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2018年01月28日

月の巻 第38帖

大きアジアの国々や、島々八十(やそ)の人々と、手握り合いΘ国の、光り輝く時来しと、皆喜びて三千年、Θの御業(みわざ)の時来しと、思える時ぞΘ国の、まこと危き時なるぞ、夜半に嵐のどっと吹く、どうすることもなくなくに、手足縛られ縄付けて、Θの御子等を連れ去られ、後には老人不具者のみ、女子供もひと時は、Θの御子たる人々、ことごと暗い臭い屋に、暮らさなならん時来るぞ、宮は潰され御文(みふみ)皆、火にかけられて灰となる、この世の終わり近づきぬ。
この神示心に入れてくれと、申してあることわかる時、いよいよ間近(まぢか)になりたぞよ。
出かけた船ぞ。褌(ふんどし)締めよ。
十一月三十日、ひつ九のか三。


本文は、日月神示の中でも最も熾烈で悲惨な状況を描いたものになっています。
これは、先の大戦後の姿ではありません。未来の姿です。この状況だけは何とか避けたいものです。「お花畑」になっている場合ではありません。

「大きアジアの国々や、島々八十(やそ)の人々と、手握り合いΘ国の、光り輝く時来しと、皆喜びて三千年、Θの御業(みわざ)の時来しと、思える時ぞΘ国の、まこと危き時なるぞ」
これが今なのか、「大峠」の後なのか分かりません。しかし、油断大敵ということです。

「夜半に嵐のどっと吹く、どうすることもなくなくに、手足縛られ縄付けて、Θの御子等を連れ去られ、後には老人不具者のみ、女子供もひと時は、Θの御子たる人々、ことごと暗い臭い屋に、暮らさなならん時来るぞ」
かっての元寇のおりの対馬の状況に非常に良く似ております。

「宮は潰され御文(みふみ)皆、火にかけられて灰となる、この世の終わり近づきぬ。」

「この神示心に入れてくれと、申してあることわかる時、いよいよ間近(まぢか)になりたぞよ。出かけた船ぞ。褌(ふんどし)締めよ。」



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月の巻 第37帖

天にも天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)様、天照大神(あまてらすおおかみ)様あるように、地にも天照皇大神様、天照大神様あるのざぞ。
地にも月読大神(つきよみのおおかみ)様、隠れてござるのざぞ。素盞鳴大神(すさなるのおおかみ)様、罪穢れ祓いて隠れてござるのざぞ。
結構な尊い神様の御働きで、何不自由なく暮らしておりながら、その神様あることさえ知らぬ臣民ばかり。
これでこの世が治まると思うてか。
ΘΘ祀りてΘΘにまつわりてΘ国のまつりごと致してくれよ。
つまらぬこと申していると、いよいよつまらぬことになりて来るぞ。
十一月の三十日、ひつ九神 しらすぞ。


天 天照皇大神 (伊邪那岐大神)  天照大神 (大日婁貴)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
地 天照皇大神 (伊邪那美大神)  天照大神 (饒速日尊)

地 月読大神  (瀬織津姫)         (素盞鳴大神)=須佐之男大神

と、いうことになりそうですが、

今回の建て替え「スサナルの仕組」では、須佐之男大神が表に現れ、

CEO 国之常立大神 地
COO 須佐之男大神 日(ヒ) sub(天照大御神=大日婁貴)月
MgD 饒速日尊 日(フ)、瀬織津姫 月(ミ)

と、なるものと思われます。


posted by mydears at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 月の巻

月の巻 第36帖

今の臣民見て褒めるようなことは、皆奥知れているぞ。
これが善である、まことのやり方ぞと思っていること、九分九厘までは皆悪のやり方ぞ。
今の世のやり方見ればわかるであろうが。
上の番頭殿、悪い政治すると思ってやっているのではないぞ。
番頭殿を悪く申すのでないぞ。
善い政治しようと思ってやっているのぞ。
善いと思うことに精出しているのざが、善だと思うことが善でなく、皆悪ざから、Θの道がわからんから、身魂曇りているから、臣民困るような政治になるのぞ。
まつりごとせなならんぞ、わからんことも神の申す通りすれば、自分ではわからんこともよくなっていくのざぞ。
悪と思っていることに善がたくさんあるのざぞ。
人裁くのはΘ裁くことざぞ。
怖いから改心するようなことでは、戦がどうなるかと申すようなことではまことの民ではないぞ。
世がいよいよのとことんとなったから、今に大神様まで悪く申す者出て来るぞ。
産土(うぶすな)様なんぞあるものか、悪神ばかりぞと申す者たくさんに出てくるぞ。
この世始まってない時ざから、我が身我が家が可愛いようではΘの御用つとまらんぞ。
Θの御用すれば、道に従えば、我が身我が家は心配なくなるという道理わからんか。
何もかも結構なことに楽にしてやるのざから、心配せずにわからんことも素直に言うこと聞いてくれよ。
子に嘘つく親はないのざぞ。
神界のこと知らぬ臣民は、いろいろと申して理屈の悪魔に囚われて申すが、今度のいよいよの仕組は臣民の知りたことではないぞ。
神界の神々様にもわからん仕組ざから、とやかく申さずと、Θの神示肚に入れて、身魂磨いて素直に聞いてくれよ。それが第一等ざぞ。
この神示は世に出ている人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気狂(きちが)いと言われ、阿呆(あほう)と言われても、Θの道素直に聞く臣民でないと解けんぞ。
解いてよく噛み砕いて、世に出ている人に知らしてやりて下されよ。
苦労喜ぶ心より、楽喜ぶ心高いぞ。
十一月二十九日、一二Θ。


「今の臣民見て褒めるようなことは、皆奥知れているぞ。これが善である、まことのやり方ぞと思っていること、九分九厘までは皆悪のやり方ぞ。今の世のやり方見ればわかるであろうが。」
ロシアの南下政策を防ぐために中国と戦争し、朝鮮を併合し、満洲国を建国したことにより中国との紛争を拡大し、当初は自衛のためと思っていた戦争がいつの間にか侵略戦争になっておりました。ついには、南方の資源を得ようと南進したことにより欧州諸国と対立し、ABCD包囲網を経てハル・ノート(ロシアコミンテルンの謀略)により最後通牒を渡され、アメリカとの開戦に踏み込んでいったのです。
元をたどれば、明治以降の富国強兵政策から全て「悪のやり方」であったわけです。戦争で勝ったり、手柄を立てたりすると勲章を貰い、軍神と崇められ、「鬼畜米英」の軍事教育で育てられ、国家総動員法で戦争のための軍需物資を作らされました。兵役で子供を奪われ、空襲で家を焼かれ、財産を奪われ、食糧を奪われ、戦火に逃げ惑う生活を余儀なくさせられました。まさに「奪う」政治であったわけです。

「上の番頭殿、悪い政治すると思ってやっているのではないぞ。番頭殿を悪く申すのでないぞ。善い政治しようと思ってやっているのぞ。善いと思うことに精出しているのざが、善だと思うことが善でなく、皆悪ざから、Θの道がわからんから、身魂曇りているから、臣民困るような政治になるのぞ。」
当時の国家の方向性が間違っていたので、どんどん悪い方向に進んで行きました。「常識」とは怖いものです。当時の「常識」こそが、非常識だったのです。
今の世界もそうです。世界の「常識」は人間の多数決で決められるというのが民主主義の大原則ですが、そのたよりない人間の決める多数決に普遍的な価値はありません。
「色つきのメガネ」で見れば何色にでもなってしまうのですから。
世の中には、何とか「色つきのメガネ」を掛けさせようと虎視眈々と狙っている「悪」もあります。
正しい「中いく道」を皆が選ばない限り、非常識の「常識」になることを肝に銘じるべきです。

「まつりごとせなならんぞ、わからんことも神の申す通りすれば、自分ではわからんこともよくなっていくのざぞ。」

「悪と思っていることに善がたくさんあるのざぞ。人裁くのはΘ裁くことざぞ。」
これは難しいですね。やはり、犯罪は処罰しないと社会の秩序は保てませんし。被害者家族の感情もありますし。ただ、冤罪の可能性もあるので、死刑の厳格化は必要でしょうね。その代わり、終身刑は必須だと思います。

「怖いから改心するようなことでは、戦がどうなるかと申すようなことではまことの民ではないぞ。」
自分の身を案じてのことであれば「我れ善し」ですから、真の改心とはいえないということでしょう。

「世がいよいよのとことんとなったから、今に大神様まで悪く申す者出て来るぞ。産土(うぶすな)様なんぞあるものか、悪神ばかりぞと申す者たくさんに出てくるぞ。」
そう思った人がいても不思議ではありません。ただ、私はそういう話を聞いたことはありません。さすが、日本人です。

「この世始まってない時ざから、我が身我が家が可愛いようではΘの御用つとまらんぞ。Θの御用すれば、道に従えば、我が身我が家は心配なくなるという道理わからんか。」
我が子、我が妻、我が親は大事ですものね。自分の身はどうなっても助けたいと思うのは人情でしょう。そこまで否定するとなると抵抗がある人も多いのでは。ただ、道に従えば、心配ないそうなので信じるしかありませんね。

「何もかも結構なことに楽にしてやるのざから、心配せずにわからんことも素直に言うこと聞いてくれよ。
子に嘘つく親はないのざぞ。」
神が親、人間が子なので、嘘ではないそうです。

「神界のこと知らぬ臣民は、いろいろと申して理屈の悪魔に囚われて申すが、今度のいよいよの仕組は臣民の知りたことではないぞ。神界の神々様にもわからん仕組ざから、とやかく申さずと、Θの神示肚に入れて、身魂磨いて素直に聞いてくれよ。それが第一等ざぞ。」
神様でさえ知らない仕組なので、屁理屈をたれず、素直に従いなさいということです。

「この神示は世に出ている人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気狂(きちが)いと言われ、阿呆(あほう)と言われても、Θの道素直に聞く臣民でないと解けんぞ。解いてよく噛み砕いて、世に出ている人に知らしてやりて下されよ。」
どうやら、私には、資格がありそうです。(笑)

「苦労喜ぶ心より、楽喜ぶ心高いぞ。」
高いぞというのは、高くつくぞということでしょう。つまり、楽を喜ぶより、苦を喜ぶ方が価値があるぞということでしょう。

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2018年01月27日

月の巻 第35帖

元からの神示肚に入れた人が、これから来る人によく話してやるのざぞ、
この道、はじめは辛いなれど楽の道ぞ。
骨折らいでも素直にさえしてその日その日の仕事しておりて下されよ。
心配要らん道ぞ。
手柄立てようと思うなよ。
勝とうと思うなよ。
生きるも死ぬるもΘの心のままざぞ。
どこにいてどんなことしていても、助ける人は助けるのざぞ。
神の御用ある臣民、安心して仕事致しておりて下されよ。
火降りても槍降りてもビクともせんぞ。
心安心ぞ。
クヨクヨするでないぞ。
Θに頼りてΘ祀りてまつわりておれよ。
神救うぞ。
十一月二十九日、ひつ九か三。


「元からの神示肚に入れた人が、これから来る人によく話してやるのざぞ」

「この道、はじめは辛いなれど楽の道ぞ。骨折らいでも素直にさえしてその日その日の仕事しておりて下されよ。」

「心配要らん道ぞ。手柄立てようと思うなよ。勝とうと思うなよ。」

「生きるも死ぬるもΘの心のままざぞ。どこにいてどんなことしていても、助ける人は助けるのざぞ。」

「神の御用ある臣民、安心して仕事致しておりて下されよ。火降りても槍降りてもビクともせんぞ。心安心ぞ。クヨクヨするでないぞ。」

どんなことがあっても、神様が助けるべき人は助けてくださるそうです(懐手で努力しない人はダメだそうです)。安心して、日々の仕事に精を出してくださいということです。

「Θに頼りてΘ祀りてまつわりておれよ。神救うぞ。」


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月の巻 第34帖

この神示よく読みてくれよ。早合点してはならんぞ。取り違いが一番怖いぞ。
どうしたらお国にためになるのぞ。自分はどうしたらよいのぞと取次ぎに聞く人たくさん出て来るなれど、この神示読めばどうしたらよいかわかるのざぞ。その人相当に取れるのぞ。
神示読んで読んで肚に入れてもわからぬということないのざぞ。
わからねば神知らすと申してあろがな。
迷うのは神示読まぬからぞ。
肚に入れておらぬからぞ。
人が悪く思えたり、悪く映るのは、己が曇りているからぞ。
十一月二十五日、ひつ九のか三。


「この神示よく読みてくれよ。早合点してはならんぞ。取り違いが一番怖いぞ。」
日月神示には、「悪魔が書いた書」だの「日本至上主義」だのいろんな説が有りますが、ここまで読んでこられた方には、「平和・博愛主義」で「世界主義」で「神中心主義」であることがお分かり頂けているものと思います。取り違いなきようお願いいたします。

「どうしたらお国にためになるのぞ。自分はどうしたらよいのぞと取次ぎに聞く人たくさん出て来るなれど、この神示読めばどうしたらよいかわかるのざぞ。その人相当に取れるのぞ。」
上の人は、やり方を改めて降伏し、新たな「平和国家」を指向すべきだし、そうでない人は、「平和国家」を支える「神心を持った賢い民」になることを目指すべきということでしょう。

「神示読んで読んで肚に入れてもわからぬということないのざぞ。わからねば神知らすと申してあろがな。迷うのは神示読まぬからぞ。肚に入れておらぬからぞ。」

「人が悪く思えたり、悪く映るのは、己が曇りているからぞ。」
相手にもよるということは、既に別の場所で述べられています。ただ、そういう気持ちで人や他国に接するということは、とても大事なことでもあります。その上で、賢明に対処すべきでしょう。


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月の巻 第33帖

宝の山に攻め寄せ来ると申してくどう気つけておいたでないか。
Θの国にはどんな宝でもあるのざぞ。
Θの国、昔から宝埋(い)けておいたと申してあろがな。
Θの国にも宝埋けておいてあるのざぞ、この宝はΘが許さな誰にも自由にはさせんのざぞ。
悪が宝取ろうと思ったとて、どんなに国に渡りて来ても、どうにもならんようにΘが護っているのざぞ。
いよいよとなりたらΘがまことの神力出して、宝取り出して、世界のどんな悪神もΘの国にはかなわんと申すところまで、とことん心から降参するところまで、今度は戦するのざから、人民よほど見当取れんことに、どんな苦労もこばらなならんのざぞ。
知らしてありたこと、日々どしどしと出て来るぞ。
我れ善し捨ててくれよ。
十一月二十八日、ひつ九のか三。


