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第352回 新興芸術 [2016/09/16 22:12]
文●ツルシカズヒコ
原敬の暗殺を報じる号外を読み終えた佐藤春夫と大杉は、佐藤の部屋に入り対座した。
佐藤が大杉が執筆している自叙伝について聞いた。
「どうだ、書けた?」
「いや、何もしやしない」
「自分のことを書くのは難しいだろうね。どんな点が難しい?」
大杉はこう答えた。
「何でもない事だがね、なるべく嘘を少くしようと思ふからね。ところで書くだけの事が本当でも、書くべき事を書かないでしまつた..
第346回 赤瀾会講習会 [2016/09/12 17:14]
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年七月十八日から五日間、麹町区元園町の旧社会主義同盟本部で、赤瀾会夏期講習会が開催された。
岩佐作太郎、堺利彦、守田有秋、山川菊栄らの講師陣に交じり、野枝と大杉も講演した。
野枝は七月十九日、第二夜の講師を務めた。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、演題は「職業婦人について」。
「女房としては実にけしからぬ」と云はれても、立派な女房である野枝氏が矯羞を含んだ調子で、産業..
第320回 コミンテルン(三) [2016/08/10 23:05]
文●ツルシカズヒコ
大杉が上海に着いたのは一九二〇(大正九)年十月二十五日ごろだったが、その翌日、ヴォイチンスキー(ロシア共産党の極東責任者)、陳独秀(中国共産党初代総書記)、呂運亨(大韓民国臨時政府外交次長)ら六、七人が一品香旅館にやって来た。
それから二、三日おきに陳独秀の家で会議を開いた。
支那の同志も朝鮮の同志もヴォイチンスキーの意向にほぼ賛成しているようだったが、大杉はそういうわけにもいかず、会議はいつも大杉と..
第303回 豊多摩監獄(四) [2016/07/23 15:17]
文●ツルシカズヒコ
豊多摩監獄に入獄中の大杉が野枝に手紙を書いたこの日、一九二〇(大正九)年二月二十九日、野枝も大杉に手紙を書いた。
このころ野枝はツルゲーネフの『その前夜』『父と子』『ルージン』を読んでいた。
『その前夜』『ルージン』は田中潤訳、『父と子』は谷崎精二訳で新潮社から出ていた(いずれも重訳)。
ロープシン の『蒼ざめたる馬』(青野季吉訳/冬夏社)も読んだ。
先達(せんだつて)はツルゲネ..
第274回 スペイン風邪 [2016/07/04 10:45]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九一九(大正八)年一月二十六日、大杉は売文社で群馬県からこの日上京した蟻川直枝と会い、気が合ったふたりは浅草十二階下にある黒瀬春吉の店「グリル茶目」で食事をした。
このときの話を、安成二郎が大杉からおもしろおかしく語って聞かされた。
大杉と蟻川は「グリル茶目」での食事を終えると、吉原に行くことにした。
売文社に行くとき、大杉は尾行をまいていたので、黒瀬の尾行..
第271回 クララ・サゼツキイ [2016/07/02 22:34]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九一八(大正七)年十一月一日に開かれた同志例会で、外国の新聞や雑誌の情報を入手していた大杉は、近くドイツで革命が起きることを予見したという。
ドイツでは十一月三日にキール軍港の水兵の反乱が起き、十一月九日に皇帝が退位、ワイマール共和国が誕生する革命が進行中だった。
ドイツが連合国との休戦協定に調印し、第一次世界大戦が終結したのは十一月十一日だった。
十一月十五日..
第255回 東京監獄・面会人控所(一) [2016/06/21 21:11]
文●ツルシカズヒコ
一九一八(大正七)年三月六日。
橋浦時雄のところに魔子を預けた野枝は、大杉に面会するために牛込区市谷富久町にある東京監獄に行った。
朝は煙るような雨であった。
伊藤野枝女史がマ子ちゃんを連れて来て、まだ床を離れぬ僕の側に寝かせて帰る。
今日は東京監獄に面会に行くという。
(『橋浦時雄日記 第一巻』)
「監獄挿話 面会人控所」(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)によれ..
第254回 カムレエドシップ [2016/06/19 13:57]
文●ツルシカズヒコ
一九一八(大正七)年三月四日、牛込区市谷富久町にある東京監獄に面会に行った野枝は、そこで堺利彦と遭遇した。
堺は大杉グループとは無関係の大須賀を巻き込んだ大杉の無謀を、非難がましく野枝に当てつけた。
堺の腹の中を見せつけられた野枝は、軽蔑こそすれ腹立しいとは思わなかったが、憎悪と憤りを感じずにはいられなかった。
野枝は今回のようなことはいずれ起こるだろうという覚悟があったので、大げさな心配や興奮は一切..
第226回 オースギカミチカニキラレタ [2016/05/30 16:41]
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)年十一月九日未明、神近に左頸部を短刀で刺された大杉は、神奈川県三浦郡田越村(たごえむら)逗子の千葉病院に入院した。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、大杉の傷は「右下顎骨下一寸の個所に長さ一・八センチ、深さ二・五センチの創傷」だった。
大杉の容態は一時思わしくなかったが、夕刻にはだいぶ回復して、話ができるようになったので、医師は一命に別状はないだろう、と診断する。
病院に..
第197回 カンシヤク玉 [2016/05/20 14:24]
文●ツルシカズヒコ
五月八日の夕方、読売新聞社を訪れた大杉だったが、荒川義英も同社に来ていたので、大杉、土岐、安成、荒川の四人は一緒に社を出た。
すると一行は道で荒畑寒村に遭遇した。
ともかくみんなでカフェ・ヴィアナに入った。
いろんな話のついでに、野依秀一の話になり、彼を呼ぼうということになった。
当時の野依は二年前に起こした愛国生命保険恐喝事件の保釈(仮出獄)中の身だったが、不謹慎活動により禁固4年の実刑が確..
第154回 死灰の中から [2016/05/09 14:39]
文●ツルシカズヒコ
大杉が野枝の第一の手紙に非常な興味を持ったのは、もうひとつの大きな理由があった。
当時の大杉は内外に大きな不満を持っていた。
外に対する不満というのは、個人主義者らの何事につけても周囲への無関心であり、そして虐げられたる者に対する同情や虐げる者に向ける憤懣に対する彼らの冷笑だった。
「結局、それがどうなるんだ。同情してもその相手にとってなんの役にも立たず、憤懣する相手にはそれがために自分までが虐..
第151回 待合 [2016/05/08 14:37]
文●ツルシカズヒコ
大杉は堀保子とは、もう八、九年ほどきわめて平和に暮らしていたが、大杉が野枝の家を訪れたときには、いつも保子の機嫌はよくなかった。
少なくてもいつも曇った顔をしていた。
野枝についての何かの話が出るときも同様だった。
そしてそのたびに大杉は、ただ心の中で軽く「馬鹿ッ」と笑っていた。
二月のある日の晩だった。
保子が大杉の机のかたわらに来て、いつも何か長話があるときに決まってするように..