さいたま市の鴨川です。荒川水系のこの川沿いに「宿の城」と呼ばれる城があったというのでてくてくと歩いてきました。
■ 宿の城 ■しゅくのしろ
「宿の城」あるいは「堀の内」と呼ばれ、平地に位置する広い城であったそうですが、文献に乏しく、遺構もはっきりしない城跡です。そうと知りつつ、念のため訪問した。そんな記録です。
<堀跡?>
こちらは冒頭の鴨川に合流する水路。これを「堀跡」と推定している方もいるようです。もうちょっと確かな資料が残っていれば良いのですがね。もし堀だとすると、平坦な土地に築かれた城の北側を守備するために設けたことになります。
<宿>しゅく
先程の水路を渡って南側へ。この辺りが宿。もうかつての城跡の近くにいるわけですね。たぶん・・・
<空き地>
何かありそうな?でも私有地と思われますので立ち入らず。「宿の城」は遺構どころか石碑もないので、とにかくうろうろするだけです。ご近所の皆様、申し訳ございません。
<大久保神社鳥居>
宿でひときわ目立つ神社。
<拝殿>
創建の時期は不詳ながら古い歴史の神社です。江戸時代になると八幡社と称し、地元の鎮守として祀られました。重厚感があります。
<境内>
左が大久保神社本殿。立派です。お隣は境内社の氷川社と白山社
左は琴比羅社。鳥居の奥は稲荷社です。
<裏側から>
裏から失礼します。ここが城跡そのものという訳ではないのですが、どうしてもこういう高低差を撮影してしまいます。神社の敷地が、周辺よりは少し高い位置にあること、伝わりますでしょうか?
<大久保神社 御由緒>
こちらが今回の訪問で最も有力な手がかりとなりました。
抜粋させて頂くと、地名「宿」の由来は『近村の道場村に畠山重忠の館があったころ、当地もにぎわい、家が軒を連ねて宿のようであったことによる』と伝わるわけですね。そして肝心の城と関わる部分については『安保直実・安保泰規氏の関係の者が居住していた』『安保直実・泰規氏の両名は賀美群安保郷(現神川町元安保一帯に比定される)を本領とする豪族・安保氏の一族で、南北朝期に当地を含む「大窪郷」を領していた』とのこと。
安保氏はもともと武蔵七党の丹党に属する一族であり、鎌倉幕府の御家人。城はその流れをくむ武将、あるいは親族とか家臣の居城と解釈して良いのでしょうかね。あと、城のあった場所のヒントとして、ここ大久保神社が『「宿の城」の南東に鎮座』とあります。逆に言えば、大久保神社の北西に城があったということですね。とても参考になりました。
つづきまして
大久保神社から見て少し西側にあるお寺を訪ねました。
<観音寺>
観音寺です。浄土宗寺院。
<山門>
この四脚門は江戸初期の建造物として市の指定有形文化財となっています。
<本堂>
開山は1605年。徳川家光より寺領8石の御朱印状を拝領したと伝わります。
<観音堂>
こちらの観音堂は屋根が茅葺きです。事前に知らなかったので、しばし見惚れました。城跡巡りのつもりでしたが、これだけでも来た甲斐があると感じました。こちらもさいたま市の有形文化財に指定されています。
ご紹介した大久保神社と観音寺、「宿の城」はこの間に位置していたとされています。ただ、明確な遺構を現地で確認することはできません。
城は分類すると平城になります。そして近くには鴨川。北から流れて来るこの川は、今でこそ更に南下しますが、江戸時代以前はこの付近で西側に進路を変えていました。当時の正確な流路まではわかりませんが、いろんな意味でその川の恩恵を受けていた城なのかもしれません。
<帰路>
ということで、城跡巡りとしての成果はいまいちですが、貴重な文化財と出会えました。天気も良く、気持ちのいい散策となりました。
以上です。
会社員の個人ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。
---------■ 宿の城 ■---------
別 名:宿宮前堀ノ内
築城年:不明(室町時代?)
築城者:不明(安保氏?)
城 主:不明(安保氏?)
[埼玉県さいたま市桜区宿]
■訪問:
大久保神社
[埼玉県さいたま市桜区宿] 69
観音寺
[埼玉県さいたま市桜区宿]147
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