<山頂の石碑>
標高147mの典型的な城山です。麓から頂上までは50mくらいでしょう。
つわものどもが夢の跡
小山氏一門にして、結城氏とも関係の深い皆川氏。今回はその皆川氏の居城跡の訪問記録です。
■行きにくい■最初に
多少の距離なら気にしませんが、この城は最寄駅(栃木駅)から徒歩という訳にはいきません。そりゃ昔の人のことを思えば何とか歩けますが、普通の感覚だとお勧めできません。場所ですが、「皆川城」でネット検索すると「皆川城カントリークラブ」とか「皆川CC」といった名が表示されます。それで大筋間違いありません。城跡はそのゴルフクラブのお隣の山です。
特徴的な山なので、すぐに見つかります。ただ、整備された大きな道があるわけではないので、見えてるのになかなか近づけない。私の場合はそうでした。ただ、着いてしまえば無料駐車場があり便利。いきなり土塁が出迎えてくれますので、気分が盛り上がりますよ。
■訪問記■本題へ
無料駐車場から山城へ。まず麓から。素通りしないで、まずはしっかり神社に立ち寄りました。小さいですが、それぞれに感じ入るものがありました。
<雷電神社>
これは昔から雷の被害が多い関東では良く耳にする名ですね。山城の麓に鎮座しています。
<厳島神社>
鳥居はありませんが神社。これは良く見かける光景ですね。この城の溜池はどこだったのだろう・・・などと考えながらしばし眺める。
さて、もうすこし進むと・・・
<皆川城跡>
出ました!期待通りの山城が目の前に・・・
この傾斜角、曲輪(くるわ)の数・・・近いと圧倒されます。説明が長くなるので、この帯状の曲輪については次の投稿にまわすとして、以下は城内の画像です。
<遺構が沢山>
公園として整備され過ぎてないエリアもあります。いいですね。
<登山道>
少し迂回することになりますが、なだらかな登山道も整備されています。のんびり登りたい人には最適。
<岩の斜面>
山城の本丸に近づくと地質に変化が・・。
佐野市の唐沢山城や太田市の金山城(両方山城です)でも似たような経験をしました。麓より、山頂に近いほうに岩が目立つ。このエリアの地層の特徴なのかも知れませんね(素人の推定です)。
<城内にて>
戦国時代、この辺りは各方面からの大きな勢力にさらされ、何度となく戦乱に巻き込まれます。そう、激戦区です。小さな勢力が生き残るのは簡単なことではありませんでした。
つわものどもが夢の跡
この地はまさにそんな城跡です。
皆川氏の歴史は長く、全て書けないので切りの良いところだけ触れさせて頂くと、戦国末期には小田原北条氏の傘下に下っていました。その北条氏を秀吉が滅ぼす(小田原征伐)のタイミングで領地を失う氏族は多々ありますが、皆川氏は当主・皆川広照(ひろてる)の計らいで秀吉の許しを得ています。どうも北条氏の小田原城が落ちる前に徳川家康に接近し、上手くふるまったようです。皆川広照は処世術にも優れていたのですね。まぁ武力だけがつわものの証ではありません。やがて秀吉が去り徳川の時代になると、皆川氏は譜代大名として扱われました。
ここ皆川城ですが、皆川広照が別な城(栃木城)を築いて去ったことで廃城となりました。
[栃木県栃木市皆川城内町]
※皆川城のなごりAへ続きます
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