2023年10月05日
古代史 雑誌から
こんにちは。
当ブログにお越しいただき ありがとうございます。
歴史雑誌から
歴史人 23年10月号
9月の発売日に買いました。
佐賀吉野ケ里遺跡で石棺が見つかった等、古代史に
まつわる発見が相次いでいますので、きっと何処かの
出版社から古代史の特集が組まれると予想していました。
予想は当たった♪
蛇行剣と盾型銅鏡。
数年後の歴史の教科書に載るかもしれない。
盾型銅鏡の使用シーンを考えてみると
映画「レッドクリフ」で劉備軍が曹操軍の
目をくらます光学兵器として使っていたモノ?
妄想が広がります。
更なる発掘、研究を期待しています。
この号では古代史の最近の考え方を特集しています。
私自身も最も気にしている項目と言える
邪馬台国は何処にあったのか?
古代史最大の謎です。
私の思いは九州説にかなり近いのですが、
今は近畿説が有力になっているようです。
歴史学者の方々は一つ所に特定する事に
拘り過ぎているように思えます。
これは私見です。
邪馬台国はヤマタイと読まずにヤマト国と読むと
イメージしやすい。
後の大和政権は邪馬台国の拡大により
九州より近畿域へ勢力拡大した結果として
纏向へ移動(遷都)していったものだと
考えています。
この移動、勢力拡大は宮崎・美々津から出発した
神武東征と言う形で古事記に記されています。
遷都という考え方は後の歴史を見ての通り、
頻繁に遷都を繰り返した大和政権を見れば、
違和感なく納得できると思います。
話変わって 大化の改新。
乙巳の変と呼び名が変わっても未曾有の政治改革
であった事に変わりない。
天皇を中心とした中央集権的な国家を創る試みは
皇位継承にまつわる古代日本最大の内乱、
壬申の乱に繋がっていきます。
壬申の乱。
大化の改新で勝者であった天智天皇。
長子である大友皇子と皇弟、大海人皇子(後の天武天皇)の
皇位継承争い。
長〜い我が国の歴史の中で、最もエキサイティングな
事変だと思っています。
これをNHKの大河ドラマで
やってくれないかなぁ。
ここで自説です。
大海人皇子は本当に天智天皇の弟だったのか?
きっと他人だと思う。
後継者争いではなく、皇位略奪クーデターだった。
そう思う理由は幾つかあって・・・・
まずは即位後の天武天皇の対外政策は兄と真逆である。
唐や新羅と戦った(白村江の戦い)兄とは異なり、
大海人皇子は親・新羅路線であった。
唐とも交わっています。
他にもそう思う理由は幾つかありますが、
とてもブログのスペースでは書ききれない (;^_^A
今回の雑誌の内容と私の書いてることは
かなり外れてしまいましたが、古代史を再度
見返す機会を得られて嬉しく思っています。
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