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2018年02月15日

足利氏発祥の地 足利氏館跡(鑁阿寺)

室町幕府を開いた足利尊氏はとても有名ですね。今回訪問の先はそのご先祖さまたちが本拠とした場所。そして足利氏の氏寺でもあります。

つわものでもが夢の跡
名門足利氏発祥の地をご紹介します。

■鑁阿寺■ばんなじ
<山門と太鼓橋>
shirononagori199 (13).JPG
こちらが正面入り口です。唐破風(からはふ)の屋根が付いた反り橋を通って水堀を渡ります。

山号は金剛山。地元でこの場所を「足利氏館」と呼ぶ人は少なく、そのまま「鑁阿寺」、あるいはご本尊から「大日様」と呼ばれています。大日如来は源氏、足利氏の守り本尊です。

神社仏閣でへんな説明にならないよう、以下は足利市のホームページからの転記です。
『鑁阿寺(ばんなじ)は、源姓足利氏二代目の足利義兼(あしかがよしかね)が、建久7年(1196年)に、邸内に持仏堂(じぶつどう)を建て、守り本尊として大日如来を祀ったのが始まりといわれています。その後、三代目の足利義氏(あしかがよしうじ)が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。』
[出典:足利市ホームページ]


境内はとにかく立派で、重みがあります。

<仁王門>
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足利義兼による創建が1196年。のち戦火で焼失したため、1564年に再建されました。とても厳格な雰囲気です。

<本堂>
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鑁阿寺の本堂。こちらは国宝です。鎌倉時代に足利義兼が持仏堂として建立したのが始まり。火災で焼失し、足利貞氏が再建しました(1229年)。貞氏とは尊氏のお父さま。つまり尊氏の時代においても、この地は足利氏の重要拠点であり続けていたわけですね。

<多宝堂>
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<大銀杏>
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こちらは天然記念物に指定されている銀杏。樹齢650年を超える巨木です。

<不動尊>
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<御霊屋>
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こちらは入れませんでした。本殿に源氏の祖を祀り、拝殿には足利15代将軍の像を祀ってあるようです。

また、今回は撮影しませんでしたが、鐘楼と経堂は重要文化財となっています。


■中世武士の館跡■
館と言っても約4万uというから結構広いですね。敷地は平坦でほぼ正方形。まぁ分類するなら平城ということになります。周囲には土塁と堀。お寺でありながら、日本100名城の一つに選定されています。

<水堀と土塁>
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整備されて手入れも行き届いていますが、武家の館の面影を今に伝えるのに充分な雰囲気があります。

<石碑>
shirononagori199 (2).JPG
これは冒頭の太鼓橋付近です。


■周辺■
足利氏館跡(鑁阿寺)は、足利市の市街地の中心に位置しています。すぐそば、というよりほぼお隣は足利学校。こちらとセットでの訪問をお勧めします。

<足利学校>
shirononagori200a.JPG
日本最古の学校として有名(実際に最古かどうかは不明)。創設の経緯について諸説ありますが、今回取り上げている足利義兼が学校を築いたのが始まりという説もあります。

<足利氏尊氏像>
shirononagori199a.JPG
鑁阿寺と足利学校の中間くらいで撮影しました。


■足利氏の祖■
足利氏は名門武家として知られていますね。特に足利尊氏以降は、室町幕府の将軍を世襲していますから、これはもう教科書に出ているレベル。本姓は源氏。清和源氏の流れをくむ一族です。

■源義家■八幡太郎
足利尊氏もそうですが、鎌倉幕府をひらいた源頼朝も、この「源義家」を祖とします。八幡太郎という通称の方が有名でしょうか?細かい説明は省略するとして、まぁとにかく武家の棟梁として名を馳せ、その後の源氏勢力拡大の基盤をつくった武将です。その義家を起点に足利氏を説明すると

源義家⇒源義国⇒源義康(足利氏初代)

となります。簡単に言えば、八幡太郎・義家の孫が足利氏初代ということですね。

義家の子である義国が足利へ移り、その子である義康が地名である足利氏を名のった。これが足利氏の始まりです。この足利氏の支流でのちに有名になるのが吉良氏や今川氏といったところでしょうか(もっともっと沢山ありますがとりあえず)。

ちなみに、義康の兄は新田氏の祖となる義重。足利尊氏と争った新田義貞のご先祖ということですね。義貞は新田氏本宗家の8代目。遡れば足利尊氏とご先祖さまは同じです。
里見氏や山名氏はこの「新田氏」の流れをくむ一族です。徳川家康も「新田氏の末裔」を名乗っていますが、一般的には疑われています。源氏の末裔でないと困る事情があったのでしょうね。

もう一回経緯を振り返ると「源義家⇒源義国⇒足利義康」で、足利へ土着したのは源義国ということですよね。だったら義国が足利氏初代?これがですね、ちょっと違ってまして、義国は足利荘を開墾したものの、次男である義康にこれを譲り、自らは長男とともに上野国の新田へ移っています(新田で開墾を行いました)。


■つわものどもが夢の跡■
shirononagori199 (6).JPG
一時代を築いた足利氏。名門の支流は中央周辺に留まらず、九州や奥州にも広がりました。この館跡は、その始まりの地です。

-------■足利氏館跡■-------
築城年:平安末期〜鎌倉初期
築城者:足利義兼
城 主:源氏・足利氏
現 状:鑁阿寺

[栃木県足利市家富町]


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タグ:日本100名城
posted by Isuke at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[関東]
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