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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2020年05月21日

何を思い込むかで景色が変わる(原因と結果の法則)

何を思い込むかによって見る景色が変わる。

たとえば、何かに挑戦するときでも、
自分はどうせ無理だと、「どうせ無理」スタートを切ったとする。
まずこの思い込み、心の種まきで、無理だと思っていたら、

どうせ無理

やる気が起きない。

行動しない(少し)

失敗

そして、行動がストップしたまま、どうせ無理だ、どうせできなかったという考えに落ち着く。
そして、結局何も行動を起こさず無理無理のサイクルに陥る。

逆に、「できるかも」という思い込みのスタートであれば、
できるかも、そして、やってみよう、行動が起き、
未熟でありながらも試行錯誤しながら行動していくので、
できなかったこともだんだんできるようになっていく。

そのできるがうれしくて、またできるかも、という自信につながる。
自信につながるとまたやってみよう、
行動ができたとなると、またやってみようというサイクルになっていく。
なので、夢も叶っていく。

できるかも

やる気が起きる

行動する

成功


哲学者ウィリアム・ジェームズの有名な言葉がある。
思考が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命も変わる。

思考が変われば、行動も変わっていく。
先程のことでいえば、どうせ無理ではなく、
できるかも思いこむことで、行動になっていく。
そうやって続けていくと習慣が変わっていく。
習慣が変わると人格が変わる。
人格が変わると運命も変わる。

自分の運命を変えていきたかったら、まず思考を変える。
思考が元になっている。
自分は運がいいと言っている人は、
チャンスを生み出す種まきを圧倒的量でこなしていることも調査で分かっている。

運が良い人は、なぜ運がいいといえるのか。
幸せな結果を生み出す種まきを心と口と体で習慣的にしているからだといえるでしょう。
原因と結果の法則でも昔から言われています。

松下幸之助は、面接で自分は運がいいと思うか聞いて、悪いと思うと答えた人は採用しなかったという。
このエピソードも、そんな習慣を身に備えた人を見極めようとしたのかもしれない。
心の種まきによって、こんなに自分の運命が変えられるということで
私たちも日々実践していきたい。

2020年05月18日

「自分らしく」は自分がない証拠

私ってもう自分っていうもの、
自分の信念、自分とはこうなんだ
という信念がないんだ、
こういう感覚を持っている人、少なくありません。

よく、「らしく」っていう言葉が流行るんだよね。
「あたらしく、あなたらしく、わたしらしく、うまれかわるー」
これ自分がないから、なんですよね。

話の内容は、全部受け売り。
自分で何も考えない。
結局、自分のハッキリした信念、意見がない。
誰かに言われたことに流される。

情報反乱社会です。
ホントにインターネットを役に立つように利用する人って少ないんだよ。
インターネットってすごい聞こえが良いでしょ。
でも実際とんでもないことに使っているでしょ。
ここじゃもう言えねー!というものばかりです。

インターネットやってる人は余計なことについついはまっちゃう。
そして接続時間がどんどんかかる。

そして夜更かしして朝寝坊して体調を崩す。
情報が氾濫すれば氾濫するほど情報を選択しなくちゃイカン。
これは定説です!

何が大事で何が大事ではないかを区別する力が大事。
そして次に余計なこと捨てよ、っていうことです。

ではどうすれば、何が大事で何が大事でないか分かるかというと、
生きる目的は何かということで判断できる。
自分らしさも出てくる。

まず生きる目的をハッキリさせよう、っていうことです。

タグ:生きる目的

2020年05月13日

大学生1000人に聞きましたアンケートの教訓

あなただったら
あれもやりたいこれもやりたいっていうものっていろいろあるでしょ。
例えばどんな?
パソコン?

