<山王神社>
小田原市の山王神社です
<御由緒>
詳細が記されていますので、以下に転記させて頂きます。
『明応四年(一四九五)二月北條早雲は、小田原城主大森藤頼を破り、小田原城を手中に治め、相模国を平定した。
その頃の山王神社は北條家の郭内で山王曲輪と称へ、海辺なる袖の池ノ南袖ヶ藪にありしが暴浪のため、その地崩壊せしかば、慶長十八年(一六一三)九月十八日現地に移せりと。
旧社地に星月夜ノ井戸ありしより、一に星月夜ノ社とも称ふ。其の井戸も移して現地にあり。天正十八年小田原陣のとき、徳川家康は日々参詣ありし由、又旧領主大久保氏の祈願所にして元禄中再建の用材は領主永世寄進の証状ありしと。
寛永元年(一六二四)四月四日江戸初期の朱子学者林羅山は山王神社境内にて星月夜の詩を詠む。その詩にもある如く、当時の山王神社は星月夜ノ社といわれ、小田原の名所なりしと、井戸も再現いたし、地底より湧き出る水面に浮ぶ大空の星映る往昔の姿こそ誰が神秘といわんや。この歴史ある社と共に、星月夜ノ井戸を史跡として長く後世に伝えん。』
家康が布陣した天正十八年(1590年)頃の山王神社は、現在よりもう少し海側に位置していたようです。
<境内の地図>
境内に「旧山王原村の図(及び綱一色村)」と題した地図が掲示されていました。山王原村は西の山王川、東の酒匂川(さかわがわ)に挟まれた海沿いの村だったわけですね。山王神社は山王川沿いです。
<地図拡大>
山王神社付近を拡大、そして加筆させて頂きました。現在の山王神社(〇赤丸)の道を挟んだ南側(〇緑の丸)が旧山王神社の敷地であることが記されています。移転したといっても、すぐ近くです。今より河口に近かったわけですね。
ちょっと細かいことに拘ると、説明文には『山王神社は北條家の郭内で山王曲輪と称え』とありますから、本来は小田原城の一部だったことになります。いくら近くに布陣しているからといって、敵の城内に参拝できたのか?まぁやや疑問ながらも、その付近はいわゆる総構えの外側になるので、戦況によっては家康が足を運ぶことも可能だったのかもしれません。
<山王川河口>
向かって右手のあの付近でしょうか。
由緒によれば、旧社地には「星月夜ノ井戸」と呼ばれる井戸があり、山王神社は星月夜ノ社とも呼ばれていたとのこと。素敵な響きですね。深い意味があるのかもしれませんが、夜空に浮かぶ星や月が水面に映って見える井戸…とシンプルに受け止めることにします。家康も井戸の水面を見つめたのでしょうか?
<境内の井戸>
移転とともに、星月夜ノ井戸も山王神社の境内に移されています
山王神社は小田原合戦の頃とは場所が多少異なるものの、戦の最中の家康が参拝した神社であることは間違いありません。戦の勝利を祈ったと伝わりますが、それだけでしょうか?きっと他にもいろんな願いがあったことでしょうね。
■訪問:
浜町山王神社
(別名:星月夜の社)
[神奈川県小田原市浜町]4丁目
■参考及び出典
現地説明板
・山王神社御由緒
・旧山王原村の図
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