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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2020年04月17日

死んだら無になると思える?

仏教で教えられる心の闇があります。
これは、犯罪者の心の闇ではありません。
心の闇ですから暗い心です。
暗いというのははっきりしないということです。

何がハッキリしないかというと、
死んだらどうなるか、後生ハッキリしない。
みんなそうです。

死んだら死んだ時という人がありますが、
そんな簡単に片付くでしとょうか。

平生元気な人は死んだ後はないという人が多くあります。
一般の人3分の2はないと思っています。

私達は肉体だから、死んだらなにもないだろう、
というあんばいです。

ところが死を目の前にしたらとてもそう簡単に片付きません。
ある医師によると、
病院で患者に接していると死んだらない、
という人はいないそうです。

元気な人がないというのと
死にゆく人があるというのと、どちらが真実か、
後者ですと
その医師は言っています。
後生が迫ってきたら
死んだら無になるとは思えません。

死んだ後、あると臨終に思うのは、自分の死となるからです。
今日明日は、死なないだろうと思っています。

115歳の人も、今日明日、死なないと思っています。
本音からいうと人間は永遠に死なないと思っています。

必ず死ななければならないことくらい、
頭では分かっています。

ところが癌の宣告を受けたら、
暗い心が胸一面を覆います。

永遠に死なないと思っている間は分からない心です。
本心は、いよいよ死んでいくとなった時に死んだらどうなるか、問題になります。

14歳の子供は病気になって、
死んだらどうなるの、死んだらどうなるの
と言って死んでいきました。

ドイツの文豪ゲーテは、
暗い、暗い、もっと光を
といって死んで行きました。

そんな暗い心があって、それが私たちの苦しみの根本原因だと
仏教で教えられています。

posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 無常
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