たとえば恋人を作りたいとか。
そして二人でオーストラリア行くんだよ。

コアラ見て彼女が「あっかわいい」って言う。
いつかそんなドラマ見たんだよ。
その主人公と区別つかないんだよ。
彼女作るために耐えてきたんだ、こういう人もいます。

あなたはそれと違ってパソコンね。

ほっといてもくれるもんね。
そしていらないってあげちゃう人もいるもんね。
ほんとにね。
他にも旅行に行ってみたいとかさバイトとか。

資格も身につけなきゃとか、
体なまってるからスポーツやりたいとか、
高校時代やらなかったら
あれもやりたい、これもやりたいということで、
目移りするって言うかな、
趣味を考えてもいろいろな選択肢がありそうだと、
これも面白そう、と気がうつる。

そうやって4年間大学行って卒業した人、
期待に胸膨らました仏教が初めての人が四年後どうなったか、
っていうことで気になるアンケートがあってね、
その1000人に聞きましたアンケートによると、
あなたの大学生時代を色でたとえると何ですか?って聞いてみると、
一位、無色。
二位、灰色。

って事はね、味気なかったと。
どうもぱっとしなかったと。
これといって残ったものはなかったと。
こう言っている。
そして、大学でこれはやったな、
これが残ったなと思うものは何ですか?と聞くと、
1位は卒業証書。
当り前。
2位
は単位。

これも当り前。
単位取ったから卒業できたんであって。

ということは、さしてこれといったものは残りませんでしたということ。
そしてよく使った言葉は?と聞くと、
「あ〜疲れた」とか、
「だりぃ〜」とか
「面白いことない?オレ、用事ないの」
「おもしろいことない?飯でも食いにいこうか?」
「どうしてお前ばっかり休講なんだ?人種差別じゃないかよ」とか。

これ、暗い人ばっかり聞いたわけじゃないんだよ。
資格もサークルもやらなかった、
引きこもっていた人ばかり集めて言ったわけじゃない。
そこそこそういうことやっても、いざ振り返ると、
「オレ何やったんだろ、何も残らなかったな」と言っている。

科学者でも、そこそこの能力を持っていながら大成しないっていうのと似ている。
あとから見てみればどうだっていいことにお金や時間使ってたからですよ。

人生でもそうです。
実際最後に後悔している人って多いんだね。

だから何が大事で何が大事でないか、
ということを見極める能力をつけることが大事だね。

タグ:後悔

2020年05月08日

死刑囚の気持ち

市川悦子 『足音が近づく』という本に、死刑囚の気持ちが書かれています。

「よく死刑囚の最期が、潔い昇天であったとか、
従容として絞首台に消えていったとか、伝えられるが、それはうそである」

従容とは泰然と、静かに、ということです。
「立ち合い者たちの作り話にすぎない。あるいは、立ち合い者たちの、
せめてもの気休めであろう。もし彼らの目に、最期の姿が本当に立派に見えたとしたら、
それは処刑される死刑囚の最期の見栄である。
虚栄だ。さもなければ何もかもわからなくなって、半ば失神状態にあるか。

僕自身、死刑が確定して以来、何人かの仲間を見送っている。
そのたびに、彼らと握手もしたし、短い言葉も交わした。
彼らの胸の内は、明瞭に理解したし、
何よりもそれを自分の身に置き換えてみるとはっきりする。

あと数時間で殺される。
そうしたとき、僕は半狂乱になって泣き出すだろう。
それに耐えられるはずはないのだから」

市川悦子 『足音が近づく』という本の中に出てくるある死刑囚の言葉です。

10年前見つけて、死刑囚の最期、1時間前、どんなだったのかと読んでみると、
どれだけいつ死んでもいいよと、どうせ俺は死刑だ、と言っていた人も、
いよいよ死刑が行われる何時間前とか、直前になったら、まともな人はいません。

これは考えたらわかると思います。

この中の表現で生々しいのがいっぱいあるが、死刑に立ち会う仕事をしていた人が、
書いた中に、もし許されるなら、助けてやりたい。
もしこの絞首刑で死んでしまっても、

下へおろされて人工呼吸したりして助けていいなら助けてやりたい。
そういう思いがいつもこみあげる。

そう書いた人が、そのあとで、
だけどたとえそういうことが許されたって、もう無理だ。
なぜならこの首輪をはめられて、足元が開いて、ガクッとなったとき、
勢いで首と背中の骨が外れるそう。
だからたとえおろされて横になって助けようと思ってももう無理だ、と書いてあります。

