石神井城を本拠としていた豊島氏とその一族の城跡巡り。滝野川城の次は赤塚城です。
<赤塚城跡>
同じ板橋区の志村城跡へはよく行きますが、ここは初めてです。都営三田線で、志村城のある志村三丁目より更に奥へ。新高島平駅から歩くことにしました(後から知ったのですが、西高島平でも良いようです)。
探索開始
山城らしき光景、、、
ですが、どうも公園として整備した時のもののようですね。曲輪を除くと、私には明確な遺構は見つけられません。おおまかな縄張り図を参考に、カンで歩き回ったせいですかね。実際には痕跡はあるとのこと。残念。まだまだ修行が足りていないようです。
23区内とは思えない自然豊かな場所、いかにも中世の城跡のような雰囲気が漂います。そもそも、もともとある地形に人が何らかの手を加えるのが城ですから、そう見えても不思議ではないですかね。
<溜め池>
赤塚城の内堀だったと推定されています。
山の麓には溜池公園、郷土資料館、区立美術館があります。郷土資料館はお勧めです(個人的に)。赤塚溜池公園は、板橋十景にも選ばれており、なかなかいい感じです。
池のまわりに人が多い?実は毎年行われている「梅まつり」と訪問が重なってしまいました。この城跡(公園)には約200本の梅の木が植えられており、開花の時期には多くの人が訪れます。廃城巡りは、どちらかというと人から見捨てられたような寂しい場所を歩くことが多いのですが、ちょっと勝手が違い戸惑いました。もちろん、私も人並みに梅は好きですよ。ただあまりの人の多さに、撮影にも気を使うし、自分のペースで歩けないし、ちょっとだけ疲れました。
<梅林>
赤塚城跡の梅。見事ですね
人の顔を撮影しないように気を使っているだけで、実際には人が沢山。みな楽しそうです。一人で来てるのは私くらいかも。一人でニコニコするのも恥ずかしいので、冷静に楽しみました。
<城跡周辺>
何かないかとうろうろ。まぁこういう最中が一番楽しいです。何もなかったけど
赤塚城は豊島氏系の赤塚氏による築城。と、長らく思っていましたが、ブログにまとめるためにもう一度確認したら諸説あり、下総から武蔵へ移った千葉自胤(よりたね)によって築城されたとするケースも多いようです。内紛から武蔵に逃れた千葉自胤が、太田道灌の庇護を受け、この地に城を築いた。そういうことでしょうか。
現地ではそんなことまったく知らないまま探索していました。
まぁ千葉自胤が本領下総国を追われてここへ来たときには、既に赤塚城は存在していたという説もあります。もともとあった赤塚氏の古い砦を、千葉自胤が更に補強工事を施して拠点とした。そのくらいの曖昧な認識にしておきます。ちなみに、自胤は兄の実胤(さねたね)とともに武蔵へ逃れましたが、実胤は現在の荒川区に位置する石浜城を拠点としています。この実胤・自胤の兄弟が、武蔵千葉氏の始まりです。
戦国末期になると、武蔵千葉氏は小田原北条氏の傘下に組み込まれていました。これにより、秀吉の小田原征伐後に領地は没収されてしまいます。赤塚城はこの時に廃城。城として機能していたのはここまでということですね。はっきりとした遺構は確認できませんでしたが、雰囲気はいいし、期待していなかった梅とも出会えました。結構歩くこともできて、気持ちが良い城めぐりとなりました。
[東京都板橋区赤塚]
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タグ:豊島一族