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2017年02月23日

暗渠と城跡1 奥沢城のなごり

■ 街の中の城巡り ■
城跡巡りですが、いつもいつも遠くまで行ける訳ではありません。普通の会社員です。それなりに忙しく、お小遣いにも上限が…

そこで通勤定期を使って、土日に都内の城跡を訪ね歩いたりしています。「街の中の城跡巡り」です。結構歩くことになります。ただ、お医者様からもう少し歩けと言われているので一石二鳥。家でゴロゴロするくらいなら、とりあえず行ってみる。ジム通いもウォーキングも長続きしませんでしたが、これはたくさん歩いても苦になりません。

■ 世田谷区の城跡 ■
都内にもある「つわものどもが夢の跡」。例として、奥沢の城跡を訪ねた時のことを。遺構が豊富に残っている郊外の城跡とは異なり、ちょっとしたコツが要ります。城跡と併せて、今回はその「コツ」のご紹介です。

<奥沢城跡>おくさわじょう
okusawa (1).jpg
土塁跡と推定されているところに石碑があります。ここは東京都世田谷区。いわゆる高級住宅街です。

<九品仏浄真寺>くほんぶつじょうしんじ
okusawa (2).jpg
okusawa (3).jpg
城跡は現在お寺です。立派ですね。

23区内とは思えない静かな空間。ここ奥沢城は世田谷城を本拠としていた吉良氏により築かれました。いわば世田谷城の支城ですね。吉良氏の家臣の大平氏が守る城でした。

吉良氏ってあの吉良? はい
住宅地で土塁あり?  そうです
鷺草伝説の城?    はい  

鷺草伝説、城主の姫様にまつわる悲しくもいい話ですが、長くなるのでまたいつか。


■ 暗渠と城跡 ■
さて今回のテーマは、市街地化されたエリアの城跡をいかに楽しむか。あくまで私流の楽しみ方ですが、ヒントになれば嬉しいです。

まず訪問前に、おおまかで良いので城の立地を調べておきます。歴史は後からでも良いので、とりあえず地形。どんな「地の利」があったということですね。

奥沢城に関して、事前に知っておきたいポイントは

城は突き出た台地の上にあり、三方を川や湿地に守られていた

これだけ。もうこれだけで充分です。

突き出た台地・三方が川。郊外の城跡なら、それを実感できますが、奥沢は宅地化され、もうその面影はありません。城跡好きの人は、周辺の環境も含めて楽しむもの。湿地どころか川すら見当たらりません。

それでは中世の城を楽しむ要素が乏しいなぁ……

はい。そうです。ただ、まったく無い訳ではない。湿地は難しいですが「川を感じる」ことはできます。ちょっとした気付きと、強引な想像力が必要になりますが…

はい、これがです!!
kuhonbutsu5.jpg
九品仏川。別名は丑川といいます。ありましたね!

これ道だろ!!

そうとも言います。

ただ、この姿は川のなごりです。遊歩道として街に溶け込んでいますが、戦国時代以前から続く川の流れです。川は無くなったのではなく、地下に埋設されて地表から消えただけ。ここを上流に遡って行けば、奥沢城跡に辿りつきます。昔の人が、舟で川を遡ったのと同じように。

こういう川の状態を暗渠(あんきょ)と言います。

この暗渠に気付くアンテナがあると、街の中の城跡巡りが一層楽しくなります天然の堀だった川のなごりを感じることは、城のなごりを感じるのと同じ。私はそう思っています。

今回の現地訪問では、まず城跡が周囲より高台になっていることを実感し、暗渠の径路を追うことで城の東側から北側が川だったことも実感できました。知識は後からでも補えますが、この「実感」は現地ならではの楽しみと言えます。

おわり

ちょっと、無理がありますかね?
ただ、私は本当にそうやって楽しんでいます。

奥沢城跡は東急大井町線の九品仏駅を降りたらすぐです。駅からまっすぐ現地へ向かっても、高低差を実感することはありません。なぜなら、駅も城跡も同じ台地の上にあるからです。

それより、城跡周辺を歩き回ってみる。そうすると、低いながら舌状台地になっていることを実感できます。そして暗渠、つまり川ですね。水が集まるということは、周辺でもっとも低い位置という証。このあたりをヒントに、歩き回ることをお勧めします。焦らず、ただのんびりと。

--------■ 奥沢城 ■--------
築城年:不明
築城者:吉良頼康
城 主:大平氏(吉良氏家臣)
廃城年:1590年
現 状 :九品仏浄真寺
[東京都世田谷区奥沢]


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-----再訪問の画像を追加-----
本文にあった暗渠を上流に遡ったら何が待っているのか?別な日に訪問した時の画像を追加します。
<住宅地>
Ankyo&Shiro 1.JPG
九品仏川の暗渠は続いています。右手の方が高くなっていること、伝わりますでしょうか。まぁもうちょっと進んだ方がはっきりします。

<橋の跡>
Ankyo&Shiro 2.JPG
この画像だと、車止めがある歩道が暗渠です。どうやらここにはかつて橋があったようです。橋の名は「しろむかいばし」。城の向かいにある橋といった意味でしょうか。橋も川も、もう姿は見えません。そして城も失われました。それでも残る「城向橋」の文字。こういうの好きですね。

<微高地>
Ankyo&Shiro 3.JPG
右手は奥沢城が築かれた微高地。その北側の先端部分になります。そして手前の木製の道。これもただの道ではなくて暗渠、つまり川ですね。勿論、昔からこんな川幅で行儀よく流れていたわけではありません。もっと蛇行したり、周辺に適当に水を溢れさせながら、一番低い所を流れていたのでしょう。場所によっては、池や沼もあったかもしれません。地図でみると、九品仏川はこの付近から始まっているようです。

<公園>
Ankyo&Shiro 5.JPG
Ankyo&Shiro 4.JPG
かつてはこの付近から水が湧いていたのでしょうか?

<川のゆくえ>
Ankyo&Shiro 6.JPG
更に上流を目指しましたが、この先の車止めで暗渠を見失いました。ただ、暗渠を調べたことで、九品仏川が舌状台地をかすめるように流れていたことは分りました。川の源流までは特定できず。まぁそんな結論ですかね。

<奥沢城の土塁>
Ankyo&Shiro 8.JPG
暗渠ばかり強調しましたが、こちらは城跡の土塁跡です。台地上の城を取り囲むように土塁を設けたようです。

以上、追記でした。

再訪については別途投稿していますので、もし良かった覗いてみて下さい。
→『奥沢の城跡
タグ:暗渠と城跡
posted by Isuke at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 暗渠と城跡
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