよいと申しているでないか。」
地震や津波などの被災地にボランティアに行かれる方もたくさんいて、まだまだ日本も捨てたもんじゃないなと思うこともありますが、自分を振り返るとなかなか「我」が捨てられないことにつらい思いがします。

「それはまだよいのぞ、Θの面かぶりて口先きばかりで神様神様、てんし様てんし様と申したり、頭下げたりしているが、こんな臣民一人もいらんぞ」
痛いですね〜。排除しないで〜(笑)

「いざという時は尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ」
それはないな。できる限り、戦いますよ〜。

「犬猫は正直でよいぞ、こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しぞ。」
犬はともかく、猫は逃げ出すでしょう。正直ではありますが。

「Θの申したこと一分一厘違わんのざぞ、その通りになるのざぞ。」
そこまで言われると、自信がなくなりますが。(笑)

「上に唾(つばき)すればその顔に落ちるのざぞ」
いわゆるブーメランというやつですね。伝統芸にしていらっしゃる人たちもいらっしゃいますが。(笑)

「時節ほど結構な恐いものないぞ、時節来たぞ、慌てずに急いで下されよ。」

「世界中唸(うな)るぞ。陸が海となるところあるぞ。」
世界規模での津波災害でしょうか。

「今に病神(やまいがみ)の仕組にかかりている臣民苦しむ時近づいたぞ、病はやるぞ、この病は見当とれん病ぞ、病になりていても、人もわからねば我もわからん病ぞ、今に重くなりて来るとわかりて来るが、その時では間に合わん、手遅れぞ。」
エイズがその代表格ですね。その他、鳥インフルエンザ、SARS、エボラ出血熱等々、新しい病気が次々と生まれてますね。病神の仕組でしたか。ただ、この時点で考えると、放射能障害のことでしょうね。

将来的には、旧約聖書の「エジプトに対する十の災い」のようなことが起こるのかもしれませんね。

「Θの入れものワヤにしているぞ」
この文章からは、薬物、抗生物質、環境ホルモン、大気汚染、水質汚染、もしかしたら遺伝子組み換え食品などの人体に影響を及ぼす物質の摂取のことを言っているのかもしれません。


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地つ巻 第15帖

Θの国の上(かみ)の役員にわかりかけたらバタバタに埒(らち)つくなれど、学や智が邪魔してなかなかにわからんから、くどう申しているのざぞ。
臣民物言わなくなるぞ、この世の終わり近づいた時ぞ。
石、物言う時ぞ。
神の目には外国も日本(やまと)もないのざぞ。
みながΘの国ぞ。
七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせんぞ、一つの王で治めさすぞ。
てんし様が世界みそなわすのざぞ。
世界中の罪負いておわしますスサノオの大神様に気づかんか、盲、聾ばかりと申してもあまりでないか。
九月二十三日、ひつ九のか三。


「Θの国の上(かみ)の役員にわかりかけたらバタバタに埒(らち)つくなれど、学や智が邪魔してなかなかにわからんから、くどう申しているのざぞ。」
これは、当時の為政者、軍部、知識階級の人たちのことを言っているのでしょう。
現代でも科学絶対主義者は、その考え方自体が「宗教的」だということに気が付いていません。(笑)
アインシュタインや多くの物理学者は神の存在を否定していません。

「臣民物言わなくなるぞ、この世の終わり近づいた時ぞ。石、物言う時ぞ。神の目には外国も日本(やまと)もないのざぞ。」
これは、日本人が全て死に絶えてしまうぞということでしょう。「石」は、意志とか意思のことでしょう。前にも「石物言う時来るぞ、草物言う時来るぞ。」という文章がありました。その時は、「一番神に近い所にいる石や草が光り輝く(物言う)時が来るぞということでしょう。」と述べさせて頂きました。
もしかしたら、「墓石」と「草」しか残らないぞということかもしれませんが。(笑)


「みながΘの国ぞ。七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせんぞ、一つの王で治めさすぞ。」
ここでは「日本は別として七つの国で治めるぞ」という文章に対応している言葉だと思います。
王をたくさん作るとまた争い始めるので、そうはさせないぞということでしょう。

「八王」は、祇園牛頭天王の8人の王子だったり、天照大神と須佐之男命の誓約時に出現した5男3女神のことだと言われたりします。祇園牛頭天王は、実は須佐之男命のことで、その王子は「大歳神(たいさいじん)、大将軍神、大陰神、歳刑神(さいぎょうじん)、歳破神、歳殺神、黄幡神(おうばんしん)、豹尾神(ひょうびしん)の八将神」とされています。このうち「大歳神」(おおとしかみ)は大和国を作った「饒速日命」で本家「天照大神」であるというお話は以前いたしました。「恵方巻」の恵方にいらっしゃる方です。
面白いのは、この「大歳神」(歳徳神とも、とんどさんとも言われます)も女神として描かれていることです。

「てんし様が世界みそなわすのざぞ。世界中の罪負いておわしますスサノオの大神様に気づかんか」
ついに出て来ました。真打ちのご登場です。「てんし様」が「スサノオの大神様」かどうかは定かではありませんが、少なくとも、「三千世界の立て直し」の中心人物であることは確かです。「アヤワ」の世界から「ヤサワ」の世界に移りますが、その中心の「ヤ」です。

「世界中の罪負いておわします」という表現は「イエス・キリスト」にも似ていますね。

また、そのうち、そんなお話が出て来ます。


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地つ巻 第14帖

この道わかりた人から一柱でも早う出て参りて神の御用なされよ。
何処におりても御用はいくらでもあるのざぞ。
神の御用と申して、稲荷下げや狐憑きの真似はさせんぞよ。
この道は厳しき道ざから楽な道なのぞ。
上にも下にも花咲く世になるのざぞ、後悔は要らぬのざぞ。
上(かみ)は見通しでないとカミでないぞ、今のカミは見通しどころか目ふさいでいるでないか。
蛙(かえる)いくら鳴いたとて夜明けんぞ。
赤児になれよ、ごもく(汚い心)捨てよ、その日その時から顔まで変わるのざぞ、Θ烈しく結構な世となりたぞ。
九月二十三日、ひつ九のか三。


「この道わかりた人から一柱でも早う出て参りて神の御用なされよ。何処におりても御用はいくらでもあるのざぞ。」
ですって、みなさん!
このブログを読んで下さっているのも何かのご縁でしょう。とりあえず、お近くの神社で「感謝の心」でお礼申し上げてみてください。それから、毎日を「感謝の心」で過ごすように努力してみてください。他人や家族に「優しく」してみてください。それだけでも、日々の生活が変わるかもしれませんよ。

「神の御用と申して、稲荷下げや狐憑きの真似はさせんぞよ。この道は厳しき道ざから楽な道なのぞ。」
変な宗教に騙されないようにしてくださいね。騙されないコツは「お金」を要求されるかどうかで判断できると、前に申し上げましたよね。

「上にも下にも花咲く世になるのざぞ、後悔は要らぬのざぞ。」
未来志向で良いそうです。これからどうするかです。

「上(かみ)は見通しでないとカミでないぞ、今のカミは見通しどころか目ふさいでいるでないか。
蛙(かえる)いくら鳴いたとて夜明けんぞ。」
上は素直に「神」でしょうね。神といってもいろいろあって、ニセの神や畑違いの神もあるので、騙されないように正神を祀ってくださいということでしょう。

「赤児になれよ、ごもく(汚い心)捨てよ、その日その時から顔まで変わるのざぞ」



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2018年01月15日

地つ巻 第13帖

赤い眼鏡かければ赤く見えると思うているが、それは相手が白い時ばかりぞ、青いものは紫に映るぞ。
今の世は色とりどりの眼鏡とりどりざから見当とれんことになるのざぞ、眼鏡はずすに限るのぞ、眼鏡はずすとは洗濯することざぞ。
上ばかり良くてもならず、下ばかり良くてもならんぞ。
上も下も天地揃うて良くなりて、世界中の臣民、獣まで安心して暮らせる新(さら)の世に致すのざぞ、取り違えするなよ。
九月二十三日、一二Θ。


目が曇っていては、あるものが別のものに見えてしまうということです。身魂が磨けていれば、取り違いないそうです。

現代社会でも、どこをどう解釈したら、そういう結論になるのかと思うことが多々あります。
みなさん「色とりどりの眼鏡」をかけて、いろいろな「色」を見ていらっしゃるので、そうなってしまうのでしょうね。

見えていればまだ良いのですが、「赤」い眼鏡で「赤」を見ると何も見えなくなってしまう方もいらっしゃるようですね。それとも「金」に見えるのでしょうか。(笑)


「上ばかり良くてもならず、下ばかり良くてもならんぞ。」
「上も下も天地揃うて良くなりて、世界中の臣民、獣まで安心して暮らせる新(さら)の世に致すのざぞ」
三千世界の大建て替えですから、上も下も全ての天地を安心して住みやすい世の中に作り変えるぞということでしょう。


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地つ巻 第12帖

この道は道なき道ざぞ。
天理も金光も黒住も今は魂抜けておれど、この道入れて生きかえるのぞ。
日蓮も親鸞も耶蘇も何もかもみな脱け殻ぞ。
この道で魂入れてくれよ、この道は✓、〇の中に✓ 入れてくれと申してあろうが。
臣民も、世界中の臣民も国々も、みな同じことぞ、✓ 入れてくれよ。
〇を掃除しておらぬと✓入らんぞ、今度の戦は〇の掃除ぞと申してあろうがな、まつりとは、まつり合わすことと申してあろうがな、この道は教えでないと言うてあろうが、協会や他の集いでないと申してあろうがな、人集めてくれるなと申してあろうがな。
世界中の臣民みな信者と申してあろうが、この道は道なき道ぞ、時なき道ぞ、光ぞ。
この道でみな生き返るのざぞ。
天明(岡本天明)阿保(あほう)になりてくれよ、我捨ててくれよ、神憑かるのに苦しいぞ。
九月二十二日、あの一二Θ。


