埼玉県春日部市に名族の館跡を訪ねました。
<春日部氏館跡>
土の道。空堀跡を再利用したようにも見えるのですが・・・?
■訪問記■
目的地の最寄駅は東武野田線の八木崎駅。例年より寒い1月ですが、歩いて10分も掛からないと聞いていますので、のんびりと歩き始めました。するとまもなく目の前に綺麗な学校が
<春日部高校>
ああ、春日部高校ってこんなに駅から近いんですね。県内有数の進学校。部活も活発のようですね、さすが〜(私埼玉県民なので心からそう思ってます)。で、ここよりもうちょっと北東へ進むと目的地の神社に辿り着きます。
<春日部八幡神社>参道入り口
近い…ここですかね。
初めての訪問です。
<参道>
厳格な雰囲気です。しかし奥の境内からは元気な子共の笑い声が響いています。市民に親しまれている。そんな場所なのでしょうね。
<本殿>
屋根は入母屋造り。立派です(ここまで立派とは知らずに訪問し、やや驚く)。
<奥の院>
上の画像の更に奥。というか裏手です。高台になっています。
<記念碑>
高台に設けられた記念碑
<説明板>旧本殿跡
神社は春日部氏が鶴岡八幡宮から勧請、創建されたもの。そしてこの地が春日部氏の館跡であることが明記されています。かつての館も含めて浜川戸遺跡というらしい。ここは古くから人が暮らしていた場所。浜川戸遺跡は調査で明らかになった諸々の遺跡の総称ということですね。
高台を下ってもう一度境内を見回す
<力石>
<神社の説明板>
『この神社は、春日部氏の領地であった新方領(にいがたりょう)の総鎮守』と記載されています。
次に稲荷神社ほかのあるエリアへ
<鎮守の杜へ>
春日部の「総鎮守」と呼ばれるだけあって、この先には多くの境内社があります。
<弁天社付近>
急に地形が複雑に・・・そこに人の手が加わって、城跡で感じるのと似た雰囲気が漂います。事前の情報だと、これらは館の遺構ではないらしいのですが、ホントですかね。
<杜の参道>
参道のために造成したのであろう道が多いですが、なんか角度、というか場所によっては、堀跡を改修して道にしたのではないか?そう思いたくなります。
まぁ城跡巡りは、そういう勝手な想像がまた楽しいのですが・・・とにかく、隣接する公園を含むここ一帯が、春日部氏の居館跡と推定されています。
<窪み>
漠然と溜池を想像。向こう側に小さな山があり、そこから逃げてくる水の行き場?ちょうどそんな位置にあります・・・(根拠なし)
<小さな山> 富士塚
公園の北西側になります。目立つので、探さなくても目に飛び込んできます。高さ10mくらいはあるのではないでしょうか(古墳だそうです)。頂上から子供連れの親子の声が聞こえます。
それにしても、周辺が平坦なわりに、このエリアだけ随分と複雑な地形となっていますね・・・
<説明板>
この地形、ちょっと特別なもののようです。河畔砂丘?あまり聞かない言葉です(私は)。火山の噴火で飛び散った砂が川に流され、これにより川の周辺に形成される砂丘のこととのこと。春日部八幡神社を含むこのエリアが、その河畔砂丘ということですね。
<浅間社鳥居付近>
どうもこのヘンらしいです。紹介している本人は実感なく・・・すみません。
具体的には浅間山や榛名山の噴火、そして今とはちょっと流路が異なる利根川の流れ。その古い利根川が砂を運び、本流から分かれて川が蛇行するこの地で滞留し、更には寒冷期の強い風で吹き溜められて砂の丘となる。そんな感じでしょうか(雑な理解ですみません)。プロセスはちょっと違うかもしれませんが、私が漠然と想像するのは、この地が湿地なども含む低地にポツンと現れる丘だった、そんな光景です。そこに館が築かれた。それだと納得性がありますね。
全て想像です。そんなことを考えながら、素人が城跡巡りを楽しんでいる。そんなブログだと受け取って下さい。それにしても、湿度の高い日本で内陸の砂丘ですか。あまり考えたことがなかったので新鮮です。
■春日部氏■
現在の春日部市を拠点とした武家であり、鎌倉時代においては幕府の有力な御家人でした。もっと遡れば、公家・紀氏(きうじ)の流れをくむ一族。その一族が12世紀頃この地に土着したことが、武蔵国・春日部氏の始まりとされています。
ちょっと話が飛びますが、戦国末期には岩槻城の太田氏に仕えていました(飛ばし過ぎですが、今回はこれで)。やがて小田原北条氏の配下となりますが、秀吉の小田原征伐(1590年)で領地を失い、武蔵国を去ったとされます。
<竹藪>
この付近は立ち入れませんので、柵の外から撮影。竹好きなので、私にとってはいい眺めです。
日本人なら誰でも知っている竹取物語。作者不明ですが、候補者の中の一人が紀 長谷雄(きのはせお)とされています。紀氏、つまりは春日部氏の祖先。そう思うと、同じ竹林でも感慨深いものがあります(かなり個人的な妄想)。何やら光ってます。かぐや姫?まぁそこまでは妄想しません。それより、遺構らしきものはないかしばらく観察。地面に多少の窪みを見つけて目で追いましたが、堀と断定するような証拠もなく、断念しました。
<稲荷社参道>
こちらからの方が入りやすかったですね。出口として使ってしまったので、もう一度戻って手を合わせておきました。
ただ、神仏を前にお願い事をする癖がありません。
ありがとうございます。
いつもそれだけです。
■つわものどもが夢の跡■
この地に館を構えていた名族。領地を失い、その後はどうしたのでしょう?
関東から逃れた春日部氏は、上杉景勝を頼って越後へ向かいました。そして上杉家が国替え(1598年)となると、会津に移り住みました。会津・春日部氏の始まりです。
■訪問:春日部氏館
(春日部八幡神社)
[埼玉県春日部市粕壁]5597
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■鎮守の杜■
2019年4月下旬に再訪しました。あまりご紹介できなかった鎮守の杜の画像を追記として貼っておきます。
<案内板>
鎮守の杜の神々のなかから、ここに案内されている弁天社・天神社・氷川社・稲荷社・御嶽社を順に貼っておきます。
<弁天社>
御祭神:市杵島姫命
<天神社>
御祭神:菅原道真
<氷川社>
御祭神:須佐之男命・稲田姫
<稲荷社>
御祭神:倉稲魂神
<御嶽社>
御祭神:櫛真知命 (くしまちのみこと)
続いて
本文中にあった小山(古墳)の頂上です
<山頂の鳥居>
<山頂の浅間社>
不弐大神と刻まれた石碑
以上です。全てはご紹介できていませんのでご了承下さい。また、素人なりに見て回りましたが、間違いがございましたら申し訳ございません。せめて雰囲気だけでも伝われば幸いです。
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