皆川城訪問記のつづきです。
■ 帯曲輪 ■
皆川氏の歴史も興味深いですが、実はこの帯曲輪(おびくるわ)を見たくて訪問を決めました。主要な曲輪の外側を取り囲むように設けられる細長い区画を帯曲輪といいます。また、帯状とまではいえない小規模なものは腰曲輪といいます。ここ皆川城の凄いところは、帯曲輪や腰曲輪が低いところへ向かって連続で設けられ、そのなごりが今も感じられることです。まるで段々畑のような状態になっていますね。見事です。
まぁネット検索でも確認できますが、やはり実物はいいですね。曲輪とは平らにした区画のこと。これを如何に工夫して配置するか。城跡の見どころです。曲輪の配置には、思惑がたくさん込められているはずです。どんなつもりだったのか?これを勝手に想像して楽しむ。城跡巡りの醍醐味です。
<虎口>
土塁の切れ目は曲輪への出入り口でしょう。公園として整備された結果かも知れませんが、やや枡形になっているので、これも「城のなごり」と信じて雰囲気だけ味わう。ちょっと勝手ですが、私は学者ではなくただの会社員ですので、身の丈に合った楽しみ方で充分です。
■地の利を創る■
<上から見た山城>
二ノ丸から下に向かって連続して続く曲輪。敵と対峙した場合、基本的に高い場所が有利です。つまり有利の連続を構造的に造った状態ですね。想像ですが、平らにした各々の区画には更に柵が設けられ、戦ともなれば沢山の旗が風になびいていたことでしょう。攻め上がる側は圧倒的に不利。ちょっと根性で克服できるレベルではありません。
何も工夫を施さなければただの山。
そこに思惑を込め、意識して「地の利」を造り出す。築城者の腕の見せ所です。
■中世の土の城■
遺構にはそれぞれ意味があります。城の構造は勝敗を決める重要な要因。中世の土の城跡は、その思惑が分りやすいのが魅力です。それともう一つ。雨風にさらされ、歳月とともに劣化せざるを得ない宿命。このさまが、情緒的な魅力を醸し出しています。
<頂上からの眺め>
眺めがいい=情報のキャッチアップが早いということです。真冬で空気が澄んでいることもあり、遠くまで見渡せました。遠くに見える山は筑波山です。
<縄張り図>
この形状から皆川城は「法螺貝城」とも呼ばれています。
皆川城の名はあまり知られてませんが、訪れる価値があります。中世らしい遺構の数々。まさに「つわものどもが夢の跡」です。天気の良い日に、ゆっくりと探索することをお勧めします。
[栃木県栃木市皆川城内町]
最後に
廃城巡りはいつも独りですが、この日は珍しく旧友二人と訪問。城マニアのくどい説明に良くぞ耐えてくれました。更に車で栃木市内を案内してもらい、感謝しております。
<蔵の街>
かつて舟運で栄えたなごりが、美しい景色として残されています。皆川広照が、山城(今回紹介の皆川城)からこの付近の平城に拠点を移したことが、栃木の繁栄の起点となりました。皆川氏が去っても、街の発展は続きました。
<水路>
城跡好きですが、水路好きでもあります。最高の散歩になりました。
とりあえず行ってみる。そうすると、こういう当てにしてなかった感動と出会えたりもしますよね。
小さいけど充実した旅となりました。
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