「この道は道なき道ざぞ。」
「天理も金光も黒住も今は魂抜けておれど、この道入れて生きかえるのぞ。」
「日蓮も親鸞も耶蘇も何もかもみな脱け殻ぞ。」
「この道で魂入れてくれよ、この道は✓、〇の中に✓ 入れてくれと申してあろうが。」
「臣民も、世界中の臣民も国々も、みな同じことぞ、✓ 入れてくれよ。」
この道は道なき道、未知なき道、三千(世界)なき満ち、いろんな解釈が出来そうです。少なくとも言えるのは、この道は「✓」、「〇の中に✓ 入れる」ということ。
天理、金光、黒住、日蓮、親鸞、耶蘇を始め何もかも、「✓」が入っていないということだそうです。

「〇を掃除しておらぬと✓入らんぞ、今度の戦は〇の掃除ぞと申してあろうがな」
「まつりとは、まつり合わすことと申してあろうがな」

「この道は教えでないと言うてあろうが、協会や他の集いでないと申してあろうがな、人集めてくれるなと申してあろうがな。」
この道は教えではなく、実践だということです。神が助けてくれるのではなく、自分が自分を助けるそうです。神が助かるのだそうです。

「世界中の臣民みな信者と申してあろうが、この道は道なき道ぞ、時なき道ぞ、光ぞ。」
世界中の誰もが、この道なき道を歩むことが出来るそうです。
「道なき道ぞ、時なき道ぞ、光ぞ。」の意味は、地球に絶えず降り注ぐ光のように、方法、方位、方角、時間にかかわらず常に与えられている「道」だということだと思います。
別の場所で「光」は「曲がっているのぞ、真っ直ぐぞ」という記載もあるので、光が直進しながら波の性質を持って進むということを「道」に例えているとも思われます。

「この道でみな生き返るのざぞ。」


「天明(岡本天明)阿保(あほう)になりてくれよ、我捨ててくれよ、神憑かるのに苦しいぞ。」

「あの一二Θ」は珍しいですね。



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地つ巻 第11帖

世界丸めて一つの国とするぞと申してあるが、国はそれぞれの色の違う臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。
その心々によりて、それぞれの教え作らすのぞ。
旧きものまかりて、また新しくなるのぞ、その心々の国と申すは、心々の国であるぞ、一つの王で治めるのざぞ。
天津日嗣(ひつぎ)の皇子様が世界中照らすのぞ。
地のひつきの御役も大切の御役ぞ。
道とは三つの道が一つになることぞ、満ち満つ事ぞ、元の昔に返すのざぞ、修理固成(つくりかため)の終わりの仕組ぞ、終わりは始めぞ、始めは一(霊 ひ)ぞ。
富士、都となるのざぞ、幽界(がいこく)行きは外国行きぞ。
Θの国、光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光りによりて、その御役、位、わかるのざから、ミロクの世となりたら何もかもハッキリして嬉し嬉しの世となるのぞ、今の文明なくなるのでないぞ、魂入れて、いよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四つ足もみな歌うこととなるのぞ、御光にみな集まりて来るのざぞ、てんし様の御光はΘの光であるのだぞ。
九月二十日と一日、一二か三。


「国はそれぞれの色の違う臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。」
これは人種ではなくオーラの色ごとに国が出来るという意味でしょう。7つの国ですから、青、赤、黄、白、黒の五色の他に2色ですが、五色が木火土金水に対応するので、残りは日と月の金と銀でしょうか。

「その心々によりて、それぞれの教え作らすのぞ。」
「旧きものまかりて、また新しくなるのぞ、その心々の国と申すは、心々の国であるぞ」
全て心の磨けた人ばかりですから、オーラの色ごとに若干の性質の差があって、「それぞれの教え」が存在するということなのでしょう。

「天津日嗣(ひつぎ)の皇子様が世界中照らすのぞ。地のひつきの御役も大切の御役ぞ。」
「天津日嗣の皇子」は、おそらく天皇家のご先祖、「地のひつき」は天皇陛下だと思います。

「道とは三つの道が一つになることぞ、満ち満つ事ぞ、元の昔に返すのざぞ、修理固成(つくりかため)の終わりの仕組ぞ、終わりは始めぞ、始めは一(霊 ひ)ぞ。」
「三つの道」とは、元の昔が一つだったわけですから、「天、地、人」でしょうね。修理固成の終わりの仕組では、天地人が一つとなって、霊(ひ)となり、二、三、四と開いていくのでしょうね。
別の場所では、「Θ国の道」「外国の道」「世界の道」が三つの道ぞと述べられている箇所もありますのでご紹介しておきます。

「富士、都となるのざぞ、幽界(がいこく)行きは外国行きぞ。」

「Θの国、光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光りによりて、その御役、位、わかるのざから」
これが、上述のオーラの色だと思います。

「ミロクの世となりたら何もかもハッキリして嬉し嬉しの世となるのぞ」

「今の文明なくなるのでないぞ、魂入れて、いよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四つ足もみな歌うこととなるのぞ」
良かったですね〜。文明は残っていました。ゲームはどうかなぁ。(笑)

「御光にみな集まりて来るのざぞ、てんし様の御光はΘの光であるのだぞ。」


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地つ巻 第10帖

何事も方便と申して自分勝手なことばかり申しているが、方便と申すものΘの国には無いのざぞ。
まことがことぞ、まのことぞ、言霊ぞ。
これまでは方便と申して逃げられたが、もはや逃げること出来ないぞ、方便の人々、早う心洗いてくれよ、方便の世は済みたのざぞ、今でも仏の世と思うているとビックリが出るぞ、Θの国、元のΘがスッカリ現われて富士の高嶺から天地(あめつち)へ祝詞するぞ、岩戸閉める御役になるなよ。
九月二十日、ひつ九のか三。


言霊が存在する限り、方便も嘘はうそということのようです。
「まことがことぞ、まのことぞ」ということですから、誠が真の言だということです。
以前、「九十(こと)に気づけよ」という九十を「古都・京都」であると申しましたが、「誠」に気づけよという意味だったかもしれません。いずれにせよ、神の言葉はたくさんの意味を持つということもありますから、その全てかもしれません。

「今でも仏の世と思うているとビックリが出るぞ」
日本人には仏教が深く根付いています。先祖を敬う行為自体も何ら悪いわけではないと思います。
ただ、最終的に「神上がり」することを目指しているわけですから、「仏(菩薩=修業中の身)になる」より上位のことを言っているのかもしれません(菩薩が生まれ変わり修業することにより完成する)。
末法の世を救うといわれている弥勒菩薩も「菩薩」ですからね。

「岩戸閉める御役になるなよ。」
以前、「岩戸開ける役」と「岩戸閉める役」があるという話が出て来ました。
その時は、「悪魔」を封印する役だと思っていましたが、それはどうやら、「悪魔」を身に入れたまま獣になるか灰になる役ということのようです。

ミロクの仕組は、身録(記録・録音の録)した者の選別なのかもしれません。
私たちも「排除」(笑)されないよう気をつけましょう。


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地つ巻 第9帖

一二のΘ(ひつくの神)にひと時拝せよ、Θの恵み、身にも受けよ、からだ甦るぞ、Θの光を着よ、み光を頂けよ、食べよ、Θほど結構なものないぞ、今の臣民、ヒ(日)を頂かぬから病になるのざぞ、Θの子はΘの子と申してあろうがな。
九月二十日、ひつ九のか三。


日光を浴びることの大切さが述べられています。

 日光の紫外線を浴びると、皮膚でビタミンDが合成されます
 ビタミンDの効果
  カルシウムの吸収
  がん細胞の増殖低下
  免疫力向上(かぜやインフルエンザなどの感染症)
  糖尿病予防
  筋肉の強度を高める
 太陽光の効果
  セロトニンが生成される(うつ病の治療や予防)
  体内時計を整える
 紫外線の効果
  一酸化窒素の増加による血管の拡張・血圧の低下(脳卒中や心臓病などの予防)

但し、日光の浴び過ぎも良くありませんから、ほどほどにお願いします。


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2018年01月14日

地つ巻 第8帖

祓えせよと申してあることは、何もかも借銭なしにすることぞ。
借銭なしとはメグリなくすることぞ、昔からの借銭は誰にもあるのざぞ、それ払ってしまうまでは誰によらず苦しむのぞ、人ばかりでないぞ、家ばかりでないぞ、国には国の借銭あるぞ。
世界中借銭なし、何しても大望であるぞ、
今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ぞ。
神主、お祓いの祝詞あげても何にもならんぞ、お祓祝詞は宣(の)るのぞ、今の神主宣ってないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けているぞ。
畔放(あはなち)、頻蒔(しきまき)や、国津罪、みな抜けて読んでいるでないか、臣民の心には汚く映るであろうが、それは心の鏡曇っているからぞ。
悪や学に騙されて、肝心の祝詞まで骨抜きにしているでないか、これでは世界は浄まらんぞ。
祝詞は読むものではないぞ、神前で読めばそれでよいと思うているが、それだけでは何にもならんぞ。
宣るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、とけきるのざぞ、神主ばかりでないぞ、皆心得ておけよ、Θのことは神主に、仏は坊主にと申していること根本の大間違いぞ。
九月十九日、ひつ九のΘ。