ところが、死ななければならないのは、死刑囚だけではありません。
すべての人が100%確実に死んで行きます。

ですから、みんな死刑囚のようなものなのです。

この死の問題の解決を教えられたのが仏教です。


タグ:仏教

2020年05月04日

あるかどうか分からない絶対の幸福を求める理由

仏教を聞いて行くと、邪魔する人が現れてきます。
そういう人がよく言うのが、
「あるかどうか分からない絶対の幸福をなぜ求めるのか。
 求めていてなかったら無駄ではないか」
「仏教を聞いてもつまらなくない?
 お金や財産とか地位、名誉でいいじゃないか」
というものです。

それは、お金や財産、地位や名誉が何も残らないことが
分かっていないのです。

お金や財産、地位、名誉というのは欲望を満たす幸せです。
その時は嬉しいのですが、すぐになれます。
2週間も続きません。
そして、目の前のニンジンを追いかける馬のように、
死ぬまで欲望に走らされます。

煩悩の奴隷になっているのです。
そして、あっという間に人生が終わって、死にます。
何も残りません。

煩悩も分かっていなければ
諸行無常も分かっていないのです。

そんな虚しい人生、後悔が残るから、
ブッダは、それらを解決した
本当の幸せを発見されて、教えられているのです。

2020年05月01日

山折哲雄の死についての考え

山折哲雄先生の「死について」
山折さんと言えば、肩書は仏教学者、有名な先生です。
本の中にこんな文章があります。

祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり

これは平家物語からの引用です。

本もたくさん書いておられる凄い方です。
政府の委員会に関わっていて、
教育の方針を決めるほどの凄い人です。

教育に死を取りいれようと言われてきました。
政府の委員会で言われるんですが、
いつも反対されています。

死、無常をとりいれるというのを
政府は反対するのです。

ビートたけしの『新しい道徳』という本にもありました。

死は関係ないとするのがマスコミです。

誰かが死ぬと、なぜ彼女さんはなくなったか。
誤診だったのでは。
民間治療とか。
大騒ぎします。

あの時に、こうしておけばよかったのにと。

死体は映しません。
死を隔離しようとしている。

外国にはそういう映像があります。

山折先生は、人間死んでいくんだからもっと教える、
死を見つめさせることが大切だと言っています。
それが、そこまでの人生を考える縁になるからです。

posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 無常

2020年04月28日

先輩が部下になり不満を言っています。

部下の一人が、かつて自分の上司だった先輩です。
少しプライドが高いところがあり、チームの指示に対して事あるごとに、不満を言います。
接し方が難しいです。

そういう人でも、相手の立場に立つということが大事です。

ITが得意な若者、時代の変化が加速して、
下の世代が上司になることがあります。

そういう場合も、相手の立場に立つことが大切です。

自分が後輩から指示を受ける立場だったらどうか考えます。

日本には、年長の人がえらいという儒教の文化があるので、
下の人から言われるのは誰しも嫌です。

しかし、上司としては上司ですから言うべきことを言わなければなりません。
その時、気をつけねばならないのは言葉遣いです。

丁寧なものの言い方をすることが大切です。

かつては自分の先輩だった人だから、自分よりも経験があります。
教えてもらいたいという気持ちで接していくのです。
そういう上司なら盛り立てていこうと思います。
お互いに自分のことだけ考えるのでなく、相手の立場に立つことが大切です。

