本丸の中央に建てられた石碑
今回の訪問地であるみなかみ町は群馬県の最北端。利根川の源流に位置する町です。
利根川も最上流までくると、だいぶ様子が異なりますね。山の谷間を流れる姿を見た時、これがあの利根川かぁと衝撃を受けました。良く考えれば当たり前の光景なんですがね。
また、このエリアは群馬県でありながら日本海側気候に分類されるとのこと(分類の定義まで調べませんでした)。雪の少ない関東平野と比較すると、明らかに豪雪地帯。今回訪問の名胡桃城は、そういう場所に築かれた戦国時代の連郭式の山城です。
■ 旧月夜野町 ■ つきよのまち
月夜野町。なんだか美しい響きですね。現みなかみ町は、水上町と新治村、そして月夜野町が合併して誕生した町です。名胡桃城は、古い言い方だと「月夜野の城」です。
月夜野の名は、平安時代の京の歌人がこの地を訪れ、三峰山に昇る月を見て感動し、歌を詠んだことに由来するそうです。ますますいい名前ですね。
■ 月夜野の中世 ■
山に囲まれた利根川上流は、鎌倉時代から戦国時代にかけては沼田氏の支配。ここ名胡桃城は、沼田城の支城として1492年に築城されました。やがてこのエリアは小田原北条氏の支配するところになりますが、そこへ越後の上杉謙信が三国峠を越えてやってきます。沼田城を含め、今度は上杉氏支配となりますが、謙信は1578年に病死。この後の諸々の混乱に乗じ、武田勝頼配下の真田昌幸が沼田城を落とし、利根上流は昌幸が支配することになりました(支配は武田滅亡後もつづく)。そして小田原北条氏側による城乗っ取りの謀略(名胡桃城事件)。これがきっかけとなり、秀吉は大掛かりな小田原征伐へと動き始めます。
<真田街道>
真田氏の家紋「六文銭」をあしらった赤いのぼり旗。気持ち良さそうに風にたなびいています。ここに限らず、上田市や長野市など真田ゆかりの地にPR用として掲げられています(PRは長野・群馬両県13市町村で展開)。真田幸隆・昌幸・信之が統治した地を結ぶ街道です。
六文銭は三途の川での渡し賃
つまり「いつでも死ぬ覚悟はできているぜ」という武士の覚悟を示すもの。
真田らしい家紋ですね。
<本丸より撮影>
いい眺めです(画像、すみません。肉眼では遠くまで見渡せました)。
<縄張り図>
名胡桃城は利根川とその支流の断崖絶壁の上に築かれています。城の縄張りで、曲輪や堀の配置以上に大切なのが場所の選定。凄い場所を見つけたものです。
<崖>
崖になっているのですが、木々で見えにくいですかね?そうとう深い
<土橋>
整備される前はきっと草だらけで、どれが遺構だかも分からない荒城だったのでしょう。それが今ではこんなに分りやすい。曲輪・堀・土塁・・・見学コースのように見やすくなっています。城跡の管理に感謝します。
■ 月夜野の月 ■
帰りのことも考えて、まだ明るいうちに名胡桃城址をあとにしました。真田ゆかりの城跡に来られただけで充分満足です。
ただ、せっかく月夜野という美しい地名ど出会えたのですから、ちょっと見上げてみたかったですね。
月夜野の空に浮かぶ月
※城を出て外側から撮影した名胡桃城(柵が目印)
■訪問:名胡桃城跡
[群馬県利根郡みなかみ町下津]
(旧)群馬県利根郡月夜野町下津
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-----------■ 追 記 ■---------
私の訪問よりあとに、整備の一環で城内の土橋には木橋が架けられたようです。
<土橋跡>
この土の雰囲気が好きだったのでちょっと残念ですが、足元が不安な場所もあったので仕方がないです。せめて、以前より多くの人が訪問してくれることを願っています。
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