<鳥居>
浦和区本太(もとぶと)の氷川神社です。規模は大きくないものの、住宅地にありながら緑に囲まれた素敵な神社です。
<水舎>
<社殿>
歴史はかなり古く、創建年は定かではなものの、約1500年は鎮座していると伝わります。柵があって近づけませんでしたが、氷川神社の境内には1650年頃に建てられたと伝わる旧本殿も保存されています。
氷川神社は東京・埼玉の荒川沿いを中心に約280社あります。総本社は大宮に鎮座する武蔵一宮氷川神社。主祭神は建速須佐之男命(すさのおのみこと)です。
さて
たくさんある氷川神社のなかで、今回こちらの氷川神社をご紹介する理由は、下の御由緒に興味を持ったからです。
<御由緒>
詳しく説明されています
ここに地名に関わる記載があり、これがこの日の最大の関心事となりました。『地名の由来は、当社の鳥居扁額に「元府址(もとふと)」と書かれていることから、国府の出先機関があった』とのこと。
元府趾?
もとは府があったあと
もとふと
なるほど。もう一度冒頭の鳥居を確認すると、確かに『元府趾』となっています。
<扁額>
説明を読んでからでなかったら、まぁ良く分からない古い文字くらいに受け止めて素通りするところでした。良く見れば確かに元府趾と記載されています。
府、つまりは律令制の政府の出先機関、もっと簡単に言ってしまえば政務を取り扱う役所のようなものがこの地にあったということですね。教科書レベルかそれ以下の知識しかないのでなんとも言えませんが、奈良時代くらいと思って良いでしょうか?いずれにせよ、そうとう古い話ながら、かつてはここ本太は、統治のための拠点だったようです。
中央集権的な支配を目指す大きな流れのなごり
当時の中央から遠く離れたところで、そんなものに出会ったかと思うと、何となく感慨深いものがありました。役人が駐在していたのか、あるいは実質は地元の豪族に任されていたのか分りませんが、統治される側の地元の皆さんは、どんな立ち位置でこれと向き合っていたのでしょうかね。
<明治鳥居>
本太氷川神社には昭和・室町・明治の3つの鳥居があります。この順番で鳥居をくぐるのがお勧めのようですが、私は逆になってしまいました。元府址の扁額がある鳥居は室町鳥居です。
<昭和鳥居>
この付近のだけを見ると平坦な地形です。ただ御由緒には『東西に狭く、南北に長い小さな谷』とありました。ゆるやかな低地といった感じなのでしょうか。そして『「ふと」は低地や耕作・居住に適する地上いう意味』もあることから、これが地名の由来とする説もあるそうです。本当のところはどっちなんでしょうかね。
国府の出先機関があったあと
そう受け止めることにして浦和区本太をあとにしました。
以上です。
拙ブログに訪問頂き、ありがとうございました。
■訪問:本太氷川神社
[埼玉県さいたま市浦和区本太]4
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