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2020年01月19日

浄土真宗のよくある間違い(御文章)

蓮如上人御文章2帖目11通に、
今でもよくある間違いが教えられています。

当流親鸞聖人の勧化の趣、近年諸国に於て種々不同なり。
これ大に浅ましき次第なり。

当流親鸞聖人の勧化の趣」とは浄土真宗親鸞聖人の教えのことです。
信心一つで救われると教えられたのが親鸞聖人ですが、最近、それが乱されている。
とんでもないことだと言われています。

 その故は、まず当流には他力の信心をもって凡夫の往生を先とせられたるところに、
その信心の方をばおしのけて沙汰せずして、その勧むる言にいわく、
「十劫正覚の初より、我等が往生を、弥陀如来の定めましましたまえることを忘れぬが、
即ち信心のすがたなり」といえり。
これ、さらに弥陀に帰命して、他力の信心を獲たる分はなし。



阿弥陀如来は、十劫の昔に仏になられたのだから
皆、助かっている。
極楽へ行けると思ったのが信心だと思っている。
それは他力の信心獲得していないのだから
救われていないのですよ、と教えられています。

蓮如上人は御文章5帖目にも、
当流の意は、あながちにもろもろの聖教を読み、物を知りたりというとも、
一念の信心の謂を知らざる人は徒事なりと知るべし。

といわれています。

どれだけ知っていても他力の信心の謂れを知らなければ
助かりませんよといわれています。

謂というのは味ということで、
これは体験しないとわかりません。

料理番組では、美味しそうだとは思っても、
自分が食べないと味は分かりません。
体験ないと味わからないのです。

皆、死んだら極楽ではないのです。
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
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