桶川市にある中世の城跡を訪ねました。
<堀の中>
■現地訪問■
<公園付近>
まもなく公園というところで撮影。低地になっていることを実感します。
<城山公園>
綺麗に管理された公園です。平な敷地が広がっていますが、「城山公園」というくらいですから、どこかに山があるのでしょう。
<案内板>
池の南側に「三ツ木城跡」と記されています。ここを目指せば良いのですね。実は公園すべてではなく、説明板で森のように表示されている区画だけが城跡と考えられています。これがそのまま「城山」だとすると、三ツ木城とは低地に突き出た台地を利用した城ということですね。
<大池>
この公園を象徴する池です。城の周辺がかつては低湿地だったことを思わせる風景です。
<三ツ木城跡>
ここですね。密集した竹藪の向こうに土塁が少し見えています。
<城跡と水路>
手前の水路は昔の堀跡を利用したのでしょうか。位置的にはそんな感じです。周辺も確認しましたが、侵入口らしきものは無く、この水路が途切れる付近から土塁に近づくことにしました。
<土塁>
登れない高さではありませんが
<竹藪>
かなりの高密度の竹藪です。竹を傷付けないで入れる場所は限られますね。
<土塁の上から>
何とか内部へ入り込みました。土塁の奥には堀。更に向こう側には二つ目の土塁です。もうちょっと進みますかね
<堀の中>
堀の底へ降りました。横へ移動しようとしましたが、倒れている竹も多く、足を取られそうになります。踏みつけるのも気がひけるので、跨ぎながら進みました。
<二つ目の土塁>
場所にもよりますが、堀の底から7~8メートルはあります。昔はもっと堀は深く、そして土塁も高かったのかもしれませんね。
<正面から撮影>
土の表面がふんわりと軽く、踏み出すと靴が土に埋もれます。こんなもろい斜面を勢いで登ったら、土塁を痛めてしまいそうです。さっきまで邪魔だと思っていた竹に助けてもらいながら、土塁を静かに登りました。
<土塁の上>
何とか登ると
<曲輪>
二重土塁の先には曲輪がまっていました。あまり広くはなく、方形が歪んだような形です。その周辺が土塁で囲まれている。そんな状態ですかね。
<一郭>
差し込む光の強弱で、曲輪の奥の方では土塁が途切れているようにも見えます。虎口かもしれませんが、ただ崩れているだけかもしれません。行って確認したいところですが、土の柔らかさと竹の多さから断念しました。
私は現地で気づきませんでしたが、土塁は部分的に高くなっていて、物見櫓跡ではないかと考えられているそうです。もうちょっと移動しやすければ、自分の目で確認できたんですが、残念です。
曲輪はここのみ。単郭の城跡です。広さからして、館とか、戦のための陣城のような印象でした。
■誰の城■
遺構は確かでした。では具体的には誰の城だったのか?はっきりしていません。
<説明板>
源頼朝に仕えた足立遠元(あだちとおもと)の館跡という説があるようです。この武将は武蔵国足立郡を本拠とし、足立氏の祖となった豪族です。また、戦国期に岩槻城の支城だったという説。太田氏家臣の石井丹後守が城主とのことですが、いずれにせよ詳細は分かっていないようです。
<つわものどもが夢の跡>
三方を荒川沿いの低湿地に守られた山城でした。劇的な高低差はありませんが、小規模なわりに土塁と堀は立派でした。竹藪がもうちょっとだけすっきりしていると、また別な魅力にも気づけたかも知れません。
以上です。
拙ブログに訪問頂き、ありがとうございました。
---------■ 三ツ木城 ■---------
別 名:遠元館
築城年:不明(平安末期〜鎌倉)
築城者:不明(足立遠元?)
城 主:不明(足立遠元?)
廃 城:不明
現 状:城山公園の一画
[埼玉県桶川市川田谷] 字城山
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