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2018年02月16日

松の巻 第12帖

前にも立て替えはあったのざが、三千世界の立て替えでなかりたから、どの世界にでも少しでも曇りあったら、 それが大きくなって、悪は走れば苦労に甘いから、神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。それで今度は元の生神が天晴れ現われて、悪は影さえ残らぬよう、根本からの大洗濯するのぞ、神々様、守護神殿、今度は悪は影も残さんぞ。早う改心なされよ。立て替えのこと、学や智ではわからんぞ。
六月二十八日、アメのひつ九のか三。


「前にも立て替えはあったのざが、三千世界の立て替えでなかりたから、どの世界にでも少しでも曇りあったら、 それが大きくなって、悪は走れば苦労に甘いから、神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。」
以前の「立て替え」は三千世界の立て替えではなかったので、少しの曇りがだんだん大きくなって悪になって来たとのことです。神々でさえ、知らず知らずのうちに悪になってこられているくらいです。

「それで今度は元の生神が天晴れ現われて、悪は影さえ残らぬよう、根本からの大洗濯するのぞ、神々様、守護神殿、今度は悪は影も残さんぞ。早う改心なされよ。立て替えのこと、学や智ではわからんぞ。」
今度は、神々、守護神含めて、悪は影さえ残らぬよう、根本からの大洗濯をするそうです。


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松の巻 第11帖

今の法律、この方嫌いじゃ、嫌いのもの無くするぞ。凝り固まると害(そこな)うぞ。この道、中行く道と申してあろが、あれなら日津久(ひつく)の御民ぞと世間で言うような行いせねばならんぞ。
神の国と申すものは光の世、歓びの世であるぞ。虫けらまで、てんし様の御光に集まる歓びの世であるぞ。見事この方について御座れ。手引っ張って峠越さしてやるぞ。
六月二十五日、アメのひつ九のか三。


「今の法律、この方嫌いじゃ、嫌いのもの無くするぞ。凝り固まると害(そこな)うぞ。この道、中行く道と申してあろが、あれなら日津久(ひつく)の御民ぞと世間で言うような行いせねばならんぞ。」
法律は無くなるようです。一人一人が自覚を持って、立派に生きることが求められるようです。

「神の国と申すものは光の世、歓びの世であるぞ。虫けらまで、てんし様の御光に集まる歓びの世であるぞ。」
うそ偽り、隠し事のない誠・真の世界です。光の世、歓びの世だそうです。

「見事この方について御座れ。手引っ張って峠越さしてやるぞ。」


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松の巻 第10帖

今度役目決まったら、末代続くのざぞ、神示に出た通りの規則となるぞ。善も末代ぞ、悪も末代ぞ。この世は一つであるぞ。我の身体、我の自由にならぬ時来たぞ。神にすがるより仕方なくなって、すがったのでは、間に合わんぞ。今度はいろはの世に戻すぞ。ひふみの世に戻すぞ。素直にすれば魂入れ替えて、善い方に廻してやるぞ、歓びの身といたしてやるぞ。
六月二十(四)日、あメのひつ九のか三、しるす。


「今度役目決まったら、末代続くのざぞ、神示に出た通りの規則となるぞ。善も末代ぞ、悪も末代ぞ。この世は一つであるぞ。」
立て直しが済んだら、善は善の世界、悪は悪の世界となり、末代続くそうです。この世の裏表ということでしょう。

「我の身体、我の自由にならぬ時来たぞ。神にすがるより仕方なくなって、すがったのでは、間に合わんぞ。」
善に支配されるか、悪に支配されるかの二者択一です。

「今度はいろはの世に戻すぞ。ひふみの世に戻すぞ。素直にすれば魂入れ替えて、善い方に廻してやるぞ、歓びの身といたしてやるぞ。」
「いろは」も「ひふみ」も最初の3文字です。これは、「御三体の大神様」を表すと思われます。宇宙の理に従った世に戻すぞということでしょう。


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松の巻 第9帖

悪のやり方は始めはどんどん行くなれど、九分九分九厘でグレンぞ、善のやり方、始め辛いなれど、先行くほどよくなるぞ。この世に何一つ出来んということないこの方のすることぞ。言うこと聞かねば、聞くようにしてきかすぞ。因縁だけのことはどうしてもせねば、今度の峠は越せんのざぞ。ここの役員は、皆因縁身魂ばかり、苦しいだけお蔭あるぞ。
六月二十(四)日、アメのひつ九か三、しるす。


「悪のやり方は始めはどんどん行くなれど、九分九分九厘でグレンぞ、善のやり方、始め辛いなれど、先行くほどよくなるぞ。」
詐欺や不誠実なことは始めのうちは上手くいくが最後はダメになる、一方、誠実で真面目なことは徐々に信頼を勝ち得て良くなっていく。分かっていますが、大部分の人が途中であきらめてしまうんですよね。

「この世に何一つ出来んということないこの方のすることぞ。言うこと聞かねば、聞くようにしてきかすぞ。因縁だけのことはどうしてもせねば、今度の峠は越せんのざぞ。」
全国規模の空襲は続いています。これが、因縁(メグリ)の解消なのでしょうか。

「この役員は、皆因縁身魂ばかり、苦しいだけお蔭あるぞ。」


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松の巻 第8帖

神の国には昔から神の民より住めんのであるぞ、幽界(がいこく)身魂は幽界行き。一寸の住むお土も神国にはないのぞ。渡れん者が渡りて穢(けが)してしもうているぞ。日本の人民、大和魂どこにあるのぞ、大和魂とはΘと人と融け合った姿ぞ。戦いよいよ烈しくなると、日本の兵隊さんも、これはかなわんということになり、神はこの世にいまさんということになって来るぞ。それでどうにもこうにもならんことになるから、早う神にすがれと申しているのぞ。誠もてすがれば、その日からよくなるぞ、神力現われるぞ。
今度の立て替えは、この世初まってないことであるから、戦ばかりで立て替え出来んぞ。世界隅々まで掃除するのであるから、どの家もどの家も、身魂も身魂も、隅々まで生き神が改めるのざから、辛い人民沢山に出来るぞ。ミタマの神がいくら我張っても、人民にうつっても、今度は何も出来はせんぞ。世の元からの生神でないことには出来ないのであるぞ。それで素直に言うこと聞けとくどう申すのぞ、今度は神の道もさっぱりと造り替えるのざぞ。臣民の道はもとより、獣の道も造り替えぞ。
戦の手伝いくらい誰でも出来るが、今度の御用はなかなかに難しいぞ。赤いものが赤い中見ると色無いと思うのぞ、気つけてくれよ。悪神の守護となれば自分で正しいと思うこと、悪となるのざぞ。悪も改心すれば助けてやるぞ。海の御守護は竜宮の乙姫様ぞ。海の兵隊さん、竜宮の乙姫殿祀りくれよ。竜宮の乙姫殿の御守護ないと、海の戦はケリつかんぞ。
朝日照る、夕日たださす所に宝いけておいてあるぞ。宝いよいよ世に出るぞ。人民の改心第一ぞ。顔は今日でも変わるぞ。民の改心なかなかぞ。
六月二十三日、アメのひつ九のか三。


「神の国には昔から神の民より住めんのであるぞ、幽界(がいこく)身魂は幽界行き。一寸の住むお土も神国にはないのぞ。渡れん者が渡りて穢(けが)してしもうているぞ。」
前にも同じような話がありましたね。

「日本の人民、大和魂どこにあるのぞ、大和魂とはΘと人と融け合った姿ぞ。戦いよいよ烈しくなると、日本の兵隊さんも、これはかなわんということになり、神はこの世にいまさんということになって来るぞ。それでどうにもこうにもならんことになるから、早う神にすがれと申しているのぞ。誠もてすがれば、その日からよくなるぞ、神力現われるぞ。」
大和魂の話が出て来ました。「大和魂とはΘと人と融け合った姿ぞ」とあります。実は、「大和魂」という言葉は意味が豊富で、歴史的変遷もありますので、非常に抽象的な言葉でもあります。一般的に使われる「清らかで死を恐れない気概・精神」というには近世のもので、古くからあるのは、やはり、「和」を中心とした「情緒」、「思いやり」、「素直」、「強さ」という言葉で表される「しなやかさ」だと思われます。神と溶けいることのできる素養を持った民族であるということを表しているのではないでしょうか。

「今度の立て替えは、この世初まってないことであるから、戦ばかりで立て替え出来んぞ。世界隅々まで掃除するのであるから、どの家もどの家も、身魂も身魂も、隅々まで生き神が改めるのざから、辛い人民沢山に出来るぞ。」

「ミタマの神がいくら我張っても、人民にうつっても、今度は何も出来はせんぞ。世の元からの生神でないことには出来ないのであるぞ。それで素直に言うこと聞けとくどう申すのぞ」
今度の立て替えは、ミタマの神がうつったような身魂でも力及ばないようです。

「今度は神の道もさっぱりと造り替えるのざぞ。臣民の道はもとより、獣の道も造り替えぞ。」

「戦の手伝いくらい誰でも出来るが、今度の御用はなかなかに難しいぞ。赤いものが赤い中見ると色無いと思うのぞ、気つけてくれよ。悪神の守護となれば自分で正しいと思うこと、悪となるのざぞ。悪も改心すれば助けてやるぞ。」
戦争は「悪神の守護」で開始されたものなので、まず、改心するところから始めないと手助けできないということでしょうか。

「海の御守護は竜宮の乙姫様ぞ。海の兵隊さん、竜宮の乙姫殿祀りくれよ。竜宮の乙姫殿の御守護ないと、海の戦はケリつかんぞ。朝日照る、夕日たださす所に宝いけておいてあるぞ。宝いよいよ世に出るぞ。」
この日、6月23日は沖縄戦の終結の日ですので、すでに手遅れですが、「竜宮の乙姫様」は玉依姫のことでした。来たるべき「駿河灘」でお力を発揮されるということでしょう。

「人民の改心第一ぞ。顔は今日でも変わるぞ。民の改心なかなかぞ。」
初めて「改心」を誉められました。沖縄戦での人々のことでしょう。


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2018年02月15日

松の巻 第7帖

偉い人、皆俘虜(とりこ)となるぞ。夜明け近うなったぞ。夜明けたら何もかもはっきりするぞ。夜明け前は闇より暗いぞ、慌てるでないぞ。
神の国、一度負けたようになって、終いには勝ち、また負けたようになって勝つのざぞ。腹の中のゴモク一度に引っ張り出してもならぬし、出さねば間に合わんし、いよいよ荒ら事にかかるから、そのつもりで覚悟よいか。わからん人民、退いて邪魔せずに見物して御座れよ。
六月二十三日、アメのひつ九のか三。


「偉い人、皆俘虜(とりこ)となるぞ。夜明け近うなったぞ。夜明けたら何もかもはっきりするぞ。夜明け前は闇より暗いぞ、慌てるでないぞ。」
やはり、敗戦を語られておりますが、旧九月八日の仕組は、日本が丸つぶれのような状態で、半占領状態の中で、戦いを継続しているのかもしれません。「水の巻」第14帖では、「日本の国の臣民皆兵隊さんになった時、一度にどっと大変が起こるぞ。皆思い違うぞ」とありますから、神様の意思統一が出来ていないのでしょうか。

「神の国、一度負けたようになって、終いには勝ち、また負けたようになって勝つのざぞ。腹の中のゴモク一度に引っ張り出してもならぬし、出さねば間に合わんし、いよいよ荒ら事にかかるから、そのつもりで覚悟よいか。」
これは、戦争中のことであるとすれば、「一度負けたよう(半占領状態)になって最後に勝ち、また負けたようになって勝つ」というややこしい勝ち方のようです。
現代に置き換えれば、「一度負けたよう(敗戦)になって最後に勝ち(バブル)、また負けたよう(バブル崩壊)になって勝つ(次?)」となります。
さて、どちらでしょう?(笑)
まぁ、「一度負けたよう(敗戦)になって最後に勝ち(次)、また負けたよう(次の敗戦)になって勝つ(最後)」かもしれませんが。

「腹の中のゴモク一度に引っ張り出してもならぬし、出さねば間に合わんし、いよいよ荒ら事にかかるから、そのつもりで覚悟よいか。」
この一文が上記の神様の意思不一致のようの見える理由なのかもしれません。
ゴモクを引っ張り出すと戦争できないし、出さないと神上がりできないし、タイミングが重要ということでしょうか。

「わからん人民、退いて邪魔せずに見物して御座れよ。」



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松の巻 第6帖

今の世に出ている守護神、悪神を天の神と思っているからなかなか改心難しいぞ。今までの心スクリと捨てて、生まれ赤子となりて下されと申してあろが。早よ改心せねば間に合わん、残念が出来るぞ。この神示わからんうちからわかりておらんと、わかりてからわかりたのでは、人並みざぞ。地の規則、天の規則となることもあるのざぞよ。
六月二十二日、アメのひつ九のかみ、ふで。


「今の世に出ている守護神、悪神を天の神と思っているからなかなか改心難しいぞ。今までの心スクリと捨てて、生まれ赤子となりて下されと申してあろが。早よ改心せねば間に合わん、残念が出来るぞ。」
終戦前のことですから、国家神道のことでしょう。現人神、軍神のことでしょうが、「天の神」と言っていますから、「天照大御神」も含まれていると思われます。御三体の大神様の中に「撞賢木向津媛」が入っていますが、これが「瀬織津姫」であるはずもなく、明らかに「大日婁貴」のことであります。この、「大日婁貴」「撞賢木向津媛」「瀬織津姫」が無茶苦茶になった状態の「天照大御神」が悪神ということなのでしょう。

