仏教を説かれたブッダは、35歳で仏のさとりを開かれた時、
まずはしばらく仏のさとりの境地を楽しまれました。
それからそれを皆に言いたい、伝えたいと思われたのですが、
ではどう伝えればいいのでしょうか。
言葉にしようと考えられた時に、
不可能だと思われたのですが
それというのも、仏の境地は
言葉にならないからです。
今日の量子論の人たちでも数学というものがなければお手上げです。
数学はまさに最後の手段です。
言葉にできないことを数学で証明したものです。
11次元の世界はあるということを、数学で表現しました。
目には見えないが、数学で証明しました。
では数学が正しいのか。
それを徹底して言われたら、それも発展途上でしょう。
完璧ではない。
しかし、現状ではこれが正しい。
それがなければ、言えません。
2600年前のインドであれば高度な現代数学はまだありません。
そうなれば表しようがありません。
表しようがないから誰にも言わんとならざるを得ない。
いったらキチガイ扱いされるでしょう。
キチガイ扱いするということは、
ブッダご自身は偉いものと自惚れているわけでないけども、
大宇宙の
真理を発見された方です。
そういう正しい教えを説く人をそしるとか、馬鹿にするのは、罪になります。
私達でもそうでしょう。
正しい政治をやろうとしている人をやめろと潰そうとしたら罪でしょう。
橋下さんがやめるといっておるが、借金まみれの大阪をどうするか。
公務員の給料を減らそう。
2割カットしようとされたが、否決されました。
だけど自分だけは3割カットしました。
退職金は8割カット。
そんな人はなかなかいません。
みんなの給料も下げようとしたところ
それは市議会で否決されました。
だから皆にとってよくしようと思うと、反対勢力に潰されます。
会社が赤字なら給料下がるの当たり前です。
にもかかわらず公務員は赤字なのに下がりません。
おかしいことです。
一般の社会人からすれば、橋下さんは極めて常識的な人です。
それ反対する人達は
「やめろやめろ、橋下のアホ」
と非難します。
道徳倫理的なことでも一般的な人でも、正しいことやろうとしている人を非難するの良くありません。
まして真実の幸福伝えようとしたブッダを馬鹿にしたり、非難するというのは、恐ろしい罪です。
だからブッダは悩まれたのです。
言葉にならん世界。
素晴らしい世界あらわしたい。
しかし言葉にしたら表せませんから、
それを聞いた人は謗ります。
疑います。
説けば、理解する人はなくて、謗る人ばかりなら、説く意味がありません。
人々に罪を作らせるだけになってしまう。
ならば一言も説かずに死んだ方がいい。
自殺しようという結論を出そうとしていました。
その時にある人が現れて、そういう
悟りを開かれたのであれば説いてください。
たとえ分かる人が500年後、1000年後に現れるとしてもすごいことでないですか。
説いてくださいと懇願せられ、説こうと決意せられて説かれたのが仏教です。
それから45年間、どのようにこの言葉にならない世界を言葉にしようと、
七千余巻の経典に言葉にされました。
七千余巻の仏典になるようなことを説かれました。
それだけのお言葉を使ってあらわそうとされました。
とても凡人にできることでない。
それが仏教です。
そういう絶対の幸福をどうにかして説かれて導かれて、ああこんな世界があったのか。
とわかるときは「即」です。
煩悩即菩提です。
ああでない。こうでもない。
そのように仏教は組み立てられて説かれています。
それをまずよく知ってほしい。
じゃあ、わかるのに時間がかかるのかというと、体験すればはっきりします。
説明には時間がかかります。
理解するのは早い人は早い。
食べ物の味は、言葉で説明するのは大変ですが、食べたらすぐに分かります。
食べるのお金もったいないといって食べないで説明だけ聞いていたら時間かかります。
食べればわかる話だから、食べる人はすぐに分かります。
説明には時間かかります。
45年かかっても説けません。
そういう事情があることをよくわかってもらいたいと思います。