「宝の山に攻め寄せ来ると申してくどう気つけておいたでないか。Θの国にはどんな宝でもあるのざぞ。」

「Θの国、昔から宝埋(い)けておいたと申してあろがな。Θの国にも宝埋けておいてあるのざぞ」
これは、国内にも国外にも「宝」が埋めてあるということでしょう。国外の宝としては、「海一つ越えた北に埋めてある」というものがありました。

「この宝はΘが許さな誰にも自由にはさせんのざぞ。悪が宝取ろうと思ったとて、どんなに国に渡りて来ても、どうにもならんようにΘが護っているのざぞ。」
アメリカ軍が占領中、国内のいろんな所を探索したという話が残っています。

「いよいよとなりたらΘがまことの神力出して、宝取り出して、世界のどんな悪神もΘの国にはかなわんと申すところまで、とことん心から降参するところまで、今度は戦するのざから、人民よほど見当取れんことに、どんな苦労もこばらなならんのざぞ。」
そこまでには至らなかったようです。良かったですね。

「知らしてありたこと、日々どしどしと出て来るぞ。我れ善し捨ててくれよ。」



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月の巻 第32帖

表ばかり見ていては何もわかりはせんぞ。
月の神様祀りくれよ。
この世の罪穢れ(つみけがれ)負いて夜となく昼となく護り下さるスサノオの神様、篤(あつ)くまつりくれよ。
火あって水動くぞ。
水あって火燃ゆるぞ。
火と水と申しておいたが、水のほかに隠れた火と水あるぞ。
それを一二三(ヒフミ)と言うぞ。
一二三とは一二三ということぞ、言葉ぞ、言霊(ことだま)ぞ、祓いぞ、禊(みそぎ)ぞ、渦右巻き.jpg(うず)
ぞ。
スサナルの仕組ぞ。
成り成る言葉ぞ、今の三位一体は三位三体ぞ。
一(ヒ)とあらわれて二三(フミ)かくれよ。
二(フ)と三(ミ)の神様の御恩忘れるでないぞ。
御働き近づいたぞ。
十一月二十七日、ひつ九かみ。


「表ばかり見ていては何もわかりはせんぞ。月の神様祀りくれよ。」
月の神様は、「天照大御神」(実は大日婁貴)のことでしょう。水です。

「この世の罪穢れ(つみけがれ)負いて夜となく昼となく護り下さるスサノオの神様、篤(あつ)くまつりくれよ。」
日の神様は、須佐之男大神でしょう。火です。

「火あって水動くぞ。水あって火燃ゆるぞ。」
天照大御神がワヤ.jpg(ワヤ)になっている状態では、水は動かず、火も燃えません。

「火と水と申しておいたが、水のほかに隠れた火と水あるぞ。それを一二三(ヒフミ)と言うぞ。」
文章を忠実に解釈すると、ヒは火、水はまた火(フ)と水(ミ)に分かれるということです。

「一二三とは一二三ということぞ、言葉ぞ、言霊(ことだま)ぞ、祓いぞ、禊(みそぎ)ぞ、(うず)
ぞ。

「スサナルの仕組ぞ。成り成る言葉ぞ、今の三位一体は三位三体ぞ。」

「一(ヒ)とあらわれて二三(フミ)かくれよ。二(フ)と三(ミ)の神様の御恩忘れるでないぞ。」
ヒは須佐之男大神です。フは饒速日尊、ミが瀬織津姫でしょう。
まさに伊勢神宮の仕組です。表のご祭神は「天照大御神」裏は「天照饒速日尊」と「瀬織津姫」。

「御働き近づいたぞ。」


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月の巻 第31帖

一二三四五六七八九十百千卍 (ひとふたみよいつむななやここのたりももちよろず)。
今度は千人万人力でないと手柄出来んと申してあろがな。
世界中総がかりで攻めて来るのざから、一度はあるにあられんことになるのざぞ。
大将だからとて油断出来ん。
富士の山動くまでにはどんなことも耐(こら)えねばならんぞ。
上辛いぞ。
どんなことあっても死に急ぐでないぞ。
今の大和魂とΘの魂と違うところあるのざぞ。
その時、所によりて、どんなにも変化(へんげ)るのがΘの魂ぞ。
馬鹿正直ならんと申してあろ。
今日あれし生命勇む時来たぞ。
十一月二十六日、一二Θ。


「一二三四五六七八九十百千卍 (ひとふたみよいつむゅななやここのたりももちよろず)。」
太祝詞です。

「今度は千人万人力でないと手柄出来んと申してあろがな。世界中総がかりで攻めて来るのざから、一度はあるにあられんことになるのざぞ」
相当ひどい目に合うようです。

「大将だからとて油断出来ん。富士の山動くまでにはどんなことも耐(こら)えねばならんぞ。上辛いぞ。」
富士の山動くまでには、最後の最後まで追いつめられることになるのでしょう。

「どんなことあっても死に急ぐでないぞ。今の大和魂とΘの魂と違うところあるのざぞ。」
これが、かっての日本に決定的に欠けていたことです。死をも恐れない覚悟は良いのですが、死んではなんにもなりません。出来る限り生き続けて戦うこと、周りもそれを尊重した戦略・戦術を立てるべきです。人命を軽視した戦い方はもう二度と繰り返すべきではありません。

「その時、所によりて、どんなにも変化(へんげ)るのがΘの魂ぞ。馬鹿正直ならんと申してあろ。」
臨機応変に対処することが重要です。猪突猛進はなりません。


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2018年01月26日

月の巻 第30帖

おのころの国成り、この国に降りまして天どの御柱(みはしら)見立て給いき。
ここに伊邪那岐命、(伊邪那美命、)島生み給いき、初めに水蛭子(ひるこ)、淡島生み給いき。
この御子国のうちに隠れ給いければ、次にのりごちて後生み給える御子、
淡道之穂之三別島(あわじのほのさわけじま)、
伊予の二名島(ふたなしま)、この島愛媛、飯依比古(いいよりひこ)、大宣都比売(おおげつひめ)、建依別(たてよりわけ)という。
次、隠岐(おき)の三子島(みつごのしま)、天之忍許呂別(あめのおしころわけ)。
次、筑紫島、この島白日別(しらひわけ)、豊日別(とよひわけ)、建日向豊久土比泥別(たけひむかひとよくづひぬわけ)、建日別(たてひわけ)。
次、伊伎島(いきのしま)、天比登都柱(あめひとつはしら)。
次、津島、天狭手依比売(あめのさでよりひめ)。
次、佐渡島(さどのしま)。
次、大倭秋津島(おおやまとあきつしま)、天津御空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)。
次、吉備之児島(きびのこじま)、建日方別(たてひかたわけ)。
次、小豆島(あづきしま)、大野手比売(おおぬでひめ)。
次、大島(おおしま)、大多麻流別(おおたまるわけ)。
次、女島(ひめしま)、天一根(あめひとつね)。
次、知詞島(ちかのしま)、天忍男(あめのおしお)。
次、両兒島(ふたごしま)、天両屋(あめふたや)、二島(にしま)、八島(やしま)、六島(むしま)、
合わせて十六島生み給いき。
次にまたのり給いて、大島、小島、生み給いき。
淡路島、二名島、隠岐島、筑紫島、壱岐島、津島、佐渡島、大倭島、児島、小豆島、大島、女島、なかの島、二子島の十四島、島生みましき。
次に、息吹息吹て、御子神(みこがみ)生み給いき。
大事忍男神(おおことおしをのかみ)、大事忍男之神(オオコオシヲノカミ)、
石土毘古神(いしつちひこのかみ)、石土毘古神(イシツチヒコノカミ)、
石巣比売神(いしすひめのかみ)、石巣比売神(イシスヒメノカミ)、
大戸日別神(おおとひわけのかみ)、大戸日別神(オオトヒワケノカミ)、
天之吹男神(あまのふきをのかみ)、天之吹男神(アマノフキヲノカミ)、
大屋毘古神(おおやひこのかみ)、大屋毘古神(オオヤヒコノカミ)、
風木津別之忍男神(かさけつわけのおしをのかみ)、風木津別之忍男神(カサケツワケノオシヲノカミ)、
海神(わたのかみ)、海神(ワタノカミ)、
大綿津見神(オオワタツミノカミ)、
水戸神(みとのかみ)、水戸神(ミトノカミ)、速秋津比神(はやあきつひのかみ)、
速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)、速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ)、
風神(かぜのかみ)、風神(カゼノカミ)、志那都比古神(しなつひこのかみ)、
木神(きのかみ)、木神(キノカミ)、久久能智神(くくのちのかみ)、
山神(やまのかみ)、山神(ヤマノカミ)、大山津見神(おおやまつみのかみ)、
野神(ぬのかみ)、野神(ヌノカミ)、鹿屋野比売神(かやぬひめのかみ)、野椎神(ぬつちのかみ)、
鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)、
大宣都比売神(おおげつひめのかみ)、大宣都比売神(オオゲツヒメノカミ)、
火之夜芸速男神(ひのやきはやをのかみ)、火輝比古神(ひかがひこのかみ)、
生みましき。
速秋津比子、速秋津比売 二柱の神、川海に因(よ)りもちわけ、ことわけて生ませる神、
沫那芸神(あわなぎのかみ)、沫那美神(あわなみのかみ)、
頬那芸神(つらなぎのかみ)、頬那美神(つらなみのかみ)、
天之水分神(あめのみくまりのかみ)、国之水分神(くにみくまりのかみ)、
天之久比奢母智神(あめのくひさもちのかみ)、国之久比奢母智神(くにのくひさもちのかみ)、
次に、大山津見神、野椎神の 二柱神、山野(やまぬ)に依(よ)りもちわけて、ことあげて生みませる神、
天之狭土神(あめのさつちのかみ)、国之狭土神(くにのさつちのかみ)、
天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)、国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)、
天之闇戸神(あめのくらとのかみ)、国之闇戸神(くにのくらとのかみ)、
大戸惑子神(おおとまどひこのかみ)、大戸惑女神(おおとまどひめのかみ)、
大戸惑子神(オオトマドヒコノカミ)、大戸惑女神(オオトマドヒメノカミ)、
生みましき、
伊邪那美神、病み臥(こや)しまして、たぐりになりませる神、
金山比古神(かなやまひこのかみ)、金山比売神(かなやまひめのかみ)、
屎(くそ)に成りませる神、
波仁夜須比古神(はにやすひこのかみ)、波仁夜須比売神(はにやすひめのかみ)、
尿(ゆまり)に成りませる神、
弥都波能売神(みづはのめのかみ)、和久産巣日神(わくむすびのかみ)、この神の御子、
豊宇気比売神(とようけひめのかみ)と申す。
ここに伊邪那美神、火の神生み給いて、ひつちとなり成り給いて、根のΘの✓の国に神去り給いき。
ここに伊邪那岐神、泣き給いければ、その涙になりませる神、泣沢女神(なきさわめのかみ)。
ここに迦具土神(かぐつちのかみ)斬り給えば、その血、石にこびりて石析神(いわさくのかみ)、根析神(ねさくのかみ)、石筒之男神(いわつつのをのかみ)、甕速日神(みかはやひのかみ)、樋速日神(ひはやひのかみ)、建御雷男神(たけみかづちおのかみ)、建布都神(たけふつのかみ)、豊布都神(とよふつのかみ)、
御刀(みかはし)の手上(たかみ)の血、闇於加美神(くらおかみのかみ)、闇御津羽神(くらみつはのかみ)、
ここに殺されし迦具土(かぐつち)の御首(みかしら)に成りませる神、正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)、御胸(みむね)に於藤山津見神(おとやまつみのかみ)、腹(みはら)に奥山津見神(おくやまつみのかみ)、陰(みほと)に闇山津見神(くらやまつみのかみ)、左の御手(みて)に志芸山津見神(しきやまつみのかみ)、右の御手に羽山津見神(はやまつみのかみ)、左の御足に原山津見神(はらやまつみのかみ)、右の御足に戸山津見神(とやまつみのかみ)、成りましき、ここに斬り給える御刀(みはかし)、天之尾羽張(あめのおはばり)、伊都之尾羽張(いづのおはばり)という。

ここに妹(いも)恋しまし給いて、根の国に追い往(い)で給いき。
十一月二十五日夜、一二Θ。


ほぼ、古事記の記述通りですが、速秋津日古神が速秋津比神になっています。また、迦具土神の名の他に火輝比古神が追加されています。さらに、「カタカナ」名の神が追加となっています。二柱有るということでしょう。

古事記のオリジナルでも伊邪那岐神に殺された迦具土神の陰(みほと)から闇山津見神が生まれたとの記載がありますが、迦具土神は火之夜芸速男神または火輝比古神(いずれも男神)の別名ではなく、女神であったことも推察されます。そうすると、火の神は複数であったわけですから、迦具土神だけが殺されたとするのは変な話ですね。伊邪那美神は火傷で死んだことになっていますが、実際は単に離別だった(その後、出雲=奴国に戻り再婚した)のではという私の説を裏付ける根拠となっております。



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月の巻 第29帖

一日(ひとひ)一日ミコトの世となるぞ。
Θのこと言うよりミコトないぞ。
もの言うなよ。ミコト言うのざぞ。
ミコトΘぞ。道ぞ。アぞ。
世、変わるのぞ。
何も烈しく引き上げぞ。
戦も引き上げぞ。
役に不足申すでないぞ。
光食えよ、息ざぞ。
素盞鳴尊(すさなるのみこと)祀りくれよ。
急ぐぞ。
海原(うなばら)とはこのクニぞ。
十一月二十五日、一二Θ。


11月25日は東京大空襲(1回目)の翌日なので、神様の感情も高ぶっておられるようです。
悲痛とも思える痛切な警告です。

「一日(ひとひ)一日ミコトの世となるぞ。Θのこと言うよりミコトないぞ。もの言うなよ。ミコト言うのざぞ。ミコトΘぞ。道ぞ。アぞ。世、変わるのぞ。」
ミコトを「誠」、アを「魂」に置き換えると意味が明瞭となります。

「何も烈しく引き上げぞ。戦も引き上げぞ。」
命も財産も何もかも全て無くすぞ。戦争も止めさせるぞということでしょう。

「役に不足申すでないぞ。」
これは岡本天明氏ほかの役員の御用のことでしょう。

「光食えよ、息ざぞ。」
神を身体に入れろよ、息吹を感じろよということでしょう。

「素盞鳴尊(すさなるのみこと)祀りくれよ。急ぐぞ。海原(うなばら)とはこのクニぞ。」
この当時、須佐之男命を祀って、祈った人がどのくらいいたでしょう。大本関係者くらいではないでしょうか。今でも、須佐之男命は愛される対象ではありますが、いざという時は、やはり伊勢の「天照大御神」や「八幡大菩薩」「阿弥陀仏」などではないでしょうか。

東日本大震災の時も、本当かどうかは存じませんが、「天照大御神系の神社に近い場所は被害に遭ったが、不思議に素戔嗚尊系の神社の近くでは被害が少なかった」という話もありました。

