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2017年09月26日

唐沢山城奪回(佐野房綱)帰ってきた当主の弟

巨大な勢力の覇権争いに巻き込まれながらも、家を守り続けた下野国(栃木県)の佐野氏。関東覇者となった小田原北条氏とうまくやっていくつもりでしたが、西の方からもっと巨大な勢力が押し寄せてきました。

<唐沢山城跡の石碑>
SN sano karasawayama (2).jpg

■佐野当主に北条一族■
戦国末期、佐野氏は小田原北条氏から養子を迎えていました。北条氏忠です。上杉謙信や武田信玄と競い合った北条家三代目の氏康は、たくさんの男子に恵まれました。@(新九郎)A氏政B氏照C氏邦D氏規E氏忠F(上杉景虎)G氏光の八人。北条氏忠は六男ということになります。( )内はこの時に既に没していますが、他は四代目当主・氏政を筆頭に健在。関東の主要な城に城主として配置され、血縁による盤石な体制を敷いていました。佐野氏、そしてかつて難攻不落を誇った唐沢山城も、そのネットワークに組み込まれたわけですね。

■秀吉の小田原征伐■
関東覇者に危機が迫りました。豊臣秀吉の小田原征伐です。天下軍総数22万。結果は言うまでもありませんね。1590年、戦国大名としての小田原北条氏は滅びました

さて、当主が北条一族の佐野氏はいったいどうなったのでしょうか。

当主・佐野(北条)氏忠は、天下軍が迫ると唐沢山城を出て足柄城の守備につき、最後は小田原城に籠城していました。そして戦後、兄二人(氏政と氏照)は切腹。氏忠は高野山行きとなりました。

佐野の家。唐沢山城も領地も没収され、お家断絶でもおかしくない状況です。

■帰ってきた弟■智将・昌綱の弟
佐野房綱(ふさつな)という武将がいます。この方は佐野家13代当主の息子です。そして、かつて上杉謙信と10度も戦った15代当主・昌綱の弟。長男と違って、武者修行のために諸国を回ったり、外との接点を多く持つ経験を積みました(結果としてですが)。兄亡き後は、兄の息子で16代当主の宗綱を補佐しました。
ところが、宗綱は嫡子のいないまま戦で討死。佐野家は家督問題で大もめとなります。軍事的理由から養子が検討され、房綱は佐竹氏を勧めますが、結果は北条一族の氏忠。
「じゃ出て行くぜ」
と言ったかどうだか、佐野房綱はこの時点で佐野家を去ってしまいました。

それから約5年後。豊臣秀吉の小田原征伐が始まりました。佐野家を出奔した房綱は、なんと豊臣家に仕えていました。関東に詳しい房綱は天下軍に貢献。前田利家や上杉景勝の軍にも同行しました。

唐沢山城落城。そして北条氏の本城・小田原城も落ちました。戦後処理(秀吉の命)として、房綱は佐野氏忠の領地と家督を継ぐことを許されました。北条家から当主を招いていた佐野家でしたが、豊臣に仕えた房綱が名代(当主代行)となることで断絶だけは免れたわけです。いま風に言うと、ずっと家出していた男が帰ってきて、家を救ったわけですね。

■つわものどもが夢の跡■
<唐沢山城本丸跡の石垣>
SN sano karasawayama (1).jpg
唐沢山城に入った佐野房綱は、家臣団から北条色を一掃。新たな体制作りに2年間奔走します。房綱に子はなく、更にあくまで当主代行という立場だったことから、秀吉家臣の富田氏から養子を迎えて佐野家当主とし、自分の役割を終えると隠居。佐野家を出奔した男、途切れそうだった佐野家の歴史を繋ぎました。

■訪問:唐沢山城
[栃木県佐野市富士町]


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posted by Isuke at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[関東]
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