「この神示わからんうちからわかりておらんと、わかりてからわかりたのでは、人並みざぞ。地の規則、天の規則となることもあるのざぞよ。」



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松の巻 第5帖

この先どうしたらよいかということは、世界中金(かね)の草鞋(わらじ)で捜してもここより他わからんのざから、改心して訪ねて御座れ。手取りて善き方に廻してやるぞ。神国の政治は、モノ活かす政治と申してあろが、モノ活かせば、経済も政治も要らんぞ。金もの言う時から、モノもの言う時になっているが、モノもの言わん時来るぞ。誠もの言う時来るぞ。石もの言う時来るぞ。
六月二十一日の朝、アメのひつ九のかみ、ふで。


終戦前後は物資不足で「モノもの言う時」になっていました。「モノもの言わん時」というのは、現在のような「デフレ不況」(買い手がいない)のことでしょうね。「モノ活かす政治」とは、無駄なモノを作らず、モノを最大限に有効活用し、必要最低限で生活するということでしょう。でも、そもそも食べるもの、着るもの、住むものが要らないそうですから、必要なモノがあるのでしょうか。(笑)
「誠もの言う時」というのは、そうした何にも要らない状況で「誠」のみが必要とされるということでしょう。
「石もの言う時来るぞ。」とは、秘密はつつぬけになるぞという意味でしょう。



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松の巻 第4帖

いくら誠申しても、マコトは咽喉(のど)へつかえて呑み込めぬから、誠の所へは人民なかなか集まらんなれど、今度の御用は臣民沢山は要らんぞ。何もかも神が仕組みているのざから人民しようとて何も出来はせんぞ、Θの気概に叶わん人民は地の下になるのざぞ。神示わからねば一度捨てて見るとわかるのざぞ。
六月二十日、アメのひつ九のか三。



「いくら誠申しても、マコトは咽喉(のど)へつかえて呑み込めぬから、誠の所へは人民なかなか集まらんなれど、今度の御用は臣民沢山は要らんぞ。」
人間、追い詰められないと、なかなか信じることができませんからね。特に、日本人は周りの人が皆信じているという状態にならないと気持ちが動かないという性質がありますので。
59人くらいなら、なんとかなるでしょう。

「何もかも神が仕組みているのざから人民しようとて何も出来はせんぞ、Θの気概に叶わん人民は地の下になるのざぞ。」
地の下というのは地獄ということでしょうか。

「神示わからねば一度捨てて見るとわかるのざぞ。」
固定観念を捨てよということでしょうね。やはり、思い込みというのは誰にもありますから。


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松の巻 第3帖

神烈しく、人民静かにせよ。言うたこと必ず行わねばならんぞ。天から声あるぞ、地から声あるぞ。身魂磨けばよくわかるのざぞ。旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ。残る心ケダモノぞ。神となれば、食うことも着ることも住む家も心配なくなるぞ。日本晴れとはそのことざぞ。
六月十九日、あメのひつ九のか三。


「神烈しく、人民静かにせよ。言うたこと必ず行わねばならんぞ。」
神が烈しく活動するので、人民は邪魔にならないように、おとなしく言われた事だけを実行しなさいということでしょう。

「天から声あるぞ、地から声あるぞ。身魂磨けばよくわかるのざぞ。」
身魂磨きが出来ていれば、天や地からの神の声が聞こえるようになるということでしょう。

「旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ。残る心ケダモノぞ。」
身魂の掃除が終わっていないと、獣になるという意味です。

「神となれば、食うことも着ることも住む家も心配なくなるぞ。日本晴れとはそのことざぞ。」
神となり素粒子(半霊半物質)となれば、当然、食べる心配も着る心配も住む心配もなくなります。しかも、幽界に縛り付けられるわけでもないので、心は晴々と日本晴れということでしょう。


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2018年02月14日

松の巻 第2帖

Θの国を、足の踏むところないまでに穢してしもうているが、それではΘ力は出ぬぞ。臣民無くなるぞ。残る臣民、三分難しいぞ。三分と思えども、二分であるぞ。邪魔せぬように、わからん臣民見物して御座れ。ここまで知らしても眼覚めん臣民なら手引いて見ていて御座れ。見事仕上げて見せるぞ。雀チュウチュウ烏カアカア。
六月十八日、アメのひつ九か三。


神様も、随分お怒りのご様子です。20%しか生き残れないようです。

問題は、「雀チュウチュウ烏カアカア」の謎文です。
雀チュウチュウは「朝」、烏カアカアは「夕」ですね。朝から夕方までの短い間で仕上げてみせるということでしょうか。あるいは、烏がアメリカで、雀は日本のことでしょうか。烏と雀が何やってる、まとめてやっつけてやるぞともとれます。


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松の巻 第1帖

富士は晴れたり世界晴れ。三千世界一度に晴れるのざぞ。世の元の一粒種の世となったぞ。松の御代となったぞ。世界中揺すりて眼覚すぞ。三千年の昔に返すぞ。煎(い)り豆花咲くぞ。上下ひっくり返るぞ。水も洩らさん仕組みぞ。
六月十七日、アメのひつ九か三。


「世の元の一粒種の世となったぞ。」というのは「てんし様」のことでしょう。「松の御代」となったとのことです。

「世界中揺すりて眼覚すぞ。三千年の昔に返すぞ。」

「煎(い)り豆花咲くぞ。上下ひっくり返るぞ。水も洩らさん仕組みぞ。」
これは、国之常立大神(艮の金神)、または豊雲野大神(坤の金神)のことでしたね。

不思議なのは、「アメのひつ九か三」というお名前です。
この「アメの......」は、この「松の巻」と次の「夜明けの巻」のみ出て来るお名前で、その後の「雨の巻」にさえも出て来ません。アメリカのアメのようにも思えますが、意味深です。


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水の巻 第12帖 原文

「正しく........はじめ和の道」
原文
六八二一三七五一九四八五二七三八八三七八四五二三一五三

対訳
六八二一三(正しくひらく道道)七五(鳴り出づ)一九四(はじめ苦し)八五(展きいて)二七三八八(月鳴る道は弥栄)三七八(地ひらき)四五(世ひらき)二三(世むずび天地栄ゆ)一五三(はじめ和の道)

ひふみ
人間心には我があるぞ。Θ心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならぞ、あってはならん道理わかりたか。神に融け入れよ。てんし様に融け入れよ。我なくせ、我出せよ。
立て替えと申すのは、神界、幽界、顕界にある今までのことを、綺麗に塵一つ残らぬように洗濯することざぞ。今度という今度はどこまでも綺麗さっぱりと立て替えするのざぞ。立て直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにすることぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいづ)輝く御代とすることぞ。政治も経済も何もかも無くなるぞ。食べる物も一時は無くなってしまうぞ。覚悟なされよ。正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し、展きいて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、世ひらき、世むずび、天地栄ゆ、はじめ和の道。
世界の臣民、てんし様拝む時来るのざぞ。邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ。この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人(ますびよ)となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ。
六月十二日、三のひつ九ノΘ。

私見
六八二(結び開くに)一三七五(初め道成り出で)一九四八五二七三(初め悉く世は真中に成る道)八八三(開き開くぞ)七八四五二三(成り開く世和に満つ)一五三(初め真中ぞ)


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水の巻 第17帖

カイの御用はキの御用であるぞ。臣民はミの御用つとめてくれよ。キとミの御用であるぞ、ミの御用とは体の御用であるぞ。身養う正しき道、開いて伝えてくれよ。今までの神示読めばわかるようにしてあるぞ。キの御用に使う者もあるぞ。キミの御用さす者もあるぞ、お守の石、どしどし下げてよいぞ。
水の巻、これで終わりぞ。
六月二十三日、三の一二Θ。


「キの御用」と「ミの御用」、「気=霊=魂」と「肉体」の御用です。伊邪那岐(キ)と伊邪那美(ミ)でもあります。「キミの御用」は岩戸開きの一つだと思われます。つまり、伊邪那岐と伊邪那美の和合、すなわち、「天津神」と「国津神」の和合です。


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水の巻 第16帖

カイのまつり、結構でありたぞ。カンベ、タケシタ、ヤノ、ササキ、ご苦労であったぞ。皆の者、お山御苦労であったぞ。ミエタ、サイトウ、カトウ、ツヅキ、ササキ、アサカワ、イシモト、カンベ、タケシタ、カドタ、ヤノ、サトウ、タカギ、ジンボ、ショウダ、タカダ、御苦労であったぞ。天明、御苦労ぞ。
まだまだ御苦労あるぞ。霊(たま)の宮造りてよいぞ。我のこと言われて腹立つような小さい心では、今度の御用出来はせんのざぞ。心大きく持てと申してあろがな。
六月二十日、ひつ九のか三。


岡本天明氏を含めて総勢17名ということでしょうか。57名には、40名ほど足りないようです。



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2018年02月13日

水の巻 第15帖

ヒノハルは一の宮と道場であるぞ、オミナは中山ぞ、奥山もつくらすぞ。富士、火吐かぬよう拝みてくれよ、大難小難にまつりかえるよう、拝みてくれよ。食べ物頂く時はよくよく噛めと申してあろが、上の歯は火だぞ、下の歯は水だぞ。火と水と合わすのざぞ。かむろぎかむろみぞ。噛むと力生れるぞ。血となるぞ、肉となるぞ。
六月十七日、ひつ九のか三。


ヒノハルとは「日野春」でしょうか。八ヶ岳の小淵沢の近くです。オミナは「帝那山」のことでしょう。

「富士、火吐かぬよう拝みてくれよ、大難小難にまつりかえるよう、拝みてくれよ。」
富士の噴火は大難なのですね。「大峠」には避けて通れないものだと思っておりましたが、小難にまつりかえることも可能なようです。

「食べ物頂く時はよくよく噛めと申してあろが、上の歯は火だぞ、下の歯は水だぞ。火と水と合わすのざぞ。かむろぎかむろみぞ。噛むと力生れるぞ。血となるぞ、肉となるぞ。」
やはり、「かむろぎかむろみ」の仕組でした。(笑)


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水の巻 第14帖

今までは闇の世であったから、どんな悪いことしても闇に逃れること出来てきたが、闇の世はもう済みたぞ。思い違う人民沢山あるぞ。どんな集いでも大将は皆思い違うぞ。早うさっぱり心入れ換えて下され。Θの子でないとΘの国には住めんことになるぞ。外国へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界行きとならぬよう、根本から心入れ替えてくれよ。日本の国の臣民皆兵隊さんになった時、一度にドッと大変が起こるぞ。皆思い違うぞ。カイの御用はキの御用ぞ。それが済みたら、まだまだ御用あるぞ。
行けども行けども草ぼうぼう、どこから何が飛び出すか、秋の空グレンと変わるぞ。この方化けに化けて残らずの身魂調べてあるから、身魂の改心なかなか難しいから、今度という今度は天の規則通り、ビシビシと埒(らち)つけるぞ。
御三体の大神様、三日この世を構いなさらぬと、この世はクニャクニャとなるのざぞ。結構近づいているのざぞ。大層が近づいているのざぞ。この神示読みて、神々様にも守護神殿にも聞かせてくれよ。いよいよ天の日津久の神様、御憑かりなされるぞ。
旧五月五日、三のひつ九か三。


「今までは闇の世であったから、どんな悪いことしても闇に逃れること出来てきたが、闇の世はもう済みたぞ。」
現代はまだ「闇の世」であることの証明ですね。

「思い違う人民沢山あるぞ。どんな集いでも大将は皆思い違うぞ。早うさっぱり心入れ換えて下され。」
どんな小さな組織でも上に立つ人の「思い違い」は万国共通ですね。

「Θの子でないとΘの国には住めんことになるぞ。外国へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界行きとならぬよう、根本から心入れ替えてくれよ。」
外国とは「幽界」のことです。今度は二度と戻れないそうです。

「日本の国の臣民皆兵隊さんになった時、一度にドッと大変が起こるぞ。皆思い違うぞ。」
これは、本土決戦の最終局面ですね。戦う事自体が「思い違い」ということでしょうか。国を守るために戦うことは「神様のご意思」だと思っておりましたが。

「カイの御用はキの御用ぞ。それが済みたら、まだまだ御用あるぞ。」
苦労し甲斐のカイの御用は、最初の気の御用です。まだまだ御用は沢山あるようです。

「行けども行けども草ぼうぼう、どこから何が飛び出すか、秋の空グレンと変わるぞ。」
廃墟と化した草原から、何が飛び出して来るのでしょうか。

「この方化けに化けて残らずの身魂調べてあるから、身魂の改心なかなか難しいから、今度という今度は天の規則通り、ビシビシと埒(らち)つけるぞ。」
身魂磨きが出来ていようといまいと、規則通りに仕分けしていくようです。

「御三体の大神様、三日この世を構いなさらぬと、この世はクニャクニャとなるのざぞ。結構近づいているのざぞ。大層が近づいているのざぞ。」
もうすぐ最終局面(九月八日の仕組)が訪れるということでしょう。

「この神示読みて、神々様にも守護神殿にも聞かせてくれよ。いよいよ天の日津久の神様、御憑かりなされるぞ。」
五月五日の「結構な日」の理由が明かになりました。「天の日津久の神様」の御憑かりでした。