確信はありませんが、戦時中も、素戔嗚尊系の神社の近くでは被害が少なかったのではないでしょうか(都会よりも田舎に多いことが原因かもしれませんが)。

今更ですが、須佐之男命については、古事記や日本書紀の記述についてもう一度見直して、本来の功績を評価し、大切に扱うことが必要かと思います。

日本国の元の初代、大王なのですから。


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月の巻 第28帖

岩戸あけたり日本晴れ、富士光るぞ、この巻役員読むものぞ、世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ。
くも出てクニとなったぞ。出雲とはこの地(くに)のことぞ。
スサナルの神はこの世の大神ぞ。
初めは◎(うず)であるなり、渦右巻き.jpg(うご)いて月となり地となりたのざぞ。
アは 渦右巻き.jpg(ヒツキクニ)の神様なり、ワヤ.jpg(ヨ)は月の神様ぞ、クニの神様はスサナルの神様ぞ。
このこと始めに心に入れれば掃除他愛ないぞ、グレンとは上下かえることと申してあろうがな、言うてはならぬことぞ。言わねばならぬことぞ。
アメのΘつ九のΘ。


「世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ。」
火=日、水=月ですね。

「くも出てクニとなったぞ。出雲とはこの地(くに)のことぞ。スサナルの神はこの世の大神ぞ。」
出雲=奴国がこの国の元ということです。「スサナルの神」=須佐之男命が日向、奴国、大和の祖神であり、この世の大神(皇室の祖先神)であるということです。

「初めは(うず)であるなり、(うご)いて月となり地となりたのざぞ」
初めは泥海だったのが、渦を巻いて月となり海となったということです。古事記でも「素戔嗚尊には夜の食国(よるのおすくに)または海原を治めるように言われた」とあり、一致しています。

「アは (ヒツキクニ)の神様なり、(ヨ)は月の神様ぞ、クニの神様はスサナルの神様ぞ。」
ここは、これまでの私の説明とは不一致のようですが、アは当時の現人神・天皇陛下、ヨは天照大御神(ワヤとなっています。日と月が一緒くたという意味)、クニは大国主命=須佐之男大神ということだと思われます。

「このこと始めに心に入れれば掃除他愛ないぞ、グレンとは上下かえることと申してあろうがな、言うてはならぬことぞ。言わねばならぬことぞ。」
この文章で、当時の国家神道が間違いであることを示しています(今でもそれを引きずっているのですが)。


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日の巻 第7帖 原文

岩戸以下原文
五八三十十九四六七八八九四六 三三九四七九七百三 三九三三 一二三 三五 十九七四 一六七 一三〇九七四Θ九四百一九七四三九三三 一三 十 二四 一二Θ。

対訳
五八三(岩戸ひらく道)十十九四六七(神々苦むなり)八八九四六 三三(弥ひらき苦む道ぞ)九四七九七百三(苦しみてなりなり、なりえむ道ぞ) 三九三三(神諸々なり、世は勇むなり) 一二三 三(新しき道)五 十九七四(ことごとなる世) 一六七 一三〇九七四Θ九四百一九(神諸々四方(よも)にひらく)七四三(なる世の道)九三(ことごとくの道)三 一三(みいづぞ) 十 二四(十月二十四日) 一二Θ。

ひふみ
岩戸ひらく道、神々苦むなり、弥ひらき苦む道ぞ、苦しみてなりなり、なりえむ道ぞ、神諸々なり、世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々四方(よも)にひらく、なる世の道、ことごとくの道、みいづぞ、
十月二十四日、一二Θ。

私見
五八三(岩戸開くぞ)十十九四六七(神々苦しむなり)八八九四六 三三(人々苦しむ道ぞ)九四七九七百三(ことごとく世から無くなろぞ) 三九三三(道極む道ぞ) 一二三(ひふみ) 三五(御稜=みいず) 十九七四(神ことごとく成る世) 一六七(始め無なり) 一三(始めぞ)〇九七四(身魂ことごとく成る世)Θ九四百一(神ことごとく四方治め)九七四(ことごとく成る世)三九三三(道極む道ぞ) 一三(始めぞ) 十 二四(十月二十四日) 一二Θ。
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日の巻 第27帖

Θの国は生きているのざぞ、国土拝(おろが)めよ、Θの肉体ぞ。Θの魂ぞ。
道は真っ直ぐとばかり思うなよ、曲がって真っ直ぐであるぞ、人の道は無理に真っ直ぐにつけたがるなれど、曲がっているのがΘの道ぞ。曲がって真っ直ぐいくのざぞ。人の道も同じであるぞ。
足もとから鳥立つぞ。いよいよが近づいたぞ。
世の元と申すものは泥の海でありたぞ。
その泥からΘがいろいろのもの、一二三で、息吹て生みたのぞ。
人の智ではわからぬことざぞ。
眼は丸いから丸く見えるのざぞ。
この道理わかりたか。
一度はドロドロにこね廻さなならんのざぞ。
臣民はどない申しても近欲ざから、先見えんから欲ばかり申しているが、Θは持ち切れないほどの物与えているでないか。
いくら貧乏だとて犬猫とはケタ違うがな。それで何不足申しているのか。まだまだ天地へ取り上げるぞ。日々取り上げていることわからんか。
Θが大難を小難にして、神々様御活動になっていること目に見せてもわからんか。
天地でんぐり返るぞ。やがて富士晴れるぞ。富士は晴れたり日本晴れ。元のΘの世にかえるぞ。
「日の巻」終わりて「月の巻」に移るぞ。いよいよ一二三が多くなるから、今までに出していた神示よく肚に入れておいてくれよ、知らせねばならず、知らしては仕組成就せず、臣民早う洗濯して鏡に映るようにしてくれよ。今の世地獄とわかっているであろがな。今のやり方悪いとわかっているであろがな。
Θまつれと申すのぞ。外国には外国の神あると申してあろが。
御戦(みいくさ)進めて外国に行った時は、まずその国の神まつらねばならんぞ、まつるとはまつろうことと申してあろが。鉄砲や智では悪くするばかりぞ。
神まずまつれとくどう気つけてあるのは日本ばかりではないぞ、この方の申すこと、小さく取りては見当取れんと申してあろがな。
三千世界のことぞ。世界のことぞ。日本ばかりが可愛いのでないぞ、世界の臣民皆わが子ぞ。分け隔てないのざぞ。
この神示読みて聞かしてくれよ。読めば読むほど明るくなるぞ。富士晴れるのざぞ。Θの心晴れるのざぞ。あら楽し世ぞ。
十一月二十三日、一二Θ。


「Θの国は生きているのざぞ、国土拝(おろが)めよ、Θの肉体ぞ。Θの魂ぞ。」

「道は真っ直ぐとばかり思うなよ、曲がって真っ直ぐであるぞ、人の道は無理に真っ直ぐにつけたがるなれど、曲がっているのがΘの道ぞ。曲がって真っ直ぐいくのざぞ。人の道も同じであるぞ。」
神の道は「曲がって真っ直ぐ」DNAの二重らせん構造を思い浮かべると良いのでしょう。人の道もThe Long and Winding Roadですね。時々、The Wrong and Winding Roadですが。(笑)

「足もとから鳥立つぞ。いよいよが近づいたぞ。」
昭和20年が酉年(乙酉)です。なるほど、昨年がピンチだったのかもしれませんね。今年は戊年(戊戌)ですから。次の酉年は2029年(己酉)です。その次が本命の2041年(辛酉)です。

「世の元と申すものは泥の海でありたぞ。その泥からΘがいろいろのもの、一二三で、息吹て生みたのぞ。人の智ではわからぬことざぞ。」
伊邪那岐・伊邪那美神の国生みのずっと以前のことなのでしょうね。何度かの建て替えがあったそうですから。

「眼は丸いから丸く見えるのざぞ。この道理わかりたか。」
自分の視界でものを見ると自分の意識(受想行識=色)で見てしまうという比喩でしょうね。

「一度はドロドロにこね廻さなならんのざぞ。臣民はどない申しても近欲ざから、先見えんから欲ばかり申しているが、Θは持ち切れないほどの物与えているでないか。いくら貧乏だとて犬猫とはケタ違うがな。それで何不足申しているのか。まだまだ天地へ取り上げるぞ。日々取り上げていることわからんか。」
翌日(11月24日)から、本土大空襲が始まりますので、どんどん取り上げられることになります。

「Θが大難を小難にして、神々様御活動になっていること目に見せてもわからんか。天地でんぐり返るぞ。やがて富士晴れるぞ。富士は晴れたり日本晴れ。元のΘの世にかえるぞ。」

「「日の巻」終わりて「月の巻」に移るぞ。いよいよ一二三が多くなるから、今までに出していた神示よく肚に入れておいてくれよ、知らせねばならず、知らしては仕組成就せず、臣民早う洗濯して鏡に映るようにしてくれよ」
知らせなくても、身魂磨きによって心の鏡で仕組を理解してくれということでしょう。

「今の世地獄とわかっているであろがな。今のやり方悪いとわかっているであろがな。」
今となれば、戦争中は地獄で、やり方が悪いと分かりますが、当時は殆どの人が正しい道だと思っていたのでしょうね。あるいは、悪いと思っていても口には出せなかったのでしょう。今は、逆に何でも口に出せますから、違う意味で「ワヤ」になっている気がしますね。やはり、民主主義も共産主義も行き着くところ「愚民政治」なのかもしれません。

「Θまつれと申すのぞ。外国には外国の神あると申してあろが。御戦(みいくさ)進めて外国に行った時は、まずその国の神まつらねばならんぞ、まつるとはまつろうことと申してあろが。鉄砲や智では悪くするばかりぞ。」
国にはその国特有の文化や宗教があり、尊重すべきであり、画一的に押し付けることは良くないということでしょう。相手を理解し、仲良くしろということです。

「神まずまつれとくどう気つけてあるのは日本ばかりではないぞ、この方の申すこと、小さく取りては見当取れんと申してあろがな。」
おそらく、各国でそれぞれの神として、姿形を変えて存在しているのが「神」ということなのでしょう。

「三千世界のことぞ。世界のことぞ。日本ばかりが可愛いのでないぞ、世界の臣民皆わが子ぞ。分け隔てないのざぞ。」
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教その他何から何まで一つにまとめてという意味は、どの宗教が信者数が多いとか勢力があるとかに関係なく、もともと一つなんだよということなのでしょう。

神がその真実の姿を現せば、なんだ皆一緒じゃないかと気づき、一つにまとまるということなのでしょう。



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2018年01月25日

日の巻 第26帖

㋰、㋒、㋒、ウ、うにアエオイウざぞ。昔の世の元ぞ。
㋐、㋳、㋻、ヤ、ワあるぞ、世の元ぞ。
サタナハマからあるぞ。
一柱、二柱、三柱、五柱、七柱、八柱、九柱、十柱
と申してあろがな。
五十九の神、七十五柱、これでわかりたか。
㋰は✓ざぞ。
✓には裏表上下あるのざぞ。
冬の先、春とばかりとは限らんと申してあること忘れるなよ。
用意せよ、冬に桜咲くぞ。
十一月二十二日、ひつ九Θ。


㋰ ㋒ ㋒  ウ う  ア エ  オ イ ウ

㋐ ㋳ ㋻  ヤ ワ サ タ ナ ハ マ

昔の世の元の神
一柱 天之御中主㋰
二柱 高御産巣日㋒ 神産巣日㋒  以上三柱で造化三神
五柱 上記三柱に加え、 宇摩志阿斯訶備比古遅ウ 天之常立神う
七柱 五柱に加え、 国之常立ア  豊雲野エ
八柱 上記に加え  淤母陀琉・阿夜訶志古泥(一柱と数える)オ  ?
九柱 上記に加え  伊邪那岐・伊邪那美(一柱と数える)イ    ?
十柱 上記に加え  宇比邇・須比智邇(一柱と数える)ウ     ?

世の元の神
三柱 ㋐ ㋳ ㋻ 
七柱   ヤ ワ サ タ ナ ハ マ     以上 十神
七柱X七柱 上記七柱の下にそれぞれ七柱     以上 七七神
------------------------------------------------------
計 五十九の神 十柱+七柱X七柱

七十五柱
五十九柱 上記世の元の神
十 六柱 四神の四魂 ?
------------------------------------------------------
計 七十五柱

「㋰は✓ざぞ。✓には裏表上下あるのざぞ。」
これは、一霊四魂(和魂、荒魂、幸魂、奇魂)のことだと思われます。

十神(とおかみ)は、世の元の神ということですから、以前申し上げた「昔の世の元の神」ではなかったようです。大変、失礼いたしました。



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日の巻 第25帖

ハジメΘ(ヒツキ)ノクニウミタマヒキ、Θ(ヒ)ノクニウミタマヒキ、ツキノクニウミタマヒキ、ツギニクニウミタマヒキ(初めΘの国生み給いき、日の国生み給いき、月の国生み給いき、次に地生み給いき)。
Θに厄介かけぬようにせねばならんぞ。
Θが助けるからと申して臣民懐手(ふところで)していてはならんぞ、力の限り尽くさなならんぞ。
Θ(〇の左が☾)とΘとは違うのざぞ。
臣民一日に二度食べるのざぞ、朝はΘ(ヒ)の神様に供えてから頂けよ、夜は月の神様に捧げてから頂けよ、それがまことの益人(ますびと)ぞ。
十一月二十一日、一二Θ。


「Θに厄介かけぬようにせねばならんぞ。Θが助けるからと申して臣民懐手(ふところで)していてはならんぞ、力の限り尽くさなならんぞ。」
臣民もちゃんと力の限り仕事をしないといかんぞということです。

「Θ(〇の左が☾)とΘとは違うのざぞ。臣民一日に二度食べるのざぞ、朝はΘ(ヒ)の神様に供えてから頂けよ、夜は月の神様に捧げてから頂けよ、それがまことの益人(ますびと)ぞ。」
これは、日のΘと月のΘがあるということでしょう。ずっと後になりますが、「日の霊人」と「月の霊人」という話が出て来ます。一日二食、朝、晩が基本ということですね。



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日の巻 第24帖

ココニイザナギノミコト、イザナミノミコトハ、ヌホコ、ヌホト、クミクミテ、クニウミセナトノリタマヒキ、イザナギノミコト、イザナミノミコト、イキアハシタマヒテ、アウ、あうトノラセタマヒテ、クニ、ウミタマヒキ(ここに伊邪那岐命、伊邪那美命は、沼矛、沼陰、組み組みて、国生みせなと詔りたまいき。伊邪那岐命、伊邪那美命、息合わしたまいて、アウ、あうと、詔らせ給いて、国、生み給いき)。
九十(コト)の始め気つけてくれよ。
夜明けたら生命Θに頂いたと申してあろがな。
Θ(ヒ)あるうちはことごとにΘ(ヒ)の御用せよ。
月あるうちはことごとに月の神の御用せよ。
それがまことの臣民ぞ。
生活心配するでないぞ。
こと分けて申せば今の臣民すぐは出来ぬであろが。
始めは六分国のため、四分自分のため、次は七分国のため、三分自分のため、次は八分国のため、二分自分のため、というようにしてくれよ。
これはまだ自分あるのだぞ。
Θ人一つになるのざぞ。
十一月二十日、ひつ九Θ。