「祓えせよと申してあることは、何もかも借銭なしにすることぞ。借銭なしとはメグリなくすることぞ、昔からの借銭は誰にもあるのざぞ、それ払ってしまうまでは誰によらず苦しむのぞ」
「人ばかりでないぞ、家ばかりでないぞ、国には国の借銭あるぞ。世界中借銭なし、何しても大望であるぞ」

「今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ぞ。」
前回の大戦で借銭なしになったとは思えないですね。まだ、これから「世界の大祓」がありそうです。

「神主、お祓いの祝詞あげても何にもならんぞ、お祓祝詞は宣(の)るのぞ、今の神主宣ってないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けているぞ。」

「畔放(あはなち)、頻蒔(しきまき)や、国津罪、みな抜けて読んでいるでないか、臣民の心には汚く映るであろうが、それは心の鏡曇っているからぞ。」

  天津罪 全て農耕を妨害する人為的な行為
   畔放(あはなち)田に張っている水を、畔を壊すことで流出させ、水田灌漑を妨害すること
   頻播(しきまき)他の人が種を蒔いた所に重ねて種を蒔いて作物の生長を妨げること
  国津罪 病気・災害を含み、人体から穢れが発生し、ひいては天変地異を引き起こす事

「悪や学に騙されて、肝心の祝詞まで骨抜きにしているでないか、これでは世界は浄まらんぞ。」

「祝詞は読むものではないぞ、神前で読めばそれでよいと思うているが、それだけでは何にもならんぞ。宣るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、とけきるのざぞ」

「神主ばかりでないぞ、皆心得ておけよ、Θのことは神主に、仏は坊主にと申していること根本の大間違いぞ。」

六月晦大祓祝詞(抜粋)
如此依さし奉し四方の国中と 大倭日高見之国を安国と定奉て 下津磐根に宮柱太敷立て 高天原に千木高知て 皇御孫之命の美頭の御舎仕奉て 天之御蔭日之御蔭と隠坐て 安国と平けく所知食む国中に成出む 天の益人等が 過犯けむ雑々の罪事は
天津罪と 畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 ここだくの罪を 天津罪と法別て
国津罪と 生膚断死膚断 白人胡久美 己が母犯罪己が子犯罪 母と子と犯罪子と母と犯罪 畜犯罪 昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 畜仆し蟲物為罪 ここだくの罪出でむ
如此出ば 天津宮事を以て 大中臣天津金木を本打切末打断て 千座の置座に置足はして 天津菅曾を本苅断末苅切て 八針に取辟て 天津祝詞の太祝詞事を宣れ


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地つ巻 第7帖

Θにまつろう者には生きも死もないのぞ、死のこと、まかると申してあろがな、生き通しぞ、亡骸は臣民は残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ、それがまことのΘ国の臣民ぞ、ミコトぞ。
世の元と申すものは、天も地も泥の海でありたのざぞ。
その時から、この世始まってから生き通しの神々様の御働きで五六七の世が来るのざぞ。
肚が出来ておると、肚に神つまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐、神漏美の命忘れるでないぞ。
そこからわかりて来るぞ。
海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまんようにしてくれよ、海めぐらしてあるΘの国、清めに清めておいたΘの国に、外国の悪渡りて来てΘは残念ぞ。見ておざれ、Θの力現わす時来たぞ。
九月十八日、ひつ九Θ。


「Θにまつろう者には生きも死もないのぞ、死のこと、まかると申してあろがな、生き通しぞ」
「亡骸は臣民は残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ、それがまことのΘ国の臣民ぞ、ミコトぞ。」
死ぬことは、「薨=身罷る(みまかる)」ですが、あえて「罷る(まかる)」と書いてあります。罷るの意味は「去る、どこかに行く」ですから「生き通し」なのでしょう。これは、肉体は滅びても精神は生きていることを意味します。しかし、死体を残さないで死ぬというのはどういうことでしょう。
昔の臣民は、より神に近い命(ミコト)だったので、死体も残らなかったということでしょうか。
それとも、神風特攻隊のことを言っているのでしょうか。
よく分かりません。

「世の元と申すものは、天も地も泥の海でありたのざぞ。その時から、この世始まってから生き通しの神々様の御働きで五六七の世が来るのざぞ。」

「肚が出来ておると、肚に神つまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐、神漏美の命忘れるでないぞ。そこからわかりて来るぞ。」
神は「肚」に宿るそうです。神漏岐、神漏美はご存じ「伊弉諾尊、伊邪那美尊」ですが、おそらく「日の神」「月の神」の総称で述べられているのだと思います。

「海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまんようにしてくれよ」
船をみな沈めてしまうので、その後の航海や漁業が出来なくなっても大丈夫なようにしておけよということでしょう。

「海めぐらしてあるΘの国、清めに清めておいたΘの国に、外国の悪渡りて来てΘは残念ぞ。見ておざれ、Θの力現わす時来たぞ。」
日本は島国で、外国の侵入を許さないようにしてきたのに、「外国の悪渡りて来て」残念だということでしょう。


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地つ巻 第6帖

Θの国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ、八つの国、一つになりてΘの国に攻めて来るぞ。
目覚めたらその日の生命お預かりしたのざぞ、Θの肉体、Θの生命、大切せよ。
Θの国はΘの力でないと治まったことないぞ、Θ第一ぞ、いつまで卍(仏)や十(キリスト)や九(いろいろなもの?)にこだわっているのざ。
出雲のΘ様大切に、有り難くお祀りせよ、尊い御Θ様ぞ。
天津Θ、国津神、みなのΘΘ様に御礼申せよ、まつろいて下されよ、結構な恐い世となりて来たぞ、上下グレンぞ。
九月十七日、一二Θ。


「Θの国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ」
「八つの国、一つになりてΘの国に攻めて来るぞ。」
八つの国は、アメリカ、イギリス、オランダ、中華民国、オーストラリア・ニュージーランド連合、ソビエト連邦、自由フランス、蒙古人民共和国でしょうか。

 日本分割占領案(四か国)日本降伏の翌8月16日付
  ソ連:北海道、東北地方。
  アメリカ:本州中央、関東、信越、東海、北陸、近畿。
  中華民国:四国。
  イギリス:西日本(中国、九州)をそれぞれ統治
  東京は四カ国共同占領。

「目覚めたらその日の生命お預かりしたのざぞ、Θの肉体、Θの生命、大切せよ。」
「Θの国はΘの力でないと治まったことないぞ、Θ第一ぞ」
「いつまで卍(仏)や十(キリスト)や九(いろいろなもの?)にこだわっているのざ。」
天照大神=キリスト説などもありますが、ここで明確に否定されています。
弥勒菩薩(マイトレーヤ)もダメだそうです。

「出雲のΘ様大切に、有り難くお祀りせよ、尊い御Θ様ぞ。」
大国主命のことでしょうね。戦争の神様ということもありますが、天界との連絡役というお勤めがあるのかもしれませんね。または、「大黒様」なので、渡来系の神様なのかもしれません。因みに、ハンサムでモテモテの神様だったようです。

「天津Θ、国津神、みなのΘΘ様に御礼申せよ、まつろいて下されよ」

「結構な恐い世となりて来たぞ、上下グレンぞ。」
終戦(本土決戦)1年前の警告です。

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地つ巻 第5帖

片輪車でトンテントンテン、骨折損のくたびれ儲けばかり、いつまでしているのぞ、Θにまつろえと申してあろうがな、臣民の知恵で何出来たか、早う改心せよ。
三月三日、五月五日は結構な日ぞ。
九月十六日、ひつ九のか三。


「片輪車でトンテントンテン、骨折損のくたびれ儲けばかり、いつまでしているのぞ」
神と人の両輪の神がなく、人だけでいくら頑張っても何もできないぞということでしょう。

さて、次の謎です。
「三月三日、五月五日は結構な日ぞ。」
三月三日は「ひな祭り(女の子の祭り)」、五月五日は「こどもの日(男の子の祭り)」です。
結構な日ですが、それだけではないでしょう。何より日月神示では、「結構な日」は「こわい日」でもありますから。

なかなか、回答は見つからないのですが、可能性として、
@旧暦昭和20年8月8日⇒9月13日 大本営廃止(これで全て終結)。
A旧暦昭和20年4月4日⇒5月15日 第二次世界大戦におけるヨーロッパ戦線が終結。
B旧暦昭和20年7月7日⇒8月14日 天皇が御前会議でポツダム宣言受諾の意思を表明(終戦直後は8月14日が日本政府にとっての終戦の日であった)。

となります。

ゾロ目の七月七日(三五七でもある)が「結構な日」であることを暗示していたのでしょうか。

因みに
旧暦昭和20年3月3日⇒4月14日
旧暦昭和20年5月5日⇒6月14日
と、なっています。


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地つ巻 第4帖

この神示いくらでも出て来るのざぞ、今の事と先の事と、三千世界、何もかもわかるのざから、よく読みて、肚に入れておいてくれよ、この神示盗まれぬようになされよ、神示盗りに来る人あるから気つけておくぞ。
この道は中行く道ぞ、左も右も偏ってはならんぞ、いつも心にてんし様拝みておれば、何もかも楽にゆけるようになりているのざぞ、我が我がと思うていると、鼻ポキリと折れるぞ。
九月十六日、ひつ九Θ。


「この神示いくらでも出て来るのざぞ、今の事と先の事と、三千世界、何もかもわかるのざから、よく読みて、肚に入れておいてくれよ」
本当ですね。終戦前の昭和19年から始まり、最終的には昭和36年頃まで続きますから、約17年間もの長きに亘り降ろされ続けました。
おそらく、日本滅亡の危機に陥ったのを見るに見かねた神様が現れて1年ちょっとで終戦となり、最大の危機は回避されましたが、やはり予言通り、世の中は段々と悪化し、再びの危機を迎えつつあります。