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水の巻 第13帖

火と水と申してあろがな。火続くぞ、雨続くぞ。火の災いあるぞ。水の災いあるぞ。火のおかげあるぞ、水の災い気つけよ。火と水、入り乱れての災いあるぞ、近うなりたぞ。火と水の御恵みあるぞ。一度はΘのことも大き声で言えんことあるぞ、それでも心配するでないぞ。富士晴れるぞ。
家族幾人いても金いらぬであろが。主人(あるじ)どっしりと座りておれば治まっておろが。神国の型、残してあるのざぞ。国治めるに政治いらぬぞ、経済いらぬぞ。Θ拝めよ、Θ祀れよ、てんし様拝めよ。何もかも皆Θに捧げよ、Θから頂けよ。神国治まるぞ。戦も収まるぞ。今の臣民口先ばかりでまこと申しているが、口ばかりではなお悪いぞ。言(こと)やめて仕えまつれ。でんぐり返るぞ。
(六月十三日、みづのひつくのかみ。)


「火と水と申してあろがな。火続くぞ、雨続くぞ。火の災いあるぞ。水の災いあるぞ。火のおかげあるぞ、水の災い気つけよ。火と水、入り乱れての災いあるぞ、近うなりたぞ。火と水の御恵みあるぞ。」
良いことも悪いことも全て、火と水からのようです。注意すべきは、水だけ特に「水の災い気つけよ」とあることです。さらに、「火と水、入り乱れての災いあるぞ」ということです。
これが、何を意味するのか分かりませんが、東日本大震災の時に津波でありながらも海上で火災が起きたことが思い出されます。

「一度はΘのことも大き声で言えんことあるぞ、それでも心配するでないぞ。富士晴れるぞ。」
これは、侵略や占領によって神道が否定され弾圧されることもあるぞとの警告でしょう。それでも心配する必要はないということです。

「家族幾人いても金いらぬであろが。主人(あるじ)どっしりと座りておれば治まっておろが。神国の型、残してあるのざぞ。」
古き良き時代の「亭主関白」ですね。もう、殆ど残っていないでしょうけど。(笑)

「国治めるに政治いらぬぞ、経済いらぬぞ。Θ拝めよ、Θ祀れよ、てんし様拝めよ。何もかも皆Θに捧げよ、Θから頂けよ。神国治まるぞ。戦も収まるぞ。」
神様に全てを捧げれば、国が治まり、戦いも無くなるということです。

「今の臣民口先ばかりでまこと申しているが、口ばかりではなお悪いぞ。言(こと)やめて仕えまつれ。でんぐり返るぞ。」
口先ばかりで、実行が伴っていないことへの警告です。口先ばかりの「まこと」は、なお悪いそうです。


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水の巻 第12帖

人間心には我があるぞ。Θ心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならぞ、あってはならん道理わかりたか。神に融け入れよ。てんし様に融け入れよ。我なくせ、我出せよ。
立て替えと申すのは、神界、幽界、顕界にある今までのことを、綺麗に塵一つ残らぬように洗濯することざぞ。今度という今度はどこまでも綺麗さっぱりと立て替えするのざぞ。立て直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにすることぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいづ)輝く御代とすることぞ。政治も経済も何もかも無くなるぞ。食べる物も一時は無くなってしまうぞ。覚悟なされよ。正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し、展きいて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、世ひらき、世むずび、天地栄ゆ、はじめ和の道。
世界の臣民、てんし様拝む時来るのざぞ。邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ。この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人(ますびよ)となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ。
六月十二日、三のひつ九ノΘ。


「人間心には我があるぞ。Θ心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならぞ、あってはならん道理わかりたか。神に融け入れよ。てんし様に融け入れよ。我なくせ、我出せよ。」
禅問答のようですね。(笑)
人間心には我があるぞ、神心にはないぞ、ないとならんぞ、あってはならんぞ。「我がなくてはならぞ、あってはならん道理」だそうです。「善と悪」の関係に近いようです。我を極限まで無くすともはや我は無いに等しい状態になりますが、生きるという我まで完全に無くなってしまうと生体が維持できない状態になってしまうのでしょう。

「立て替えと申すのは、神界、幽界、顕界にある今までのことを、綺麗に塵一つ残らぬように洗濯することざぞ。今度という今度はどこまでも綺麗さっぱりと立て替えするのざぞ。」
立て替えは、全てをリセットし、まっさらな状態にすることのようです。

「立て直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにすることぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいづ)輝く御代とすることぞ。政治も経済も何もかも無くなるぞ。食べる物も一時は無くなってしまうぞ。覚悟なされよ。」
立て直しは、神様の意図にそぐうような世の中につくりかえることのようです。

「正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し、展きいて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、世ひらき、世むずび、天地栄ゆ、はじめ和の道。」
和の道は、始めは苦しいが、次第に良くなっていくぞということでしょう。

「世界の臣民、てんし様拝む時来るのざぞ。邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ。」
人民は邪魔せずに見ていれば良いのですが、袋手での見物はダメで、それぞれの御用は必要なようです。

「この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人(ますびよ)となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ。」


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水の巻 第11帖

Θ第一とすればΘとなり、悪魔第一とすれば悪魔となるぞ。何事もΘ第一結構。カイの言霊(かへし)、キざぞ。キが元ざと知らしてあろが、カイの御用にかかりてくれよ。何という結構なことであったかと、始めは苦しいなれど、皆が喜ぶようになって来るのざぞ。先楽しみに苦しめよ。ギュウギュウと締めつけて、目の玉飛び出ることあるのざぞ、そこまでに曇りているのざぞ、はげしく洗濯するぞ。可愛い子、谷底に突き落とさなならんかも知れんぞ、いよいよ神が表に現われてΘの国に手柄立てさすぞ、神国光り輝くぞ。
日本にはまだまだ何事あるかわからんぞ。早く一人でも多く知らしてやれよ、魂磨けば磨いただけ先が見え透くぞ。先見える神徳与えるぞ。いくら偉い役人頑張りても、今までのことは何も役に立たんぞ。新しき光の世となるのぞ。古きもの脱ぎ捨てよと申してあろがな。まこと心になりたならば、自分でもわからんほどの結構出て来るぞ。手柄立てさすぞ。いくら我張りても我では通らんぞ。我折りて素直になりて下されよ、これでよいということないぞ。いくらつとめてもつとめても、これでもうよいということはないのざぞ。神の一厘の仕組わかりたら、世界一列一平になるぞ。枡かけ引いて、世界の臣民人民、勇みに勇むぞ。勇むことこの方嬉しきぞ。富士はいつ爆発するのぞ、どこへ逃げたら助かるのぞという心我れ善しぞ。どこにいても救う者は救うと申してあろが。悪き待つキは悪魔のキざぞ。結構が結構生むのざぞ。
六月十一日。


「Θ第一とすればΘとなり、悪魔第一とすれば悪魔となるぞ。何事もΘ第一結構。」
神様的な考え方をしていると神様になり、悪魔的な考え方をしていると悪魔になるぞという意味でしょう。

「カイの言霊(かへし)、キざぞ。キが元ざと知らしてあろが、カイの御用にかかりてくれよ。何という結構なことであったかと、始めは苦しいなれど、皆が喜ぶようになって来るのざぞ。先楽しみに苦しめよ。ギュウギュウと締めつけて、目の玉飛び出ることあるのざぞ、そこまでに曇りているのざぞ、はげしく洗濯するぞ。可愛い子、谷底に突き落とさなならんかも知れんぞ、いよいよ神が表に現われてΘの国に手柄立てさすぞ、神国光り輝くぞ。」
カイ(甲斐)とは、行為の結果としての効果・価値・張り合いなどを意味します。キが元とは、気・起・動機があって甲斐が生じるということでしょう。あるいは、キカイ(機械)文明によって、人間がギュウギュウと締め付けられ、兵器によって殺されるようなことも意味しているのかもしれません。

「日本にはまだまだ何事あるかわからんぞ。早く一人でも多く知らしてやれよ、魂磨けば磨いただけ先が見え透くぞ。先見える神徳与えるぞ。いくら偉い役人頑張りても、今までのことは何も役に立たんぞ。新しき光の世となるのぞ。古きもの脱ぎ捨てよと申してあろがな。」
原爆2発とロシアの北方領土侵攻およびその後のシベリア抑留のことでしょうね。確かに、何の役にも立ちませんでした。

「まこと心になりたならば、自分でもわからんほどの結構出て来るぞ。手柄立てさすぞ。いくら我張りても我では通らんぞ。我折りて素直になりて下されよ、これでよいということないぞ。いくらつとめてもつとめても、これでもうよいということはないのざぞ。」
誠の道なので、素直に、道を究める心が必要なのでしょう。

「神の一厘の仕組わかりたら、世界一列一平になるぞ。枡かけ引いて、世界の臣民人民、勇みに勇むぞ。勇むことこの方嬉しきぞ。」
おそらくどこにも逃げ場はなく身魂の綺麗さのみで生死が決まるので、その後は「世界一列一平」になるのでしょう。

「富士はいつ爆発するのぞ、どこへ逃げたら助かるのぞという心我れ善しぞ。どこにいても救う者は救うと申してあろが。悪き待つキは悪魔のキざぞ。結構が結構生むのざぞ。」
結論は簡単で、身魂磨きさえ出来ていれば、どこでどうなろうと心配ないということです。また、他国の衰退や滅亡を待ち望む「気」は「悪魔の気」なのでダメだということです。誠の道を進めば「先が見え透く」ようになるので、対処も可能ということでしょう。


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2018年02月12日

水の巻 第10帖

五大州引っ繰り返っていることまだわからぬか。肝腎要(かなめ)のことざぞ。七大州となるぞ。八大州となるぞ。
今の臣民にわかるように申すならば、御三体の大神様とは、
天之御中主神様、高皇産霊神様、神皇産霊神様、
伊邪那岐神様、伊邪那美神様、撞賢木向津媛(つきさかきむかつひめの)神様で御座るぞ。
雨の神とは、天之水分(あめのみくまり)神、国之水分(くにのみくまり)神、
風の神とは、志那都比古(しなどひこ)神、志那都比売(しなどひめ)神、
岩の神とは、石長比売(いわながひめ)神、石戸別(いわとわけ)神、
荒の神とは、大雷男(おおいかづちのを)神、若雷男(わきいかづちお)神、
地震の神とは、武甕槌(たけみかづち)神、経津主(ふつぬし)の神々様の御事で御座るぞ。
キの神とは木花開耶姫(このはなさくやひめ)神、
金の神とは金勝要(きんかつかね)神、
火の神とは稚比売君(わかひめぎみ)神、
日の出の神とは彦火々出見(ひこほほでみ)神、
竜宮の乙姫殿とは玉依姫(たまよりひめ)の神様の御事で御座るぞ。
この方のこと、いずれわかりて来るぞ。今はまだ知らしてならんことぞ。知らす時節近づいたぞ。
六月十一日、三の一二Θ。


「五大州引っ繰り返っていることまだわからぬか。肝腎要(かなめ)のことざぞ。七大州となるぞ。八大州となるぞ。」
これは難問ですね、一般的には五大州とは、
@アジア州 Aヨーロッパ州 Bアメリカ州 Cアフリカ州 Dオセアニア州
ですが、引っ繰り返っているという意味は、南北さかさまということでしょうか。
もし、逆転すればE南極大陸が現れますね。これにBアメリカ州を南北に分ければ七大州になります。

それでは、八大州目はどこでしょう。
場合によっては、Gインドネシア大陸が現れるかもしれません。日本と地続きになるのでしょうか。「日本のお土が上がるぞ」とありますから。(現在の)東側は太平洋プレートとフィリピンプレートが潜り込んでいますので、大陸になりそうな土地はありません。

御三体の大神様は、やはり「天之御中主神様、高皇産霊神様、神皇産霊神様」と「伊邪那岐神様、伊邪那美神様、撞賢木向津媛(つきさかきむかつひめの)神様」の二種類がありましたね。「撞賢木向津媛」は「天照大御神」のことで、これも予想通りでした。

「雨の神」から「竜宮の乙姫」までの十柱は既にお伝えした通りです。


六月十日を過ぎましたので、神様は鎮座されていると思います。


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水の巻 第9帖

富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開けるぞ、お山開きまこと結構、松の国、松の御代となるぞ。旧九月八日から大祓祝詞に天津祝詞の太祝詞(ふとのりと)「一二三祝詞コト」入れてのれよ。忘れずにのれよ。その日からいよいよΘはΘ、獣は獣となるぞ。江戸道場やめるでないぞ。お山へ移してよいぞ、役員一度やめてよいぞ。またつとめてよいぞ。メグリあるから心配あるのぞ。メグリ無くなれば心配無くなるぞ。心配無いのが富士は晴れたりぞ、富士晴れ結構ぞ。日月の御民、いずれも富士晴れ心でおりて下されよ。肉体ちっとの間であるが、魂は限りなく栄えるのざぞ。金に難渋して負けぬようにして下されよ。金馬鹿にしてはならんぞ。焦るでないぞ。焦ると心配事出来るぞ。神が仕組みてあること、臣民がしようとて出来はせんぞ。細工は流々、めったに間違いないのざぞ。見物して御座れ、見事して見せるぞ。不和の家、不和の国の捧げもの、神は要らんぞ。喜びの捧げもの、米一粒でもよいぞ。Θは嬉しいぞ。旧九月八日、とどめぞ。
六月二日、三の一二Θ。


