柳瀬川沿いにある「柏の城」を訪ねました。場所は埼玉県志木市です。
<西の曲輪跡>
「柏の城」の西の曲輪跡です
■ 現地訪問 ■
<柳瀬川駅>
東武東上線の柳瀬川駅です。私は埼玉県民ですが下車するのは初めて。駅の住所は志木市館(二丁目)。この「館(たて)」という地名は、これから訪問する城に由来するといわれています。
<柳瀬川>
駅の北側を流れる柳瀬川。今回目指す「柏の城」はこの川に面した微高地に築かれました。つまり川沿いを歩くだけで目的地へ近づいているということですね。ちょっと方向音痴ですが、今回は気が楽です。
<小橋の石橋供養塔>
土手を歩いている途中で足が止まる。説明板によれば、この地にあった石橋の供養塔のようです。昔は橋には霊魂が宿ると信じられていた。なるほど。ちょっと寄り道ですが勉強になりました。
<再び柳瀬川>
真冬とはいえ眺めが良いので、もうちょっと歩きたいですが、目的地としている学校が近づいてきたので右折します。
<志木中学校>
ほぼ目的地に到着。あとは周辺を散策しながらてくてくと
<城山貝塚>
いきなり土塁?かと思いきや貝塚でした。城山貝塚です。名前がいいですね。
<貝塚説明板>
『柳瀬川低地を臨む台地の突端に位置し・・・』とは城山貝塚の説明ですが、そのままかつてあった柏の城の立地と受けとれます。
<志木第3小学校>
小学校の正面に到着です。児童の姿が見えたので、なるべく校庭が映らないように撮りました。この小学校が本丸跡と考えられています。
<標柱>
柏の城跡
<説明板:史跡 柏の城>
抜粋しながら要約すると『木曽義仲の子孫で武蔵屈指の豪族大石氏が室町中期に造った居館』であり、現在の八王子市の高月城を本拠とした大石顕重(信濃守)の館ということですね。その後『大石氏は後北条氏に従属』し、1590年の小田原の役で柏の城も豊臣勢に攻め落とされ、徳川家康が江戸へ入府後は、家臣の福山月斎がこの地を治めた。だいたいそんな感じですかね。
あと、縄張りについても説明がなされています。小学校が本丸(運動場中央)、脇道に沿った学校の敷地の一角が二の丸、この説明板の背後(南側)の宅地が三の丸。そして近くの「長勝院」の境内が西の丸(西の曲輪)ということになります。
では、三の丸跡から見て回りますかね。
<説明板:柏の城 大堀跡>
細い道沿いに説明板がありました。大堀の跡?どこだか・・・
<道>
位置的に、この道そのものでしょうか
<大堀跡>
マンションの庭の窪み。これも位置的に大堀跡と思いたいですが、なにぶんにも迫力に欠けて実感が湧きません。でも、可能性はあります。
<小さな公園>
説明板近くの「城ふれあい公園」で一休み。いま城跡にいるんだろうなと思いながらも、この付近で決定的な何かと出会うことはありませんでした。まぁ探してる最中が一番楽しいのでOKです。そりよりご近所の皆さま、よそ者がプラプラして失礼致しました。
さて
次に近くの神社を訪問しました。
<館氷川神社>たて
城と関係あると聞き及んでの訪問
こちらの氷川神社は、柏の城を築いたとされる藤原長勝が大宮氷川神社を勧請して創建したと伝わります。藤原長勝は平安の末期の人物(らしい)。この説明を前提にすると、先述の豪族・大石氏が室町中期に館を構える以前から、この地に館らしきものがあったことになりますね。
藤原長勝に関連してちょっと補足すると、長勝が亡くなった後、『時の地頭が主君源頼朝の妻政子の安産祈祷のために長勝の霊を祀って建てた寺』が、現在もこの地に名を残す長勝院(清滝山薬王寺長勝院)とされています。
[情報源:志木市観光協会]
<説明板>
この説明板には、城に関する説明はありませんでした。
それより、志木周辺では江戸時代にほとんどの庶民が名字を持っていたという説明に、やや衝撃を受けました。これを信じるなら、一般的な通説は、決して全国で徹底されていたわけでもなさそうですね。
最後に
西の曲輪とされる場所、そして長勝院があった場所を確認して終わりにすることにしました。
■西の曲輪と老木■
西の曲輪跡です。そして長勝院跡。老朽化が激しかった寺は、昭和61年に解体されたそうです。
<西の曲輪跡と説明板>
ここでも「柏の城」に関する説明がなされています。先ほどは私が要約しましたが、ここは志木市教育委員会さんの説明をそのまま参考にさせて頂きます。『』内は原文のままです。
『柏の城は、関東管領山内上杉家の重臣大石氏一族の戦国初期からの居館といわれていますがその築城年代などは一切不明です。
江戸時代の享保12年(1727)から同14年にかけて舘村(現在の志木市柏町・幸町・館地区付近)の名主宮ヶ原仲右衛門仲恒により執筆された「舘村旧記」によると、志木第三小学校地に本城が、その東側に二の曲輪、市道をはさんだ南側に三の曲輪が、そしてこのあたりには西の曲輪があったとされています。
このあたりはかつて「亭の台」ともよばれ、在原業平の座所として設けられた館の跡であるという伝説も伝わっており、古来よりこの地域を統括するような有力な人物と関係するなんらかの施設があったらしいことが推測できます。
また、館村八景の1つに「亭の下の夕照」とあるように、この付近は、秩父連山から富士山まで眺望できる景勝の地としても有名な所でした。』
<長勝院跡>
まとめられた石仏。ちょっと寂しさが漂う場所です。
<老木>
老いた大木が大切に保護されていました
<長勝院旗桜>ちょうしゅういんはたざくら
長勝院旗桜です。志木市天然記念物に指定されています。推定樹齢4百年以上。独特のオシベの形が旗に見えることから「旗桜」と命名されました。
4百年・・・
ずっとここに
かつての城は姿を消し、その曲輪跡にあった寺も廃寺。何代にもわたる人の思いとは関係なく、この桜の木は生き続けています。時間軸の違いを思い知らされた気がしました。
私の訪問は真冬なので、画像は見ての通りです。でも春になれば、また花が咲き誇るわけですね。そしてたくさんの人が訪れる。城がなくても、寺がなくても、桜が人を呼び寄せる。
いいですね。きっとまた訪問するような気がします。もちろん春の日に。
--------■ 柏の城 ■--------
別 名:志木城
築城年:(室町時代?)
築城者:大石氏
城 主:大石氏
廃城年:不明(1590年?)
[埼玉県志木市柏町]3丁目
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