<参道>
さいたま市桜区田島の田島観音堂です
<庚申塔>
参道わきの庚申塔です。ここは県道沿い。道標も兼ねたものですが、南・西といった漢字はわかるものの、崩し字のひらがなは読めませんでした(私には)
<カシワの木>
境内でひときわ目をカシワの木は、さいたま市指定天然記念物となっています
<鐘楼>
<境内石碑と六地蔵菩薩>
そして
<田島観音堂>
創建年代等は不詳です。ただ標柱の側面に刻まれた文字からして、鎌倉時代初期なのではないかと推定できます。
<標柱正面>
正面には宝永山如意輪観世音の文字。田島観音の名で親しまれていますが如意輪観世音が正式な名のようです。こちらの観音様は足立坂東13番札所です。
そして側面
<畠山重忠建立>
ちょっと見えにくいですが、「畠山重忠公建立 太田氏房候歸似」と刻まれています。鎌倉幕府の有力御家人だった畠山重忠が建立したということですね。つまり創建は鎌倉幕府が樹立された頃。それ以前かそれ以後かはともかく、だいたいその頃ということになります。太田氏房は岩槻城主だった戦国武将。帰依と読めますので、その信仰の対象でもあったということでしょう。
田島観音堂と畠山重忠の関係についてもう少し深く知りたいと思い調べたのですが、なかなか有効な情報がなく、今回もまた「猫の足あと」さんのお世話になります。『』内は抜粋です。
『真言宗寺院の田島観音堂は、かつて寳榮山如意輪寺と号す寺院址です。田島観音堂の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に「如意輪寺 新義真言宗、輿野町圓乗院末にて寳榮山と號す、本尊は不動」とあります。足立坂東三十三ヶ所霊場13番、北足立八十八ヵ所霊場13番、武州足立百不動尊霊場49番です。』
田島観音は、標柱の文字にもあった如意輪寺という寺の跡ということのようです。そして、圓乗院との関りがうかがえます。
[参考:圓乗院(円乗院)]
こちらが与野の圓乗院(円乗院)さんです。鎌倉時代初期に畠山重忠が現在のさいたま市桜区道場に創建した寺院で、戦国時代末期又は江戸時代初期にこの地に移転しました。旧与野市を代表する立派な寺院です。
<田島観音堂>
私の調べ方が悪いせいもあって、田島観音堂と畠山重忠の関係がややぼやけたままですが、与野の圓乗院と関りがあるということで、なんとなく納得しました。
<畠山重忠建立>
かつて畠山重忠がこの付近を領したことは事実です
ということで
畠山重忠ゆかりの観音堂のご紹介でした。拙ブログにお付き合い頂きありがとうございます。
■訪問:田島観音堂
(如意輪観世音)
[埼玉県さいたま市南区田島]3丁目
■参考画像:円乗院
(安養山西念寺)
[埼玉県さいたま市中央区本町西]1丁目
■参考及び抜粋
猫の足あと
・田島観音堂
https://tesshow.jp/saitama/saitama/temple_sakra_tajima.html
・円乗院
https://tesshow.jp/saitama/saitama/temple_chuo_enjo.html
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