「この神示盗まれぬようになされよ、神示盗りに来る人あるから気つけておくぞ。」
これは、原本のことだと思います。よくは存じませんがゴタゴタも少しあったようですね。

「この道は中行く道ぞ、左も右も偏ってはならんぞ」
これは大事なことですね。しかし、今の社会が全体的に左に偏り過ぎていて、おかしくなっているので、余程注意していないと騙されてしまいます。
安倍政権を歴史修正主義だの極右などと言う人もいますが、実際は、リベラルで、どちらかと言えば左寄り過ぎじゃないのと思える政策も多々見られるほどです。

今年は、憲法改正論議でまたマスコミより集中砲火を浴びることになるでしょうから、どうか頑張って乗り越えて欲しいものです。

「いつも心にてんし様拝みておれば、何もかも楽にゆけるようになりているのざぞ、我が我がと思うていると、鼻ポキリと折れるぞ」


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2018年01月13日

地つ巻 第3帖

人民同志の戦いでは到底かなわんなれど、いよいよとなりたらΘがうつりて手柄さすのであるから、それまでに身魂磨いておいてくれよ。
世界中が攻め寄せたと申しても、誠には勝てんのであるぞ、誠ほど結構なものないから、誠がΘ風であるから、臣民に誠なくなりていると、どんな気の毒出来るかわからんから、くどう気つけておくのざぞ、肚、掃除せよ。
九月十六日、ひつ九のか三。


人民同志の戦いは全くかないませんでしたね。
ここで、新たなキイワードが出て来ました。「誠」です。誠が神風だそうです。
誠を辞書で調べると「本当のこと。うそ・偽りのないこと。誠実で偽りのない心。すなおでまじめな心。」ということです。

ただ、古代中国では、「道徳実践による天の理法との合一」であるのに対し、日本では、「人と交わり事をなすときにおける心情の純粋さそのもの」や「心に思うことを実行に移すこと(実)、その一事に集中すること(一)、事が成就するまで持続すること(久)」とバラツキがあるようです。

統合すると、「誠」とは、「うそ、偽りのない純粋でまじめな心を持ち、誠実に実行する道徳的な行い」ということになりましょうか。


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地つ巻 第2帖

今は闇の世であるから夜の明けたこと申しても、誰にもわからんなれど、夜が明けたらなるほどそうでありたかとビックリするなれど、それでは間に合わんのざぞ、それまでに心改めておいて下されよ、この道信ずれば、すぐ良くなると思うている臣民もあるなれど、それは己の心のままぞ、道に外れたものは誰れ彼れはないのざぞ、これまでのやり方スクリと変えねば、世は治まらんぞと申してあるが、上の人苦しくなるぞ、途中の人も苦しくなるぞ、おまわりの言うこと聞かんようになるぞ。
九月十六日、ひつ九のか三。


「夜が明けたらなるほどそうでありたかとビックリするなれど、それでは間に合わんのざぞ、それまでに心改めておいて下されよ」
「この道信ずれば、すぐ良くなると思うている臣民もあるなれど、それは己の心のままぞ、道に外れたものは誰れ彼れはないのざぞ」
「これまでのやり方スクリと変えねば、世は治まらんぞと申してあるが、上の人苦しくなるぞ、途中の人も苦しくなるぞ」

ここまでは、なるほどと思うのですが、また、突然の謎です。
「おまわりの言うこと聞かんようになるぞ。」
これは、時代的な背景があるのでしょうね。現在では、「お巡りさん」は地域の安全を守ってくれる頼りになる、道案内もしてくれる親切な存在で、親しみを込めて呼ばれています(交番が少なくなっているのは残念です)が、戦時中は、むしろ住民を監視し、取り締まる役目が重要だったからでしょう。
ですから、「監視も取り締まりも出来なくなるぞ」ということになります。

だって、「悪」が無くなるんですもの。「善」も当たり前になって無くなりますが。


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地つ巻 第1帖

地(くに)つ巻書き知らすぞ。
世界は一つのミコトとなるのぞ、それぞれの言の葉はあれど、ミコトは一つとなるのであるぞ。
てんし様のミコトに従うのざぞ、ミコトの世近づいて来たぞ。
九月十五日、一二Θ。


「世界は一つのミコトとなるのぞ、それぞれの言の葉はあれど、ミコトは一つとなるのであるぞ。」
このミコトは「命」でしょう。世界の人々は、言葉の違いはあっても、一つの神のもとに一つにまとまって存在することになるということでしょう。

「てんし様のミコトに従うのざぞ」
このミコトは「御言」でしょうね。「詔(みことのり)」でもあるでしょう。


「ミコトの世近づいて来たぞ。」

昭和20年1-4月.png

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天つ巻 第21帖 原文

原文
六五二八一五八八九三一十 二六四三七七十十三八七二 四二一九三四九十四十八九二九十二一二三 三四五十百千卍Θ一十九三四八 七一二Θ二三三

対訳
六五二八(みろく出づるには、)一五八八九三(はじめ半ばは焼くぞ、)一十(人、) 二六四(二分は死、)三七七十(みな人、)十三八七(神の宮となる。)二 四二一九三四九(西に戦しつくし、)十四十八(神世とひらき、)九二九十二(国毎に、)一二三 三四五十百千卍(ひふみみよいづたりてももちよろず)Θ一十九三四(神急ぐぞよ。)八 七(八月七日、)一二Θ(ひつくのかみ)二三三(ふみぞ。)

ひふみ
みろく出づるには、はじめ半ばは焼くぞ、人、二分は死、みな人、神の宮となる。
西に戦しつくし、神世とひらき、国毎に、一二三(ひふみ)、 三四五(みよいづ)たりて百千万(ももちよろず)、神急ぐぞよ。
八月七日、ひつくのかみ ふみぞ。

私見
六五二八(みろく出づるには、)一五八八九三(はじめ半ばは焼くぞ、)一十二六四三(人に無用ぞ、)七七十(七七神、)十三八七(神の宮となる。)二 四二一九三四九(不死に戦しつくし、)十四十八(神世とひらき、)九二九十二(国毎に、)一二三 三四五十百千卍(ひふみみよいづたりてももちよろず)Θ一十九三四(神急ぐぞよ。)八 七(八月七日、)一二Θ(ひつくのかみ)二三三(ふみぞ。)
最初の「六」が「ミロク」を表すのはちょっと無理があるかもしれません。「三六」であれば間違いなく「ミロク」ですが。「六」は「悪」または「悪魔」かもしれません。ただ、「六」は「無」であるとすれば、意味的には「ミロク」となるので、ひふみのまま、「みろく出づるには」としておきました。


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天つ巻 第9帖 原文

原文
一二三 一二三 五八七八八九 三八七四九 八四七三三 十八四二十十三八九ノ七七十一二三一三一十Θ五一九二 一二三

対訳
一二三(ひふみの) 一二三(秘密) 五八七(出でひらき鳴る、)八八九 三八七(早く道展(ひら)き成る、)四九 八(世ことごとにひらき、)四七三三(世、なる大道で、) 十八(神ひらき、)四二十十三八(世に神々満ちひらく、)九ノ七七十(この鳴り成る神、)一二三一三(ひふみ出づ大道、)一十Θ五一(人神出づはじめ。)九二(九月二日、) 一二三(ひつぐのかみ。)

ひふみ
ひふみの秘密出でひらき鳴る、早く道展(ひら)き成る、世ことごとにひらき、世、なる大道で、神ひらき、世に神々満ちひらく、この鳴り成る神、ひふみ出づ大道、人神出づはじめ。
九月二日、ひつぐのかみ。


私見
一二三(ひふみの仕組) 一二三(ひふみ) 五八七八(出でひらき鳴るは)八九(開く苦) 三八七四(道はなし)九 八四七三三(苦は世なる道ぞ) 十八(戸開く)四二十十三八(世に神々満ち開き)九ノ七七十(この七七神)一二三一三(ひふみ出づ道)一十Θ五一(人神出づはじめ。)九二(九月二日、)  一二三

十八(戸開く)の十は最初の3柱+7柱=10柱、七七十(この七七神)は7x7柱=49柱、合計59柱と考えました。これが「ひふみ出づ道」「人神出づはじめ」ということではないでしょうか。
後の文章で「とおかみ笑みため」という言葉が出て来るのですが、この「十神」が「とお神」で「七七十」
が「鳴り成る神」ではないかと思っています。


署名の「ひつぐのかみ」ですが、原文は「一二三」でした。珍しいお名前だと思ったのですが、表記上の違いだけでした。



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2018年01月12日

天つ巻 第30帖

富士とは火の仕組みぞ、渦(右まわり)海(うずうみ)とは水の仕組ぞ、今にわかりて来るのざぞ。
Θの国には政治も経済も軍事もないのざぞ、まつりがあるだけぞ。
まつろうことによって何もかも嬉し嬉しになるのざぞ。
これは政治ぞ、これは経済ぞと申しているから鰻つかみになるのぞ、分ければ分けるほどわからなくなって、手に負えぬことになるぞ。
手足は沢山は要らぬのざぞ、左の臣と右の臣とあればよいのざぞ。
ヤとワと申してあろうがな、その下に七七✓✓✓✓と申してあろうがな。
今の臣民、自分で自分の首くくるようにしているのぞ、手は頭の一部ぞ、手の頭ぞ。
頭、手の一部でないぞ、この道理よく心得ておけよ。
神示は印刷することならんぞ、この神示解いて、臣民の文字で臣民に読めるようにしたものは一二三(ひふみ)と申せよ。
一二三は印刷してよいのざぞ。
印刷結構ぞ。
この神示のまま臣民に見せてはならんぞ、役員よくこの神示見て、その時により、その国によりて、それぞれに説いて聞かせよ。
日本ばかりでないぞ、国々ところどころに仕組して神柱つくりてあるから、今にビックリすること出来るのざぞ、世界の臣民にみな喜ばれる時来るのざぞ。
ミロクの世近づいて来たぞ。
富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり日本晴れ。
善一筋とはΘ一筋のことぞ。
この巻を「天つ巻」と申す。
すっかり写してくれよ、すっかり伝えてくれ。
九月十四日、ひつ九のか三。