「九十(コト)の始め気つけてくれよ。夜明けたら生命Θに頂いたと申してあろがな。」
この「九十」は「行動=御用」のことのようです。朝起きた時が「コト」の始めです。

「Θ(ヒ)あるうちはことごとにΘ(ヒ)の御用せよ。月あるうちはことごとに月の神の御用せよ。それがまことの臣民ぞ。生活心配するでないぞ。」

「こと分けて申せば今の臣民すぐは出来ぬであろが。始めは六分国のため、四分自分のため、次は七分国のため、三分自分のため、次は八分国のため、二分自分のため、というようにしてくれよ。これはまだ自分あるのだぞ。」
始めは国6:自分4の重きを置くことからスタートし、徐々に国の割合を増やし、自分の割合を減らすことにより、最終的には神心になるということのようです。

「Θ人一つになるのざぞ。」



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日の巻 第23帖

一升枡(ます)には一升しか入らぬと臣民思うているが、豆一升入れて栗(あわ)入れること出来るのざぞ。
その上に水ならばまだ入るのざぞ。
Θなればその上にまだいくらでも入るのざぞ。
Θがうつりたら人が思わぬこと出来るのざぞ。
今度は千人力与えると申してあろが。
江戸の仕組、世の終わりぞ。
天拝(おろが)めよ。地拝めよ。まつわれよ。
秋の空グレンと申してあろがな。
冬も春も夏も気つけてくれよ。
十一月十三日、ひつ九か三。


いきなり、分子論ですね。より小さな物が隙間に入るので、いっぱいになったと思っても、まだまだたくさん入るということです。神は、少なくとも水の分子より小さいということが分かりますね。

「Θがうつりたら人が思わぬこと出来るのざぞ。今度は千人力与えると申してあろが。」
そんな神様が人間に入れば、考えられないような力が出るということです。

「江戸の仕組、世の終わりぞ。天拝(おろが)めよ。地拝めよ。まつわれよ。」
本土空襲による江戸(都市)の破壊です。

「秋の空グレンと申してあろがな。」
8月15日に終戦を迎えていなかったら、「グレン」だったのでしょうね。

「冬も春も夏も気つけてくれよ。」
これは、春マケ(ハルマゲドン)、夏マケ、冬マケのことです。


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日の巻 第22帖

お宮も壊されるぞ。臣民も無くなるぞ。
上の人臭い飯食う時来るぞ。
味方同士が殺し合う時来ると申してあろがな。
これからがいよいよざから、その覚悟していて下されよ。
一二三が正念場ぞ。
臣民の思うているようなことではないぞ。
この神示よく肚に入れておけと申すのぞ。
チリジリバラバラになるのざぞ。
一人一人何でも出来るようにしておけよ。
十一月十一日、ひつ九か三。


「上の人臭い飯食う時来るぞ。」
これは、終戦後「巣鴨プリズン」に投獄されたA、B、C級戦犯のことだと思われます。

「味方同士が殺し合う時来ると申してあろがな。」
フィリピン戦線や玉音放送をめぐる攻防などでは一部起こりましたが、大規模なものではありませんでした。もし、本土決戦を主張する軍部によるクーデターが起これば、大変なことになっていたでしょう。

「これからがいよいよざから、その覚悟していて下されよ。一二三が正念場ぞ。臣民の思うているようなことではないぞ。この神示よく肚に入れておけと申すのぞ。チリジリバラバラになるのざぞ。一人一人何でも出来るようにしておけよ。」
本土空襲による被害が大規模になり、戦争孤児や離散家族がたくさんできるという警告だと思います。


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2018年01月24日

日の巻 第21帖

人まず和し、人拝(おろが)めよ。
柏手打ちて人とまつろえよ。
神示読んで聞かしてくれよ。
声出して天地に響くよう宣(の)れよ。
火と水、一二三(ひふみ)となるのざぞ。
火近づいたぞ、水近づいたぞ、否でも応でも走らなならんぞ。
引っくり返るぞ。
世が唸るぞ。
神示読めば縁ある人集まって来て、Θの御用するもの出来て来ることわからんか。
仕組通りに進めるぞ。
Θ待たれんぞ、
十一月十日、ひつ九か三。


「人まず和し、人拝(おろが)めよ。柏手打ちて人とまつろえよ。神示読んで聞かしてくれよ。声出して天地に響くよう宣(の)れよ。」
人と人がまず「まつり合え」ということです。

「火と水、一二三(ひふみ)となるのざぞ。火近づいたぞ、水近づいたぞ、否でも応でも走らなならんぞ。引っくり返るぞ。世が唸るぞ。」
一二三の仕組は火と水、日と月だと思っていましたが、空襲も仕組の一つのようです。火に追われ、水で消火し、走り回ることも一二三(ひふみ)だそうです。

「神示読めば縁ある人集まって来て、Θの御用するもの出来て来ることわからんか。仕組通りに進めるぞ。Θ待たれんぞ、」
神示を音読することで縁ある人が集まり、神の御用となるようです。なかなか人(49人)が集まらないようで、神様がいら立っておられるようです。


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日の巻 第20帖

Θの用意は何もかも済んでいると申してあろが。
臣民の洗濯早う致しくれよ。
新つの世の用意早うしてくれよ。
今度の世には四十九の御役、御仕事あるのざぞ。
四十九の身魂と申してあろがな。
早うこの神示肚に入れてくれよ、早う知らせてくれよ、今までの神示、役員の肚に入るまではしばらくこの神示出ぬぞ。
大切の時には知らすなれど、そのつもりでおりてくれよ、野(ヌ)の種大切にして下されよ。
毒吐き出せよ。
十一月の八日、ひつくのか三。


「Θの用意は何もかも済んでいると申してあろが。臣民の洗濯早う致しくれよ。新つの世の用意早うしてくれよ。」
神の準備は終わり、後は臣民の身魂磨きのみとなったようです。

「今度の世には四十九の御役、御仕事あるのざぞ。四十九の身魂と申してあろがな。」
十神(とおかみ)の御役は完了、四十九神(七七神=成り鳴る神)の身魂が揃っていないのでしょう。

「早うこの神示肚に入れてくれよ、早う知らせてくれよ、今までの神示、役員の肚に入るまではしばらくこの神示出ぬぞ。大切の時には知らすなれど、そのつもりでおりてくれよ」
言うべきことは言いつくしたので、これまでの内容をよく理解し、必要な人に知らせてくれということでしょう。

「野(ヌ)の種大切にして下されよ。」
野をあえてヌというのは、もしかすると「豊雲野命」を暗示しているのかもしれません。九州の阿蘇近辺の農家に「種」があるのかも。

「毒吐き出せよ。」
心と身体に悪いものが毒ですから、身魂磨きのようにも思えます。ただ、もしかすると、毒は独(ドイツ)かもしれません。ドイツと断交して、降伏しろということかもしれません。


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日の巻 第19帖

今のやり方、考え方が間違っているからぞ。
洗濯せよ掃除せよと申すのは、これまでのやり方考え方をスクリと改めることぞ。
一度死(まか)りたと思え。
掃除して何もかも綺麗にすれば、Θの光りスクリと光り輝くぞ。
ゴモク(汚いもの)捨てよと申してあろがな。
人の心ほど怖いものないのざぞ。
奥山に紅葉あるうちにと申すこと忘れるなよ。
北に気つけよ。
Θの世の仕組よく肚に入れておいて下されよ。
今度の新(さら)つの世の元となるのざぞ。
十一月七日、ひつくのか三。


「今のやり方、考え方が間違っているからぞ。洗濯せよ掃除せよと申すのは、これまでのやり方考え方をスクリと改めることぞ。一度死(まか)りたと思え。」
やはり、神様は軍国主義を完全否定されているようです。防衛自体については否定はされていないと思います(また、後で出てきます)。一度、死んだと思って降伏せよということでしょう。
以前出て来ましたが、日本は世界の型であるから、その型を守れということでした。つまり、日清戦争以降の台湾、朝鮮、満洲、中国、東南アジア、太平洋諸島への侵攻全てが間違いだったということです(極論すれば、千島・樺太交換条約も誤りであったということになります)。
明治以降の政策は全て否定されているということでしょう。

「掃除して何もかも綺麗にすれば、Θの光りスクリと光り輝くぞ。ゴモク(汚いもの)捨てよと申してあろがな。人の心ほど怖いものないのざぞ。」
人の心というものは、移ろいやすく、また誤解や過信から、我というものがどうしても出て来るものです。それは、欧米諸国の植民地政策への恐怖心が引き金となり、自らも同様のことを行ってしまうという愚を犯してしまうことに繋がりました。今のC国やK国の行動も、かっての日本が引き起こしてしまったメグリであるとも言えるでしょう。

「奥山に紅葉あるうちにと申すこと忘れるなよ。」
古都・京都に遷都せよということでしょう。

「北に気つけよ。」
ソ連の条約破棄、そしてその後の侵攻のことでしょう。

「Θの世の仕組よく肚に入れておいて下されよ。今度の新(さら)つの世の元となるのざぞ。」
神の国の考え方をよく理解して、本来のあり方を取り戻しなさいということでしょう。


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日の巻 第18帖

ツギニイザナギノミコト、イザナミノミコトニ、アメノヌホトヲタマヒテ、トモニ、タタヨヘルコトクニツクリカタメナセトコトヨサシタマヒキ(次に伊邪那岐命、伊邪那美命に、天の沼陰を賜いて、共に漂えること地修理固成なせと言依さし賜いき)。
日に日に烈しくなると申してあろがな。
水、頂きに上げなならんぞ。
お土掘らねばならんぞ。
言葉とくに磨きてくれよ。
言に気つけてくれとくどう申してあろが。
してはならず、せねばならず、Θ事に生きて下されよ。
十一月六日、ひつ九のか三しらすぞ。


「日に日に烈しくなると申してあろがな。水、頂きに上げなならんぞ。お土掘らねばならんぞ。」
日に日に烈しくなるのは確かですが、「水、頂きに上げなならん」「お土掘らねばならん」とは、どういう意味でしょう。「お土掘らねばならん」は防空壕のことでしょう。「水、頂きに上げなならん」は、防火用水のことでしょうか。

「言葉とくに磨きてくれよ。言に気つけてくれとくどう申してあろが。」
神を讃える言葉ということでしょうか。

「してはならず、せねばならず、Θ事に生きて下されよ。」
してはいけないのは神示を伝えること、しなければならないのも神示を伝えることだと考えられます。
つまり、相手と時節を見て、伝えるべき人には神示を伝えてくださいよということだろうと思います。


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日の巻 第17帖

ココニアマツカミ、モロモロノミコトモチテ、イザナギノミコト、イザナミノミコトニ、コレノタダヨヘルクニ、ツクリカタメナセト、ノリゴチテ、アメノヌホコヲタマヒテ、コトヨサシタマイキ(ここに天津神、諸々の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命に、是の漂える地、修理固成なせと詔て、天の沼矛を賜いて、言依さし賜いき)。
Θの国にも善と悪とあると申してあろがな。
この神示見せてよい人と悪い人とあるのざぞ。
神示見せてくれるなよ。
まことのΘの臣民とわかりたら、この神示写してやりてくれよ。
神示は出ませぬと申せよ。
時節よく見るのざぞ。
型してくれたのざからもう一(はじめ)の仕組よいぞ。
この神示、表に出すでないぞ。
天明(岡本天明)は蔭の御用と申してあろが。
神示しまっておいてくれよ、一二三として聞かしてやってくれよ。
この方の仕組、日に日に変わるのざから、臣民わからなくなると申してあろが。
日に日に烈しく変わりて来るのざぞ。
Θの子には神示伝えてくれよ。
Θ急けるのざぞ。
Θ海(うずうみ)の御用結構。
十一月四日、一二Θ。


「Θの国にも善と悪とあると申してあろがな。この神示見せてよい人と悪い人とあるのざぞ。神示見せてくれるなよ。まことのΘの臣民とわかりたら、この神示写してやりてくれよ。神示は出ませぬと申せよ。」
70年以上も経って、書籍もたくさん出ていますので、もう大丈夫でしょう。

「時節よく見るのざぞ。型してくれたのざからもう一(はじめ)の仕組よいぞ。」
「Θ海(うずうみ)の御用結構。」
だんだん、御用も済んでいるようですね。尾張の仕組は未だのようですね。

「この神示、表に出すでないぞ。天明(岡本天明)は蔭の御用と申してあろが。神示しまっておいてくれよ、一二三として聞かしてやってくれよ。」

「この方の仕組、日に日に変わるのざから、臣民わからなくなると申してあろが。日に日に烈しく変わりて来るのざぞ。」
いよいよ本土空襲の月となりました。確かにこれから激しさを増してきます。

「Θの子には神示伝えてくれよ。Θ急けるのざぞ。」


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2018年01月23日

日の巻 第16帖

慌てて動くでないぞ。
時節が何もかも返報(へんぽう)返しするぞ。
時のΘ様有り難いと申してあろがな。
Θは臣民から何求めているか。
いつも与えるばかりでないか。
Θの政治、Θ国の政治は与える政治とくどう申してあろがな。
今のやり方ではいよいよ苦しくなるばかりぞ。
早う気つかぬと気の毒出来て来るぞ。
金いらぬと申してあろが。
やり方教えてやりたいなれど、それでは臣民に手柄ないから、この神示よく読みてくれと言うてあるのぞ。
善きことも現われると帳消しとなること知らしてあろが、人に知れぬように善きことはするのざぞ。
このことよく深く考えて行えよ。
昔からのメグリであるから、ちょっとやそっとのメグリでないから、どこへ逃げてもどうしてもするだけのことせなならんのざぞ。
どこにいても救う臣民は救うてやるぞ。
真ん中動くでないぞ、知らぬ顔しておることも起こるぞ。
十一月三日、一二Θ。


「慌てて動くでないぞ。時節が何もかも返報(へんぽう)返しするぞ。時のΘ様有り難いと申してあろがな。」
時節を曲げると時の神様から仕返しがあるそうです。

「Θは臣民から何求めているか。いつも与えるばかりでないか。Θの政治、Θ国の政治は与える政治とくどう申してあろがな。今のやり方ではいよいよ苦しくなるばかりぞ。早う気つかぬと気の毒出来て来るぞ。」
兵役のほか、学徒動員や戦時徴用によって国民は生活をどんどん奪われていました。こんなことは、いつまでも続くものではないということでしょう。