「富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開けるぞ、お山開きまこと結構、松の国、松の御代となるぞ。旧九月八日から大祓祝詞に天津祝詞の太祝詞(ふとのりと)「一二三祝詞コト」入れてのれよ。忘れずにのれよ。その日からいよいよΘはΘ、獣は獣となるぞ。」
旧九月八日が、やはりターゲットの日だったようです。

「江戸道場やめるでないぞ。お山へ移してよいぞ、役員一度やめてよいぞ。またつとめてよいぞ。」

「メグリあるから心配あるのぞ。メグリ無くなれば心配無くなるぞ。心配無いのが富士は晴れたりぞ、富士晴れ結構ぞ。日月の御民、いずれも富士晴れ心でおりて下されよ。」

「肉体ちっとの間であるが、魂は限りなく栄えるのざぞ。」

「金に難渋して負けぬようにして下されよ。金馬鹿にしてはならんぞ。焦るでないぞ。焦ると心配事出来るぞ。」

「神が仕組みてあること、臣民がしようとて出来はせんぞ。細工は流々、めったに間違いないのざぞ。見物して御座れ、見事して見せるぞ。」

「不和の家、不和の国の捧げもの、神は要らんぞ。喜びの捧げもの、米一粒でもよいぞ。Θは嬉しいぞ。」



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水の巻 第8帖

鎮座は六月の十日であるぞ。神示書かして丸一年ぞ。神示で知らしてあろが、それからがいよいよの正念場ざぞ。びっくり箱あくぞ。
五月四日、三のひつ九のか三。


鎮座の日6月10日は「神示書かして丸一年」ですから、西暦だと思います。その頃の状況は、沖縄戦も終盤に近づき、本土では全国的に連日のように空襲が行われていました。

「それからがいよいよの正念場ざぞ。びっくり箱あくぞ。」
普通に考えれば9月8日の仕組の「大峠」なのですが、もしかしたら「原子爆弾」のことかもしれません。
それは、「夜明けの巻」で明らかになります。


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水の巻 第7帖

皆病気になりていることわからぬか。一二三祝詞(ひふみのりと)で治してやれよ、神示読みて治してやれよ。自分でもわからぬ病になっているぞ、早う治さぬとどうにもならんことになって来るぞ。ここの宮、仮であるぞ。真中に富士の山造り、そのまわりに七つの山造りてくれよ。拝殿造りくれよ。神示書かす所造りくれよ。天明(岡本天明)休む所造りくれよ。いずれも仮でよいぞ。早うなされよ。松の心にさえなりておれば、何事もすくすく行くぞ。
五月四日、三のひつ九のか三。


「皆病気になりていることわからぬか。一二三祝詞(ひふみのりと)で治してやれよ、神示読みて治してやれよ。自分でもわからぬ病になっているぞ、早う治さぬとどうにもならんことになって来るぞ。」
直接的には岡本天明氏ほかの方々が病気になっていることを言っているのでしょうが、日本人全体が自分でもわからぬほどに心の病にかかっていることを心配しておられるのでしょう。

「ここの宮、仮であるぞ。真中に富士の山造り、そのまわりに七つの山造りてくれよ。拝殿造りくれよ。神示書かす所造りくれよ。」
日本真ん中に七つの国の型と思われます。

「天明(岡本天明)休む所造りくれよ。いずれも仮でよいぞ。早うなされよ。松の心にさえなりておれば、何事もすくすく行くぞ。」
この「松の心」とはどういう心でしょうか。「末」とか「待つ」の字があてられますが、ここでは、「心静かに穏やかに時節が到来するのを無心に待つ」ということでしょう。待ち望むのは「悪の心」です。


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水の巻 第6帖

キが元ざと申してあろがな。Θ国負けると言う心、言葉は悪魔ざぞ、(本土上陸というキは悪魔ぞ。)キ、大きく持ちて下されよ。島国日本にとらわれてくれるなよ。小さいこと思うていると見当取れんことになるぞ。一(ひ)食べよ、二(ふ)食べよ、食べるには噛むことぞ、噛むとはカミざぞ、神に供えてから噛むのざぞ、噛めば噛むほど神となるぞ、神国ぞ、神ながらの国ぞ。かみながら仕事してもよいぞ。
青山も泣き枯る時あると申してあろが。日に千人(ちひと)食い殺されたら、千五百(ちふほ)の産屋(うぶや)建てよ、かむいざなぎの神の御教えぞ。神嫌う身魂は臣民も嫌うぞ。
五月二日、三のひつ九のかみ。


この「キ」は「気、意識」ですね。心に思ったり、言葉にすると、その通りになるぞということです。

「キ、大きく持ちて下されよ。島国日本にとらわれてくれるなよ。小さいこと思うていると見当取れんことになるぞ。」
やはり、そうですね。日本のことだげ考えるのではなく、世界規模で友人、支持者を増やし、来るべき国難に備えよということですね。安倍外交は間違っておりません。インド太平洋(さらに欧州)同盟構想を進めて行って欲しいと思います。これにより、C国、R国も不利益を感じるようになれば、晴れて、世界国家体制への移行が果たされると思います。目指すは一握りの人たちによる支配ではなく、全ての人々の平等な社会、平和の実現です。

「一(ひ)食べよ、二(ふ)食べよ、食べるには噛むことぞ、噛むとはカミざぞ、神に供えてから噛むのざぞ、噛めば噛むほど神となるぞ、神国ぞ、神ながらの国ぞ。かみながら仕事してもよいぞ。」
もう〜、おやじギャグのオンパレードですね。「かみながら仕事さちわいませ」ですよ。(笑)
噛めば噛むほど、神に近づくそうです。

「青山も泣き枯る時あると申してあろが。日に千人(ちひと)食い殺されたら、千五百(ちふほ)の産屋(うぶや)建てよ、かむいざなぎの神の御教えぞ。神嫌う身魂は臣民も嫌うぞ。」
日に千人殺されたら、日に千五百人を産むという、伊邪那岐、伊邪那美尊のやり取りですね。千人死んでも千五百人生まれれば、国が滅ぶことはありません。
しかし、現代はまさにこの逆になっています。日本に適正な人口はどのくらいか、人口構成はどうなるのか、国家百年の計画を立案し、それに応じた政策を実施していくような、抜本的な改革が必要とされています。


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2018年02月11日

水の巻 第5帖

外国のコトは無くなるぞ。江戸の仕組、旧五月五日までに終わりてくれよ。後はいよいよとなるぞ。Θが申した時にすぐ何事も致してくれよ、時過ぎると成就せんことあるのざぞ。桜花一時に散ることあるぞ、いよいよ松の代と成るのぞ、万劫(まんごう)変わらぬ松の代と成るのざぞ。松の国、松の代、結構であるぞ。この神示声出して読みあげてくれよ。くどう申してあろが。言霊(ことだま)高く読みてさえおれば結構が来るのざぞ。人間心出してはならんぞ。
五月一日、三のひつ九のΘ。


旧五月五日は、昭和20年6月14日です。沖縄戦終結が6月23日(占領は21日)ですので、その約1週間前となります。まだ、フィリピンの戦闘は終わっていませんが、海の向こうの戦闘は、ほぼ終了となりました。「外国のコトは無くなるぞ」とは、いよいよ本土決戦だぞということでしょうか。
あるいは、「大峠」の後、外国(幽界のこと)は無くなるぞということでしょうか。

「いよいよ松の代と成るのぞ、万劫(まんごう)変わらぬ松の代と成るのざぞ。松の国、松の代、結構であるぞ。」
松の代という言葉は初めて出て来た言葉だと思いますが、後で「松の巻」も出て来るように、次の世は「松の代」だそうです。松は常緑樹で不老長寿の意味があります。神示には「松食べろ」という言葉も出て来ます。また、松竹梅でおめでたい木の筆頭ですが、いずれも冬の寒い時期にも青々としていたり、花が咲いたりするものなので、次の世は寒いのかもしれません。(笑)

「この神示声出して読みあげてくれよ。くどう申してあろが。言霊(ことだま)高く読みてさえおれば結構が来るのざぞ。人間心出してはならんぞ。」



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水の巻 第4帖

お宮も土足(どそく)にされる時が来る、おかげ落とさんように気つけよ。勲章も何にもならん時が来る。まこと一つに頼れ人々。
二十四日、三の一二か三。


敗戦後、神社にも土足で踏み込まれるような日が来るぞ、戦争の勲章など何の価値もない世が来るぞ。
心の中の「真/誠」一つだけに頼るようにしなさいよとのことです。


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水の巻 第3帖

Θの子はΘとしての自分養うことも、つとめの一つであるぞ、取り違いすると大層なことになるから、気つけておくぞ。書かしてある御神名は御神体として祀りてもよく、お肌守りとしてもよいぞ、皆に多く分けてやれよ。御神名いくらでも書かすぞ、その用意しておいてくれよ、Θ急ぐぞ。

祓い祝詞、書き知らすぞ。

かけまくもかしこき、いざなぎのおほかみ、つくしのひむかのたちばなの、おどのあはぎはらに、みそぎはらひたまふときになりませる、つきたつふなどのかみ、みちのなかちはのかみ、ときおかしの神、わつらひのうしのかみ、ちまたのかみ、あきくひのうしのかみ、おきさかるのかみ、おきつなぎさびこのかみ、おきつかひへらのかみ、へさかるのかみ、へつなぎさびこのかみ、へつかいへらのかみ、やそまがつひのかみ、おほまがつひのかみ、かむなおひのかみ、おほなおひのかみ、いづのめのかみ、そこつわたつみのかみ、そこつつのおのかみ、なかつわたつみのかみ、なかつつのおのみこと、うわつわたつみのかみ、うわつつのおのみこと、はらひど四はしらのΘたちともに、もろもろのまがごと、つみけがれを、はらひたまへ、きよめたまへとまおすことを、きこしめせと、かしこみかしこみまおす。

次に誓(うけひ)の言葉、知らすぞ。

ご三たいのおほかみさま、ご三たいのおほかみさま、ひつきのおほかみさま、くにとこたちのおほかみさま、とよくもぬのおほかみさま、つきのおほかみさま、すさなるのおほかみさま、あめのかみさま、かぜのかみさま、いわのかみさま、あれのかみさま、じしんのかみさま、キのかみさま、かねのかみさま、ひのかみさま、ひのでのかみさま、りゅうぐうのおとひめさま、やおよろづのいきかみさま、ことにいすずにます、てんしょうこうたいじんぐうさま、とようけのおほかみさまをはじめたてまつり、よのなかのいきかみさま、うぶすなのおほかみさまのおんまへに、ひろきあつきごしゅごのほど、ありがたく、とうとく、おんれいもうしあげます。このたびのいわとひらきには、千万いやさかのおはたらき、ねがひあげます。あめつちのむた、いやさかに、さかへまさしめたまひ、せかいのありとあるしんみん、ひとひもはやく、かいしんいたしまして、おほかみさまのみむねにそひまつり、おほかみさまのみこころのまにまに、Θくに、じょうじゅのため、はたらきますよう、おまもりくださいませ、そのため、このたま、このみは、なにとぞ、いかようにでも、おつかひくださいませ、みむねのまにまに、まことのΘくにのみたみとしてのつとめを、つとめさしていただくよう、むちうち、ごしゅごくださいませ、かむながらたまちはへませ、いやさかましませ。

次に御先祖様の拝詞、知らすぞ。

此れの祖霊宮(みたまや)に神鎮まり坐す。遠津祖神(とおつみおやのかみ)、代々の祖霊(おや)神達の御前(みまえ)、また親族家族(うからやから)の霊祖神(みたま)の御前に謹み敬ひ(いやまい)も白(まお)す。此れの家内(うち)には諸々の曲事(まがごと)、罪穢(つみけがれ)あらしめず、夜の護り、日の守りに守り幸(さき)はひ給ひ、まこと神国(かみくに)のみ民としての義務(つとめ)を全うせしめ給へ、夜の護り日の守りに守り、捧ぐるものの絶間無く、子孫(うみのこ)の弥栄継ぎに栄(さか)えしめ給へと畏み畏みも白(まお)す、惟神霊神(かむながらたまち)幸はへませ、惟神霊神幸はへませ。

一本の草でも干して蓄えておけよと申してあろがな。
四月二十三日、三の一二のか三。


祓い祝詞は、一般のものより、「つきたつふなどのかみ...........はらひど四はしらのΘたちともに」という、伊邪那岐尊が禊をされた時に出現した神々のお名前などが追加されており、より丁寧なものになっています。あるいは、これが元々の原形であり、一般のものが省略されているのかもしれません。

誓の言葉は、日月神示の神様との契約の言葉となっております。「かむながらたまちはへませ」です。
「ご三たいのおほかみさま」が二度出て来るのは「造化三神」と「伊邪那岐、伊邪那美、天照大御神」なのかもしれません。また、以前から懸案の五柱の神様は、次の「日月の大神、国之常立大神、豊雲野大神、月の大神、須佐鳴之大神」かもしれません。それに続くのは「雨の神」から始まり「竜宮の乙姫」までの十柱の神様です。そして、五十鈴川の「天照皇大神宮、豊受大神、産土大神」と続きます。