「富士とは火の仕組みぞ、渦(右まわり)海(うずうみ)とは水の仕組ぞ」
噴火と津波の洗礼でしょうね。しかも、地球規模の。そして、その後のアセンションとディセンションへと続きます。

「Θの国には政治も経済も軍事もないのざぞ、まつりがあるだけぞ。まつろうことによって何もかも嬉し嬉しになるのざぞ。」
「これは政治ぞ、これは経済ぞと申しているから鰻つかみになるのぞ、分ければ分けるほどわからなくなって、手に負えぬことになるぞ。」
口先だけの政経分離は邪道です。もう、いいかげんに気づきましょう。

「手足は沢山は要らぬのざぞ、左の臣と右の臣とあればよいのざぞ。ヤとワと申してあろうがな、その下に七七✓✓✓✓と申してあろうがな。」
もう、口が酸っぱくなるほど述べました。もうよろしいですよね。

「今の臣民、自分で自分の首くくるようにしているのぞ、手は頭の一部ぞ、手の頭ぞ。頭、手の一部でないぞ、この道理よく心得ておけよ。」
戦争中の破滅への道筋を述べているのだと思います。本来の天皇(頭)の統帥権を軍部(手)が思うがままにし、利用している状況のことでしょう。

「神示は印刷することならんぞ、この神示解いて、臣民の文字で臣民に読めるようにしたものは一二三(ひふみ)と申せよ。一二三は印刷してよいのざぞ。印刷結構ぞ。」
「この神示のまま臣民に見せてはならんぞ、役員よくこの神示見て、その時により、その国によりて、それぞれに説いて聞かせよ。」
日月神示の理解の程度に応じて、外国にも知らせてやってくれということでしょう。

「日本ばかりでないぞ、国々ところどころに仕組して神柱つくりてあるから、今にビックリすること出来るのざぞ、世界の臣民にみな喜ばれる時来るのざぞ。」
神柱、どこにあるのでしょうね。武陵源(中国)、マンププネア岩(ロシア)、レナ・ピラー(ロシア)、イシミラ渓谷(タンザニア)、アボリジャバロ(セルビア)、ツィンギ・デ・ベマラハ国立公園(マダガスカル)、ニードルズ(アメリカ)、メテオラ(ギリシャ)、メテオラ(ギリシャ)、カッパドキア(トルコ)あたりでしょうか。それとも、人工物でしょうか。

「善一筋とはΘ一筋のことぞ。」

「すっかり写してくれよ、すっかり伝えてくれ。」


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天つ巻 第29帖

この方オオカムツミノΘとして書き知らすぞ。
病あるか無きかは手まわして見ればすぐわかるぞ、自分の身体中どこにも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところすぐわかるであろうが。
臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得ておけよ、国の病も同様ぞ。
頭は届いても手届かぬと病になるのぞ、手はどこへでも届くようになりていると申してあろが、今の国々の御姿見よ、御手届いているまいがな、手なし足なしぞ。
手は手の思うように、足は足ぞ、これでは病治らんぞ、臣民と病は、足、地についておらぬからぞ。
足、地につけよ、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけておろうがな。
三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心で生きねばならぬのざぞ。
尻に帆かけて飛ぶようでは神の御用つとまらんぞ、お土踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足汚れていると病になるぞ、足からお土の息が入るのざぞ、臍の緒(へそのお)のようなものざぞよ。
一人前になりたら臍の緒切りて、社(やしろ)に座りておりて三尺上で神に仕えてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、それほど大切なお土の上固めているが、今にみな除きてしまうぞ、一度はいやでも応でも裸足でお土踏まなならんことになるのぞ、Θの深い仕組ざから、有り難い仕組ざから、喜んでお土拝めよ、土にまつろえと申してあろうがな。
何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足の裏、殊に綺麗にせなならんぞ。
Θの申すよう素直に致されよ。
この方、病治してやるぞ、この神示読めば病治るようになっているのざぞ、読んでΘの申す通りに致して下されよ、臣民も動物も草木も、病なくなれば、世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。
戦も病の一つであるぞ、国の足の裏、掃除すれば国の病治るのぞ、国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除してくれよ。
上の守護神どの、下の守護神どの、皆の守護神どの、改心してくれよ。
いよいよとなりては苦しくて間に合わんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。
病ほど苦しいものはないであろうがな、それぞれの御役忘れるでないぞ。
天地唸(うな)るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一度に揺するのざぞ。
Θは脅すのでないぞ、迫りておるぞ。
九月十三日、一二Θ。


またまた、不思議な文章が出て来ました。

「病あるか無きかは手まわして見ればすぐわかるぞ、自分の身体中どこにも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところすぐわかるであろうが。」
背中や身体の中には手が届きませんね。どこでも手が届くというのはどういうことでしょう。
「かゆいところに てがとどく」ということわざがありますが、意味は、「細かいところまで、心が使われ、よく行き届いていて、すべきことが全て、 なされていることのたとえ」ということです。
つまり、「なすべきことをなしてない」所が病気のところということでしょうか。

「臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得ておけよ」

「国の病も同様ぞ。」
「今の国々の御姿見よ、御手届いているまいがな、手なし足なしぞ。」
なすべきことがなされていないから、今の混乱が生じているということでしょう。

「足、地につけよ、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけておろうがな」
「お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心で生きねばならぬのざぞ。」
「お土踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足汚れていると病になるぞ、足からお土の息が入るのざぞ、臍の緒(へそのお)のようなものざぞよ。」
土を、綺麗に掃除された素足で踏むことが大事だということです。

「三尺上は神界ぞ」
「一人前になりたら臍の緒切りて、社(やしろ)に座りておりて三尺上で神に仕えてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ」
三尺上は約1mでしたね。神界は意外と低い場所にあるのですね。(笑)

「それほど大切なお土の上固めているが、今にみな除きてしまうぞ、一度はいやでも応でも裸足でお土踏まなならんことになるのぞ」
現代社会はアスファルトやコンクリートで固められた地上を靴を履いて歩きまわっていますが、全部取り除いて、土に戻すということのようです。

「Θの深い仕組ざから、有り難い仕組ざから、喜んでお土拝めよ、土にまつろえと申してあろうがな。」
「何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足の裏、殊に綺麗にせなならんぞ。Θの申すよう素直に致されよ。」

「この方、病治してやるぞ、この神示読めば病治るようになっているのざぞ、読んでΘの申す通りに致して下されよ、臣民も動物も草木も、病なくなれば、世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。」
病も「悪」の一つであると分かります。しかも、人間だけでなく、動物や草木もです。

「戦も病の一つであるぞ、国の足の裏、掃除すれば国の病治るのぞ、国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除してくれよ。」
国も底辺の一般庶民を大事にして、始めて、戦争を起こさないですむということでしょう。

「上の守護神どの、下の守護神どの、皆の守護神どの、改心してくれよ。いよいよとなりては苦しくて間に合わんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。」
「病ほど苦しいものはないであろうがな、それぞれの御役忘れるでないぞ。」

「天地唸(うな)るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一度に揺するのざぞ。Θは脅すのでないぞ、迫りておるぞ。」


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天つ巻 第28帖

遅し早しはあるなれど、一度申したこと必ず出て来るのざぞ。
臣民は近欲で疑い深いから、何もわからんから疑う者もあるなれど、この神示一分一厘違わんのざぞ。
世界ならすのざぞ、Θの世にするのざぞ、善一筋にするのざぞ、誰れ彼れの分け隔てないのざぞ。
土から草木生まれるぞ、草木から動物、虫けら生まれるぞ。
上下ひっくり返るのざぞ。
九月の十三日、ひつ九のか三。


「遅し早しはあるなれど、一度申したこと必ず出て来るのざぞ。」
だ、そうです。いつか必ず出て来るそうです。来世かもしれません、その次かもしれません。準備を行っておくことに早過ぎることはありません。今、この時から準備を始めた方が良さそうです。

「臣民は近欲で疑い深いから、何もわからんから疑う者もあるなれど、この神示一分一厘違わんのざぞ。」
「世界ならすのざぞ、Θの世にするのざぞ、善一筋にするのざぞ、誰れ彼れの分け隔てないのざぞ。」

「土から草木生まれるぞ、草木から動物、虫けら生まれるぞ。上下ひっくり返るのざぞ。」

    上    下           上      下
(神⇒)人⇒動物⇒草(食べる)の逆ですね。土⇒草木⇒動物、虫けら(生まれる)ということでしょうか。

どうなるのか、想像も出来ませんね。


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天つ巻 第27帖

石物言う時来るぞ、草物言う時来るぞ。
北拝めよ、北光るぞ、北よくなるぞ、夕方よくなるぞ、暑さ寒さ、みなやわらかくなるぞ、ミロクの世となるぞ。
慌てずに急いでくれよ。
ΘΘ様、皆の産土(うぶすな)様、総活動でござるぞ、ΘΘ様祀りてくれよ、人々様祀りてくれよ、御礼申してくれよ。
九月十二日、一二か三。


