アフィリエイト広告を利用しています
プロフィール
陽葵さんの画像
陽葵
陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
プロフィール
検索
<< 2024年12月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新記事
記事ランキング
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2020年03月21日

仏教を教えると非難攻撃を受ける理由

真実の仏教を明らかにすると非難攻撃を受けます。
なぜなら、仏教では、お金や財産では幸せになれませんよ、
と教えるからです。
これは本当なのですが、煩悩でできている私たちには、
否定されたように感じます。
それで非難攻撃が起きるのです。

親鸞聖人はご和讃にこういわれています。


五濁の時機いたりては
 道俗ともにあらそいて
 念仏信ずるひとをみて
 疑謗破滅さかりなり


五濁というのは、末法の時期に表れる5つの濁りです。

末法の時期というのは、ブッダがなくなってから1500年後です。
ブッダがなくなって500年間は、正法といいます。
その後、1000年間を像法といいます。
その後1万年間が末法です。
ブッダは約2600年前の方なので、今は末法です。

正法の時は、仏教の教えもありますし、その通り行ずる人もあり、ある程度悟りを開く人もあります。
像法の時は、教えもあり、行ずる人もありますが、悟りを開く人はなくなります。
末法になると、教えははありますが、行ずる人も、悟りを開く人もなくなります。

表にするとこうなります。
正法 500年       教 行 証
像法 1000年     教 行
末法 10000年   教

ここまでの正法、像法、末法の3つの時代を三時といいます。
末法の時といったら1052年からと言われていました。

親鸞聖人は、1173年に生まれられました。
末法に入って100年少しです。
皆、助からないとなります。
誰も助からないぞと、世の中が不安になりました。
それで、道俗共にあらそいます。

道俗というのは、僧侶も僧侶でない人も、ということです。
念仏信ずる人を見て、疑謗破滅さかりなり
というのは、
念仏を称えるではなく、念仏を信ずる人です。
念仏というのは一向専念無量寿仏の4文字目と8文字目をとって念仏です。

一向専念無量寿仏を信ずる人です。
これは阿弥陀仏に絶対の幸福に救われた人です。
阿弥陀仏に救われた人をみて非難攻撃をしてくるのだ、
ということです。

親鸞聖人も疑謗破滅がひどかった、ということです。

ところが、親鸞聖人の明らかにされた浄土真宗は、
今では日本の最大宗派になっています。

posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践

2020年03月18日

親鸞聖人が教えられたたった一つのこと

親鸞聖人が教えられたことはどういうことでしようか。

親鸞聖人の教えというのは、それを正しく伝えると批難攻撃を受けます。
実際に親鸞聖人の身の上に起きたということを
よく知ってもらいたいと思います。

世界の光と尊敬されるのが親鸞聖人です。
人類の光、すごい称讃の言葉です。

大学の教授や知識人、世界のあらゆる思想を学び尽くした人が
親鸞聖人は世界の光と言われています。

その親鸞聖人が生きておられた800年前に
そのようにみんな実践していたのかというとそうではありませんでした。
いつの時代も、正しい教えを人に伝えようと思うとぶつります。


親鸞聖人の教えは生きる意味一つを教えられたものですから、
考えてみれば分かります。

生きる意味というのは、生きる目的のことです。
人生の目的は、人はなぜ生きるかという問題。
それに対して、全人類はどう生きるかという生き方しか、考えていないし、知りません。

みんな考えるのは、生きる手段ばかりです。
だから、ほとんどの人の言わないことをいうので非難攻撃を受けるのです。

しかし、必ず死ぬのに生き方ばかり考えていても、最後は死ぬだけです。
生まれてから死ぬまでに何をしなければならないのか
ということが生きる目的であり、生きる意味です。