「金いらぬと申してあろが。やり方教えてやりたいなれど、それでは臣民に手柄ないから、この神示よく読みてくれと言うてあるのぞ。」

「善きことも現われると帳消しとなること知らしてあろが、人に知れぬように善きことはするのざぞ。このことよく深く考えて行えよ。」
善行は人に知られないよう行わないと意味がなくなるぞということです。

「昔からのメグリであるから、ちょっとやそっとのメグリでないから、どこへ逃げてもどうしてもするだけのことせなならんのざぞ。」

「どこにいても救う臣民は救うてやるぞ。真ん中動くでないぞ、知らぬ顔しておることも起こるぞ。」
どこにいようと救うべき人間は救うが、誠を失った者には見て見ぬふりをすることもあるから注意しておけよということでしょう。


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日の巻 第15帖

目覚めたらその日の生命お預かりしたことをΘに感謝し、その生命をΘの御心のままに弥栄に仕えまつることに祈れよ。
Θはその日その時に何すべきかにつきて教えるぞ。
明日のことに心使うなよ。
心は配れよ。
取り越し苦労するなよ。
心配りはせなならんぞ。
何もかもΘに任せよ。
Θの生命、Θの肉体となりきれよ。
何もかも捨てきらねばならんぞ。
天地皆Θのものぞ、天地皆己れのものぞ。
取り違い致してくれるなよ。
いくら戦していても天国ぞ、天国とはΘ国ぞ。
Θ国の民となれば戦も有り難いぞ。
イキの生命いつも光り輝いているぞ、Θにまつろうてくれと申してあろが。
天地皆にまつろうてくれと申してあろがな。
ここの道理よくわかりたであろが、何も言うことないぞ。
Θ賛える言が九十ぞ。
天地賛える言が九十ぞ。
草木の心になれと申してあろがな。
Θ風もあるぞ。
地獄の風もあるぞ。
迷うでないぞ、神の申す言は九十であるぞ。
コトに生きてくれよ。
コトまつろえよ。
十一月の一日、ひつ九か三。


「目覚めたらその日の生命お預かりしたことをΘに感謝し、その生命をΘの御心のままに弥栄に仕えまつることに祈れよ。」
「Θはその日その時に何すべきかにつきて教えるぞ。明日のことに心使うなよ。心は配れよ。取り越し苦労するなよ。心配りはせなならんぞ。」
現代にそのまま通じますね。ミサイル、地震、火山噴火とさまざまな危険が存在しますが、準備を怠らず、心を配っておけよ、但し、取り越し苦労はならんぞということでしょう。

「何もかもΘに任せよ。Θの生命、Θの肉体となりきれよ。何もかも捨てきらねばならんぞ。天地皆Θのものぞ、天地皆己れのものぞ。取り違い致してくれるなよ。」
何もかも捨てきれば全て神のもの、ひいては天地皆己れのものということでしょう。

「いくら戦していても天国ぞ、天国とはΘ国ぞ。Θ国の民となれば戦も有り難いぞ。」

「イキの生命いつも光り輝いているぞ、Θにまつろうてくれと申してあろが。天地皆にまつろうてくれと申してあろがな。」
文中「イキの生命」は原文を確認していないのでわかりませんが、イキは「息」「息吹」のことでしょう。

「Θ賛える言が九十ぞ。天地賛える言が九十ぞ。草木の心になれと申してあろがな。」
また一つ「九十」が増えましたね。神と天地を讃える声が九十だそうです。

「Θ風もあるぞ。地獄の風もあるぞ。迷うでないぞ、神の申す言は九十であるぞ。コトに生きてくれよ。コトまつろえよ。」
さらに一つ「九十」が増えました。神の言葉(言霊)も九十だそうです。

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日の巻 第14帖

世の元からの仕組であるから、臣民に手柄立てさして、上下揃った光の世にするのざから、臣民見当取れんから、早う掃除してくれと申してあるのぞ。
国中いたる所花火仕掛けしてあるのぞ。
人間の心の中にも花火が仕掛けてあるぞ。
いつその花火が破裂するか、わからんであろがな。
掃除すれば何もかも見通しざぞ。
花火破裂する時近づいて来たぞ。
動くこと出来んようになるのぞ、蝋燭(ろうそく)の火、明るいと思うているが、五六七(みろく)の世の明るさはわからんであろが。
十月の三十一日、ひつ九のか三。


「世の元からの仕組であるから、臣民に手柄立てさして、上下揃った光の世にするのざから、臣民見当取れんから、早う掃除してくれと申してあるのぞ。」

「国中いたる所花火仕掛けしてあるのぞ。人間の心の中にも花火が仕掛けてあるぞ。いつその花火が破裂するか、わからんであろがな。」
「花火破裂する時近づいて来たぞ。動くこと出来んようになるのぞ」

「蝋燭(ろうそく)の火、明るいと思うているが、五六七(みろく)の世の明るさはわからんであろが。」

これは、短いけど重要な文章です。ほぼ、核心といっても良いのではないでしょうか。

苦の花が咲きます。


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日の巻 第13帖

人心で急ぐでないぞ。
我が出てくるとしくじるから、我とわからん我あるから、今度はしくじること出来んから、ここという時にはΘが力つけるから、急ぐでないぞ。
身魂磨き第一ぞ。
蔭の御用と表の御用とあるなれど、いずれも結構な御用ざぞ。
身魂相当が一番良いのざぞ。
今にわかりて来るから慌てるでないぞ。
今までの神示よく読んでくれたらわかるのざぞ。
それで肚で読め読めとくどう申しているのぞ。
食い物気つけよ。
十月二十八日、ひつ九のか三。


「人心で急ぐでないぞ。我が出てくるとしくじるから、我とわからん我あるから、今度はしくじること出来んから、ここという時にはΘが力つけるから、急ぐでないぞ。」

「身魂磨き第一ぞ。蔭の御用と表の御用とあるなれど、いずれも結構な御用ざぞ。身魂相当が一番良いのざぞ。今にわかりて来るから慌てるでないぞ。」

「今までの神示よく読んでくれたらわかるのざぞ。それで肚で読め読めとくどう申しているのぞ。」

岡本天明氏を始めお仲間たちの心が勇んでいる様子がわかります。

「食い物気つけよ。」
これは二通りの意味が考えられます。一つは肉食を慎めといういつものこと、後一つは化学兵器による攻撃です。実際には、実施されませんでしたが、検討はされていたようです。


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日の巻 第12帖

三ハシラ、五ハシラ、七ハシラ、コトアマツカミ、ツギ、ウヒジニ、ツギ、イモスヒジニ、ツギ、ツヌグヒ、ツギ、イモイクグヒ、ツギ、オホトノジ、ツギ、イモオホトノベ、ツギ、オモタル、ツギ、イモアヤカシコネ、ミコトト、アレナリ、イキイキテ、イキタマヒキ、ツギ、イザナギノカミ、イザナミノカミ、アレイデマシマシキ(三柱、五柱、七柱、別天津神、次、宇比地邇、次、妹須比智邇、次、角杙、次、妹活杙、次、意富斗能地、次、妹大斗乃辨、次、於母陀流、次、妹阿夜詞志古泥、命と現れ成り、いきいきて、いき給いき。次、伊邪那岐神、伊邪那美神、現れ出で坐しき)。
足もと気つけよ。
悪は善の仮面かぶりて来るぞ。
入れん所へ悪が化けて入ってΘの国をワヤにしているのであるぞ、己の心も同様ぞ。
百人千人万人の人が善いと申しても悪いことあるぞ。
一人の人言ってもΘの心に添うことあるぞ。
てんし様拝めよ。
てんし様拝めば御光出るぞ、何もかもそこから生まれるのざぞ。
お土拝めよ。
お土から何もかも生まれるのぞ。
人拝めよ、上に立つ人拝めよ、草木も神と申してあろがな。
江戸に攻め寄せると申してあろがな。
富士目指して攻め来ると知らしてあること近づいたぞ。
今までのことは皆、型でありたぞ、江戸の仕組もお山も、甲斐の仕組も皆型ぞ、鳴門とΘ海(うずうみ)の仕組も型出してくれよ。
尾張の仕組も型早う出してくれよ。
型済んだらいよいよ末代続くまことの世直しの御用にかからすぞ。
雨降るぞ。
十月二十八日、ひつ九のか三。


「三柱、五柱、七柱、別天津神」
出て来ましたね。この文脈からすると、「三柱」は天御中主命、高御産巣日命、神産巣日命で確定。「五柱」はこれに加え宇摩志阿斯詞備比古遅神と天之常立神。古事記の記載通りですね。これに国之常立神と豊雲野命を加えて「七柱」となり、別天津神となられるようです。「三五七」の由来と考えられます。

「足もと気つけよ。悪は善の仮面かぶりて来るぞ。入れん所へ悪が化けて入ってΘの国をワヤにしているのであるぞ、己の心も同様ぞ。百人千人万人の人が善いと申しても悪いことあるぞ。一人の人言ってもΘの心に添うことあるぞ。」
また、出て来ましたね。言いたいこともありますがやめておきましょう。お察しください。「己の心も同様ぞ」はそうした悪が知らず知らずのうちに心をむしばんでいるのに気づけよということでしょう。

「てんし様拝めよ。てんし様拝めば御光出るぞ、何もかもそこから生まれるのざぞ。」

「お土拝めよ。お土から何もかも生まれるのぞ。」

「人拝めよ、上に立つ人拝めよ、草木も神と申してあろがな。」

「江戸に攻め寄せると申してあろがな。富士目指して攻め来ると知らしてあること近づいたぞ。」

「今までのことは皆、型でありたぞ、江戸の仕組もお山も、甲斐の仕組も皆型ぞ、鳴門とΘ海(うずうみ)の仕組も型出してくれよ。尾張の仕組も型早う出してくれよ。型済んだらいよいよ末代続くまことの世直しの御用にかからすぞ。」
まだ、全部の型が出ているわけではないようですね。

「雨降るぞ。」
これは普通の雨ではなく、大洪水の暗示でしょうね。


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2018年01月22日

日の巻 第11帖

学も神力ぞ。神ざぞ。
学が人間の智恵と思っていると、とんでもないことになるぞ。
肝腎の真ん中、動いてはならんのざぞ。
Θ国の政治は魂のまつりごとぞ。
苦し行が喜んで出来るようになりたら、Θの仕組わかりかけるぞ。
何事も喜んで致してくれと申してあろがな。
臣民の頭では見当取れん無茶な世になる時来たのざぞ。
それを闇の世と申すのぞ。
神は✓、 臣民は〇、外国は〇、神の国は✓と申してあろが、神国から見れば、まわりみな外国、外国から見れば神国真ん中。
人の真ん中には神あろうがな。
悪神の仕組はこの方にはわかりているから、一度に潰すことは易いなれど、それでは天の大神様にすまんなり、悪殺してしまうのではなく、悪改心さして、五六七(みろく)の嬉し嬉しの世にするのがΘの願いざから、
ここの道理忘れるでないぞ。
今の臣民、いくら立派な口きいても、文字ならべても、誠がないから力ないぞ。
黙っていても力ある人いよいよ世に出る時近づいたぞ。
力はΘから流れ来るのぞ。
磨けた人からΘがうつって今度の二度とない世界の、世直しの手柄立てさすぞ。
身魂磨きが何より大切ぞ。
十月の二十七日、ひつ九のか三。


「学も神力ぞ。神ざぞ。学が人間の智恵と思っていると、とんでもないことになるぞ。」
学問といえども神の力が働いているようです。

「肝腎の真ん中、動いてはならんのざぞ。Θ国の政治は魂のまつりごとぞ。苦し行が喜んで出来るようになりたら、Θの仕組わかりかけるぞ。何事も喜んで致してくれと申してあろがな。」
苦しいことも何事も喜んで出来るようになると、神の仕組がわかりかけるそうです。

「臣民の頭では見当取れん無茶な世になる時来たのざぞ。それを闇の世と申すのぞ。」

「神は✓、 臣民は〇、外国は〇、神の国は✓と申してあろが、神国から見れば、まわりみな外国、外国から見れば神国真ん中。人の真ん中には神あろうがな。」
神から見れば臣民も外国も「外国」、神国から見ればまわりは「外国」です。まわりから見れば、中心は神、人の真ん中にも神があるそうです。

「悪神の仕組はこの方にはわかりているから、一度に潰すことは易いなれど、それでは天の大神様にすまんなり、悪殺してしまうのではなく、悪改心さして、五六七(みろく)の嬉し嬉しの世にするのがΘの願いざから、
ここの道理忘れるでないぞ。」
悪を殺してしまうのではなく、悪を改心させてミロクの嬉し嬉しの世にするのが神の願いだそうです。

「今の臣民、いくら立派な口きいても、文字ならべても、誠がないから力ないぞ。黙っていても力ある人いよいよ世に出る時近づいたぞ。」
高学歴で知識があっても「誠」がないと力は出ないそうです。

「力はΘから流れ来るのぞ。磨けた人からΘがうつって今度の二度とない世界の、世直しの手柄立てさすぞ。」

「身魂磨きが何より大切ぞ。」


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日の巻 第10帖

ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコト、ナリナリテ、 アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ(次、天之常立命、次、国之常立命、次、豊雲野命、なり成りて、現れ出で給い、命澄みきり給いき)。
辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、良き日と申してあろがな。
九月八日は結構な日ざが、恐い日ざと申して知らしてありたこと、少しはわかりたか。
何事も神示通りになりて、先繰りに出て来るぞ。
遅し早しはあるのざぞ。
この度は幕の一ぞ。
日本の臣民これで戦済むように申しているが、戦はこれからぞ。
旧十月八日、十八日はいくらでもあるのざぞ。
三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ。
今は型であるぞ。
早う改心すれば型小さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。
猫に気つけよ、犬来るぞ。
臣民の掃除遅れると段々大きくなるのだぞ。
神が表に出て御働きなされていること、今度はよくわかりたであろがな。
Θと神との戦であると申してあろがな。
戦のまねであるぞ。
Θがいよいよとなりて、ビックリ箱開いたら、臣民ポカンぞ。
手も足も動かすこと出来んのざぞ。
譬(たと)えではないのざぞ。
くどう気つけておくぞ、これからがいよいよの戦となるのぞ、鉄砲の戦ばかりでないぞ。
その日その日の戦烈しくなるぞ、褌(ふんどし)締めくれよ。
十月二十五日、ひつ九のか三。


「辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、良き日と申してあろがな。」
辛酉の年:2041年(直近は1981年)
辛酉の日:2018年1月29日、3月30日、5月29日、7月28日、9月26日、11月25日