これも、謎の一文です。

「石物言う時来るぞ、草物言う時来るぞ。」
九十の仕組でしょうか。一番神に近い所にいる石や草が光り輝く(物言う)時が来るぞということでしょう。

次ですね、

「北拝めよ、北光るぞ、北よくなるぞ、夕方よくなるぞ、暑さ寒さ、みなやわらかくなるぞ、ミロクの世となるぞ。」
この「北」が何を意味するのか。他の場所で「北は臣民が考える北ではないぞ」という文章も出て来ますので、単純な「北」ではなさそうです。ましてや、北朝鮮ではないでしょう。「北は中心のことぞ」という言葉もあったと思います。

地球内部空洞説というものもありますが、やはり、ここは宇宙の中心のことでしょう。
それでは「宇宙の中心」はどの方向にあるのか。

次のような文章を見つけました。
「GN-z11」と名付けられた銀河は、地球から134億光年も遠い場所に存在します。場所は北斗七星を含む、おおぐま座の方角です。宇宙がビッグバンによってできたのが約138億年前ですから、この銀河はビッグバンから4億年後に誕生したことになります。 」

これが、宇宙の中心かもしれませんね。

北斗七星であれば、7つの星(実際には8つ:北斗の柄の端から2番目の星ミザールには、伴星アルコルが存在する)ですので、これまで出て来た「7の倍数」の話やユダヤの「メノラー」とも合致しますし、話がつながりますね。

北斗七星の方角を拝むようにしましょう。

北極星が中心のような気もしますが、これは単に地球の地軸が北極の方を向いているに過ぎず、しかも歳差運動で時代と共に別の星が北の中心になったりしますので、除外した方が良さそうです。

「夕方よくなるぞ」というのは、西の方向ということでしょうか。中国のことであって欲しいですね。

「人々様祀りてくれよ」
始めて出て来ましたね。人を敬え、他国を祀れというのはありましたが、人を祀るのはこれまで言及されなかったのではないでしょうか。「皆の産土(うぶすな)様、総活動」のお礼ということでしょうか。


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天つ巻 第26帖

天の日津久(あめのひつく)の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民のお役所のようなものと心得よ、一柱でもあるのざぞ。
この方はオオカムツミノ神とも顕れるのざぞ、時により所によりてはオオカムツミノ神として祀りてくれよ、青人草の苦瀬(うきせ)、治してやるぞ。
天明(岡本天明)は神示書かす御役であるぞ。
九月十一日、ひつ九Θ。



ここまで、27柱近くの神様が入れ替わり立ち代わりに書かれているようです。

「この方はオオカムツミノ神とも顕れるのざぞ、時により所によりてはオオカムツミノ神として祀りてくれよ、青人草の苦瀬(うきせ)、治してやるぞ。」
意富加牟豆美命(オオカムツミ神)となって現れ、伊弉諾尊を助けたように、突破口の見えない困難に陥って苦しんでいる人々を助けてやるぞという意味だそうです。


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2018年01月11日

天つ巻 第25帖

今に臣民何も言えなくなるのざぞ、Θは烈しくなるのざぞ、目あけてはおれんことになるのざぞ。
四ッン這(ば)いになりて這いまわらねばならんことになるのざぞ、ノタウチまわらなならんのざぞ、土にもぐらなならんのざぞ、 水くぐらなならんのざぞ、臣民可哀そうなれど、こうせねば鍛えられんのざぞ、この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通してくれよ。
九月十日、ひつ九のか三。


「今に臣民何も言えなくなるのざぞ、Θは烈しくなるのざぞ、目あけてはおれんことになるのざぞ。
四ッン這(ば)いになりて這いまわらねばならんことになるのざぞ、ノタウチまわらなならんのざぞ、土にもぐらなならんのざぞ、 水くぐらなならんのざぞ」
これは、翌年昭和20年のフイリピン・ルソン島、硫黄島、沖縄の戦闘を暗示しているようです。

「臣民可哀そうなれど、こうせねば鍛えられんのざぞ、この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通してくれよ。」
良かったですね。無駄死にではありませんでした。「鍛える」ための「二度とない苦労」だそうです。
戦死者、犠牲者の皆様方、本当に有難うございました。


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天つ巻 第24帖

今の臣民、盲、聾ばかりと申してあるが、その通りでないか、この世はおろか自分の身体のことさえ
わかりてはおらんのざぞ、それでこの世をもちていくつもりか、わからんと申してもあまりでないか。
Θの申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出て来るぞ、Θは大難を小難にまつりかえているのにわからんか、えらいむごいこと出来るのを小難にしてあることわからんか、ひどいこと出て来ること待ちているのは邪の身魂ぞ、そんなことではΘの国の臣民とは申されんぞ。
臣民はΘに、悪いことは小さくしてくれと毎日お願いするのが務めぞ。
臣民近欲なからわからんぞ、欲もなくてはならんのざぞ、取り違いと鼻高とが一番恐いのざ。
神は生まれ赤子の心を喜ぶぞ、磨けば赤子となるのぞ、いよいよが来たぞ。
九月十日、ひつくのか三。


「今の臣民、盲、聾ばかりと申してあるが、その通りでないか、この世はおろか自分の身体のことさえ
わかりてはおらんのざぞ、それでこの世をもちていくつもりか、わからんと申してもあまりでないか。」
これは、約1か月後から始まる「神風特別攻撃隊」のことを言っているのかもしれません。
「洗濯の済んだ身魂」だからこそできる攻撃だからです。もったいないと思われたのかもしれません。

「Θの申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出て来るぞ、Θは大難を小難にまつりかえているのにわからんか、えらいむごいこと出来るのを小難にしてあることわからんか」
9月までは、それほどの動きはなく小康状態でしたが、10月に入ってから戦況は大きく動き始めます。
10月10日の沖縄・台湾の空襲、10月20日からはフィリピン・レイテの陸・海戦、神風特別攻撃隊初出撃、レイテ沖海戦での連合艦隊の壊滅、そして11月24日東京をかわきりに始まる焼夷弾による全国大規模空襲へと続きます。

「ひどいこと出て来ること待ちているのは邪の身魂ぞ、そんなことではΘの国の臣民とは申されんぞ。」
「臣民はΘに、悪いことは小さくしてくれと毎日お願いするのが務めぞ。」
準備は万全に、しかし、惨事を待ち望むような心ではダメだぞということです。

「臣民近欲なからわからんぞ、欲もなくてはならんのざぞ」

「神は生まれ赤子の心を喜ぶぞ、磨けば赤子となるのぞ」


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天つ巻 第23帖☆

我がなくてはならん、我があってはならず、よくこの神示読めと申すのぞ。
悪はあるが無いのざぞ、善はあるのざが無いのざぞ、この道理わかりたらそれが善人(千人)だぞ。
千人力の人が善人であるぞ、お人好しではならんぞ、それは善人ではないのざぞ、Θの臣民ではないぞ、雨の神どの、風の神どのに、とく御礼申せよ。
八月九日、一二Θ


「我がなくてはならん、我があってはならず」
「悪はあるが無いのざぞ、善はあるのざが無いのざぞ」
意志は必要だが、自意識は捨てなさいということでしょう。
悪と善は裏表、悪があるからこそ善があるわけで、悪がなくなれば善もなくなる。悪も善もなくなった状態が究極の善なのでしょう。簡単に言うと、皆が善を行えば、善は善でなくなり、あたりまえの状態になるということでしょう。
この道理が分かれば、千人力の善人だそうです。

「お人好しではならんぞ、それは善人ではないのざぞ、Θの臣民ではないぞ」
単に人柄が良いだけではダメで、物事の深い理解が必要だということでしょう。

「雨の神どの、風の神どのに、とく御礼申せよ。」

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天つ巻 第22帖

十柱の世の元からの活神様、御活動になりていることわかったであろうがな、獣の容れ物にはわかるまいなれど、Θの臣民にはよくわかりているはずぞ。
まただんだんに烈しくなりて、外国の臣民にもわかるようになりて来るのざぞ。
その時になりてわかりたのでは遅い遅い、早う洗濯致してくれよ。
九月の八日、ひつ九のか三。


「十柱の世の元からの活神様、御活動になりていることわかったであろうがな、獣の容れ物にはわかるまいなれど、Θの臣民にはよくわかりているはずぞ。」
「富士の巻18帖」に出て来た「五、七、八、十柱の神様」のうち、十柱の神様が、「世の元からの活神様」であることが分かりました。では、その「世の元からの活神様」がどなたであるかですが、これはそのうち出て来るでしょう。

ただ、「まただんだんに烈しくなりて、外国の臣民にもわかるようになりて来るのざぞ」とあることから、雨、風、岩、荒れ、地震の神々であろうことは、想像に難くありません。

「その時になりてわかりたのでは遅い遅い、早う洗濯致してくれよ。」



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天つ巻 第21帖☆

みろく出づるには、はじめ半ばは焼くぞ、人、二分は死、みな人、神の宮となる。
西に戦しつくし、神世とひらき、国毎に、一二三(ひふみ)、 三四五(みよいづ)たりて百千万(ももちよろず)、神急ぐぞよ。
八月七日、ひつくのかみ ふみぞ。


後で、原文と見比べてみようと思いますが、少々訳に無理がありそうです。
「一二三(ひふみ)、 三四五(みよいづ)たりて百千万(ももちよろず)、神急ぐぞよ。」は、この通りのようです。前にも、同じ文章が出て来ましたよね(同じように見えるが違うぞと言われそうですが)。