2020年03月15日

親鸞聖人が見られた善鸞の影響

親鸞聖人は、40才過ぎから20年間茨城県の常陸を中心に
布教に挺身されたあと、還暦過ぎて京都に戻られました。
その時、関東には、長子の善鸞を残してきました。

ところが善鸞は、父・親鸞から授かった秘密の法文があるといって
勢力を拡大しようとし始めたのです。

親鸞聖人はその報告を聞かれ、何度もいさめの手紙を送りましたが
一向にやめる気配はありません。

さらに、その相談のために、お弟子達が京都にやってきます。
あの者たちならばと信頼されて、 関東の同朋たちの教化を任せ、
京都に帰られた親鸞聖人でしたが、
それらの人が善鸞や日蓮宗を開いた日蓮の言動で信心が動揺し、
はるばる京にやって来た彼らに聖人の落胆と悲歎は、 どんなであったろう。
そしてやがて、しみじみ仰ったお言葉が、 この御消息(お手紙)です。

「慈信坊(善鸞)が申すことによりて、
人々の日頃の信のたじろきおうて在しまし候も、
詮ずる所は人々の信心の真実ならぬ事のあらわれて候、
よきことにて候」(御消息集)

他人の言葉や行動で動乱するようなことでは、
所詮、彼らの信心は真実信心でなかった証拠である。
信心が真実でなかったことが分かっただけでも喜ばしいことではないか。

posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心

2020年03月11日

大切な人だから腹が立つ

怒りの原因の一つとして、
大切な人だから腹が立つ
ということがあります。

例えば、パートナーが靴下をほおっていた。

給料が少ないと言われると腹を立てます。
お前たちのために稼いでいるのに、
こんなにしているのに、という
恩着せ心があります。

夫からだめな女だといわれると腹を立てます。
食事に気を使ってやっているのに、
あなたのために、どれだけやっているのか分かってるの?
と思います。

このように、大切な人には、いつも色々やってやっている、
ということで腹が立ちます。

そこで仏教では、三輪空が大事といわれます。
三輪空とは三つのものを空じるということで、
人に親切したとき、私が誰に何を、という3つを忘れる
ということです。

私がしてやったという思いを忘れなさい
ということです。

仏の智恵を身につけると怒りの心がおさまります。

タグ:智慧 仏教 怒り
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2020年03月08日

親鸞聖人の教行信証の最初の喜びの言葉

親鸞聖人の主著は教行信証です。

教行信証は、
喜ばしきかなで始まり、
喜ばしきかなでおわっています。

その教行信証の総序の喜びの言葉の一つにこういうものがあります。

噫、弘誓の強縁は多生にも値いがたく、真実の浄信は億劫にも獲がたし。
遇行信を獲ば遠く宿縁を慶べ。
もしまたこの廻疑網に覆蔽せられなば更りてまた昿劫を逕歴せん。
誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。
(教行信証総序)


まず最初に噫(ああ)、といわれています。
小学校の友達に町で突然会ったりすると、
あ、とか、あらといいます。

あら、と蓮如上人も言われています。
多生というのは、生まれ変わり、死に変わり、輪廻転生した、多くの生です。
億劫というのは、1劫は4億3200万年ですから、その億倍です。

真実の浄信は、絶対の幸福のことです。
50年ぶりに会っても驚きます。

億劫ぶりでもなく、億劫にもなかったことです。
生まれ変わり死に変り、蛇でさえ気持ちがわかります。

多生の間求め続けてきたものが、
今、達成できたぞというよろこびです。

あうはいろいろあります。
会うとか逢うとか遇うなど色々です。
ところが
値という字は、
一度しかないあいかたです。

過去にも未来にも一度しかない。

遇行信を獲ば遠く宿縁を慶べ。
遠い過去からの仏縁を喜ばずにおれない
宿縁ともいう。

絶対の幸福になると疑いなく分かります。
遠い過去からの仏縁です。

評論家の亀井勝一郎は、教行信証には、
大歓喜が満ち溢れていると言っています。

日本一の読書家です。

世界中の本を読んでいたが、
教行信証を読んで、人生にこれにかけると
人生は、邂逅である。
邂逅とはめぐりあいによる
どんな教え、人にあうかで決まります。

世界の思想に通じた人ほど、教行信証にたどり着く。

親鸞聖人は、
三恒河沙の諸仏の出世のみもとにありしとき
大菩提心おこせども 自力かなわで流転せり
といわれています。

ガンジス河の砂の数ほどの仏のもとで菩提心をおこした。
これだけの仏縁がないとあえないということです。

90歳で聞けた人が喜ばれたが
若い時に聞きたかったと言われていました。

もしまたこの廻疑網に覆蔽せられなば更りてまた昿劫を逕歴せん。

この人生も疑網に覆蔽せられなば、心の闇がはれなければ、
長い間、六道を輪廻しなければなかった。
合格しなければ浪人だったと。1年。
絶対の幸福にならなかったら、輪廻していた。

