と、簡単に書いてしまいますが、実は道に迷って大きく遠回り。このあと上館まで行くことを思うと、ややへこんでました。
遠くに土塁らしきものを発見。希望が見えたかに思われましたが…
古墳でした。筑西市内には沢山の古墳があります。その一つでね。
地図によれば、この古墳は目指す寺の北側に位置します。南からてくてく歩いてきたのですから、どうやら行き過ぎたようですね。良く見れば「寺うしろ古墳」と書いてあります。
寺のすぐ後ろにあるから寺うしろ古墳
まぁ目指す寺が近い証拠だろう
すぐ後ろなんて根拠はありませんが、いいように解釈し、また歩き始めました。
そして
目的地に到着。今度こそ間違いありません。
<中館観音寺>
手前の橋ですが、下は道になっています。曲輪と曲輪を隔てる堀切りのなごりでしょうか?この延命橋が昔の虎口(曲輪の入口)と同じ位置なのかどうかまでは解りません。
「中館」は鎌倉時代に更に補強工事がなされ、伊佐氏の居城となりました。事前の調べでは、境内とその周辺がその城跡になっているはずです。まぁ厳密な境界線は分りませんが、私としてはここから先、中館観音寺の境内を城跡だと思って楽しむことにしました。
<観音堂>
ここは城の南側の曲輪跡ですね。
脇に参道を見つけました(画像の左手)。そちらへ進んで行くと…
土塁に仕切られた小径が現れました。それらしい気配を感じると早足になります。
この土塁、当時のものだと信じたいですね。ただ、確証はありません。ここは先程の曲輪と、向かっている先との谷間となっています。堀の底なのでしょうか?
<観音寺山門>
立派な門が現れました。
門をくぐると
この地形、人の手による区間、そして高低差。この付近が城の本丸です。ここからはもうゆっくり歩きました。「城のなごり」を感じながら。
遠回りして時間をロスしましたが「来てよかった」と思えました。
最後に
この伊佐城ですが、江戸時代になって仙台伊達藩が先祖の遺跡として調査をした記録があります。伊達氏は伊佐氏を祖とする一族。五代目伊佐朝宗が、源頼朝の奥州征伐に従って活躍し、福島県の伊達郡を与えられ、伊達氏を名乗りました。つまり、ここ中館の地は、伊達氏発祥の地と言えます。
伊佐城の名は南北朝時代の記録が最古のもになります。南朝方の伊佐氏は、ここを拠点に北朝方と戦いますが、城は同時代に廃城。五百年以上も前のお話になりますね。
つわものどもが夢の跡
次は上館を目指します。
[場所:茨城県筑西市中館]
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