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2020年01月15日

煩悩即菩提を表す親鸞聖人のたとえ

煩悩即菩提不思議について、
親鸞聖人は次のような喩えで教えられています。

罪障功徳の体となる
こおりとみずのごとくにて
こおりおおきにむおおし
さわりおおきに徳おおし



罪障とは罪や障り、これは煩悩のことです。
煩悩で罪やをつくるから罪障といわれています。

ですから罪障とは煩悩ということです。
それが功徳の体となる。


功徳とはあそこの言葉で言うと菩提。
菩提とはどういう意味かというと、今日の言葉でいうと喜びです。

煩悩は私達を苦しめるもの
私達は煩悩で苦しんでいる。

その煩悩で苦しんでいる我々の苦しみが、菩提、喜びの体となる。
煩悩が喜びの体となる。


では、それはどういう意味か。
体とは何か。

煩悩が喜びの体。
元となる。
元となると言っていいのかな。

体となるというのが、いまいちわからんという人に例えて言うと、氷と水の関係ですよ。
氷おおければ溶けた水も多いでしょ。

なぜなら氷と水の体は同じだからです。
氷が溶けたのが水です。
今日、科学で言えば、水蒸気も体は水です。

水の気体の状態が水蒸気です。
水の個体の状態が氷です。
理科の世界です。

理科の教科書に出てくるようなもので例えて教えてくれています。

体が同じ。形状が違う。
そういうようなものですよ、ということです。

体は同じで形状が違う。と言っても
えらい違いすぎるでないか。

ものすごい違いだけど、それが体となるといってもわからんだろうけど、それを例えて言うと氷と水です。
氷多ければ溶けた水も多いように、煩悩が多いほど、それが喜びなった時大きい。
煩悩の塊が喜びの塊になります。

さわり、煩悩が多ければ多いほど
煩悩がおおいから、功徳、喜びが多い。

だからこれは例えでしかいえないから、例えて言うと氷お大きければ、溶け出た水が多いように
煩悩が多ければ喜びも多い
煩悩の塊だから、喜びの塊になる。

このように親鸞聖人は煩悩即菩提を教えられています。

posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心
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