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2018年01月28日

月の巻 第40帖

ここに伊邪那美命、語らいつらく、吾汝(あれみまし)と造れる国、未だ造り終えねど、時まちて造るへに、よいよ待ちてよと宣(の)り給いき。
ここに伊邪那岐命、汝造らわねば吾とくつくらめ、と宣り給いて、帰らむと申しき。
ここに伊邪那美命、是(こ)聞き給いて、御頭(みかしら)に大雷(おおいかつち)、大雷(オホイカツチ)、胸に火雷(ほのいかつち)、火雷(ホノイカツチ)、御腹には黒雷(くろいかづち)、黒雷(クロイカツチ)、かくれに折雷(さくいかつち)、折雷(サクイカツチ)、左の御手に若雷(わきいかつち)、若雷(ワキイカツチ)、右の御手に土雷(つちいかつち)、土雷(ツチイカツチ)、左の御足に鳴雷(なるいかつち)、鳴雷(ナルイカツチ)、右の御足に伏雷(ふしいかつち)、伏雷(フシイカツチ)、成り給いき。
伊邪那岐命、是見(こみ)、畏(かしこ)みてとく帰り給えば、妹(いも)伊邪那美命は、黄泉醜女(よもつしこめ)を追わしめき、ここに伊邪那岐命、黒髪鬘(かつら)取り、また湯津々間櫛(ゆつつまぐし)引きかけて、投げ棄(う)て給いき。
伊邪那美命、次の八種(やくさ)の雷神(いかつちかみ)に黄泉軍(よもついくさ) 副(そ)えて追い給いき。
ここに伊邪那岐命、十挙(とつか)の剣(つるぎ)抜きて後手(しりえで)に振きつつさり、三度(みたび)黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到り給いき。
坂本なる桃の実一二三(ひふみ)取りて待ち受け給いしかば、ことごとに逃げ給いき。
ここに伊邪那岐命、桃の実に宣り給わく、汝吾助けし如(ごと)、あらゆる青人草の苦瀬(うきせ)に悩むことあらば、助けてよと宣り給いて、また葦原の中津国(あしはらのなかつくに)にあらゆる、うつしき青人草の苦瀬に落ちて苦しまん時に助けてよと宣り給いて、おおかむつみの命、オホカムツミノの命と名付け給いき。
ここに伊邪那美命、息吹き給いて千引岩(ちびきいわ)を黄泉比良坂に引き塞(そ)えて、その石中にして合い向かい立たしてつつしみ申し給いつらく、うつくしき吾が汝夫(なせ)の命、時廻り来る時あれば、この千引きの岩戸、共にあけなんと宣り給えり。
ここに伊邪那岐命、しかよけむと宣り給いき。
ここに妹伊邪那美の命、汝の国の人草、日に千人(ちひと)死(まけ)と申し給いき。
伊邪那岐の命宣り給わく、吾は一日に千五百(ちいほ)生まなむと申し給いき。
この巻、二つ合わして「日月の巻」とせよ。
十一月三十日、ひつ九か三。


伊邪那岐命と伊邪那美命の別れの場面です。
ほぼ古事記と同様の記載ですが、古事記と相違する文章も散見されます。
まず、古事記では伊邪那岐命が待ちきれずのぞいたところ伊邪那美命の全身が恐ろしい姿になっていたと書かれていますが、ここでは単に、伊邪那美命が「もう少し待ってください」と言っているのに伊邪那岐命が「国造りを一緒にしないなら離婚だ。帰る。」と言ったことに伊邪那美命が腹を立て、伊邪那岐命に追っ手を差し向けたことになっています。
また、古事記にはありませんが、本文では「うつくしき吾が汝夫(なせ)の命、時廻り来る時あれば、この千引きの岩戸、共にあけなんと宣り給えり。ここに伊邪那岐命、しかよけむと宣り給いき。」と、いずれ時が来たら一緒に岩戸を開けようと両神が了解していることです。

私は、この文章で、二神は再縁話が不調に終わり、伊邪那美命が伊邪那岐命に追っ手を差し向けたが、最終的に、条件が整えば「再婚」もありうると合意して離別したと解釈します。

おそらくその後、伊邪那美命は扶余の流れをくむ「布都(フツ)」と再婚し、須佐之男命を産んだのだと推測します。出雲に散見される「出雲塩津町の石上神社」「宇美神社」などはこの「布都」の系統を祀った神社でしょう。



posted by mydears at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 月の巻
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