誠なるかなや、摂取の不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。
本当だった、誠だった。
摂取の不捨の真言も超世希有の正法も阿弥陀如来の本願のことです。
弥陀の本願にウソはなかった。

だから年をとってから仏教を聞くというのではありません。
今、聞きなさい、ということです。
優先すべきことを優先しなさいといわれているのです。

posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心

2020年03月05日

仏教で最高のお経とは?

阿含経は、よく一番仏説に近いと言われます。
では、阿含経には何が説かれているか。
それは、色々な物語を通して、因果応報の因果の道理が教えられています。

因果の道理というのは、
善い種を蒔けば善い結果
悪い種をまけば悪い結果
自分のまいた種は自分が刈り取らなければならない
ということです。

これは物語が多いですし、因果応報は子供の時から聞いていますので、
誰でも分かります。
なんと分かりやすいお経かと思います。

仏教でも一番分かりやすいお経です。

ブッダは、最初に華厳経で非常に難しい話をされたので、
あんな難しい話とこんな分かりやすい話できるのか、凄いなあと
みんな思います。
 
テレビのコメンテーターでも、
法律もいろいろ知っていて、
それをふまえてコメントします。

その上で分かりやすいたとえ話なども話すと、
凄いなあと思います。

そのあとブッダは、
方等経、般若心経で有名な般若経、法華経などを説かれます。

たとえるなら以下のようになります。
阿含経 幼稚園
方等経 小学
般若経 中学
法華経 高校

昔は高校卒業が多かった。
中学に対して、高等学校です。
法華経が一番という人もあります。
ところがまだその上に大学があります。

最高学府は大学です。
その大学にあたるのが大無量寿経です。

法華経までと、大無量寿経と大変な違いがあります。

posted by 陽葵 at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2020年03月01日

禅宗の僧侶・白隠が殿様に大喝

白隠という禅宗僧侶が江戸時代にいました。

ある時、殿様が白隠に使者出して、
いついつ話を聞きたいと言いました。

普通なら、最優先です。

ところが白隠は、約束あっていけませんと断りました。

断られましたと使者が報告すると、
殿様は、むっとしたが、
では何月何日にと日程の調整が行われました。

白隠がそれならいいですよと、当日出向くと、
殿様は、すだれで向こうに座っています。

その時、白隠は、私が説くのは、仏教の正味ばかりである。
すだれでこすものは何もない、
と殿様に大喝して、すだれをあげさせています。

仏教を聞く時には、身分に関係なく、頭を下げて聞かなければとても聞けないのです。

なぜかというと、仏教はブッダが仏の智慧によって
私たち人間の迷いを教え、
真理へ導こうとして説かれたものだからです。

それなのに、自惚れて、自分のほうが上だと思っていたら、
とても聞けるものではありません。

この白隠のエピソードも、
仏教を聞く心構えを教えられたものです。


posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2020年02月27日

紀州のドンファン55歳年下の女性と結婚して死亡

ブッダは35歳で悟りを開かれました。

それまで悩み苦しんでおられました。
王様の子供で、地位も名誉も、お金もありました。
お父さんは浄飯王、英才教育、優秀で、普通ならそれで満足だと思いますが、虚しかった
やがて老病死で壊れてしまいます。

和歌山の紀州のドンファン。
77歳で55歳年下の女性と結婚した。
50億というお金は凄いが、憧れるか。
年をとるのは嫌なもの、病気も嫌なもの。
線維筋痛症。
一番イヤなのは死ぬこと。
そして紀州のドンファンもすぐに死んだ。