「九月八日は結構な日ざが、恐い日ざと申して知らしてありたこと、少しはわかりたか。何事も神示通りになりて、先繰りに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。」
旧暦昭和19年9月8日=西暦10月24日(レイテ沖海戦)

「この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済むように申しているが、戦はこれからぞ。」

「旧十月八日、十八日はいくらでもあるのざぞ。」
旧暦昭和19年10月8日=西暦11月23日(11月24日サイパンからの東京初空襲)
旧暦昭和19年10月18日=西暦12月3日(杉並、板橋、江戸川他東京空襲)

「三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ。」
以前触れました。七月七日が昭和20年8月14日(ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日)

「今は型であるぞ。早う改心すれば型小さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。」
太平洋戦争は「型」です。本番はこれからのようです。

「猫に気つけよ、犬来るぞ。」
猫はC国のことだと思われます。犬はA国でしょうか。

「臣民の掃除遅れると段々大きくなるのだぞ。」
段々大きくなっているようです。

「Θと神との戦であると申してあろがな。戦のまねであるぞ。」
太平洋戦争は、神様同士が仕組んだ「戦のまね=型」だったそうです。

「Θがいよいよとなりて、ビックリ箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んのざぞ。」

「くどう気つけておくぞ、これからがいよいよの戦となるのぞ、鉄砲の戦ばかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ、褌(ふんどし)締めくれよ。」
確かに、「これからがいよいよの戦」なのですが、「鉄砲の戦ばかりでないぞ」というのは、原子爆弾のことを言っているのでしょうか。それとも、身魂磨きのことでしょうか。



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日の巻 第9帖

何事も持ちつ持たれつであるぞ。
神ばかりではならず、人ばかりではならずと申してあろが。
善一筋の世と申しても、今の臣民の言うているような善ばかりの世ではないぞ。
悪でない悪とあなないているのざぞ。
このお道は、あなないの道ぞ、上ばかりよい道でも、下ばかりよい道でもないのざぞ。
まつりとはまつわることで、まつり合わすとは、草は草として、木は木として、それぞれのまつり合わせぞ。
草も木も同じまつり合わせではないのざぞ。
十月の二十六日。ひつ九か三。


「何事も持ちつ持たれつであるぞ。」
「このお道は、あなないの道ぞ、上ばかりよい道でも、下ばかりよい道でもないのざぞ。」
神も人も何事も協力し、助け合っていくのだそうです。

「善一筋の世と申しても、今の臣民の言うているような善ばかりの世ではないぞ。悪でない悪とあなないているのざぞ。」
善と悪は裏表、「悪でない悪」と「善でない善」があなない合っているのでしょう。

「まつりとはまつわることで、まつり合わすとは、草は草として、木は木として、それぞれのまつり合わせぞ。草も木も同じまつり合わせではないのざぞ。」
それぞれのまつり合わせがあり、「神には神のまつり合わせ」、「人には人のまつり合わせ」もあるのでしょう。


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日の巻 第8帖

ツギ、ウマシアシカビヒコジノカミ、ミコトトナリナッテ、アレイデタマイキ(次、宇摩志阿斯詞備比古遅神、命となり成って現れ出で給いき)。
瓜の蔓(つる)に茄子ならすでないぞ、茄子には茄子と申してあろがな。
味噌も糞も一つにするでないぞ。
皆がそれぞれに息する道あろがな。
野見よ森見よ。
神の経済よく見よ。
神の政治よく見て、まことの政治仕えてくれよ。
すべてにまつろうことと申してあろがな。
上に立つ番頭殿、目開いて下されよ。
間に合わんこと出来てもΘはもう知らんぞ。
Θ急けるぞ。
役員も気配れよ。
旧九月八日、ひつ九のか三。


「瓜の蔓(つる)に茄子ならすでないぞ、茄子には茄子と申してあろがな。味噌も糞も一つにするでないぞ。皆がそれぞれに息する道あろがな。」
現代社会の基礎となっている「自由、平等、機会均等」原則の真っ向否定です。
人それぞれの本分を大事にせよということのようです。

「野見よ森見よ。神の経済よく見よ。神の政治よく見て、まことの政治仕えてくれよ。すべてにまつろうことと申してあろがな。」

「上に立つ番頭殿、目開いて下されよ。間に合わんこと出来てもΘはもう知らんぞ。」
旧九月八日は、西暦10月24日です。だんだん迫って来ました。

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日の巻 第7帖

ツギタカミムスビゾ、カミムスビノミコトトナリタマイキ、コノミハシラ、スニナリマシテ、スミキリタマイキ(次、高御産巣日ぞ、神産巣日命と成り給いき、この三柱、スになりまして、澄みきり給いき)。
岩戸ひらく道、神々苦むなり、弥ひらき苦む道ぞ、苦しみてなりなり、なりえむ道ぞ、神諸々なり、世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々四方(よも)にひらく、なる世の道、ことごとくの道、みいづぞ、
十月二十四日、一二Θ。


「岩戸ひらく道」は、神々も大変苦しい思いをして作られる「新しき道」のようです。

後日、原文を検証いたします。

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2018年01月21日

日の巻 第6帖

アメツチノトキ、アメミナカヌシノミコト、アノアニナリマシキ、タカアマハラニミコトトナリタマヒキ(天地の時、天御中主命、アのアに成りましき、高天原に命と成り給いき)。
今の経済は悪の経済と申してあろがな、もの殺すのぞ。
Θの国の経済はもの生む経済ぞ。
今の政治はもの壊す政治ぞ、Θの政治は与える政治と申してあろが。
配給は配給、統制は統制ぞ。
一度は何もかも天地に引き上げと申してあるが、次の世の種だけは地に埋めておかねばならんのざぞ。
それでΘがくどう申しているのぞ。
種は落ちぶれていなさる方で守られているぞ。
上下に引っくり返ると申してあること近づいて来たぞ。
種は百姓に与えてあるぞ。
種蒔(ま)くのは百姓ぞ、
十月の二十二日、ひつ九か三。


「今の経済は悪の経済と申してあろがな、もの殺すのぞ。Θの国の経済はもの生む経済ぞ。」
資源を浪費し、地球の環境破壊を起こすということでしょう。

「今の政治はもの壊す政治ぞ、Θの政治は与える政治と申してあろが。配給は配給、統制は統制ぞ。」
配給は統制の手段であり、与える政治ではない。現代の生活保護も含まれるのでしょうか。
人間の本来あるべき自給自足の生活を壊し、家族制度の崩壊を招き、金・物欲一辺倒の消費社会になっていることを「今の政治はもの壊す政治ぞ」と言われているのでしょう。

「一度は何もかも天地に引き上げと申してあるが、次の世の種だけは地に埋めておかねばならんのざぞ。」
「種は落ちぶれていなさる方で守られているぞ。」
「種は百姓に与えてあるぞ。種蒔(ま)くのは百姓ぞ」
次の世の救世主は、農家の生まれの方のようです。


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日の巻 第5帖

Θの国にはΘも人も無いのざぞ。
忠も孝もないのざぞ。
Θは人であるぞ。
山である、川である、めである、野であるぞ。
草である、木である、動物であるぞ。
為すこと、皆忠となり孝と流れるのぞ。
死も無く生きも無いのぞ。
Θ心あるのみぞ。
やがては降らん雨霰(あめあられ)、役員気つけてくれよ。
Θの用意は出来ているのざぞ。
何事からでも早う始めてくれよ。
Θの心に叶うものはどしどしと埒(らち)あくぞ。
十月二十一日、一二Θ。


「Θの国にはΘも人も無いのざぞ。忠も孝もないのざぞ。Θは人であるぞ。山である、川である、めである、野であるぞ。草である、木である、動物であるぞ。為すこと、皆忠となり孝と流れるのぞ。」
Θの国では、「かむながらたまちはえませ」の状況なのでしょう。森羅万象全てが和しているのだと思います。

「死も無く生きも無いのぞ。Θ心あるのみぞ。」

「やがては降らん雨霰(あめあられ)、役員気つけてくれよ。Θの用意は出来ているのざぞ。」
本土空襲1か月前となりましたね。

「何事からでも早う始めてくれよ。Θの心に叶うものはどしどしと埒(らち)あくぞ。」


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日の巻 第4帖

戦済みても後の紛糾なかなかに済まんぞ。
人民いよいよ苦しくなるぞ。
三四五(みよいづ)の仕組出来ないで、一二三(ひふみ)の御用はやめられんぞ。
この神示読んで三四五の世の仕組、よく肚の中に入れておいて上(かみ)の人に知らしてやりて下されよ。
三四五とはてんし様の稜威(みいづ)、出づることぞ。
十月二十日、ひつ九か三。


「戦済みても後の紛糾なかなかに済まんぞ。人民いよいよ苦しくなるぞ。」
やはり、この時点で、太平洋戦争の終結を見通されているのでしょう。戦後の混乱や、その後の世界の混迷を暗示されているものだと思われます。

「三四五とはてんし様の稜威(みいづ)、出づることぞ。」

「いずれは天のひつくの神様、御憑かりになるぞ、遅し早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂磨かねば、御憑かり遅いのざぞ、よくとことん掃除せねば御憑かり難しいぞ」
これは、「地つ巻第36帖」の言葉ですが、これが「三四五(みよいづ)の仕組」と思われます。
「天のひつくの神様」がΘとなるためには、一段と身魂磨きが出来た身魂でないと御憑かりが出来ないのでしょう。

「この神示読んで三四五の世の仕組、よく肚の中に入れておいて上(かみ)の人に知らしてやりて下されよ。」
この「上(かみ)の人」は天皇陛下かもしれません(成十=鳴門の仕組の徳仁皇太子かもしれません)。あるいは、岡本天明氏の元に集められた役員の方かもしれませんが、いつもは「役員に気つけおくぞ」と言われるのが、あえて「上の人」ですから。


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日の巻 第3帖

この神示、声立てて読みて下されと申してあろがな。
臣民ばかりに聞かすのでないぞ。
守護神殿、神々様にも聞かすのぞ、声出して読みてさえおればよくなるのざぞ。
じゃと申して、仕事休むでないぞ。
仕事は行であるから務め務めた上にも精出してくれよ。
それが真の行であるぞ。
滝に打たれ、断食するような行は幽界(がいこく)の行ぞ。
Θの国のお土踏み、Θ国の光息して、Θ国から生れる食べ物頂きて、Θ国の御仕事している臣民には、行は要らぬのざぞ。
このことよく心得よ。
十月の十九日、一二Θ。


「この神示、声立てて読みて下されと申してあろがな。臣民ばかりに聞かすのでないぞ。守護神殿、神々様にも聞かすのぞ、声出して読みてさえおればよくなるのざぞ。」

「じゃと申して、仕事休むでないぞ。仕事は行であるから務め務めた上にも精出してくれよ。それが真の行であるぞ。」
仕事が真の行です。みなさん、お仕事に精を出してください。

「滝に打たれ、断食するような行は幽界(がいこく)の行ぞ。」
日々の仕事の中にこそ、身魂磨きに必要な行があるそうです。特別な修業などは必要がないということです。

「Θの国のお土踏み、Θ国の光息して、Θ国から生れる食べ物頂きて、Θ国の御仕事している臣民には、行は要らぬのざぞ。このことよく心得よ。」


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日の巻 第2帖

三千年、三千世界乱れたる、罪や穢れを身において、この世の裏に隠れしまま、この世構いし大神の、ミコト畏(かしこ)みこの度の、岩戸開きの御用する、身魂はいずれも生き変わり、死に変わりして練りに練り、鍛えに鍛えしΘ国の、まことの身魂天駈(あまか)けり、国駈けります元の種、昔の元の御種(おんたね)ぞ、今落ちぶれているとても、やがては神の御民とし、天地(あめつち)駈けりΘ国の、救いの神と現われる、時近づきぬ御民等よ。
今一苦労二苦労、とことん苦しきことあれど、堪え忍びてぞ次の世の、まことΘ代の礎(いしずえ)と、磨きてくれよΘ身魂、弥栄つぎに栄えなむ。
身魂幸はえましまさむ。
旧九月二日、ひつ九のか三。


三千年前といえば、丁度弥生時代が始まった頃です。それ以降に三千世界が乱れたということでしょう。
因みに、ユダヤではソロモン王が現れたころ、中国では殷の時代です。

「罪や穢れを身において、この世の裏に隠れしまま、この世構いし大神の」
国之常立大神のことです。罪や穢れを着せられ、艮の金神となり、お隠れになったということでしょう。
(私の説だと紀元前2,500年のころです)

「ミコト畏(かしこ)みこの度の、岩戸開きの御用する、身魂はいずれも生き変わり、死に変わりして練りに練り、鍛えに鍛えしΘ国の、まことの身魂天駈(あまか)けり、国駈けります元の種、昔の元の御種(おんたね)ぞ」
正神復活を助けるのは、昔の元の御種が、いずれも生き変わり、死に変わりして練りに練り、鍛えに鍛えられた方々だそうです。

「今落ちぶれているとても、やがては神の御民とし、天地(あめつち)駈けりΘ国の、救いの神と現われる、時近づきぬ御民等よ。」
今は、落ちぶれていても、鍛えられた臣民が救いの神として現れるのは近いそうです。

「今一苦労二苦労、とことん苦しきことあれど、堪え忍びてぞ次の世の、まことΘ代の礎(いしずえ)と、磨きてくれよΘ身魂、弥栄つぎに栄えなむ。身魂幸はえましまさむ。」
これから、本当の試練が訪れるということでしょう。それを耐え忍んだ後、永遠に栄える世が来るということです。


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2018年01月20日

日の巻 第1帖

富士は晴れたり日本晴れ。
Θ(ひ)の巻書き知らすぞ。
この世に自分の物という物は何一つないのであるぞ。
早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。
今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になっているのざから、見当取れんのざぞ。
Θの国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になっているのざから、そのつもりでおりて少しでもΘの御用務めてくれよ。
これからがいよいよの正念場と申してあろがな。
今はまだまだ一の幕で、先繰り(せんぐり)出て来るのざぞ。
我、出したらわからなくなるぞ、てんし様拝めよ、てんし様まつりくれよ、臣民無理と思うことも無理でないこと沢山にあるのざぞ、Θはいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。
壊すのでないぞ、練り直すのざぞ。
世界を摺り鉢に入れてこね廻し、練り直すのざぞ。
日本の中に騒動起こるぞ。
神の臣民気つけてくれよ。
日本もΘと獣に分かれているのざから、否(いや)でも応でも騒動となるのざぞ。
小さくしたいなれど。
旧九月一日、ひつ九のか三。


「この世に自分の物という物は何一つないのであるぞ。早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。」
いよいよ始まる本土大空襲の警告ですね。

