2011年05月13日
会津へ帰省
5月5日、西武ドームでのイベント終了後、
妻の実家へと里帰りしてきました。
実は、原発が落ち着くまでは帰省は無理かな、
なんて思っていて、特にこの連休に帰省の計画を
立ててはいませんでした。
その予定が変わったのは、義理の父から
かかってきた1本の電話でした。
まぁ、ひとことで言うと
「孫に会いたいから連れてきてくれると嬉しいな」
ってことです。
「無理にとは言わないけど…」と言われましたが、
頼まれてしまうと、お断りするわけにもいかず
妻が放射線量や水質調査についての発表を
ネットで調べ、会津行きが決定しました。
会津若松市は福島県にありますので、
よく友人などからも「大丈夫?」と
ご心配いただきますので、
ここで少々地理的な解説を。
福島県は東西に3つのエリアに分割されています。
私のように他県在住の人から見たら
不思議に思うのですが、そのエリア分けが、
“東部・中部・西部”ではなくて、
“浜通り・中通り・会津”という
独特な分類をするんですね。
地震速報では、こうしたエリアで紹介されるので、
聞いたことがあるのではないでしょうか?
浜通りは、その名の通り海沿いのエリア。
関東からは常磐線や常磐道でアクセスできます。
いわき市などがあり、原発も浜通りですね。
中通りは、県の中心部となるエリア。
東北新幹線や東北道でアクセスできます。
福島市や郡山市など人口の多い都市が存在していて、
今報道されている校庭の土壌問題はこのエリアです。
そして、会津ですね。
西側で新潟と接したエリアで、
会津若松市、喜多方市などがあります。
関東方面から直接アクセスする手段が少なくて、
乗り入れているのは東武線くらいかな?
この3エリアで福島県なのですが、
会津だけが少々他エリアと違っていて、
天気予報も福島と新潟があったら、
新潟の天気の方を参考にしなさい、
って言われたくらい。
そうした山がちな地形のおかげか、
放射線被害も他エリアに比べて
軽微なようです。
そんなわけで、避難先として
多くの被災者の方を受け入れ、
仮設住宅の建築ラッシュに沸いていました。
話が長くなりました。
今日書きたかったのは、震災の爪痕の話です。
上で述べたように、会津に行くには
アクセス方法が限られてしまいます。
高速道路であれば、東北道もしくは常磐道から
磐越自動車道を利用しますが、
さすがに常磐道を走る勇気がなく、
今回は東北道を利用しました。
その東北道の路面がそうとう凸凹になっているのです。
支援物資等の輸送経路として、
急ピッチで整備されたことは記憶に新しいですが、
そこらへんはやはり突貫工事ですから
仕方がありません。
スピードがちょっと出ていると、
飛び跳ねてしまうような段差が所々にあり、
そうした箇所の路肩には、注意を喚起する
パイロンが置かれていました。
報道などを見て、復旧してよかった、
なんて軽く考えていましたが、
仮設住宅も道路も、あくまでも応急措置。
先ほど炉心のメルトダウンの報道がありましたが、
机上の空論による事故処理ではなく、
事態に即した形での原発問題の収束を切に願い、
東北地方の安心できる復興を祈念したいと思います。
妻の実家へと里帰りしてきました。
実は、原発が落ち着くまでは帰省は無理かな、
なんて思っていて、特にこの連休に帰省の計画を
立ててはいませんでした。
その予定が変わったのは、義理の父から
かかってきた1本の電話でした。
まぁ、ひとことで言うと
「孫に会いたいから連れてきてくれると嬉しいな」
ってことです。
「無理にとは言わないけど…」と言われましたが、
頼まれてしまうと、お断りするわけにもいかず
妻が放射線量や水質調査についての発表を
ネットで調べ、会津行きが決定しました。
会津若松市は福島県にありますので、
よく友人などからも「大丈夫?」と
ご心配いただきますので、
ここで少々地理的な解説を。
福島県は東西に3つのエリアに分割されています。
私のように他県在住の人から見たら
不思議に思うのですが、そのエリア分けが、
“東部・中部・西部”ではなくて、
“浜通り・中通り・会津”という
独特な分類をするんですね。
地震速報では、こうしたエリアで紹介されるので、
聞いたことがあるのではないでしょうか?
浜通りは、その名の通り海沿いのエリア。
関東からは常磐線や常磐道でアクセスできます。
いわき市などがあり、原発も浜通りですね。
中通りは、県の中心部となるエリア。
東北新幹線や東北道でアクセスできます。
福島市や郡山市など人口の多い都市が存在していて、
今報道されている校庭の土壌問題はこのエリアです。
そして、会津ですね。
西側で新潟と接したエリアで、
会津若松市、喜多方市などがあります。
関東方面から直接アクセスする手段が少なくて、
乗り入れているのは東武線くらいかな?
この3エリアで福島県なのですが、
会津だけが少々他エリアと違っていて、
天気予報も福島と新潟があったら、
新潟の天気の方を参考にしなさい、
って言われたくらい。
そうした山がちな地形のおかげか、
放射線被害も他エリアに比べて
軽微なようです。
そんなわけで、避難先として
多くの被災者の方を受け入れ、
仮設住宅の建築ラッシュに沸いていました。
話が長くなりました。
今日書きたかったのは、震災の爪痕の話です。
上で述べたように、会津に行くには
アクセス方法が限られてしまいます。
高速道路であれば、東北道もしくは常磐道から
磐越自動車道を利用しますが、
さすがに常磐道を走る勇気がなく、
今回は東北道を利用しました。
その東北道の路面がそうとう凸凹になっているのです。
支援物資等の輸送経路として、
急ピッチで整備されたことは記憶に新しいですが、
そこらへんはやはり突貫工事ですから
仕方がありません。
スピードがちょっと出ていると、
飛び跳ねてしまうような段差が所々にあり、
そうした箇所の路肩には、注意を喚起する
パイロンが置かれていました。
報道などを見て、復旧してよかった、
なんて軽く考えていましたが、
仮設住宅も道路も、あくまでも応急措置。
先ほど炉心のメルトダウンの報道がありましたが、
机上の空論による事故処理ではなく、
事態に即した形での原発問題の収束を切に願い、
東北地方の安心できる復興を祈念したいと思います。
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