ブッダは500人の美女に囲まれて生活をされていた。

だけど、老病死を考えると幸せでない。
お父さんは、何が不足なのか、何でもいえ。
では、年取らない、病気にならない、死なない身にしてください。
それは、無理。

老病死を越えた幸せを求めたいと、出家された。

仏教の目的は老いと病と死を超えた絶対の幸福。
それを35歳で発見されました。

悟られたということは、発見されて体得されたということです。
それを80歳まで教えられたのが仏教です。
45年間教えられた。
それが一切経に書き残されています。

posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 無常

2020年02月24日

悪口言われても変わらない心ってある?

私たちの心は変わりやすいものです。
人から何かを言われるとすぐにぐらつきます。

誰かが自分の悪口を言っていたと聞いたら、大変です。
すぐに暗く沈んでしまいます。



ところが仏教では、絶対変わらない心が教えられています。
これを金剛心といいます。
金剛石といったらダイヤモンドのことで、一番固い石です。
つまり変わらないということです。

ダイヤモンドのように、固くて変わらない心が
金剛心です。

どのくらい変わらないかというと、
4通りの人から非難攻撃されても微動だにしないと
善導大師が教えられています。

善導大師の主著の観無量寿経疏にあります。
観経四帖疏といわれて、

観無量寿経疏。
玄義分、序分義、定善義、散善義とありますが、その中の散善義にあります。

一番目が、世間の人間から攻撃されても、微動だにもしません。
智者や学者が攻撃してもですから、これだけですごいです。
普通は仏教大学の教授とかから何か言われたら心は崩れてしまいます。

二番目が、頭だけでなくて修行をして40段目以下のさとりを開いた人から攻撃を受けてもびくともしません。
なぜなら、金剛心の人は、51段だからです。

3番目が、41−50段のさとりを開いた人です。
これも、下の人ですから問題ありません。

4番目が、もし仮に仏が攻撃したとしてもびくともしません。
もう諸仏の王である阿弥陀如来に救われてしまっているからです。

大宇宙のすべてから総攻撃を受けてもびくともしないのが金剛心です。
悪口を言われたくらいで何ともありません。
posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心

2020年02月21日

崖で藤蔓にぶら下がった旅人。藤蔓が切れると?

ブッダは、私たちすべての人の本当の姿をお経に旅人のようなものだと説かれています。

それは崖から藤蔓にぶら下がっている旅人です。

その藤蔓は、白と黒のねずみがかわるがわるかじっています。
寿命を昼と夜が縮めて行っているということです。

人生はろうそくのようにどんどん短くなっています。

旅人はお腹すいたと思って、藤蔓をゆさぶると、上から何か、落ちてきました。
お腹がすいているのでなめてみるとはちみつでした。

五欲を蜂蜜に譬えられています。
五欲というのは、食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲の5つの欲望です。

食欲というのは、食べたいという欲望です。
魚や牛は、食べるためと思っている人もいます。
そんな風に思っている動物はいません。

財欲というのは、お金が欲しいという欲望です。
儲かったということは、損した人がいるからです。
自分の業績が伸びるということは、ライバルは業績が落ちます。
借金を抱えて倒産してしまったりします。
事業を拡大すると人を困らせることがあります。

色欲というのは、男女間の欲です。
略奪愛というのがあって、他の人から奪います。
復縁を求めて親を殺した人もあります。

名誉欲というのは、誉められたい、悪口言われたくないという欲です。

睡眠欲というのは、眠たいという欲望です。
うるさいと隣の家に殺しに行きます。

そして欲望が妨げられると、怒ります。
怒ると赤くなります。
かっと腹立てて殴ったり、殺人事件になることもあります。

愚痴とは、嫉妬や怨み呪いの心です。

そして旅人は、藤つるが切れたら深海に落ちます。
これは死後にある一大事です。
これを後生の一大事といいます。

しかし、死んだらどうなるかまったく考えずに、
あっという間の人生、生きている間だけの
蜂蜜のことばかり考えています。

posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。