「今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になっているのざから、見当取れんのざぞ。
Θの国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になっているのざから、そのつもりでおりて少しでもΘの御用務めてくれよ。」
前にちょっと触れましたね。「Θの国の洗濯」と「外国の洗濯」と「世界ひっくるめた洗濯」が三つの大洗濯だそうです。

「これからがいよいよの正念場と申してあろがな。今はまだまだ一の幕で、先繰り(せんぐり)出て来るのざぞ。」
旧九月一日といえば、西暦昭和19年10月17日なので、11月24日から始まる東京大空襲の1か月前です。
また、西暦昭和19年12月 7日(旧暦 10月22日)の昭和東南海地震の2か月弱前でもあります。

「我、出したらわからなくなるぞ、てんし様拝めよ、てんし様まつりくれよ、臣民無理と思うことも無理でないこと沢山にあるのざぞ、Θはいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。」
この「てんし様」とは天津日嗣大神様のことでしょうね。

「壊すのでないぞ、練り直すのざぞ。世界を摺り鉢に入れてこね廻し、練り直すのざぞ。」
「日本の中に騒動起こるぞ。神の臣民気つけてくれよ。日本もΘと獣に分かれているのざから、否(いや)でも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど。」

昭和東南海地震を含め、東京大空襲から始まる日本中の大空襲のことでしょうね。
日本は世界の型ですから、そのうち、世界中で似たようなことが起こるのかもしれませんね。
あるいは既に世界各地で起きているテロがその一部かもしれません。
で、あれば、これからもっと酷くなっていくのかもしれません。
日本中の都市が焼き尽くされたわけですから。
そうならないことを祈っております。


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地つ巻 第19帖 原文

原文
四七十Θ九二一十十三七三十Θ九二四八十八八二一十九三六五一 三一九九一二三三四五五六七七八九九〇一三十卍十九〇✓十三九十八二二八十Θ八十一十九三 九二四 一二Θ 二三

対訳
四七(世成り)十Θ九二一十十(神国の太陽足り満ちて)三七三十(皆みち足り)Θ九二(神国の月神)四八十(世をひらき足り)八八二一(弥栄にひらき、月光)十九三(総てはみち)六五一(結び出づ) 三一九九(道は極みに極む)一二三(ひふみ)三四五(みよいづ)五六七(みろく)七八九九〇一三(弥栄々々ぞ)十卍十(神、仏、耶)九〇✓十(ことごと和し、和して足り)三九十八(太道ひらく永遠)二二八(富士は晴れたり)十Θ八十一(太神は光り出づ)十九三(神国のはじめ) 九二四(九月二十四日) 一二Θ 二三(一二Θふみ)

ひふみ
世成り、神国の太陽足り満ちて、皆みち足り、神国の月神、世をひらき足り、弥栄にひらき、月光、総てはみち、結び出づ、道は極みに極む、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)、弥栄々々ぞ、神、仏、耶(や)、ことごと和し、和して足り、太道ひらく永遠、富士は晴れたり、太神は光り出づ、神国のはじめ。
九月二十四日、一二Θふみ。

私見
四七(世成り)十Θ九二一(とおかみ国の始め)十十三七三十(神々皆みち足り)Θ九二四八十(神国世をひらきたり)八八二一十九三(山々に初めて神極むぞ)六五一(結び出づ始め) 三一九九(道は極みに極む)一二三(ひふみ)三四五(みよいづ)五六七(みろく)七八九(なやこ)九〇(こと)一三(弥栄ぞ)十卍十(神、仏、耶)九〇✓十(ことごと和して足り)三九十八(道極む永遠)二二八(富士は)十Θ八十一十九三(とおかみ開くと言っとくぞ)または(とおかみ開くと初めて神極むぞ) 九二四(九月二十四日) 一二Θ 二三(一二Θふみ)

とおかみ=十神 世の元からの活神様
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地つ巻 第36帖

富士は晴れたり日本晴れ、てんし様が富士から世界中に稜威(みいづ)される時近づいたぞ。
富士はヒの山、日の本の山で、汚してならん御山ざから人民登れんようになるぞ、神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世のさま見て早う改心して、身魂洗濯致してΘの御用つとめてくれよ。
大き声せんでも静かに一言いえばわかる臣民、一言えば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ、今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示あてにならん、騙されていたと申す人も出て来るぞ、よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世浄めてくれよ。
わからんと申すのは神示読んでいないしるしぞ、身魂芯から光り出したら、人もΘも同じことになるのぞ、それがまことの臣民と申してあろうがな。
山から野(ぬ)から川から海から何が起こっても神は知らんぞ、みな臣民の心からぞ、改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧払いてくれよ、御光出ぬようにしていてそれでよいのか、気づかんと痛い目に遭うのざぞ、誰れ彼れの別ないと申してあろうがな。
いずれは天のひつくの神様、御憑かりになるぞ、遅し早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂磨かねば、御憑かり遅いのざぞ、よくとことん掃除せねば御憑かり難しいぞ、役員も気つけてくれよ、御役ご苦労ぞ、その代わり御役済みだら富士晴れるぞ。
十月十一日、一二か三。


これで「地つ巻」が終わりました。

「富士はヒの山、日の本の山で、汚してならん御山ざから人民登れんようになるぞ」
人が登れなくはなっていませんが、2013年6月26日に富士山は世界文化遺産登録されました。マイカー規制が導入され、自然保護のため厳しい規制がかけられています。

「神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世のさま見て早う改心して、身魂洗濯致してΘの御用つとめてくれよ。」

「大き声せんでも静かに一言いえばわかる臣民、一言えば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ」
日本人は「大き声せんでも静かに一言いえばわかる臣民」ではありますが、「一言えば十知る臣民」はそれほど多くありませんね。「一言えば十批判する臣民」はたくさんいますが。(笑)

「今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示あてにならん、騙されていたと申す人も出て来るぞ」
終戦時はそういう状態だったでしょうね。今、読み返すと、結構あたっていることが分かるんですが。

「よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世浄めてくれよ。」
世が浄まっていなかったのでしょうね。

「わからんと申すのは神示読んでいないしるしぞ、身魂芯から光り出したら、人もΘも同じことになるのぞ、それがまことの臣民と申してあろうがな。」
まだまだ、分からないことが多いですね。

「山から野(ぬ)から川から海から何が起こっても神は知らんぞ、みな臣民の心からぞ、改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧払いてくれよ、御光出ぬようにしていてそれでよいのか、気づかんと痛い目に遭うのざぞ、誰れ彼れの別ないと申してあろうがな。」
山津波、放射能汚染、海の津波ですね。日本人の身魂磨きが足りないせいだそうです。磨いてあれば、少なくとも事前に避難・対策することが出来たということなのでしょう。

「いずれは天のひつくの神様、御憑かりになるぞ、遅し早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂磨かねば、御憑かり遅いのざぞ、よくとことん掃除せねば御憑かり難しいぞ」
これは、岡本天明氏に言われたことでしょうが、いずれ二代目が現れられるのでしょう。

「役員も気つけてくれよ、御役ご苦労ぞ、その代わり御役済みだら富士晴れるぞ。」
役員の方も同様でしょうね。70年以上経ってますから、生まれ変わりとして、20〜30代の方かもしれませんね。

「御役ご苦労ぞ、その代わり御役済みだら富士晴れるぞ。」


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地つ巻 第35帖

日本の国はこの方の肉体であるぞ。
国土拝(おろが)めと申してあろうがな、日本は国が小さいから、一握りに握りつぶして喰うつもりで攻めて来ているなれど、この小さい国が、喉(のど)につかえてどうにも苦しくて堪忍してくれというように、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ。
外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願いと申してあろうがな、今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来ておらぬ臣民は、苦しくて日本のお土の上におれんようになるのぞ。
自分から外国行きとなるのざぞ。
魂のままの国に住むようになるのぞ。
南の島に埋めてある宝を御用に使う時近づいたぞ。
お土の上がり下がりある時近づいたぞ。
人の手柄で栄耀(えいよう)している臣民、もはや借銭なしの時となりたのぞ、改心第一ぞ。
世界に変わりたことは皆この方の仕組の節々ざから、身魂磨いたらわかるから、早う身魂磨いて下されよ。
身魂磨くにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつろうことぞと申して説いてきかすと、Θ祀りはしないでいる臣民おるが、Θ祀り元ぞ、Θ迎えねばならんぞ、取り違いと天狗が一番恐いのざぞ、千刄(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。
Θの規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面に記してあるのざぞ、借銭なしで裁きの時になっているのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんな偉い人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭なしが始まっているのぞ、済ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日(おおみそか)ぞ、晦日は闇と決まっているであろうがな。
借り返すとき辛いなれど、返したあとの晴れた気持ち良いであろうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらえてΘの申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返してくれよ、番頭殿、下にいる臣民殿、国々の守護神殿、外国の神々様、臣民殿、卍(仏)も十(キリスト)も九(何もかも?)もみな聞いてくれよ、その国その民のやり方伝えてあろうがな、九十に気つけて用意してくれよ。
十月十日、ひつ九のか三。


「日本の国はこの方の肉体であるぞ。国土拝(おろが)めと申してあろうがな」
原文を確認したわけではないので確定は出来ませんが、「ひつ九のか三」が「国之常立大神」であることが分かりました(須佐之男尊かと思っていたのですが)。日月地の「地つ巻」ですものね。

「日本は国が小さいから、一握りに握りつぶして喰うつもりで攻めて来ているなれど、この小さい国が、喉(のど)につかえてどうにも苦しくて堪忍してくれというように、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ」
「外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願いと申してあろうがな」
世界中の人が全て「神の子」です。

「今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来ておらぬ臣民は、苦しくて日本のお土の上におれんようになるのぞ。」
日本が神の国になれば光り輝き、眩しくて苦しくなるので、近づけなくなるということです。

「自分から外国行きとなるのざぞ。魂のままの国に住むようになるのぞ。」
これは「幽界」のことでしょうね。

「南の島に埋めてある宝を御用に使う時近づいたぞ。お土の上がり下がりある時近づいたぞ。」
ついに出て来ましたね「南の島に埋めてある宝」。「お土の上がり下がりある」ですから、やはり「潮満珠」か「潮涸玉」のようですね。

「人の手柄で栄耀(えいよう)している臣民、もはや借銭なしの時となりたのぞ、改心第一ぞ。」
部下の犠牲で勲章をもらっているような人は借銭してるぞということでしょう。

「世界に変わりたことは皆この方の仕組の節々ざから、身魂磨いたらわかるから、早う身魂磨いて下されよ。」
世界中の天変地異は、国之常立大神の仕組の現れなので、その意味は「身魂磨いたら」分かるということですね。

「身魂磨くにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつろうことぞと申して説いてきかすと、Θ祀りはしないでいる臣民おるが、Θ祀り元ぞ、Θ迎えねばならんぞ、取り違いと天狗が一番恐いのざぞ、千刄(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。」
心だけではなく、祀るという形も必要ということです。

「Θの規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面に記してあるのざぞ、借銭なしで裁きの時になっているのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんな偉い人でも、それだけに苦しむぞ」
身録の仕組ですね。

「家は家の、国は国の借銭なしが始まっているのぞ、済ましたら気楽な世になるのぞ」
「世界の大晦日(おおみそか)ぞ、晦日は闇と決まっているであろうがな。」
日本は、大戦中に併合した国からの借銭返還要求に苦しめられていますね。相手が納得しなければ借銭の返済にはならないのでしょうか。侵略した国に対する賠償は解決しているのですが、相手国民の心の傷は完全に癒されたとはいえない状況です。なかなか気楽な世にはなりそうもありませんね。

「借り返すとき辛いなれど、返したあとの晴れた気持ち良いであろうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらえてΘの申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返してくれよ」
日本のやり方で返済するとはどういうことでしょう。謝罪、様々な賠償、経済協力、無償借款、技術協力、友好・親善活動などを行って来ました。それだけではダメなのでしょうか。

「番頭殿、下にいる臣民殿、国々の守護神殿、外国の神々様、臣民殿、卍(仏)も十(キリスト)も九(何もかも?)もみな聞いてくれよ、その国その民のやり方伝えてあろうがな、九十に気つけて用意してくれよ。」
世界中の神々、国々、人々にも借銭返しをするように手配しているということでしょうね。
またまた「九十に気つけて用意してくれよ」と、出て来ました。「九十に間に合うように」ともとれますが、「その国その民のやり方、殊に=特に気つけて」ともとれます。



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地つ巻 第34帖

Θは言葉ぞ、言葉とはまことぞ、息吹ぞ、道ぞ、まこととは、まつり合わした息吹ぞ、言葉で天地濁(にご)るぞ、言葉で天地澄むぞ、戦なくなるぞ、神国になるぞ、言葉ほど結構な恐いものないぞ。
十月十日、あの一二のか三。


言葉は言霊(ことだま)です。言葉によって世の中善くもなるし悪くもなるということです。綺麗な言葉を使えば善い人になれるし、悪い言葉を使えば悪い人になります。また、単なる形式的な綺麗さではなく、心から発する言葉は他人の心に届きやすくもなります。

しかし、ヒトラーのように他人を扇動し、狂信的に巻き込む者があることも注意しなければなりません。冷静さを失わず、他人の意見に惑わされず、真実はどこにあるのか正確に判断することが必要です。

ちょっと前に、「言葉をなくするぞ」という話がありました。テレパシーのことではないかと申しました。そうなれば、相手の全ての考えも分かってしまうため、嘘ということがなくなります(嘘をつこうとしても相手は分かってしまうのですから嘘が嘘でなくなります)。その結果、全ての言葉は「まこと」の言霊になると思われます。

呪術、呪文、密教も言葉や印によって、神仏に願い、ある事を成就させようというものですが、これもある種の言霊といえるでしょう。祝詞もそうですね。

以前、ある人から、「嘘をついて何が悪い、嘘は誰でもつくものじゃないか」と言われて愕然としたことがありますが、その嘘は自分自身を傷つけていることにぜひ気づいて欲しいと思います。


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2018年01月19日

地つ巻 第33帖

江戸の仕組済みたら尾張の仕組にかからすぞ。
その前に仕組む所あるなれど、今では成就せんから、その時は言葉で知らすぞ。
宝持ち腐りにしてくれるなよ、猫に小判になりてくれるなよ。
天地一度に変わると申してあること近づいたぞ、世は持ちきりにはさせんぞよ、息吹払いて論なくするぞ、コトなくするぞ、物言われん時来るぞ、臣民見当とれんことと申してあろうが、上の人辛くなるぞ、頑張りてくれよ。
十月八日、ひつ九のか三。


「尾張の仕組」が出て来ましたね。「オワリ=終わり」、美濃尾張=身の終わりです。大本教を始め諸説あるようですが、仕組の内容はよく分かりません。面白い話が多いので結構楽しませて頂いております。美濃といえば、木曽御岳山や白山、尾張は津島神社や真清田神社、尾張氏など気になることが多く、いろんな可能性があって興味は尽きません。ただ、昭和南海地震と関係があるのかもしれないとも思っております。

