「現代人の多くは、「論理に矛盾があってはならないと思っていますが、・・・・
・・・・・
無矛盾の論理と区別しています」
このような表現しています。
水原舜爾先生は仏教も勉強し、現代物理学も勉強した人です。
そういう人から見ると、仏教と現代物理学は非常に共通しています。
真理を探求していった時に、それを見極めようとしていった時。
そのレベルでは言葉は不完全で、
そんな言葉で表すことができないというのが最先端のレベルです。
それと同じように、ズバリ仏教では2500年前に
言葉で表現できない真理を明らかにされています。
あれは物理学的真理ですが、仏教は幸福の真理です。
物理学的真理とはレベルが違いますが、違うとはいえ、人間の幸福を極めています。
それを言葉に表した仏教と、
物理学的真理を極めようとしている物理学では表そうという表現が
非常に似ています。
それがこうでないこうでない、こうでない、こうでない、、、。
こういう表現しかできません。
これが根底にあります。
お金、きりがないからあっても不安が尽きないし。
いつ壊れるか不安だし。
相対の幸福ならいくらでもわかります。
私達の智慧でわかる世界です。
それに対してい絶対の幸福は物理学的真理でいえば、
最小単位はこうでこうで……
これを勉強していくと実態あると思っていたものは現れたり消えたり、
どうなっているか、こうでこうで計算していくとこの世界は11次元となります。
11次元から3次元にぱっと現れて消えます。
それっが結論です。
そこまでいくとついていける人ないでしょ。
そんなレベルです。
ニュートンにはそんなことばかり書かれています。
だから今の世界は。物理学でもそうです。
もし100年前にニュートン読んだらキチガイだと思われます。
11次元とか多次元です。
超ひも理論。
そんなもの100年前の人が
今のニュートン読んだらキチガイにしか思えません。
そういえば200年前、
教行信証を読んだある学者がキチガイの書いたものと庭に捨てたというのがあります。
教行信証には煩悩即菩提が言葉に表されているから、
キチガイの書いたものとしか思えなかった。
そういう学者がありました。
そういうことで
「絶対の幸福について具体的に言ってくださいよ」
と言っても、言葉にならない世界だから絶対と言われるのです。
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