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2019年05月05日

仙波東照宮 日光へ向かう途上の大法要

今回は川越の東照宮の話です。

<仙波東照宮>
shirononagori332 (2).JPG

■仙波東照宮■ せんばとうしょうぐう
言うまでもなく家康を祀る東照宮。神格化された徳川家康、つまり東照大権現を祀る神社のことですね。一時期その数は五百を越えたそうです。凄いですね。大名が将軍家に気を使い、競うように建立したことも影響しているようです。ちなみに、現存は約130社とのこと。それでも多いですね。今回訪問の東照宮もそのうちの一つではありますが、深い歴史があることを、ちょっとだけご紹介させて頂きます。

<随身門>
shirononagori332 (9).JPG

ここ仙波東照宮は、喜多院の住職となった天海僧正が家康を祀ったものです。徳川家康は駿府城で亡くなりました。遺言に従い、一旦は久能山(静岡)に葬られましたが、日光山(栃木)に改葬の途中(つまり移送する途上)、天海は家康の遺骸を喜多院(埼玉)に4日間留め、大法要を営んだそうです。そのことから、喜多院の境内に東照宮が祀られることになりました。久能山から日光まで19日を要したようですが、そのうち4日は喜多院に留まっていたということですね。

<石段>
shirononagori332 (1).JPG
重要文化財の鳥居を通過すると石段

日光・久能山・仙波を「日本三大東照宮」と呼ぶそうです。まぁ日光と久能山に自社を加えて「三大」とする例は、ほかの東照宮でも見聞きしますが、せっかく来たのだし、歴史の重みも感じたので、しばらくそう思うことにします。

<東照宮拝殿・幣殿>
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更に奥に見えているのが本殿です。

<説明板>
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歴代川越城主が奉納した石灯籠の配置

<平唐門と本殿>
shirononagori332 (5).JPG

国指定重要文化財です。1638年(寛永15年)におきた川越の大火災で一旦は消失したものの、3代将軍家光の指示ですぐに再建されました。現在に至るこの社殿は、その時(1640年)に完成したものです。

明治初期の神仏分離令により、仙波東照宮は喜多院から切り離され、川越八幡宮の管理するところとなりました。とはいえ同じ敷地内です。喜多院訪問の際には、家康のブレーン的な存在だった天海が大法要を営んだことなどを思い浮かべながら、そのなごりを感じてみては如何でしょうか。

shirononagori332 (3).JPG

■訪問:仙波東照宮
[埼玉県川越市小仙波町] 1-21-1


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タグ:埼玉
posted by Isuke at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ゆかりの地
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