御先祖様の拝詞は、「遠津祖神、祖霊神、霊祖神」などの各家庭の祖霊神様に対するご守護と子孫繁栄をお願いするものであります。惟神霊神(かむながらたまち)幸はへませ。



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水の巻 第2帖

ひふみ、よいむなや、こともちろらね、 しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと)であるぞ

たかあまはらに、かみつまります、かむろぎ、かむろみのみこともちて、すめみおやかむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなの、おどのあはぎはらに、みそぎはらひたまふときに、なりませる、はらひどのおほかみたち、もろもろのまがごとつみけがれを、はらひたまえきよめたまへとまおすことのよしを、あまつかみ、くにつかみ、やはよろずのかみたちともに、あめのふちこまのみみふりたててきこしめせと、かしこみかしこみもまおす。あめのひつくのかみ、まもりたまへさちはへたまへ、あめのひつくのかみ、やさかましませ、いやさかましませ、一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむななやここのたり)。
旧三月十日、三のひつ九か三。



一二三祝詞、初めて全文が、本文に登場しましたね。内容は既にご説明しましたので、ここでは省略させて頂きます。

次は、天津祝詞です。最後のところに「あめのひつくのかみ、まもりたまへさちはへたまへ、あめのひつくのかみ、やさかましませ、いやさかましませ、一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむななやここのたり)」が追加されています。

日月神示では、国津神の復権が前面に出ているので勘違いされる方も多いと思いますが、このように「天津祝詞」が登場するということは、決して天津神をないがしろにしているわけではないことが分かります。

もっと踏み込んで言いますと、文中に良く出て来る「てんし様」は天孫族(日向系)であると私はにらんでいます。


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水の巻 第1帖

三Θ(みず)の巻、書き知らすぞ。見渡す限り雲もなく、富士は晴れたり日本晴れ、海は晴れたり日本晴れ、港々に日の丸の、旗翻(ひるがえる)るΘの国。それまでに言うに言われんことあるなれど、頑張りて下されよ、水も無くなるぞ。てんし様拝みてくれよ。てんし様は神と申して知らしてあろがな、まだわからんか、地(くに)の神大切せよと聞かしてあろが。Θ様にお燈明ばかり備えてはまだ足らぬのぞ。お燈明と共に水捧げなならんのざぞ。火と水ざと申してあろ、神示よく裏の裏まで読みて下されよ、守護神殿祀りてくれよ。まつらねば力現われぬぞ、守護神殿は柏手四つ打ちて拝めよ、元の生神様には水がどうしてもいるのざぞ、火ばかりでは力出ぬのざぞ、わかりたか、曇りなく空は晴れたり。
旧三月十日、三(みず)のひつ九Θ。


「見渡す限り雲もなく、富士は晴れたり日本晴れ、海は晴れたり日本晴れ、港々に日の丸の、旗翻(ひるがえる)るΘの国。それまでに言うに言われんことあるなれど、頑張りて下されよ、水も無くなるぞ。」
本土では、水不足というのはあまり聞いたことがありませんが、硫黄島、沖縄、南方戦線では水不足で多くの人が苦しまれたそうです。

「てんし様拝みてくれよ。てんし様は神と申して知らしてあろがな、まだわからんか」
当時は、天皇陛下が現人神だったので、多くの人が戸惑われたことでしょう。この文章では、ますます天皇陛下を拝まれた方も多いと思います。えっ、今でも?それはそれで、結構だと思います。その人なりの解釈がありますから。

「地(くに)の神大切せよと聞かしてあろが」
これは、皆さんにも納得して頂けるでしょうか。国之常立大神、須佐鳴之大神を始めとする主に「国津神」のことだと思います。

「Θ様にお燈明ばかり備えてはまだ足らぬのぞ。お燈明と共に水捧げなならんのざぞ。火と水ざと申してあろ、神示よく裏の裏まで読みて下されよ」
火と水は日と月の象徴ですが、水は地から来るので、日・月地でもあります。また、地は「大海原」も含んでいますので水でもあります。月と地の関係は深いのです。

「元の生神様には水がどうしてもいるのざぞ、火ばかりでは力出ぬのざぞ、わかりたか」
火(日)で水は蒸発し、雲となって水(雨)を地上に降らにす。この循環によって生命は保たれている。火だけではダメで水がないと力が出ないとはこのことだと思います。

「守護神殿祀りてくれよ。まつらねば力現われぬぞ、守護神殿は柏手四つ打ちて拝めよ」
これは、各人の力の源は守護神であるということのようです。氏神、産土神、鎮守神などのより身近な神様ということでしょう。四拍手は通常、出雲大社、宇佐八幡、弥彦神社などの特定の神社での参拝に限られますが、四拍手によってより敬意を表せということでしょうか。


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キの巻 第16帖 原文

原文
Θ四三〇百一四八三八九二二四四七七渦右巻き.jpg(渦)二八八五十三三〇渦右巻き.jpg(渦)一二三五六二十十十七一三三 ΘΘ三渦右巻き.jpg(渦)百十卍
一千九九三一四一四十七渦右巻き.jpg(渦)七二百百千八千八三三九渦右巻き.jpg(渦)三九二二九一渦右巻き.jpg(渦)ノ九Θ〇渦右巻き.jpg(渦)八四〇五〇一七百四九七渦右巻き.jpg(渦)四二一ΘΘ三Θ二九八三渦右巻き.jpg(渦)渦右巻き.jpg(渦)三二四三七渦右巻き.jpg(渦)一👁二渦右巻き.jpg(渦)四九四〇九十ノ四二一Θ三Θ四二一
三かつ二十か ひつ九か三

対訳
Θ四三〇百(元津神代の道は満つ)一四八三(一時は闇の道)八九(ひらき極み)二二四四(富士の代々)七七渦右巻き.jpg(渦)二八(鳴り成るには)八五十三(弥栄に変わり和すの道)三〇渦右巻き.jpg(渦)(道は弥栄)一二三五六(ひふみ道出で睦び)二十十十七(月の神足り足りて成り)一三三(新しき大道満つ) ΘΘ三(神々満ち)渦右巻き.jpg(渦)百十卍(笑らぎ百千万の)
一千九九三(よきこと極む)一四一四十七(いよいよとなり)渦右巻き.jpg(渦)七二百百千八(何もかもももちとひらき)千八三三九(道栄え道極み進み)渦右巻き.jpg(渦)三九二二九一(道極み真理の真理極む)渦右巻き.jpg(渦)ノ九Θ〇渦右巻き.jpg(渦)(元の光の神々えらぎ)八四(更に進む世)〇五〇一七百四九七(和合まずなりてももの世極みなる)渦右巻き.jpg(渦)四二一ΘΘ三(世に光る神々の大道)Θ二九八三渦右巻き.jpg(渦)渦右巻き.jpg(渦)三二四三七渦右巻き.jpg(渦)一👁二渦右巻き.jpg(渦)四九四(神々ことごとにえらぎて大道いよいよ展き進みて、大真理世界の三つは一と和し、鳴り成りて始めて)〇九十ノ四(まことの愛の代極み来る)二一(弥栄の代の神、人、神人わけへだてなく光り輝き、道は更に極みの極みに進み動き、ありとあることごとくの成り結び)Θ三(更に新しく更に極むるの大道)Θ四二一(神代歓喜の代々)
三かつ二十か(三月二十日) ひつ九か三

ひふみ
元津神代の道は満つ、一時は闇の道、ひらき極み、富士の代々、鳴り成るには弥栄に変わり和すの道、道は弥栄。ひふみ道出で睦び、月の神足り足りて成り、新しき大道満つ。神々満ち、え(笑)らぎ百千万のよきこと極む。いよいよとなり、何もかも百千(ももち)とひらき、道栄え道極み進み、道極み真理の真理極む。元の光の神々えらぎ、更に進む世、和合まずなりて百(もも)の世極みなる。世に光る神々の大道、神々ことごとにえらぎて大道いよいよ展き進みて、大真理世界の三つは一と和し、鳴り成りて始めて、まことの愛の代極み来る、弥栄の代の神、人、神人わけへだてなく光り輝き、道は更に極みの極みに進み動き、ありとあることごとくの成り結び、更に新しく更に極むるの大道、神代歓喜の代々。
三月二十日、ひつ九のか三。

私見
相当作文がありますね。はっきり言ってひどいです。これは、「耳に聞いて」書いたことと理解するしかありません。原文を忠実に訳すと以下のようになります。

Θ四三〇百一四八三(神世の道は諸々初め世に開く道)八九二二四四(開く国に世々)七七渦二八(鳴り成る神に開く)八五十三三〇渦(開き出で満ち満つは神)一二三五六(ひふみ出で結ぶ)二十十十七(月の神足り足りて成り)一三三(初め満ち満つ) ΘΘ三(神々満つ)渦百十卍(神ももちよろず)
一千九九三(新たに地極み極むぞ)一四一四十七(いよいよとなり)渦七二(渦成るに)百百千八(ももち開き)千八三三(地開き満ち満つ)九渦三(悉く渦ぞ)九二二九一渦ノ九(国に悉く初め渦の極み)Θ〇渦八四(神身魂開く世)〇五〇一七(和合は始めなり)百四九七(百世極むなり)渦四二一ΘΘ三(渦世に始めて神々満つ)Θ二九八三(神に極み開く道)渦渦三二四三七(神々ぞ不死身なり)渦一👁二渦四(神初めに渦世)九四〇九十ノ四二一Θ三(悉く世は言の世に始まる神の道)Θ四二一(神世に一つ)
三かつ二十か ひつ九か三


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2018年02月10日

キの巻 第15帖 原文

「あなない.............大道」
原文
三五一一一一十四八十九十二三一三一九〇一二三一二三十七〇四一三

対訳
三五(あなない)一一一(元津神々)一十四八十(人の世ひらき和し)九十二三(ことごとくの神人満つ道)一三一(勇み出で)九〇一二三一二三十七(すべてはひふみひふみとなり)〇四一三(和し勇む大道)

ひふみ
誠申すと耳に逆らうであろが、その耳取り替えてしまうぞ、我にわからんメグリあるぞ、今度は親子でも夫婦でも同じように裁くわけには行かんのぞ、子が天国で親地獄というようにならんようにしてくれよ、一家揃うて天国身魂となってくれよ、国皆揃うてΘ国となるようつとめてくれよ、メグリは一家分け合って、国中分け合って借銭なしにして下されよ、天明(岡本天明)代わりに詫びしてくれよ、役員代わりて詫びしてくれよ。この神示肚に入れておれば、どんなこと出て来ても、胴すわるから心配ないぞ、あなない、元津神々人の世ひらき和し、ことごとくの神人満つ道、勇み出で、すべてはひふみひふみとなり、和し勇む大道、
三月十九日、ひつ九のか三。

私見
三五(あなない)一一一(元津神々)一十四八十(人の世開くと)九十二三一三(ことごとに満つ始めぞ)一九〇(初め悉くは)一二三一二三十七(ひふみひふみとなり)〇四一三(和し一つぞ)


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キの巻 第14帖 原文

「この道はむすび.......大道ぞ」
原文
九三八六一二三八三七六十二七七九十渦右巻き.jpg一九三二八三三

対訳
九三八六(この道はむすび)一二三八(ひふみとひらき)三七六(みなむすび)十二七七(神々地に成り)九十渦右巻き.jpg(ことごとく弥栄へ)一九三二八三三(戦争つきはつ大道ぞ)

ひふみ
三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなるから、更に用意して
どんなこと起こってもビクともせんように心しておいてくれよ、心違うているから、臣民の思うことの逆さばかりが出てくるのざぞ、九月八日の仕組、近づいたぞ、この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り、ことごとく弥栄へ戦争(いくさ)つきはつ大道ぞ。
一時はこの中も火の消えたように寂しくなってくるぞ、その時になっておかげ落とさんようにしてくれよ、Θの仕組愈々世に出るぞ、三千年の仕組晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、桜花一二三(ひふみ)と咲くぞ。
三月十七日、ひつ九か三。

私見
九三八六(ことごとく道はむすび)一二三八(ひふみとひらき)三七六(みなむすび)十二七七(神に成るなり)九十渦右巻き.jpg(ことごとく神弥栄へ)一九三二八三三(戦争に開く道ぞ/戦争つきはつ大道ぞ)

大体同じですね。ちょっと、しっくりきませんが。



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キの巻 第17帖

すり鉢に入れてコネ廻しているのざから、一人逃れようとて逃れること出来んのざぞ、逃れようとするのは我れ善しざぞ、今の仕事、五人分も十人分も精出せと申してあろがな、急ぐでないぞ、その御用済みたら次の御用にかからすのざから、この世の悪も善も皆御用と申してあろが、身魂相当の御用致しているのざぞ。
仕事しながら神示肚に入れて行けば仕事段々変わるのざぞ、神示声立てて読むのぞと申してあること忘れるなよ、その上で人にこの道伝えてやれよ、無理するでないぞ。我捨てて大き息吹きにとけるのざぞ、Θの息吹にとけ入るのざぞ、御稜威(ごみいづ)にとけ入るのざぞ、愈々神示一二三(ひふみ)となるぞ、一二三とは息吹きぞ、ミミに知らすぞ、言わねばならぬから、一二三として、息吹として知らすぞ。神示よく読めばわかることぞ、神示読めよ、読むと神示出るぞ、この巻は「キの巻」と申せよ。富士は晴れたり世界.jpg(せかい)晴れ、岩戸あけたり世界.jpg(せかい)晴れぞ。
三月二十日、ひつ九ノか三。


「すり鉢に入れてコネ廻しているのざから、一人逃れようとて逃れること出来んのざぞ、逃れようとするのは我れ善しざぞ」
世界中何処にいても逃げられないそうです、その時が来たら、潔くあきらめましょう。