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2018年01月10日

天つ巻 第20帖☆

Θの世と申すのは、今の臣民の思うているような世ではないぞ。
金(きん)は要らぬのざぞ、お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、衣類、食べ物、家倉(いえくら)まで変わるのざぞ。
草木も喜ぶ政治と申してあろうがな、誰でもそれぞれに先のわかる世になるのぞ。
お日様も、お月様も、海も山も野も光り輝くぞ、水晶のようになるのぞ。
悪はどこにも隠れること出来んようになるのぞ、博打、娼妓は無く致すぞ。
雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきように吹かしてやるぞ、神を讃える声が天地に満ち満ちて、嬉し嬉しの世となるのざぞ。
八月七日、ひつ九のか三 ふで。


「Θの世と申すのは、今の臣民の思うているような世ではないぞ。」
「草木も喜ぶ政治と申してあろうがな、誰でもそれぞれに先のわかる世になるのぞ」
「お日様も、お月様も、海も山も野も光り輝くぞ、水晶のようになるのぞ」
神の世は、全てが光り輝く美しい世界のようですね。
この世の、スリルやサスペンスは面白くなくなりますね。(笑)

「悪はどこにも隠れること出来んようになるのぞ、博打、娼妓は無く致すぞ」
ゲームやスポーツや映画やテレビなどもダメでしょう。
退屈だと思うこと自体がどうやら「悪」のようです。あきらめましょう。(笑)
我慢できない方は「獣」になるご準備を。

「神を讃える声が天地に満ち満ちて、嬉し嬉しの世となるのざぞ。」
本当の「お花畑」の世の到来です。


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天つ巻 第19帖☆

Θの力がどんなにあるか、今度は一度は世界の臣民に見せてやらねば納まらんのざぞ、世界揺すぶりて知らせねばならんようになるなれど、少しでも弱く揺すりて済むようにしたいから、くどう気つけているのざぞ、ここまで世が迫りて来ているのぞ、まだ目醒めぬか、Θはどうなっても知らんぞ、早く気付かぬと気の毒出来るぞ、その時になりては間に合わんぞ。
八月七日、一二Θ。


「Θの力がどんなにあるか、今度は一度は世界の臣民に見せてやらねば納まらんのざぞ」
「世界揺すぶりて知らせねばならんようになるなれど、少しでも弱く揺すりて済むようにしたいから、くどう気つけているのざぞ」
ぜひ、そうして欲しいものですが。

「ここまで世が迫りて来ているのぞ、まだ目醒めぬか」
まだまだのようです。

「Θはどうなっても知らんぞ、早く気付かぬと気の毒出来るぞ、その時になりては間に合わんぞ。」
改心ですね。身魂掃除次第ということです。


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天つ巻 第18帖☆

いつも気付けてあることざが、Θが人を使うているのざぞ、今度の戦で外国人にもよくわかって、Θ様にはかなわん、どうか言うこときくから、夜も昼もなくΘに仕えるから許してくれと申すようになるのざぞ、それにはΘの臣民の身魂掃除せなならんのざぞ、くどいようなれど、一時も早く、一人でも多く、改心して下されよ、神は急ぐのざぞ。
八月の七日、一二のΘ。


「Θが人を使うているのざぞ、今度の戦で外国人にもよくわかって、Θ様にはかなわん、どうか言うこときくから、夜も昼もなくΘに仕えるから許してくれと申すようになるのざぞ」
日本人の勇気と根性はアメリカ人にも理解してもらえたようです。ただ、国家的には、日本はアメリカの属国のような立場となりました。しかし、アメリカの寛大な姿勢により、そまざまな恩恵を受けて来たこともまた事実です。日本は負けた相手も良かったし、その後の国際情勢も味方してくれたのです。

しかし、世界は今や混乱の中にいます。
大切なのは、これからどうするかです。

「それにはΘの臣民の身魂掃除せなならんのざぞ、くどいようなれど、一時も早く、一人でも多く、改心して下されよ、神は急ぐのざぞ。」


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天つ巻 第17帖☆

昔から生き通しの活神様のすることぞ、泥の海にするくらい朝飯前のことざが、それでは臣民が可哀そうなから、天の大神様にこの方が詫びして一日(ひとひ)一日と延ばしているのざぞ、その苦労もわからずに臣民勝手なことばかりしていると、Θの堪忍袋切れたらどんなことあるかわからんぞ、米があると申して油断するでないぞ、いったんは天地へ引き上げぞ。
八月七日、一二Θ。


「天の大神様にこの方が詫びして一日(ひとひ)一日と延ばしているのざぞ」
既に延ばしに延ばして73年になります。

「その苦労もわからずに臣民勝手なことばかりしていると、Θの堪忍袋切れたらどんなことあるかわからんぞ」
日本人の根底にある「和の心」は未だ健在ですが、金に対する欲望、性の乱れは、相当ひどい所まで来ています。正規雇用者が派遣労働者から搾取し、それをまた、経営者が搾取する。主婦は家庭を顧みず、夫も外で遊びに耽る。こんなことで、日本はこれから大丈夫なのでしょうか?

今更、少子化などと騒いでいますが、そんなことは、DINKSといわれた30年も前から分かっていたことです。
その頃から対策をしていればこんな事にならなかったのに。しかも、逆行する形で派遣法が製造業にまで解禁となり、低賃金で喘ぐ若年労働者は結婚できず、また、女性の社会進出が進み専業主婦制度が崩壊し、保育所の施設もおざなりにされ、結局、男女共に独身のままで過ごす人が増加しました。

一方、塾など教育にかかる費用は増加を続け、子供を育てる自信のない人は子供の数を抑制します。
この、数十年を見てください、順調に成長し続けているのは、派遣会社と塾くらいです。

会社を紹介する時に手数料を取るというなら分かります。しかし、会社に人材を派遣し、少ない給料をさらに20%以上もピンハネする、そういう人身売買的なやり方をいつまで許していくのでしょう。

企業は派遣制度を利用することでコストを下げ、価格競争力の確保に勤しんできました。
結果はどうですか。購買力の低下が物を売れなくし、結局デフレに苦しんでいるではありませんか。

果ては、労働力不足を補うために賃金の安い移民の受け入れを推進しようとしています。
この結果は明らかですね。

日本人の人口の低下と相俟って、日本が日本でなくなる日が来るでしょう。
アメリカのサンフランシスコのように。

「米があると申して油断するでないぞ」
この言葉は意味深ですね。単純に「お米」のことを言っているのか、または、そうではなく、「米」はアメリカのことなのか。
今現在、日本はアメリカと安全保障条約を締結しており、集団的自衛権の行使があるから大丈夫だとたかをくくっています。本当に将来的にもそのままで行けると確信を持って言えますか?

現状においては、もちろん最高の選択です。
そして、アメリカは日本にとって最も信頼できるパートナーです。

しかし、あらゆる可能性を考えて、対処できるよう布石を打っておくことが必要なことだと思います。

忘れてはいけないのは、中国とロシアは決してうかつに接してはいけない潜在的な脅威であることです。

インドや旧英連邦(オーストラリア・ニュージーランド)、アジア諸国との集団安全保障体制の拡充に努めることです。その意味で、安部外交は素晴らしい成果を上げ始めていると思います。



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天つ巻 第16帖☆

今度の戦済みたらてんし様が世界中治(し)ろし召して、外国には王はなくなるのざぞ。
いったん戦い収まりても、あとのゴタゴタなかなか鎮まらんぞ、Θの臣民ふんどし締めて、Θの申すことよく肚に入れておいてくれよ、ゴタゴタ起りた時、どうしたらよいかということも、この神示よく読んでおけばわかるようにしてあるのざぞ。
Θは天からと中からと地からと力合わして、Θの臣民に手柄立てさすようにしてあるのざが、今では手柄立てさす、Θの御用に使う臣民 一分もないのざぞ。
Θの国が勝つばかりではないのざぞ、世界中の人も草も動物も助けて、みな喜ぶようにせなならんのざから、臣民では見当取れん、永遠に続くΘ世に致すのざから、素直にΘの申すこときくが一等ざぞ。
人間の智恵でやれるなら、やって見よれ。
あちらへ外れ、こちらへ外れて、ぬらりくらりと鰻つかみぞ、思うようにはなるまいがな、Θの国が元の国ざから、Θの国から改めるのざから、一番辛(つら)いことになるのざぞ、覚悟はよいか、腹さえ切れぬようなフナフナ腰で大番頭とは何ということぞ、てんし様は申すもかしこし、人民さま、犬猫にも済むまいぞ。
人の力ばかりで戦しているのでないことくらいわかっておろうがな、目に見せてあろうがな、これでもわからんか。
八月七日、一二Θ。


「今度の戦済みたらてんし様が世界中治(し)ろし召して、外国には王はなくなるのざぞ。」
残念ながら、そこまでは行きませんでした。

「いったん戦い収まりても、あとのゴタゴタなかなか鎮まらんぞ」
「ゴタゴタ起りた時、どうしたらよいかということも、この神示よく読んでおけばわかるようにしてあるのざぞ。」
ふむふむ。相手を敬う(但し、例外あり)ことですね。

「Θは天からと中からと地からと力合わして、Θの臣民に手柄立てさすようにしてあるのざが、今では手柄立てさす、Θの御用に使う臣民 一分もないのざぞ。」
そりゃ、そうでしょう。ほとんどの日本国民が「平和ぼけ」ですもの。しかも、たちが悪いのは、一見「平和主義者」のような顔をしている売国奴の多いこと。

「Θの国が勝つばかりではないのざぞ、世界中の人も草も動物も助けて、みな喜ぶようにせなならんのざから、臣民では見当取れん、永遠に続くΘ世に致すのざから、素直にΘの申すこときくが一等ざぞ。」
本当にそうなれば良いですね。

「人間の智恵でやれるなら、やって見よれ。あちらへ外れ、こちらへ外れて、ぬらりくらりと鰻つかみぞ、思うようにはなるまいがな」
まあ、無理でしょうね。戦後73年が証明しています。

