(前田慶次の追記です)
現在の米沢市郊外で晩年を過ごした前田慶次。堂森善光寺には慶次の供養塔がありますが、お墓については、はっきりとしたことは分かっていません。その候補の一つが、同じく米沢の一花院です。
<一花院跡>
こちらはかつてあった一花院の跡地です。一花院は古くは上杉家臣・千坂家の菩提寺でした。しかし菩提寺が変更され衰退し、江戸時代の終わりころに廃寺となったようです。
<説明板>
米沢市の説明がありますので、そのまま下記に転記させて頂きます。
『上杉家の重臣千坂家と縁深い臨済宗・一花院があった場所で、現在は虚空蔵菩薩堂が残っている。
千坂家は源平合戦で活躍した弓の名人・那須与市の子孫で、与市の守り本尊であった虚空蔵菩薩像を代々伝えた。千坂対馬守景親の代に上杉家に従い米沢へ移り、この地にお堂を建て祀ったという。堂の前に建つ三層の石塔は、千坂家の遠祖・那須与市と千坂景親の供養塔で、享保4年(一七一九)に建てられたもの。
なお、「米沢地名選」などの江戸期の地誌書には、前田慶次の墓が一花院にあったと記されるが、一花院は幕末頃に廃寺となり、慶次の墓石は現在確認できない。菩薩像は関興庵が管理している。』
千坂家はあの那須与市の子孫なのですね。そして、前田慶次についても記載がありました。ただし墓石は確認できない旨が記されています。跡地の菩薩堂や石塔が、一花院がこの地あったことのなごりということになります。
前田慶次の墓所については、供養塔がある堂森善光寺が有力候補ではありますが、一花院も候補のひとつ。そのなごりを感じることができたので、満足な訪問となりました。あの「花の慶次」にも登場する千坂景親が、那須与市の末裔ということも分かりましたしね。
■訪問:一花院跡
[山形県米沢市中央]
2018年02月25日
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