「今の仕事、五人分も十人分も精出せと申してあろがな、急ぐでないぞ、その御用済みたら次の御用にかからすのざから、この世の悪も善も皆御用と申してあろが、身魂相当の御用致しているのざぞ。」
過激ですね。仕事に悪も善もないそうです。身魂相当の御用だそうです。

「仕事しながら神示肚に入れて行けば仕事段々変わるのざぞ」
ああ〜、良かった。神示が肚に落ちれば、ひとりでに仕事が変わっていくそうです。

「神示声立てて読むのぞと申してあること忘れるなよ、その上で人にこの道伝えてやれよ、無理するでないぞ。」

「我捨てて大き息吹きにとけるのざぞ、Θの息吹にとけ入るのざぞ、御稜威(ごみいづ)にとけ入るのざぞ」
神の息吹、ご威光に溶け入るのだそうです。

「愈々神示一二三(ひふみ)となるぞ、一二三とは息吹きぞ、ミミに知らすぞ、言わねばならぬから、一二三として、息吹として知らすぞ。」
これまでの「日月神示」(ひつく神示)から「一二三神示」(ひふみ神示)となるようです。何が違うかといえば、これまでは人の解釈が入っていましたが、それが神からの直接の啓示に変わるということでしょう。

「神示よく読めばわかることぞ、神示読めよ、読むと神示出るぞ」

「富士は晴れたり(せかい)晴れ、岩戸あけたり(せかい)晴れぞ。」
この「世界」の記号は〇の中に十です。島津藩の紋です。島津とユダヤを関連づける向きもありますが、どうでしょう。(笑)
単純にキリスト教を始めとする世界の宗教との統一を意味する象徴としての記号だと思われます(因みにお寺の卍も鍵十字という十の一種です。ナチスとは傾きも方向も違うのでご注意のほど)。

しかも、これは、身魂の〇と十だけですから完成形ではないのです。十が回転すると米になります。さらに回転すると十六弁菊花紋となります。さらに、さらに回転して行きますと渦になります。その状態がΘとなるのです。


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キの巻 第16帖

元津神代の道は満つ、一時は闇の道、ひらき極み、富士の代々、鳴り成るには弥栄に変わり和すの道、道は弥栄。ひふみ道出で睦び、月の神足り足りて成り、新しき大道満つ。神々満ち、え(笑)らぎ百千万のよきこと極む。いよいよとなり、何もかも百千(ももち)とひらき、道栄え道極み進み、道極み真理の真理極む。元の光の神々えらぎ、更に進む世、和合まずなりて百(もも)の世極みなる。世に光る神々の大道、神々ことごとにえらぎて大道いよいよ展き進みて、大真理世界の三つは一と和し、鳴り成りて始めて、まことの愛の代極み来る、弥栄の代の神、人、神人わけへだてなく光り輝き、道は更に極みの極みに進み動き、ありとあることごとくの成り結び、更に新しく更に極むるの大道、神代歓喜の代々。
三月二十日、ひつ九のか三。


「元津神代の道は満つ、一時は闇の道、ひらき極み、富士の代々、鳴り成るには弥栄に変わり和すの道、道は弥栄。」
和の道は、一時的には「闇」となろうと、道は開き、極み、弥栄となる。

「ひふみ道出で睦び、月の神足り足りて成り、新しき大道満つ。神々満ち、え(笑)らぎ百千万のよきこと極む。」
ひふみの道は、睦み合い、月の神満ちたりて、新しい大道が達成される。百千万の神々は楽しく笑い満ち足りる。

「いよいよとなり、何もかも百千(ももち)とひらき、道栄え道極み進み、道極み真理の真理極む。元の光の神々えらぎ、更に進む世、和合まずなりて百(もも)の世極みなる。」
草木を始め何もかも様々に解き放たれ、進み、極み、さらに進み、極み、真理の真理を極める。元の光の神々も楽しく笑い、さらに世は進み、和合し、諸々の世が極まっていく。

「世に光る神々の大道、神々ことごとにえらぎて大道いよいよ展き進みて、大真理世界の三つは一と和し、鳴り成りて始めて、まことの愛の代極み来る」
世に光る神々の大道は、神々を悉く笑い喜ばせ、さらに進展して、「大真理世界」の三つ(上、中、下)は一と和し、真の愛の世が極み来たる。

「弥栄の代の神、人、神人わけへだてなく光り輝き、道は更に極みの極みに進み動き、ありとあることごとくの成り結び、更に新しく更に極むるの大道、神代歓喜の代々。」
弥栄の世では、神、人の隔てがなく全て光り輝き、道はさらに極みの極みに進み、ありとあらゆるものが悉く和し、その大道は、さらに新しく、さらに極まる。神世は歓喜に包まれる。


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キの巻 第15帖

誠申すと耳に逆らうであろが、その耳取り替えてしまうぞ、我にわからんメグリあるぞ、今度は親子でも夫婦でも同じように裁くわけには行かんのぞ、子が天国で親地獄というようにならんようにしてくれよ、一家揃うて天国身魂となってくれよ、国皆揃うてΘ国となるようつとめてくれよ、メグリは一家分け合って、国中分け合って借銭なしにして下されよ、天明(岡本天明)代わりに詫びしてくれよ、役員代わりて詫びしてくれよ。この神示肚に入れておれば、どんなこと出て来ても、胴すわるから心配ないぞ、あなない、元津神々人の世ひらき和し、ことごとくの神人満つ道、勇み出で、すべてはひふみひふみとなり、和し勇む大道、
三月十九日、ひつ九のか三。


「誠申すと耳に逆らうであろが、その耳取り替えてしまうぞ、我にわからんメグリあるぞ」
神が真実を言えば、耳に痛く拒絶反応を示すであろうが、自分では自覚しない汚れがあるぞということです。

「今度は親子でも夫婦でも同じように裁くわけには行かんのぞ、子が天国で親地獄というようにならんようにしてくれよ、一家揃うて天国身魂となってくれよ、国皆揃うてΘ国となるようつとめてくれよ」
最後の審判は一人一人に対するものだから、家族といえど同じではないぞ。一家揃って、国民揃って神国行きになるよう努力してくださいよとのことです。

「メグリは一家分け合って、国中分け合って借銭なしにして下されよ、天明(岡本天明)代わりに詫びしてくれよ、役員代わりて詫びしてくれよ。」
メグリは皆で分け合って、神様にお詫びすることで、借銭なしに出来るようです。

「この神示肚に入れておれば、どんなこと出て来ても、胴すわるから心配ないぞ、あなない、元津神々人の世ひらき和し、ことごとくの神人満つ道、勇み出で、すべてはひふみひふみとなり、和し勇む大道」
とにかく、一番重要なのは、「あなない=和」ということですね。


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キの巻 第15帖

誠申すと耳に逆らうであろが、その耳取り替えてしまうぞ、我にわからんメグリあるぞ、今度は親子でも夫婦でも同じように裁くわけには行かんのぞ、子が天国で親地獄というようにならんようにしてくれよ、一家揃うて天国身魂となってくれよ、国皆揃うてΘ国となるようつとめてくれよ、メグリは一家分け合って、国中分け合って借銭なしにして下されよ、天明(岡本天明)代わりに詫びしてくれよ、役員代わりて詫びしてくれよ。この神示肚に入れておれば、どんなこと出て来ても、胴すわるから心配ないぞ、あなない、元津神々人の世ひらき和し、ことごとくの神人満つ道、勇み出で、すべてはひふみひふみとなり、和し勇む大道、
三月十九日、ひつ九のか三。


「誠申すと耳に逆らうであろが、その耳取り替えてしまうぞ、我にわからんメグリあるぞ」
神が真実を言えば、耳に痛く拒絶反応を示すであろうが、自分では自覚しない汚れがあるぞということです。

「今度は親子でも夫婦でも同じように裁くわけには行かんのぞ、子が天国で親地獄というようにならんようにしてくれよ、一家揃うて天国身魂となってくれよ、国皆揃うてΘ国となるようつとめてくれよ」
最後の審判は一人一人に対するものだから、家族といえど同じではないぞ。一家揃って、国民揃って神国行きになるよう努力してくださいよとのことです。

「メグリは一家分け合って、国中分け合って借銭なしにして下されよ、天明(岡本天明)代わりに詫びしてくれよ、役員代わりて詫びしてくれよ。」
メグリは皆で分け合って、神様にお詫びすることで、借銭なしに出来るようです。

「この神示肚に入れておれば、どんなこと出て来ても、胴すわるから心配ないぞ、あなない、元津神々人の世ひらき和し、ことごとくの神人満つ道、勇み出で、すべてはひふみひふみとなり、和し勇む大道」
とにかく、一番重要なのは、「あなない=和」ということですね。


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2018年02月09日

キの巻 第14帖

三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなるから、更に用意して
どんなこと起こってもビクともせんように心しておいてくれよ、心違うているから、臣民の思うことの逆さばかりが出てくるのざぞ、九月八日の仕組、近づいたぞ、この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り、ことごとく弥栄へ戦争(いくさ)つきはつ大道ぞ。
一時はこの中も火の消えたように寂しくなってくるぞ、その時になっておかげ落とさんようにしてくれよ、Θの仕組愈々世に出るぞ、三千年の仕組晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、桜花一二三(ひふみ)と咲くぞ。
三月十七日、ひつ九か三。


「三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなるから、更に用意して
どんなこと起こってもビクともせんように心しておいてくれよ」
この三月三日は昭和20年4月14日(または4月15日)、五月五日は昭和20年6月14日(または6月15日)です。
近い出来事としては、4月15日ソ連軍によるベルリン攻撃開始、 6月 21日アメリカ軍による沖縄の占領となっています。

「心違うているから、臣民の思うことの逆さばかりが出てくるのざぞ」

「九月八日の仕組、近づいたぞ、この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り、ことごとく弥栄へ戦争(いくさ)つきはつ大道ぞ」
九月八日は昭和20年10月13日(または10月14日)です。近い出来事としては、10月15日に治安警察法・治安維持法廃止、参謀本部・軍令部廃止がありました。戦争が終わっていなかったら、世界中の戦争が尽き果てるような何か重大な出来事があったのかもしれません。

「一時はこの中も火の消えたように寂しくなってくるぞ、その時になっておかげ落とさんようにしてくれよ」
この中というのは天之日津久奉賛会でしょうか。戦争が迫って来ると疎開や徴兵で人が少なくなってくるということでしょう。

「Θの仕組愈々世に出るぞ、三千年の仕組晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、桜花一二三(ひふみ)と咲くぞ。」
年内に混乱は終わり、年が明けて春になると神の仕組が完成するということでしょう。


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キの巻 第13帖

世に落ちておいでなさる御方、御一方、竜宮の乙姫殿、御守護あそばすぞ、この方、天晴れ表に現われるぞ、これからは神徳もらわんと一寸先へも行けんことになったぞ、御用さしてくれと申しても、メグリある金は御用にならんぞ、メグリになるのぞ。
自分の物と思うのが天の賊ぞ、これまで世に出ておいでになる守護神、九分九厘まで天の賊ぞ。偉い人愈々とんでもないことになるぞ、捕らわれるぞ、痛い目にあわされるぞ、今に目覚めるなれどその時では遅い遅い。おかみも一時は無くなるのぞ、一人一人何でも出来るようになりておりてくれと申してあること近うなりたぞ、
火の大Θ気つけてくれよ、どえらいことになるぞ。一厘のこと言わねばならず、言うてはならず、心と心で知らしたいなれど、心でとりて下されよ、よく神示読んでさとりてくれよ、Θたのむのざぞ。
三月十六日、ひつ九ノか三。


「世に落ちておいでなさる御方、御一方、竜宮の乙姫殿、御守護あそばすぞ、この方、天晴れ表に現われるぞ」

「竜宮の乙姫」は、「玉依姫」(たまよりひめ)です。豊玉姫の妹(海神の娘)や、賀茂別雷神の母など同じ名前の神様がいらっしゃるのですが、ここでは「豊玉姫の妹(海神の娘)」のことのようです。神武天皇の母親でもあります。「世に落ちておいでなさる御方」という表現が気になりますが、もし「活玉依毘売」ということであれば「瀬織津姫」ということにもなります。神武天皇の義母にあたりますから、その可能性もあります(古事記、日本書紀のゴマカシの一つとして)。少なくとも、「菜々緒」さんでないことだけは確かです。(笑)

「これからは神徳もらわんと一寸先へも行けんことになったぞ、御用さしてくれと申しても、メグリある金は御用にならんぞ、メグリになるのぞ。」
金では何も解決しない、神徳こそ必要とのことです。

「自分の物と思うのが天の賊ぞ、これまで世に出ておいでになる守護神、九分九厘まで天の賊ぞ。偉い人愈々とんでもないことになるぞ、捕らわれるぞ、痛い目にあわされるぞ、今に目覚めるなれどその時では遅い遅い。おかみも一時は無くなるのぞ、一人一人何でも出来るようになりておりてくれと申してあること近うなりたぞ」
前から気になっているのが「天の賊ぞ」という言葉なのですが、「天皇族ぞ」とも読めるんですよ。天皇ご自身は、昭和天皇も平成天皇もそして次の徳仁親王も立派な方々なので、「天皇陛下を利用して私腹を肥やす人達」という意味なのかもしれません。ABC級戦犯の方々が戦後処罰されたことは既にお話しました(本当はもっと悪いのに処罰されなかった方々も沢山おられます)。アメリカの占領下におかれ国家としても一度は無くなりました。戦後の困窮も筆舌に尽くしがたいものがあったと思います。

