<佐倉城址公園>
いつでも行けると思ってなかなか訪問できなかった千葉県佐倉市の城跡。周辺の地形も含めて、そのなごりを感じてきました。
■ 築城への道のり ■ 千葉氏未完の城
戦国時代、千葉氏により築城が開始しされたものの、度重なる災難(当主の暗殺・小田原北条氏滅亡に伴う千葉氏滅亡)により城郭として完成することはありませんでした。徳川幕府成立後の1610年(慶長15年)、土井利勝によって再び築城が進められ、城がようやく完成。土井利勝がそのまま3万2000石でこの城に入りました。
<大手門跡>
まだ城址公園に到着していません。そうとう広い敷地だったのですね。今は石碑しかありませんが、案内板には明治5年頃の門の写真が。あとは想像力で補います。
■ 要衝の地 ■ 重要拠点
この地は江戸の東を守る要衝の地。よって、佐倉城を任されるのは、その後も徳川一族や譜代大名がほとんど。佐倉城主が老中ほか幕府の要職に就くパターンは結構多く見受けられます。実質的な築城者の土井利勝も、徳川幕府におけるエリート中のエリートです。かなり抜きん出た存在で、老中を経て大老にまで上り詰めた男です(家康の落し胤とも言われていますが、ここでは「優秀な人」とします)。江戸後期の城主には、日米修好に尽力した
堀田正睦も名を連ねます(というか、私にとっては佐倉城=土井利勝ですが、それはどうも少数派で、堀田氏の方が有名らしいですね。佐倉城主は江戸時代で23人12家。堀田氏歴代で百年以上です)。
そんな軍事的に重要で格式も高い城があった城下町ですから、佐倉がいかに歴史の深い街か伝わってきますね。
■ 地の利 ■ 湿地帯と台地
城の西側に鹿島川、南側は高崎川(鹿島川の支流?)が流れています。上流の谷津の斜面から湧き水が川となり、城の付近を通過して印旛沼へと流れ込みます。城の北側は、その印旛沼へと至る湿地帯。現地の様子からして、むかしはきっと沼なども点在していたのでしょう。また現在はコンクリの水路のようですが、京成本線に沿って佐倉川も存在しています(駅付近は暗渠化されています)。佐倉城はそんな低湿地に守られた台地上に築かれた平城です。
<公園内へ突入>
城の北側の田町門跡付近の堀です
遺構がお出迎え
思ったより遺構だらけ。戦国時代の「土の城」の雰囲気を引き継いでいる感じがします。いいですね。かなり整備されたエリアもありますが、今回はなるべく「生々しい」ところを。
それにしても広いなぁ…
良く整備されてますが、城跡感は充分に伝わってくる。訪問は7月。汗だくで歩き回りました。
ちょっと休憩
■ 城の構造 ■
江戸時代初期に完成した城ですが、石垣は用いず、広大な曲輪や堀・土塁の整備で城の基礎を築きました。城郭に必要な建物に加えて、天守の代りとなる三重櫓も設けたとされています。さすが徳川幕府の重要拠点ですね。
(明治の廃城令により建物は撤去)。
<案内板>
広い敷地内の要所要所に案内板が設置されています。とても親切な城址公園です。
<城内の低地>
台地上に築かれたといっても、それは主要な施設の話。城内も起伏に富んでいます。ちょっと下ってみると・・・
怪しげな・・・
<姥ヶ池>うばがいけ
城の東側の水堀も兼ねた池。周辺も含めて庭園のようです。この池には伝説があります。子守りをしていた姥が誤って池に子供を落としてしまい、後を追って身を投げた。更に、今でも姥の泣き声が夜な夜な池の中から聞こえる・・・。とのことです。佐倉城が心霊スポットと言われる理由の一つでしょうか。私は霊とかに鈍感なため、カエルの声しか聞こえませんでした。
<湿地のなごり>
ここも城内です。あくせく探索してるのは私くらいで、ベンチに腰かけてこういった景色を楽しんでいる人が多かったですね。そういう楽しみ方、余裕があっていいですね。「せっかく佐倉まで来たのだから」と焦る自分が多少情けない。
<終了>
ここを下ってる途中で「もういいや」となり、探索終了。広いので、かなり歩きました。山城だと要所要所しか見ないのですが、整備されている平城は歩こうと思えば歩けてしまうので、止まらなくなりますね。
■ 佐倉城址公園 ■
公園として整備され、曲輪や堀・土塁といった遺構が良好でした。ここは日本百名城にも選ばれています。公園内には博物館や、佐倉藩主だった堀田正睦の銅像、正岡子規の句碑なども設置されています。私はただただ遺構を探して歩き回りましたが、四季折々の花が楽しめる場所でもあります。駐車場はありますが、土日は混雑するようです。人気スポットなのですね。
<堀田正睦銅像> ほったまさよし
私個人の無学が露呈してしまいますが、友人に「有名?」と聞いたら「教科書にでてるレベル」と冷ややかに笑われました。訪問後に調べて、ようやくこの銅像の存在に納得。我が国の開国に大きく関与した老中ですね。
■ つわものどもが夢の跡 ■
<三の丸の空堀>
本来はもっと深かったそうです。緑がまぶしい。
帝国陸軍の駐屯地となったことから、訓練に使われた階段など、城内にはその当時のなごりも見受けられます。もともとの堀や土塁、地形すら、戦時中にかなり手を加えられてしまったそうです。名城だけに、ちょっぴり残念ですね。ただ、それも広い敷地を有する城跡の定め。全て受け入れ、感じるべき景色なのだと思います。広くて結構疲れましたが、さすがは日本100名城に選ばれる城跡。期待以上でした。
--------■ 佐倉城 ■---------
築城年:1610年(慶長15)
築城者:土井利勝
城 主:土井氏 石川氏
松平氏 堀田氏
現 況:佐倉城址公園
[ 千葉県佐倉市城内町 ] ※
※官有無番地
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2017年08月03日
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