「その前に仕組む所あるなれど、今では成就せんから、その時は言葉で知らすぞ。宝持ち腐りにしてくれるなよ、猫に小判になりてくれるなよ。」
いよいよ、お宝を出されるのでしょうか。北の海一つ向こうの「お宝」のことだと思います。

「天地一度に変わると申してあること近づいたぞ、世は持ちきりにはさせんぞよ」
持ちきりとは「あるあいだ中、同じ話題が続くこと」です。世が突然一変するということでしょう。

「息吹払いて論なくするぞ、コトなくするぞ、物言われん時来るぞ」
息吹のみで言葉がなくなるそうです。議論はなくなり、意志疎通ができるようになるようです。テレパシーでしょうか。


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地つ巻 第32帖

仕組み通りが出て来るのざが、大難を小難にすること出来るのざぞ。
Θも泥海は真っ平ぞ、臣民喜ぶほどΘ嬉しきことないのざぞ、曇りておれど元はΘの息入れた臣民ぞ。
打つ手あるのぞ。
番頭殿、役員殿、フンドシ締めよ。
十月の七日、ひつ九のか三。


「仕組み通りが出て来るのざが、大難を小難にすること出来るのざぞ。」
結果的には中の上難くらいでしたね。本土の諸都市、広島、長崎、沖縄と悲惨な目に遭いましたが「泥海」だけにはなりませんでした。

「臣民喜ぶほどΘ嬉しきことないのざぞ、曇りておれど元はΘの息入れた臣民ぞ。打つ手あるのぞ。」
敗戦後日本は、一時的に占領下におかれましたが、いざなぎ、バブル景気を経て、いざなみ景気、現在のアベノミクス景気?と紆余曲折はありつつも何とか平和国家として順調に発展して来ました。
有難うございました。

しかし、ついに近隣諸国の軍事的脅威にさらされ、「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず」状態になって来ました。まだ、眠ったままの方が半数近くおられますが。

「打つ手」はあるのでしょうか。


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地つ巻 第31帖

この神示読ますようにするのが役員の務めでないか、役員さえ読んではいないではないか。
神示に一二三(ひふみ)つけたもの、まず大番頭、中番頭、小番頭殿に読ましてくれよ、道さえつければ読むぞ、肚に入るものと入らぬものとはあるなれど、読ますだけは読ませてやるのが役員の務めでないか。
旧九月になったら忙しくなるから、それまでに用意しておかんと悔しさが出るぞよ。
いざとなりて地団駄踏んでも間に合わんぞ。
餅搗(つ)くには搗く時あるのざぞ、それで縁ある人を引き寄せているのざぞ、Θは急けるのぞ。
十月の七日、ひつ九のか三、いそぐ。



「神示に一二三(ひふみ)つけたもの、まず大番頭、中番頭、小番頭殿に読ましてくれよ、道さえつければ読むぞ」
「肚に入るものと入らぬものとはあるなれど、読ますだけは読ませてやるのが役員の務めでないか。」

「旧九月になったら忙しくなるから、それまでに用意しておかんと悔しさが出るぞよ。」
いよいよ、焼夷弾による全国的な空襲が始まります。

「餅搗(つ)くには搗く時あるのざぞ、それで縁ある人を引き寄せているのざぞ、Θは急けるのぞ。」
これが、前帖でもあった御役の方々でしょう。
大番頭3人、中番頭7人、小番頭殿49人でしょうか。


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地つ巻 第30帖

一度に立て替えすると世界が大変が起こるから、延ばし延ばしているのざぞ、目覚めぬと末代の気の毒できるぞ。
国取られた臣民、どんなにむごいことになりても何も言うこと出来ず、同じΘの子でありながらあまりにもひどいやり方、ケダモノよりもむごいことになるのが、よくわかりているから、Θが表に出て世界中救うのであるぞ、この神示肚に入れるとΘ力出るのざぞ、疑う臣民沢山あるが気の毒ざぞ。
一通りは嫌がる臣民にもこの神示一二三(ひふみ)として読むように、上の人、してやりて下されよ。
生命あるうちにΘの国のこと知らずに、死んでからΘの国に行くことは出来んぞ、Θの力でないと、もう世の中はどうにも動かんようになっていること、上の番頭殿わかりておろうがな、どうにもならんと知りつつ、まだ智や学ばかりに縋(すが)りておるようでは上の人とは申されんぞ、智や学越えてΘの力にまつわれよ、飛行機でも飛行機にまつわれば命通うのざぞ、お土拝みて米作る百姓さんがΘのまことの民ぞ、カミ拝(おろが)みて神示とれよ、神のない世とだんだんなりておろがな。
まつることは生かすことぞ。
生かすことは能(はたら)かすことぞ。
Θの国には何でもないものないのざぞ、Θの御用ならば何でも出て来る結構な国ざぞ、何もなくなるのはやり方悪いのぞ、Θの心に副(そ)はんのぞ。
十月七日、一二Θ。


「一度に立て替えすると世界が大変が起こるから、延ばし延ばしているのざぞ、目覚めぬと末代の気の毒できるぞ。」
「国取られた臣民、どんなにむごいことになりても何も言うこと出来ず、同じΘの子でありながらあまりにもひどいやり方、ケダモノよりもむごいことになるのが、よくわかりているから」
これは、日本の将来を暗示していますね。C国の支配下に入るとそうなるでしょう。
民族浄化が行われて、男は殺され、女は凌辱されるでしょう。これは長い歴史が証明していますし、現実に今でも行われていることです。あなた方の子孫がそういう目に合わされても良いのであれば、どうぞ、今のまま、お気楽な生活をお続けください。ついに縄文時代から続いたD1b遺伝子が消滅するのを見届けてください。特に沖縄の方、ご注意ください。あなたたちが古代日本人の代表ですから。50%に近い方がD1b遺伝子をお持ちなんですからね。

「Θが表に出て世界中救うのであるぞ、この神示肚に入れるとΘ力出るのざぞ、疑う臣民沢山あるが気の毒ざぞ。」
よろしくお願いいたします。私の大好きな「日本人」を救ってやってください。
バカ(正直)でお人好しですが、良い人ばかりなんです。

「一通りは嫌がる臣民にもこの神示一二三(ひふみ)として読むように、上の人、してやりて下されよ。」
「生命あるうちにΘの国のこと知らずに、死んでからΘの国に行くことは出来んぞ」
「Θの力でないと、もう世の中はどうにも動かんようになっていること、上の番頭殿わかりておろうがな」
「どうにもならんと知りつつ、まだ智や学ばかりに縋(すが)りておるようでは上の人とは申されんぞ、智や学越えてΘの力にまつわれよ」

「飛行機でも飛行機にまつわれば命通うのざぞ」

「お土拝みて米作る百姓さんがΘのまことの民ぞ」

「カミ拝(おろが)みて神示とれよ、神のない世とだんだんなりておろがな。」

「まつることは生かすことぞ。生かすことは能(はたら)かすことぞ。」

「Θの国には何でもないものないのざぞ、Θの御用ならば何でも出て来る結構な国ざぞ」

「何もなくなるのはやり方悪いのぞ、Θの心に副(そ)はんのぞ。」


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地つ巻 第29帖

天明(岡本天明)は神示書かす御役ぞ、蔭の役ぞ、この神示はアとヤとワのつく役員から出すのざぞ、表ぞ。
旧九月までにはその御方お揃いぞ、カのつく役員裏なり、タのつく役員表なり、裏表あると申してあろうがな、コトが大切ぞ、コトによりて伝えるのがΘは嬉しきぞよ、文字は次ぞ、このことよく心得よ。
天の異変は人の異変ぞ、一時は神示も出んことあるぞ、神示読んでくれよ、神示読まないで臣民勝手に智恵絞りても何にもならんと申してあろうがな、Θにくどう申さすことはΘ国の臣民の恥ぞ。
神示は要らぬのがまことの臣民ぞ、Θそれぞれにわたりたら神示要らぬのざぞ、それが神世の姿ぞ。
上に立つ人にこの神示わかるようにしてくれよ、国は国の、団体(まどい)は 団体の上の人に早う知らしてくれよ。
アとヤとワから表に出すと上の人も耳傾けるのざぞ。
アとはアイウエオぞ、ヤもワも同様ぞ、カは裏ぞ、タは表ぞ、サとナとハとマとまつわりてくれよ、ウは別の御役ぞ、御役に上下ないぞ、みなそれぞれ貴い御役ぞ。
この神示、『上つ巻』と『下つ巻』まず読みてくれよ、肚に入れてから神集(つど)うのぞ、神は急けるぞ。
山の津波に気付けよ、
十月の七日、ひつ九のか三。


「御役の一覧」

    七柱    三柱
      裏表 表表表
 ラハナマカタ ワヤア   世の元からの活神様 十柱
         ヰ イ
          ユ
         ヱ エ
      コト ヲヨオ

コトは「言葉」


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2018年01月18日

地つ巻 第28帖

Θの国にはΘの国のやり方、外国には外国のやり方あると申してあろうがな、戦もその通りぞ、Θの国はΘの国のやり方せねばならんのざぞ、外国のやり方真似(まね)ては外国強いのざぞ、戦するにも身魂磨き第一ぞ。
一度に始末することは易いなれど、それではΘの国を一度は丸潰しにせねばならんから、待てるだけ待っているのざぞ、仲裁する国はなく、出かけた船はどちらも後へ引けん苦しいことになりて来るぞ、Θ気つけるぞ。
十月六日、ひつくのか三。


「Θの国にはΘの国のやり方、外国には外国のやり方あると申してあろうがな」

「戦もその通りぞ、Θの国はΘの国のやり方せねばならんのざぞ、外国のやり方真似(まね)ては外国強いのざぞ、戦するにも身魂磨き第一ぞ。」
日本という国は、昔から個別の技術では出色の製品を生み出すのですが、総合力で負けてしまうんですよね。
「和を以て貴しとなす国」ですから、なれ合いの部分も多く、他国にも自分たちと同様の思いやりと意思疎通を期待してしまうところがあります。政治的、外交的、経営的な分析力や実行力に欠けるところもあります。
卑怯なことは出来ませんし、強引な手法もとれません。
また、それが、良いところでもあります。

みんなで仲良く一緒にという体制の中では実力を十分に発揮しますが、生き馬の目を抜く環境にはどうしても馴染めません。その役割りを商社が引き受けて来たのですが、近ごろは各企業が直接交渉を行って騙されてしまうというケースが多く見受けられます。

餅は餅屋ということわざがありますが、護送船団方式というぬるい環境の中で育って来た企業は、その技術力に特化し、交渉は専門家に任せたらいかがでしょうか。

技術を磨きましょう。そして、安易に技術移転したり、盗まれたり、会社毎乗っ取られないよう注意してください。組織防衛力も大事なスキルです。情報管理もしっかりしてください。技術者の引き抜きにも気をつけてください。

50年後、100年後の世代のために、ぜひ、日本という国をよろしくお願いします。

脱線してしまいました。(笑)

「一度に始末することは易いなれど、それではΘの国を一度は丸潰しにせねばならんから、待てるだけ待っているのざぞ」
有難うございます。

「仲裁する国はなく、出かけた船はどちらも後へ引けん苦しいことになりて来るぞ、Θ気つけるぞ。」
日本は「日ソ不可侵条約」の相手国であるソ連に仲裁の希望を託していました。
翌年、8月8日には、ソ連が日ソ中立条約を破棄し、日本に宣戦布告をして来ます。
10か月前からの警告です。

全く、日本人の発想は「甘ちゃん」ですね。

なんか、段々腹が立って来ました。

将来的に同じことを繰り返さないように祈っております。



posted by mydears at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 地つ巻

地つ巻 第27帖

天地には天地の、国には国の、ビックリ箱開くのざぞ。
ビックリ箱開いたら臣民みな思いが違っていることわかるのぞ、早う洗濯した人からわかるのぞ、ビックリ箱開くと、Θの規則通りに何もかもせねばならんのぞ、目あけておれん人出来るぞ、Θの規則は日本も支那(しな)もインドもメリカもキリスもオロシヤもないのざぞ、一つにして規則通りが出来るのざから、今に敵か味方かわからんことになりて来るのざぞ。
学の世はもう済みたのぞ、日に日に神力現われるぞ、一息入れる間もないのぞ。
ドシドシ事を運ぶから遅れんように、取り違いせんように、慌てぬようにしてくれよ。
神々様もえらい心配なされてござる方あるが、仕組はりゅうりゅう、仕上げ見て下されよ。
旧九月になればこの神示に代わりて天のひつくの神の御神示出すぞ、初めの役員それまでに引き寄せるぞ、八分通り引き寄せたなれど、あと二分通りの御役の者引き寄せるぞ。
遅し早しはあるなれど、神の申したこと一厘も違わんぞ、二三(ふみ)は晴れたり日本晴れ、おけ、
十月の四日、ひつくのか三、二三(ふみ)


「天地には天地の、国には国の、ビックリ箱開くのざぞ。」
天地の神様にも国の人民にも驚くような事が起きるということです。

「ビックリ箱開いたら臣民みな思いが違っていることわかるのぞ」
日本がアメリカに勝つというような我善し事ではないぞということでしょう。

「ビックリ箱開くと、Θの規則通りに何もかもせねばならんのぞ、目あけておれん人出来るぞ」
これは、原子爆弾のことかもしれませんし、Θの光輝いて目が開いていられないの二通り考えられます。

「Θの規則は日本も支那(しな)もインドもメリカもキリスもオロシヤもないのざぞ、一つにして規則通りが出来るのざから、今に敵か味方かわからんことになりて来るのざぞ。」
国籍、人種にかかわらず魂の磨き方次第で七つに分けられるので、敵も味方もないということです。
あるとすれば、善と悪の戦いです。

「学の世はもう済みたのぞ、日に日に神力現われるぞ、一息入れる間もないのぞ。ドシドシ事を運ぶから遅れんように、取り違いせんように、慌てぬようにしてくれよ。」

「神々様もえらい心配なされてござる方あるが、仕組はりゅうりゅう、仕上げ見て下されよ。」
心配されている神様もいらっしゃるんですね。

「旧九月になればこの神示に代わりて天のひつくの神の御神示出すぞ」
次の「日の巻」からは「天のひつくの神」の神示が出るようです。旧暦九月一日は、西暦10月17日となります。

「初めの役員それまでに引き寄せるぞ、八分通り引き寄せたなれど、あと二分通りの御役の者引き寄せるぞ。」
59人のうち、47人は集まったので、後12人ほどということでしょう。

「遅し早しはあるなれど、神の申したこと一厘も違わんぞ」
幸いなことに73年遅れているようです。


posted by mydears at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 地つ巻
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