戦国武将ファンです。そして漫画「花の慶次」ファン。今回は、天下御免の傾奇者(かぶきもの)前田慶次郎ゆかりの里を訪問した時の記録です。
■ 前田慶次ゆかりの里 ■
<慶次清水>けいじしみず
前田慶次ゆかりの清水です。場所は山形県米沢市の郊外。ここで晩年を過ごした慶次が、飲用水として使っていたと伝わる湧き水。住処とした「無苦庵(むくあん)」の飲料水確保のために掘られたとも伝わります。
風流を楽しんで隠居生活を送ったとされる慶次。この付近は手つかずの自然が残されていますので、もしかしたら昔もこんな雰囲気だったのかもしれませんね。この訪問は晩秋。冬になれば雪景色です。
<現役の湧水>
かつてはもっと水量があったそうですが、いまはこの程度。それでも現役。静かに、そして人知れず水が湧き続けています。
<説明板 >
初めての方でも分りやすい。むかしは何もありませんでした。慶次ファンとしては嬉しいですね。
<樵路躑躅>しょうろてきちょく
慶次の晩年の歌が紹介されています。万世ふるさとづくり委員会さん、ありがとうございます。慶次ファンですので、これは良く知る内容。高畠町の亀岡文殊堂での詩会の時のものですね。武人でありながら歌人でもある前田慶次。ちょっとだけ紹介させて下さい。
山柴に 岩根のつつじ かりこめて 花をきこりの 負い帰る道
意訳『山柴の中に岩の根っこに咲いていたつつじが刈り込められている。それを背負って家路に帰るきこりの姿が花をまとっているようだ。』
今回は私のヘンな解釈ではなく、万世ふるさとづくり委員会さんの意訳をそのまま転記してます。さすが、スッキリとして分かりやすいです。
暮らしに生きる人の背中に花を見る。風流人であり、人を慈しむ慶次の思いが伝わってくるような気がします。このヘンは過去に当ブログでも紹介させて頂いているので、よろしければのぞいてみて下さい。
記事へすすむ→『出羽の歌会』
■ 慶次晩年の地 ■
米沢市万世町堂森。この地は慶次が晩年過ごした場所です。戦国の世を駆け抜けた前田慶次は、上杉家に従って米沢へ移り住み、この地で生涯を閉じました。
<八幡原野球場周辺>
慶次清水の場所は八幡原野球場西側の雑木林の中。むかしは分りにくかったのですが、最近は幟がたてられていて、初めての訪問でも安心。画像のような景色が現れたら、慶次清水はもうすぐそばです。
この付近、慶次ゆかりの寺「堂森善光寺」の北東に位置します。堂森善光寺から歩いて10分強で到着しますが、山を半周するためでしょうか、何となく遠く感じます(個人的に)。
<堂森善光寺>どうもりぜんこうじ
こちらが前田慶次の供養塔がある善光寺。
<山門>
真言宗豊山派の寺院。慶次ファンにとっては、いわゆる「聖地」かもしれません。私も何度も足を運んでいます。何があるの?と良く聞かれますが、慶次の魂としかいいようがありません。
<前田慶次供養塔>
毎年6月に供養祭が行われ、多くの慶次ファンが訪れます。
<慶次の力石>
地元民と親しんだ慶次。この石で力試しをしたと伝えられます。漫画や小説だと誰にも負けそうにありませんが、晩年の慶次ですから、実際はどうだったのでしょうね。
<裏山へ>
裏山の月見平へ。通り道となる墓所には、上杉二十五将のひとり志駄義秀(しだよしひで)のお墓もあります。
この日はあいにくの雨で足場が悪かったのですが、せっかくですので登ってみました。斜面にも墓石が多数。一般の方のお墓も含まれるので、なるべく避けて撮影してます。
<月見平からの眺め>
ちょっと霞んでますが、晴れの日はもっと遠くまで見渡せます。
■ そもそも慶次とは ■
戦国一の「かぶき者」こと前田慶次郎利益(まえだけいじろうとします)。大変謎の多い武将ですが、戦国末期から江戸初期にかけて実在した人物です。謎が多い。資料も少ない。それなのに逸話はたくさんの人気キャラクターです。
「話に尾ひれがついてんじゃないの?」
はい。そう思います。それを受け入れながらも、語り継がれる話にどうしても戦国ロマンを感じてしまう。私にとって前田慶次郎とはそういう男です。
■ 名前が沢山 ■
私の説明は長くなるので、また「ウィキペディア」さんの一部をそのまま引用させてもらいます。
『前田利益(まえだ とします)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将。小説や漫画の影響で現在では前田慶次/慶次郎の通称で知られるが、宗兵衛、利益、利太、利大、利貞など複数の名前を用いており、道号でも、穀蔵院飄戸斎(こくぞういん ひょっとこさい)や穀蔵院忽之斎(こくぞういん ひょつとさい)、または龍砕軒不便斎(りゅうさいけんふべんさい)と時期によって名乗りが異なる。
滝川一族の出身で、前田利家の義理の甥。子は一男三女(一男五女という説も有る)をもうけた。兜は、南蛮笠式兜。』
[出典元:wikipedia]
その存在を知ったきっかけは「花の慶次」です。よって私にとって慶次の名は利益です。
■ 生きるまで生きたらば ■
苦しみの無い庵「無苦庵」で隠居生活を楽しんでいた慶次。以下は慶次が自画像に書き添えた文。慶次ファンの方なら、これがもっと長い文だと知っていますね。今回はその一部。最後のところだけ。
九品蓮台に至らんと思う欲心なければ、八萬地獄に落つべき罪もなし。生きるまで生きたらば、死ぬるでもあらうかとおもふ
大体の意味
『極楽浄土へ迎えられたい欲もないが、地獄に落ちるような罪もない。命が尽きるまで生きたら、ただ死ぬということだろう。』
個人的な思いも入った意訳ですが、あまり間違えていないと思います。晩年の慶次の心境、何となく伝わってきますね。
慶次といえば
乱世を自由奔放に生きた
というイメージが浸透しています。羨ましい・・・
ただどうでしょう。伝わる史実をちょっと冷めた目で見てみたり、あるいは『花の慶次』の原作である「一夢庵風流記」をじっくり読むと、そんなに環境に恵まれていたとは思えません。まぁ喰うに困るレベルではありませんが、嫌なこと、不自由さや理不尽さも充分に見受けられます。慶次はそれとどう向き合ったのか、何を優先して生きたのか。そこに心魅かれるのだと思います。
どうであれ、悔いは残さない。
澄んだ湧水の如きこの清々しさ
これが語り継がれる理由ではないでしょうか
■訪問:慶次清水
[山形県米沢市万世町堂森]
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2018年02月24日
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