「火の大Θ気つけてくれよ、どえらいことになるぞ。一厘のこと言わねばならず、言うてはならず、心と心で知らしたいなれど、心でとりて下されよ、よく神示読んでさとりてくれよ、Θたのむのざぞ。」
これは明らかに、広島、長崎の原爆のことを言っていますね。「一厘の仕組」も原子またはクオークの核融合のことだと思われますので、言ってはならず、言わねばならずということなのかもしれません。


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キの巻 第12帖

見苦しき霊(たま)には見苦しきものうつるぞ、それが病の元ぞ、見苦しき者に、見苦しきタマ当たるぞ、それで早う洗濯掃除と申してくどう気つけておいたのぞ。Θの試しもあるなれど、所々に見せしめしてあるぞ、早う改心してくれよ、それが天地への孝行であるぞ、てんし様への忠義であるぞ。鎮魂(みたましずめ)には神示読みて聞かせよ、三回、五回、七回、三十回、 五十回、七十回で始めはよいぞ、それでわからぬようなればお出直しで御座る。
三月十五日、ひつ九のか三。


「見苦しき霊(たま)には見苦しきものうつるぞ、それが病の元ぞ、見苦しき者に、見苦しきタマ当たるぞ、それで早う洗濯掃除と申してくどう気つけておいたのぞ。」
汚れた身魂には、魔がうつり、病気になり、鉄砲の弾が当たるということです。

「Θの試しもあるなれど、所々に見せしめしてあるぞ、早う改心してくれよ、それが天地への孝行であるぞ、てんし様への忠義であるぞ。」
神の「お試し」ということも「見せしめ」ということもあるとのことです。「改心」が大事だということです。

「鎮魂(みたましずめ)には神示読みて聞かせよ、三回、五回、七回、三十回、 五十回、七十回で始めはよいぞ、それでわからぬようなればお出直しで御座る。」
三五七というのが、神様のリズムだそうです。それで、三、五、七、三十、五十、七十なのでしょう。


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キの巻 第11帖

一二三(ひふみ)とは限りなきΘの弥栄であるぞ、一(ひ)は始めなき始めであるぞ、ケは終わりなき終わりであるぞ、Θの能(はたらき)が一二三であるぞ、始めなく終わりなく弥栄の中今(なかいま)ぞ。一二三はΘの息吹きであるぞ、一二三唱えよ、Θ人共に一二三唱えて岩戸開けるのざぞ、一二三にとけよ、一二三と息せよ、一二三着よ、一二三食(お)せよ、始め一二三あり、一二三はΘぞ、一二三は道ぞ、一二三は祓い清めぞ、祓い清めとは弥栄ぞ、Θの息ぞ、てんし様の息ぞ、臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ。一(ヒ)であるぞ、二(フ)であるぞ、三(ミ)であるぞ、ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ、渦右巻き小.jpg(渦)であるぞ、渦右巻き.jpg(渦)であるぞ。皆の者に一二三唱えさせよ、五柱御働きぞ、八柱十柱御働きぞ、五十連(いつら)ぞ、イロハ(いろは)ぞ、わかりたか。
三月十四日、ひつ九ノか三。


「一二三」(ひふみ)の重要性は良く分かります。限りなき神の弥栄、始めなく終わりなく弥栄の中今です。突然「ケ」が出て来るようですが、ひふみ祝詞「ヒフミヨイムナヤ..............ホレケ〜」の最後のケです。

「一二三はΘの息吹きであるぞ、一二三唱えよ、Θ人共に一二三唱えて岩戸開けるのざぞ、一二三にとけよ、一二三と息せよ、一二三着よ、一二三食(お)せよ、始め一二三あり、一二三はΘぞ、一二三は道ぞ、一二三は祓い清めぞ、祓い清めとは弥栄ぞ、Θの息ぞ、てんし様の息ぞ、臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ。」
ひふみが全てです。

「一(ヒ)であるぞ、二(フ)であるぞ、三(ミ)であるぞ、ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ、(渦)であるぞ、(渦)であるぞ。」
最初からと、最後から。言霊が、渦を巻いている状態を想像してください。右回りです。左回りです。

「皆の者に一二三唱えさせよ、五柱御働きぞ、八柱十柱御働きぞ、五十連(いつら)ぞ、イロハ(いろは)ぞ、わかりたか。」
五十連は「あいうえお」五十音、イロハは「いろは」四十七音です。言霊です。
(「あおうえい」もあります)


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キの巻 第10帖

山の谷まで曇りているぞ、曇りた所へ火の雨降るぞ、曇りた所には神は住めんぞ、Θなき所愈々だぞ。ひどいことあるぞ、Θがするのでないぞ、臣民自分でするのざぞ。一日一日延ばして改心さすように致したなれど、一日延ばせば千日練り直さなならんから、Θは愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒(らち)あけるぞ、もう待たれんぞ、何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな。花火に火つけよ、日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ。三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。
家内和合出来んようでは、この道の取次とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが、和合出来ぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからぞ、昼も夜もないのざぞ、坊主坊主臭くてはならんぞ。
三月十三日、一二Θ。


「山の谷まで曇りているぞ、曇りた所へ火の雨降るぞ、曇りた所には神は住めんぞ、Θなき所愈々だぞ。ひどいことあるぞ、Θがするのでないぞ、臣民自分でするのざぞ。」
直接的には、硫黄島、沖縄の火炎放射と広島、長崎の原爆のことでしょう。現代では、核戦争のことだと思われます。今、北朝鮮による核攻撃という危機があります。一部には、話し合いで解決をという声もありますが、話し合いの後は水爆と核拡散です。そこまで覚悟してのことであれば結構ですが、いずれにしても賢明な解決をして頂きたいものです。

「一日一日延ばして改心さすように致したなれど、一日延ばせば千日練り直さなならんから、Θは愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒(らち)あけるぞ、もう待たれんぞ、何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな。」
そうですね。73年間は長過ぎたような気がしますね。いろんな所からいろんなものが出て来ています。何より「大和心=魂」が失われ過ぎています。

「花火に火つけよ、日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ。三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。」
花火とは、皆さんの心の中にある「花火」です。「九つ花」です。「一厘の仕組」です。

「家内和合出来んようでは、この道の取次とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが、和合出来ぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからぞ、昼も夜もないのざぞ」
和合が大事ということです。まずは、夫婦、家族、親戚、友人、地域の住民、学校、職場、地方公共団体、国家、そして世界です。北朝鮮との「和合」はどう為すべきか。難しい問題です。

「坊主坊主臭くてはならんぞ。
これは何でしょうね。「坊主」とはお寺のお坊さんでしょうか、それとも子供のことでしょうか。いずれにしても、後ろ向きの考え方は捨てよということでしょう。



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2018年02月08日

キの巻 第9帖

悪いこと待つは悪魔ぞ、いつ立て替え、大峠が来るかと待つ心は、悪魔に使われているのざぞ。この神示世界中に知らすのざ、今までは大目に見ていたが、もう待たれんから見直し聞き直しないぞ、Θの規則通りにビシビシと出て来るぞ、世界一平に泥の海であったのを、修理固成(つくりかため)たのは国常立尊であるぞ、親様を泥の海にお住まい申さすはもったいないぞ、それで天にお昇りなされたのぞ。岩の神、荒の神、雨の神、風の神、地震の神殿、このΘΘ様、御手伝いでこの世のかため致したのであるぞ。
元からの龍体持たれた荒神様でないと今度の御用は出来んのざぞ、世界つくり固めてから臣民つくりたのであるぞ、何も知らずに上に登りて、Θを見下ろしているようで、何でこの世が治まるものぞ。
天と地との御恩ということがΘの国の守護神にわかりておらんから、難儀なことが、愈々どうにもならんことになるのぞ、バタバタとなるのぞ。臣民生まれ落ちたら、ウブの御水を火で温めて産湯を浴びせてもらうであろが、その御水はお土から頂くのざぞ、焚き火灯しは皆日の大Θ様から頂くのぞ、御水と御火と御土で、この世のイキあるもの、生きているのざぞ、そんなことくらい誰でも知っていると申すであろが、その御恩ということ知るまいがな。(一厘のところわかるまいがな。)
守護神も曇りているからΘΘ様にも早うこの神示読んで聞かせてやれよ、世間話に花咲かすようでは誠の役員とは言われんぞ、桜に花咲かせよ。せわしくさしているのざぞ、せわしいのは神の恵みざぞ、今の世にせわしくなかったら臣民腐ってしまうぞ、せわしく働けよ、
三月十一日、ひつ九のか三。


「悪いこと待つは悪魔ぞ、いつ立て替え、大峠が来るかと待つ心は、悪魔に使われているのざぞ。この神示世界中に知らすのざ」
時節は時の神が決めること、心勇むのは良いが、大峠を待ちわびるのは「我れ善し」の悪魔の心だぞということです。世界中にこの神示を知らせてくれ、世界の人民の中にも当然救われるべき民がいるぞということでしょう。

「今までは大目に見ていたが、もう待たれんから見直し聞き直しないぞ、Θの規則通りにビシビシと出て来るぞ」
いよいよ時節が到来しそうだから、待っている余裕がなくなって来ているぞということです。三、四月の決戦が始まっています。

「世界一平に泥の海であったのを、修理固成(つくりかため)たのは国常立尊であるぞ、親様を泥の海にお住まい申さすはもったいないぞ、それで天にお昇りなされたのぞ。岩の神、荒の神、雨の神、風の神、地震の神殿、このΘΘ様、御手伝いでこの世のかため致したのであるぞ。」
親神様は、やはり「国之常立大神」でした。今は、地から天に昇られたようです。おそらくその後を継がれたのは「須佐鳴之大神」です。

「元からの龍体持たれた荒神様でないと今度の御用は出来んのざぞ、世界つくり固めてから臣民つくりたのであるぞ、何も知らずに上に登りて、Θを見下ろしているようで、何でこの世が治まるものぞ。」
これは、「足元に気づけよ」と同じですね。以前、頭上からの神の光を真上から受けると足元に影が差さないう話がありましたが、同時に、その足元に大恩ある神様がいらっしゃることを忘れるなということでもあるようです。

「天と地との御恩ということがΘの国の守護神にわかりておらんから、難儀なことが、愈々どうにもならんことになるのぞ、バタバタとなるのぞ」
天の神様だけ拝んで、地の神様が疎かになっているから、この窮地があるのだぞということです。

「臣民生まれ落ちたら、ウブの御水を火で温めて産湯を浴びせてもらうであろが、その御水はお土から頂くのざぞ、焚き火灯しは皆日の大Θ様から頂くのぞ、御水と御火と御土で、この世のイキあるもの、生きているのざぞ、そんなことくらい誰でも知っていると申すであろが、その御恩ということ知るまいがな。(一厘のところわかるまいがな。)」
水は土から、火は日から、水と火と土で生命をつないでいるが、そのご恩というのは、日の神様(火)、月の神様(水)以外にも土の神様から頂いているのだぞということでしょう。「(一厘のところわかるまいがな。)」と記載してありますが、これは違うと思います。「七厘」くらいでしょうか。(笑)

「守護神も曇りているからΘΘ様にも早うこの神示読んで聞かせてやれよ、世間話に花咲かすようでは誠の役員とは言われんぞ、桜に花咲かせよ。せわしくさしているのざぞ、せわしいのは神の恵みざぞ、今の世にせわしくなかったら臣民腐ってしまうぞ、せわしく働けよ、」
戦争は「大峠」に差し掛かっているので、神様も役員を鼓舞していらっしゃるのでしょう。


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キの巻 第8帖

今までのして来たことが、なるほど天地のΘの心に背いているということ心からわかりて、心からお詫びして改心すれば、この先末代身魂をかまうぞ、借銭負っている身魂は、この世にはおいてもらえんことに規則決まったのざぞ、早う皆に知らしてやれよ。
タテコワシ、タテナホシ、一度になるぞ、立て直しの世直し早うなるも知れんぞ、遅れるでないぞ。立て直し急ぐぞ、立て直しとは元の世に、Θの世に返すことざぞ、元の世と申しても泥の海ではないのざぞ、中々に大層なことであるのざぞ。上下グレンと申してあることよく肚に入れてくれよ。
三月十一日、一二Θ。


「今までのして来たことが、なるほど天地のΘの心に背いているということ心からわかりて、心からお詫びして改心すれば、この先末代身魂をかまうぞ、借銭負っている身魂は、この世にはおいてもらえんことに規則決まったのざぞ、早う皆に知らしてやれよ。」
今までの行いを、心から改心しお詫びすれば、身魂を構って頂けるということです。メグリの取れていない借銭のある身魂は消されてしまうという規則だそうです。

「タテコワシ、タテナホシ、一度になるぞ、立て直しの世直し早うなるも知れんぞ、遅れるでないぞ。立て直し急ぐぞ、立て直しとは元の世に、Θの世に返すことざぞ、元の世と申しても泥の海ではないのざぞ、中々に大層なことであるのざぞ。上下グレンと申してあることよく肚に入れてくれよ。」
建て壊しの後、立て直しは即座に行われるそうです。神世の昔に返すことだそうです。上下が引っ繰り返るそうです。