「Θの国が元の国ざから、Θの国から改めるのざから、一番辛(つら)いことになるのざぞ、覚悟はよいか」
いつか通る道、仕方ないでしょうね。

「腹さえ切れぬようなフナフナ腰で大番頭とは何ということぞ、てんし様は申すもかしこし、人民さま、犬猫にも済むまいぞ。」
何人かは、立派に努めを果たされました。

「人の力ばかりで戦しているのでないことくらいわかっておろうがな、目に見せてあろうがな、これでもわからんか。」
噂には聞いております(白いゼロ戦ほか)が、事実かどうかは知りません。
ごめんなさい。


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2018年01月09日

天つ巻 第15帖☆

Θの国にはΘの国のやり方あるぞ、支那には支那、オロシヤにはオロシヤ、それぞれにやり方違うのざぞ、
教えもそれぞれに違っているのざぞ、元は一つであるなれど、Θの教えが一等よいと申しても、そのままでは外国には通らんぞ、このことよく心にたたんでおいて、上に立つ役員どの気つけてくれよ、猫に小判何にもならんぞ、Θの一度申した言葉、一分も違わんぞ。
八月七日、一二Θ。


そうでしょう、そうでしょう。うん、うん。

ロシアと中国、それからその辺りの国には通用しませんよ、そりゃ。

まさに「Θの教え」は「猫に小判」。といっても、役に立たないのはこちらの「気持ち」。
小判をたくさん上げたけど、まったく何の役にも立たないどころか、かえってひどい目に遭わされています。

こちらも、下心があっての経済協力ですから仕方ありませんけどね。
しかし、それでもなお、助けてあげようという「お花畑の人たち」は、一体何を考えているのやら。

普通の人がスパイ容疑でつかまって未だ開放されていない(現在進行形の拉致事件)のに、それに対して一向に解決の努力もせず、大昔の借金問題で船舶を質にとられて補償させられて、国外退去しようとした企業に対し不合理な解決金を支払わされたり、島の問題で不当な圧迫を受けたり、そんな状況で、経済が下り坂だということだけですり寄ってくる国をどうして助けなければならないのでしょう。

彼らの考え方は、政経分離という甘い言葉で、美味しいところだけつまみ食いをしようというだけです。

外交は外交として仕方ないとして、もっと財界人が賢くなってください。

あれだけ、キラ星のごとく輝いていた世界に誇る一流企業の惨状、はっきり言って、甘過ぎます。

騙され過ぎです。

もっと、経営者が真面目にやってください。技術者たちが可哀そうです。

ひいては、その技術と資金をもとに攻撃される日本人がもっと可哀そうです。


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天つ巻 第14帖☆

海一つ越えて寒い国に、まことの宝隠してあるのざぞ、これがいよいよとなりたら、Θが許してまことの臣民に手柄致さすぞ、外国人がいくら逆立ちしても、Θが隠してあるのざから手は着けられんぞ、世の元からのことであれど、いよいよが近くなりたから、この方の力で出して見せるぞ、ひつくのか三。
ビックリ箱が開けて来るぞ。
八月七日。


「海一つ越えて寒い国に、まことの宝隠してあるのざぞ」「Θが隠してあるのざから手は着けられんぞ」
海一つ越えて寒い国ですから、アラスカかロシア極東地域でしょう。宝は「潮干る珠(しおふるたま)」だと思います。特に確証はなく、後で「竜宮城の乙姫」のご神宝の話が出て来るので、そちらの方が「潮満つ珠(しおみつたま)」に相応しそうという単純な理由です。

「世の元からのことであれど、いよいよが近くなりたから、この方の力で出して見せるぞ」
「ビックリ箱が開けて来るぞ。」

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天つ巻 第13帖

空に変わりたこと現れたなれば、地に変わりたことがあると心得よ、いよいよとなりて来ているのざぞ。
Θは元の大神様に延ばせるだけ延ばして頂き、一人でも臣民助けたいのでお願いしているのざが、もうおことわり申す術(すべ)なくなりたぞ。
玉串Θに供えるのは衣供えることぞ、衣とはΘの衣のことぞ、Θの衣とは人の肉体のことぞ。
臣民を捧げることぞ、自分を捧げることぞ、この道理わかりたか。
人に仕える時も同じことぞ、人を神として仕えねばならんぞ、神として仕えると神となるのぞ、ざからもてなしの物出す時は、祓い清めてΘに供えると同様にしてくれよ。
食べ物今の半分で足りると申してあろが、神に捧げたものか、祓い清めて神に捧げると同様にすれば半分で足りるのぞ、天の異変気をつけておれよ。
Θくどう気つけておくぞ。
Θ世近づいたぞ。
九月六日、一二のか三。


「空に変わりたこと現れたなれば、地に変わりたことがあると心得よ、いよいよとなりて来ているのざぞ。」
去年の年末から今年の始めにかけて、数多くの珍しい気象現象が起きていたのが気にかかります。

「Θは元の大神様に延ばせるだけ延ばして頂き、一人でも臣民助けたいのでお願いしているのざが、もうおことわり申す術(すべ)なくなりたぞ。」

「玉串Θに供えるのは衣供えることぞ、衣とはΘの衣のことぞ、Θの衣とは人の肉体のことぞ。
臣民を捧げることぞ、自分を捧げることぞ」
三四五(みよいづ)の仕組=人食ですね。

「人に仕える時も同じことぞ、人を神として仕えねばならんぞ、神として仕えると神となるのぞ、ざからもてなしの物出す時は、祓い清めてΘに供えると同様にしてくれよ。」
「お客様は神様です」というのがありましたね。「上司も神様」「奥さんもカミサン」です。(笑)

「食べ物今の半分で足りると申してあろが、神に捧げたものか、祓い清めて神に捧げると同様にすれば半分で足りるのぞ」

「天の異変気をつけておれよ」
「Θくどう気つけておくぞ。」
「Θ世近づいたぞ。」


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天つ巻 第12帖☆

遠くて近きは男女だけでないぞ、Θと人、天と地、親と子、食べる物も遠くて近いがよいのざぞ、神粗末(そまつ)にすれば神に泣くぞ、土尊べば土が救ってくれるのぞ、尊ぶこと今の臣民忘れているぞ、Θばかり尊んでも何もならんぞ、何もかも尊べば何もかも味方ぞ、敵尊べば敵が敵でなくなるのぞ、この道理わかりたか、臣民には〇✓と同じ分け御霊(わけみたま) 授けてあるのざから、磨けばΘになるのぞ。
神示は謄写(コピー)良いぞ、初めは五十八(58人分)次は三四三(343人分)ぞ、よいな。
八月の五日、ひつくのか三。


この辺から日付が前後します。八月五日といえば「富士の巻」の前あたりになります。旧暦でもありません。理由が分からないので、タイトルに☆印を付けておきます。

男女の関係だけでなく「Θと人、天と地、親と子、食べる物」も遠くて近い関係がよいそうです。
残念ながら、日本の近隣は「近くて遠い」国ばかりですね。

神を尊べば神が、土を尊べば土が、敵を尊べば敵が敵でなくなるそうです。
ただ、すぐに思いつくのは、「尊べば、ますます図に乗る」国ですが。どうしたもんでしょ。(笑)

「臣民には〇✓と同じ分け御霊(わけみたま) 授けてあるのざから、磨けばΘになるのぞ」
少なくとも、それ以外の国や、日本の中では実行してみませんか。

「神示は謄写(コピー)良いぞ、初めは五十八(58人分)次は三四三(343人分)ぞ」
最初が3人、次が7人、その下に7人で59人(1名は原本)です。さらにその下に7人で追加7^3=343人となります。合計402人いたんでしょう。結構な人数ですね。驚きです。



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天つ巻 第11帖

この神示、言葉として読みて下されよ、神々様にも聞かせてくれよ、守護神どのにも聞かしてくれよ、守護神どのの改心まだまだであるぞ、一日が一年になり、十年になり百年になると、目がまわりて真底からの改心でないと お役に立たんことになりて来るぞ。
九月四日、一二か三。


日月神示を神様、守護神にも聞かせるため、声に出して読んでくださいということです。

特に守護神は、「真底からの改心」が不十分の場合が多いので、よく聞かせて上げてくださいとのことです。


昨夜、九十がなにか分かりました。
「古都」ですね。つまり、古都・京都に気づけよということでしょう。
実際に、京都だけは日本で唯一空襲が行われなかった都市です。
天皇陛下に早く京都に還られよと言われていたのでしょう。


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2018年01月08日

天つ巻 第10帖

一二三の裏に〇一二( ひふ)、三四五の裏に二三四(ふみよ)、五六七の裏に四五六(よいむ)、の御用あるぞ。
五六七済んだら七八九(なやこ)ぞ、七八九の裏には六七八(むなや)あるぞ、八九十(やこと)の御用もあるぞ。
だんだんに知らすから、これまでの神示よく心に入れて、ジッとしておいてくれよ。
九月の三日、ひつくのか三。


表の御用 一二三 三四五 五六七 七八九 (三五七) 九十    

裏の御用 〇一二 二三四 四五六 六七八 八九十 (二四六八)


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天つ巻 第9帖

ひふみの秘密出でひらき鳴る、早く道展(ひら)き成る、世ことごとにひらき、世、なる大道で、神ひらき、世に神々満ちひらく、この鳴り成る神、ひふみ出づ大道、人神出づはじめ。
九月二日、ひつぐのかみ。


この文章は、また後で原文を検証しますが、要約すると、ひふみの仕組により世が開き、神々が現れるようになって来ましたよ、ということでしょう。

それにしても、「ひつぐのかみ」は珍しいですね。初めてのご登場でしょうか。

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