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2018年01月28日

月の巻 第36帖

今の臣民見て褒めるようなことは、皆奥知れているぞ。
これが善である、まことのやり方ぞと思っていること、九分九厘までは皆悪のやり方ぞ。
今の世のやり方見ればわかるであろうが。
上の番頭殿、悪い政治すると思ってやっているのではないぞ。
番頭殿を悪く申すのでないぞ。
善い政治しようと思ってやっているのぞ。
善いと思うことに精出しているのざが、善だと思うことが善でなく、皆悪ざから、Θの道がわからんから、身魂曇りているから、臣民困るような政治になるのぞ。
まつりごとせなならんぞ、わからんことも神の申す通りすれば、自分ではわからんこともよくなっていくのざぞ。
悪と思っていることに善がたくさんあるのざぞ。
人裁くのはΘ裁くことざぞ。
怖いから改心するようなことでは、戦がどうなるかと申すようなことではまことの民ではないぞ。
世がいよいよのとことんとなったから、今に大神様まで悪く申す者出て来るぞ。
産土(うぶすな)様なんぞあるものか、悪神ばかりぞと申す者たくさんに出てくるぞ。
この世始まってない時ざから、我が身我が家が可愛いようではΘの御用つとまらんぞ。
Θの御用すれば、道に従えば、我が身我が家は心配なくなるという道理わからんか。
何もかも結構なことに楽にしてやるのざから、心配せずにわからんことも素直に言うこと聞いてくれよ。
子に嘘つく親はないのざぞ。
神界のこと知らぬ臣民は、いろいろと申して理屈の悪魔に囚われて申すが、今度のいよいよの仕組は臣民の知りたことではないぞ。
神界の神々様にもわからん仕組ざから、とやかく申さずと、Θの神示肚に入れて、身魂磨いて素直に聞いてくれよ。それが第一等ざぞ。
この神示は世に出ている人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気狂(きちが)いと言われ、阿呆(あほう)と言われても、Θの道素直に聞く臣民でないと解けんぞ。
解いてよく噛み砕いて、世に出ている人に知らしてやりて下されよ。
苦労喜ぶ心より、楽喜ぶ心高いぞ。
十一月二十九日、一二Θ。


「今の臣民見て褒めるようなことは、皆奥知れているぞ。これが善である、まことのやり方ぞと思っていること、九分九厘までは皆悪のやり方ぞ。今の世のやり方見ればわかるであろうが。」
ロシアの南下政策を防ぐために中国と戦争し、朝鮮を併合し、満洲国を建国したことにより中国との紛争を拡大し、当初は自衛のためと思っていた戦争がいつの間にか侵略戦争になっておりました。ついには、南方の資源を得ようと南進したことにより欧州諸国と対立し、ABCD包囲網を経てハル・ノート(ロシアコミンテルンの謀略)により最後通牒を渡され、アメリカとの開戦に踏み込んでいったのです。
元をたどれば、明治以降の富国強兵政策から全て「悪のやり方」であったわけです。戦争で勝ったり、手柄を立てたりすると勲章を貰い、軍神と崇められ、「鬼畜米英」の軍事教育で育てられ、国家総動員法で戦争のための軍需物資を作らされました。兵役で子供を奪われ、空襲で家を焼かれ、財産を奪われ、食糧を奪われ、戦火に逃げ惑う生活を余儀なくさせられました。まさに「奪う」政治であったわけです。

「上の番頭殿、悪い政治すると思ってやっているのではないぞ。番頭殿を悪く申すのでないぞ。善い政治しようと思ってやっているのぞ。善いと思うことに精出しているのざが、善だと思うことが善でなく、皆悪ざから、Θの道がわからんから、身魂曇りているから、臣民困るような政治になるのぞ。」
当時の国家の方向性が間違っていたので、どんどん悪い方向に進んで行きました。「常識」とは怖いものです。当時の「常識」こそが、非常識だったのです。
今の世界もそうです。世界の「常識」は人間の多数決で決められるというのが民主主義の大原則ですが、そのたよりない人間の決める多数決に普遍的な価値はありません。
「色つきのメガネ」で見れば何色にでもなってしまうのですから。
世の中には、何とか「色つきのメガネ」を掛けさせようと虎視眈々と狙っている「悪」もあります。
正しい「中いく道」を皆が選ばない限り、非常識の「常識」になることを肝に銘じるべきです。

「まつりごとせなならんぞ、わからんことも神の申す通りすれば、自分ではわからんこともよくなっていくのざぞ。」

「悪と思っていることに善がたくさんあるのざぞ。人裁くのはΘ裁くことざぞ。」
これは難しいですね。やはり、犯罪は処罰しないと社会の秩序は保てませんし。被害者家族の感情もありますし。ただ、冤罪の可能性もあるので、死刑の厳格化は必要でしょうね。その代わり、終身刑は必須だと思います。

「怖いから改心するようなことでは、戦がどうなるかと申すようなことではまことの民ではないぞ。」
自分の身を案じてのことであれば「我れ善し」ですから、真の改心とはいえないということでしょう。

「世がいよいよのとことんとなったから、今に大神様まで悪く申す者出て来るぞ。産土(うぶすな)様なんぞあるものか、悪神ばかりぞと申す者たくさんに出てくるぞ。」
そう思った人がいても不思議ではありません。ただ、私はそういう話を聞いたことはありません。さすが、日本人です。

「この世始まってない時ざから、我が身我が家が可愛いようではΘの御用つとまらんぞ。Θの御用すれば、道に従えば、我が身我が家は心配なくなるという道理わからんか。」
我が子、我が妻、我が親は大事ですものね。自分の身はどうなっても助けたいと思うのは人情でしょう。そこまで否定するとなると抵抗がある人も多いのでは。ただ、道に従えば、心配ないそうなので信じるしかありませんね。

「何もかも結構なことに楽にしてやるのざから、心配せずにわからんことも素直に言うこと聞いてくれよ。
子に嘘つく親はないのざぞ。」
神が親、人間が子なので、嘘ではないそうです。

「神界のこと知らぬ臣民は、いろいろと申して理屈の悪魔に囚われて申すが、今度のいよいよの仕組は臣民の知りたことではないぞ。神界の神々様にもわからん仕組ざから、とやかく申さずと、Θの神示肚に入れて、身魂磨いて素直に聞いてくれよ。それが第一等ざぞ。」
神様でさえ知らない仕組なので、屁理屈をたれず、素直に従いなさいということです。

「この神示は世に出ている人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気狂(きちが)いと言われ、阿呆(あほう)と言われても、Θの道素直に聞く臣民でないと解けんぞ。解いてよく噛み砕いて、世に出ている人に知らしてやりて下されよ。」
どうやら、私には、資格がありそうです。(笑)

「苦労喜ぶ心より、楽喜ぶ心高いぞ。」
高いぞというのは、高くつくぞということでしょう。つまり、楽を喜ぶより、苦を喜ぶ方が価値があるぞということでしょう。

posted by mydears at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 月の巻
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