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キの巻 第7帖

物、自分のものと思うのは天の賊ぞ、皆てんし様の物ざと、くどう申してあるのにまだわからんか。行い出来て、口静かにしてもらうと、何事もスラリと行くぞ、行が出来ておらんと、何かのことが遅れるのざぞ、遅れるだけ苦しむのざぞ。
Θの国も、半分の所にはイヤなことあるぞ、洗濯出来た臣民に元の神がうつりて、サァ今ざということになりたら、臣民の知らん働きさして、悪では出来ん手柄さして、なした結構なことかとビックリ箱あくのざぞ。天と地との親の大Θ様のミコトですることぞ、いくら悪神ジタバタしたとて手も出せんぞ、この世三角にしようと四角にしようと、元のこの方等の心のままぞ。後から来た守護神先になるから、今の役員そうならんように神示で知らしてあるのざから、よく裏の裏まで読んで肚に入れて、何一つわかんことのないようにしてくれよ、今に恥ずかしいことになるぞ。
元の大和魂の誠の身魂揃うたら、人は沢山なくてもこの仕組成就するのざぞ、と申してあろが、末代動かぬ世の元の礎築くのざから、キマリつけるのざから、気つけおくぞ。キが元と申してあろがな、上は上の行い、中は中、下は下の行い、作法、あるのざぞ、マゼコゼにしてはならんぞ、この中からキチリキチリと礼儀正しくせよ。
三月十一日、ひつ九か三。


「物、自分のものと思うのは天の賊ぞ、皆てんし様の物ざと、くどう申してあるのにまだわからんか。行い出来て、口静かにしてもらうと、何事もスラリと行くぞ、行が出来ておらんと、何かのことが遅れるのざぞ、遅れるだけ苦しむのざぞ。」
地上にあるもの全て神様のものであるぞ。正しい行いが出来て、無駄口をたたかなければ、全て上手くいくぞ。もし出来ないと仕組が遅れ、遅れるだけ苦しみが多くなるぞということです。

「Θの国も、半分の所にはイヤなことあるぞ、洗濯出来た臣民に元の神がうつりて、サァ今ざということになりたら、臣民の知らん働きさして、悪では出来ん手柄さして、なした結構なことかとビックリ箱あくのざぞ。」
日本の半分が焦土と化すということでしょう。元の神が「洗濯出来た臣民」に乗り移り、本人が知らない間に働かれ、本人が気が付いたらビックリ箱ということでしょう。

「天と地との親の大Θ様のミコトですることぞ、いくら悪神ジタバタしたとて手も出せんぞ、この世三角にしようと四角にしようと、元のこの方等の心のままぞ。」

「後から来た守護神先になるから、今の役員そうならんように神示で知らしてあるのざから、よく裏の裏まで読んで肚に入れて、何一つわかんことのないようにしてくれよ、今に恥ずかしいことになるぞ。」
後から来た守護神が先になるというのは、長く修業した方がそれだけ身魂が磨かれているからということでしょう。御用しているからといって、神示を理解できないでいると、それらの人に対して恥ずかしい思いをすることになりますよということです。

「元の大和魂の誠の身魂揃うたら、人は沢山なくてもこの仕組成就するのざぞ、と申してあろが、末代動かぬ世の元の礎築くのざから、キマリつけるのざから、気つけおくぞ。キが元と申してあろがな」
最低五十九柱でしたね。これだけで、仕組が成就するそうです。

「上は上の行い、中は中、下は下の行い、作法、あるのざぞ、マゼコゼにしてはならんぞ、この中からキチリキチリと礼儀正しくせよ。」
昔からの因縁と身魂の磨き具合で上、中、下の三段に分けられてあると書かれていましたね。それぞれの身分に応じ、礼儀、作法を守ってくださいよということです。


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キの巻 第6帖

道場開き結構でありたぞ、皆の者御苦労ぞ、知らしてあるように道開いて下されよ、天と地と合わせ鏡ぞ、一人でしてはならんぞ、桜咲く所、桜と共に花咲くぞ、夏マケ、秋マケとなったら、冬マケで泣きあげてはならんぞ、戦済んでからが愈々のイクサぞ、褌(ふんどし)締めよ、役員も一度は青なるのざぞ、土もぐるのざぞ、九、十、気つけてくれよ。神示よく読めよ、肝腎のことわかりてはおらんぞ。(一のことぞ。)一✓✓✓ 三(ひふみざぞ)
三月十一日、ひつ九ノか三。



道場開きも上手くいったようです。

「知らしてあるように道開いて下されよ、天と地と合わせ鏡ぞ、一人でしてはならんぞ、桜咲く所、桜と共に花咲くぞ」
御用も「天と地と合わせ鏡」なので、二人ペアで行うことが必要だということです。

「夏マケ、秋マケとなったら、冬マケで泣きあげてはならんぞ、戦済んでからが愈々のイクサぞ、褌(ふんどし)締めよ」
夏マケで終わってしまいました。秋、冬と苦難の道のりが続く予定だったようです。「戦済んでからが愈々のイクサぞ」というのは、物理的な戦争の後、本番の「心の戦争」が待っているぞということでしょう。

「役員も一度は青なるのざぞ、土もぐるのざぞ、九、十、気つけてくれよ。」
青というのは、「蒼くなる」ということもありますが、「青人草」になることを意味しているようです。「土もぐる」は、防空壕や戦場での地下壕を指しているようです。
九、十、が出て来ましたね。単に9月、10月のことだったのかもしれません。原爆投下は広島、長崎の2発だけでしたが、当時最大20発くらいあったようですから。

「神示よく読めよ、肝腎のことわかりてはおらんぞ。(一のことぞ。)一✓✓✓ 三(ひふみざぞ)」
肝腎のことは、「一」または「ひふみ」と訳しているようです。この他に「秘密ざぞ」「日の道ぞ」とも訳せるようですが、私は「火の道ぞ」または「霊の道ぞ」と訳してみました。「広島ぞ」かもしれません。


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キの巻 第5帖

この神示は心通りにうつるのぞ、思い違うといくら神示読んでも違うことになるのぞ、心違うと今度はどんなに偉い神でも人でも気の毒出来るぞ、この方は悔やむこと嫌いぞ。
次の世となれば、これまでのように無理に働かなくても楽に暮せる嬉し嬉しの世となるのざが、臣民、今は人の手に握っているものでも叩き落して取るようになりているのざから、Θも往生ざぞ、Θは臣民、楽にしてやりたいのに、楽に狎(な)れて、自分でしたように思うて、Θを無きものにしたから、今度の難儀になって来たのざぞ、そこにまだ気づかんか、キが元ぞと申してあろがな、早う気づかんと間に合わんぞ、このΘは、従う者にはおだやかざが、逆らう者には鬼となるのざぞ。
三月十日、一二Θ。


「この神示は心通りにうつるのぞ、思い違うといくら神示読んでも違うことになるのぞ、心違うと今度はどんなに偉い神でも人でも気の毒出来るぞ、この方は悔やむこと嫌いぞ。」
私も一応はこの神示を素直な心で読み解くように努めておりますが、心曇りておりますので、皆さんも、ぜひそのまま鵜呑みにせず、ご自分の解釈にてお読みくださいますようお願いいたします。

「次の世となれば、これまでのように無理に働かなくても楽に暮せる嬉し嬉しの世となるのざが、臣民、今は人の手に握っているものでも叩き落して取るようになりているのざから、Θも往生ざぞ」
競争社会に生きる我々としては、どうしても自分自身や家族を優先にして、他人のことには目もくれないような生活をしております。フェアにやるかやらないかで大きな違いはありますが、フェアにやるとしても、一歩立ち止まって「他人を思いやる気持」を大事にしたいものです。

「Θは臣民、楽にしてやりたいのに、楽に狎(な)れて、自分でしたように思うて、Θを無きものにしたから、今度の難儀になって来たのざぞ、そこにまだ気づかんか、キが元ぞと申してあろがな、早う気づかんと間に合わんぞ」
神が日本人を助けて楽にしてやるようにしたのに、日本人は全て自分達が為した事のように考え、神を無視していたから、頭に乗って戦線を拡大し、太平洋戦争の敗戦になったと言っておられます。神の「キ」が元だということを早く気づけよということです。

「このΘは、従う者にはおだやかざが、逆らう者には鬼となるのざぞ。」
日本人は神に逆らう気持ちはなかったのですが、結果的に「逆らう」ようになっておりました。
神様は、基本的に平和主義であることを前提に考えることが肝要かと思います。
但し、不戦・無抵抗論者ではありません。悪との対決に躊躇はないと肝に銘じるべきです。


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2018年02月07日

キの巻 第4帖

カミの大事の肝腎のところが違ったことになりているから、その肝腎要のところ元に戻さな、何ほど人間が、いくら学や智でやりてもドウにもならんぞ、元の先祖の神でないと、ここと言うところ出来んぞ、Θの国の元の元の元のキのミタマを入れて練り直さな出来んのざぞ、肝腎がひっくり返っているぞ、早う気づかんと間に合わんぞ、もちと大き心持ちなされよ、世界のことざから、世界の御用ざから、大き心でないと、御用出来んぞ。これからはΘが化けに化けて心引くことあるからそのつもりでいてくれよ、三、四月気つけてくれよ。
三月九日、ひつ九のか三ふで。


「カミの大事の肝腎のところが違ったことになりているから、その肝腎要のところ元に戻さな、何ほど人間が、いくら学や智でやりてもドウにもならんぞ、元の先祖の神でないと、ここと言うところ出来んぞ」
元の先祖の神は、「国之常立大神」だと思うのですが。

「Θの国の元の元の元のキのミタマを入れて練り直さな出来んのざぞ、肝腎がひっくり返っているぞ、早う気づかんと間に合わんぞ、もちと大き心持ちなされよ。世界のことざから、世界の御用ざから、大き心でないと、御用出来んぞ」
ヤハウェのこととしか思えませんが。

「これからはΘが化けに化けて心引くことあるからそのつもりでいてくれよ」

「三、四月気つけてくれよ。」
3月10日東京大空襲(死者は約10万人)、3月26日硫黄島の戦い終結、4月1日米軍沖縄本島に上陸、4月7日戦艦大和撃沈と、多くの出来事が3、4月に集中しています。


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キの巻 第3帖

雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神様にお祈りすれば、この世の地震、荒れ、逃らせて下さるぞ、皆の者に知らしてやりて下されよ、この方イの神と現われるぞ、キの神と現われるぞ、シチニの神と現われるぞ、ヒの神と現われるぞ、ミの神と現われるぞ、イリヰの神と現われるぞ、五柱の神様篤くおろがめよ、十柱の神篤くおろがめよ。
三月八日、ひつ九ノか三しらすぞ。


「雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神様にお祈りすれば、この世の地震、荒れ、逃らせて下さるぞ、皆の者に知らしてやりて下されよ」
雨の神(天之水分、国之水分)、風の神(志那都比古、志那都比売)、地震の神(武甕槌、経津主)、岩の神(石戸別、岩長姫)、荒の神様(大雷男、若雷男)でした。「五柱の神様」のようです。

「この方イの神と現われるぞ、キの神と現われるぞ、シチニの神と現われるぞ、ヒの神と現われるぞ、ミの神と現われるぞ、イリヰの神と現われるぞ」
イ・キ・シチニ・ヒ・ミ・イリヰ、50音のイの段です。「ひつ九ノか三」は「十柱」の一柱であり、「オオカムツミ」でもあるとのことですが、日の出の神の「彦火々出見神」でしょうか。日の出の神は金比羅山の神様でもありますから、饒速日尊のことかもなと思っております。自信はありません。

素直に読めば、「キ」の神なので、「木花咲耶姫」となります。


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キの巻 第2帖

神示読めば何もかもわかるようになりていることわからぬか、尾張の御用、御苦労であったぞ、奥の奥のこと仕組通りになりている、臣民心配するでないぞ、一の宮は桜咲く所へ造れよ、わかりたか、天之日津久神奉賛会でよいぞ、オホカムツミの神と申しても祀りくれよ、祭典、国民服の左の胸に八垂(やたれ)のシデ二本つけて、絹のシデつけて当分奉仕してよいぞ、道場は一の宮と一つ所でよいぞ、イイヨリ(四国、讃岐)の御用、タニハ(丹波)の御用御苦労であったぞ。
皆の者愈々ざぞ、今から弱音では何も出来んぞ、春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケて、ハルマゲドンと申してあろが、愈々ざぞ、褌(ふんどし)しめよ、グレンざぞ。
二月二十六日、ひつ九のか三。


尾張の御用も無事終わり、奥の奥のことも仕組通りになっているようです。

「一の宮は桜咲く所へ造れよ、わかりたか、天之日津久神奉賛会でよいぞ、オホカムツミの神と申しても祀りくれよ」
一の宮は「麻賀多神社」でしょうね。梅でなく桜で良いようですね。意富加牟豆美命(オホカムツミの神)は良く出て来ますね。しかも、同じ神様とは限らないようです。「苦境を救う神」ということなのでしょう。

「祭典、国民服の左の胸に八垂(やたれ)のシデ二本つけて、絹のシデつけて当分奉仕してよいぞ」
戦時中ですから、国民服ですが、シデが御用の印なのでしょう。

「道場は一の宮と一つ所でよいぞ」
麻賀多神社と東京に一か所でしょう。

「イイヨリ(四国、讃岐)の御用、タニハ(丹波)の御用御苦労であったぞ。」
金比羅山(または大三島)と籠神社でしょうか。

「皆の者愈々ざぞ、今から弱音では何も出来んぞ、春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケて、ハルマゲドンと申してあろが、愈々ざぞ、褌(ふんどし)しめよ、グレンざぞ。」
春マケでほぼ戦力を喪失し、夏マケでとどめを刺されます。


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