今回は宅地化が進む川越に残る『城のなごり』です。
<堀のなごり>
関東屈指の名城のなごりです。
■中ノ門堀跡■
<入口>
ここですね。入口はあまり目立ちません。川越市役所前の本通りを東へ(本丸御殿方向へ)進むと到着できます。川越駅からバスの場合は、「札の辻」で下車すれば、そこから5分程度です。
<川越城中ノ門堀跡>
開園時間は午前9時から午後5時とのこと。念のためですが無料です。
<見学広場>
門をくぐると視界が開けます。
<説明板>
詳細な説明がなされているので、予習しなくても大丈夫。実際には三本の堀を工夫した防御施設だったようです。そのうちの一つを整備し直したわけですね。説明によれば、堀の側面の勾配が手前と奥とでは異なるようですね。
<傾斜の違い>
なるほど。右側から左側に攻めると思って見て下さい。堀の傾斜は城壁がある側が60°、手前は30°とのこと。攻め手は切り立った堀、そして設けられた城壁により、堀を越えることは容易ではありません。城壁の四角い穴は狭間(さま)です。そこから飛び道具で狙い撃ちされるわけですね。狭間の向きが逆のような気もしますが、まぁ雰囲気的にOKです。
■川越市役所■
ところ変わって
こちらは川越市役所です。
<市役所と太田道灌像>
中ノ門堀の西側に位置する川越市役所。手前は太田道灌像。
<ヤマブキの枝>
この太田道灌像、左手に弓、右手は矢ではなくヤマブキの枝です。山吹伝説にちなんだ姿ですね。川越城は道灌と父道真による築城から始まると考えられています。
<縄張り図>
市役所にはこんな分かり易い縄張り図も展示されています。立派です。これは川越城の完成形ですね。太田道灌もびっくりの城ではないでしょうか。川越市役所はむかしの西大手門跡に位置しています。
<縄張り図に加筆>
縄張り図に加筆させて頂きました。青丸が現在の市役所。つまり西大手門。赤丸が中ノ門堀です。西大手門を突破して攻め込んできた侵入者は、中ノ門掘に行く手を阻まれるというわけですね。曲輪で説明すると、西大手門から外曲輪へ侵入した敵兵は、中曲輪の手前で中ノ門掘に邪魔をされる。中曲輪の先は三ノ丸・二ノ丸と続きますので、本丸は遠いですね。
中ノ門堀の役割、ご理解頂けましたでしょうか。
今回訪問の中ノ門堀が造られたのは江戸時代。1639年(寛永16年)に藩主となった松平信綱による川越城大改修の時と考えられています。松平信綱は初代川越藩主、そして老中を務めて将軍家を支えた知恵者です。松平伊豆守という呼び名の方が有名ですかね?「知恵伊豆」の異名でも知られています。まだ戦国期の余韻が完全には消えていない時期です。何が起きるかわかりません。戦いを想定し、知恵を絞って考えたのかも知れませんね。
やがて明治となり、城の建物は解体され、堀のほとんどが埋められてしまいました。その後さらに都市開発が進んだ川越にあって、中ノ門堀跡はかつての『城のなごり』を感じられる貴重な場所です。多くの人が訪れる本丸跡から少し離れているせいでしょう。あまり訪問者は多くありません。当ブログがきっかけで、ちょっと足を運んでもらえると嬉しいですね。
<つわものどもが夢の跡>
敵の本丸への直進を阻むべく設けられました。どんなつもりだったのか。それが分かると、同じ景色も違ったものに映ります。
■訪問:川越城中ノ門堀跡
[埼玉県川越市郭町]1-8-6
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