これが仏教で教えられる布施の精神です。

タグ:布施 仏教
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践

2020年04月24日

どう生きるか・生き方を選ぶ方法

ノーベル賞をとった利根川進さんという人は、
ノーベル賞をとるときには
ジャッジメント能力が大切だと言っています。

科学の世界には、研究テーマはたくさんありますが、
何が重要で何が重要でないかは
科学の目的に近づくものが重要な研究だと
利根川進は言っています。

科学の目的に近づかないものは大事でない研究です。

科学の目的は普遍性のある原理や法則の発見です。
それに近づくものが大事な研究になります。

大事ではない研究をやっていても、
ノーベル賞はとれません。

科学の目的が分かればどの研究が大事か
大事でないか分かります。

では人生ではどうでしょうか。

どんな生き方をすればいいのか、
どう生きるかという生き方を考える時もそうです。

生き方というのは生きる手段ですから
生きる目的を考えないと、選びようがありません。

生きる目的は何でしょうか。
生きる目的が分かれば、
何が大事で何が大事でないか分かります。
ジャッジメント能力が身につきます。

生きる目的があってこそ、
生きる意味があるというものです。

しかも利根川進さんは若い時にこれを身につけてもらいたいと言っています。
同じようにこの生きる目的は若いうちに身につけるのが大事です。

そこでこの生きる目的を知って
ジャッジメント能力を身につけて充実した人生を送りましょう。

2020年04月20日

人が集まるシーソーの法則

夢や目標と本当の生きる意味は違いますよと教えられたのが
天上天下 唯我独尊という
ブッダのお言葉です。

唯我独尊というと、
自分だけ正しいという意味で使われますが、
もともとの語源である仏教では
それは間違いです。

ブッダは、偉い方です。

シーソーの法則があります。
ボールは相手の心です。
自分を揚げるとボールは離れていきます。
逆にいけ相手を揚げて、自分を下げると心はこちらに近づきます。
頑張っているのはあなた、私は怠けていると思うといいのです。

オレオレ詐欺というのがあります。

部下が企画を出す。
プロジェクトがうまくいった。
上司がこれはオレの考えた企画だというと、
部下は、何だあいつはと思います。

自分が企画しても、部下がやりましたとすると
尊敬されます。

おれがおれがの我を捨てて
おかげおかげのげで生きる

ブッダ自ら、私だけが偉いといわれるはずがありません。

では本当の意味については
天上天下唯我独尊
に詳しく解説されています。

2020年04月17日

死んだら無になると思える?

仏教で教えられる心の闇があります。
これは、犯罪者の心の闇ではありません。
心の闇ですから暗い心です。
暗いというのははっきりしないということです。

何がハッキリしないかというと、
死んだらどうなるか、後生ハッキリしない。
みんなそうです。

死んだら死んだ時という人がありますが、
そんな簡単に片付くでしとょうか。

平生元気な人は死んだ後はないという人が多くあります。
一般の人3分の2はないと思っています。

私達は肉体だから、死んだらなにもないだろう、
というあんばいです。

ところが死を目の前にしたらとてもそう簡単に片付きません。
ある医師によると、
病院で患者に接していると死んだらない、
という人はいないそうです。

元気な人がないというのと
死にゆく人があるというのと、どちらが真実か、
後者ですと
その医師は言っています。
後生が迫ってきたら
死んだら無になるとは思えません。

死んだ後、あると臨終に思うのは、自分の死となるからです。
今日明日は、死なないだろうと思っています。

115歳の人も、今日明日、死なないと思っています。
本音からいうと人間は永遠に死なないと思っています。

必ず死ななければならないことくらい、
頭では分かっています。

ところが癌の宣告を受けたら、
暗い心が胸一面を覆います。

永遠に死なないと思っている間は分からない心です。
本心は、いよいよ死んでいくとなった時に死んだらどうなるか、問題になります。

14歳の子供は病気になって、
死んだらどうなるの、死んだらどうなるの
と言って死んでいきました。

ドイツの文豪ゲーテは、
暗い、暗い、もっと光を
といって死んで行きました。

そんな暗い心があって、それが私たちの苦しみの根本原因だと
仏教で教えられています。

posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 無常