茨城県の低層の山に築かれた笠間城跡を訪ねました。
<佐白山の城跡>さしろさん
標高約2百mほどの佐白山。この山を利用した笠間城跡には、何となく中世の雰囲気も漂っていましたが、実際には江戸時代も使用され続けた城跡です。笠間藩の藩庁が置かれていました。画像は山頂近くの八幡台櫓跡。
■宇都宮氏から始まる城■
この地に最初に城を築いたのは、下野国の名門・宇都宮氏の一族でした。鎌倉時代、この付近で寺同士の勢力争いがあり、その片方から援軍を依頼された下野守護・宇都宮頼綱(5代当主)が甥にあたる塩谷時朝(笠間時朝)を派遣したことから全てが始まります。時朝は佐白山の麓に拠点を設け、敵対する寺の僧兵と戦いました。しかしこの時に築かれた『麓城』のスケールの大きさ、そして長々と居座りそうな雰囲気が味方のはずの寺の反感をかい、結局は両方の寺と戦うことになります。時朝はこの戦いに勝利すると、今度は山の頂上に城を築きます(1219年)。諸説ありますが、これが笠間城の始まりとされています。
<記念碑>
二の丸に設置された記念碑。「笠間時朝公を追慕して」と記されています。叔父の宇都宮頼綱は歌人としても知られていますが、時朝も武人であり和歌にも長けた文化人だったようです。この地に進出し、笠間氏の祖となりました。
時朝から始まる笠間氏は、佐白山に築かれた強固な城を拠点に18代にもわたって笠間の地を治め続けました。18代で350年以上も!凄いことですね。
■宇都宮氏に滅ぼされる■
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐は、関東の諸勢力の動向に大きな影響を与えることになります。笠間城を居城としてきた笠間氏は、18代当主の綱家が宗家・宇都宮氏に従わずに小田原北条氏に与したため、のちに宇都宮氏によって滅ぼされてしまいました。この経緯については諸説あります。ただ、宇都宮一門でありながら、宗家によって滅ぼされたことは事実のようです。笠間城には宇都宮国綱の家臣・玉生高宗が入りますが、豊臣秀吉の命により宇都宮氏は突然改易され、その後は秀吉配下の蒲生郷成が3万石で入城します。この蒲生郷成の手によって、典型的な中世の山城が、石積みや天守を特徴とする城郭に生まれ変わったのではないかと考えられています。
■江戸時代も続く城■
1600年の関ヶ原の戦い後、笠間城には徳川家康の家臣・松平康重(初代笠間藩主)が入城。江戸を通して存続する笠間城の城主は、その後次々と変わります。譜代大名が多いのですが、1622年にはのちに播磨赤穂藩へと移封となる浅野氏も入城しています。いわゆる忠臣蔵で有名になるあの浅野氏ですね。1747年以降は幕末まで牧野氏代々の居城。廃城は明治になってからです。
■城内■
<千人溜り跡>
千人溜りとは要するに大勢の武士が集結できるよう造成された区画のことです。まぁ曲輪ですね。現在は駐車場になっています。
<堀跡と登山道のカーブ>
千人溜り跡と呼ばれる的場曲輪から大手門跡へ向かう途中で撮影。空堀と直進させない曲がった登山道です。この付近までは気になるといちいち立ち止って撮影していましたが、これ以降はややラフな探索。とにかく暑く、歩くので精一杯でした。
<大手門跡>
既に城内にいるようなものですが、やはり大手門を通過したと思うと気合が入ります。
<大手門付近の石垣>
<典型的な山城>
安全な登山道が整備されていますが、随所に遺構が確認でき、城のなごりが漂います。
<宍ヶ崎櫓跡>
<本丸>
本丸とされる曲輪です。かつては御殿がありました。
右手の斜面は櫓台
<八幡台>
登ってみました
本丸側を見下ろす
八幡台櫓跡の石碑。私は立ち寄れなかったので画像がありませんが、櫓そのものは城下の真浄寺に移設され現存しています。
<本丸付近>
<虎口>
<天守曲輪の石垣>
<案内図>
城の全体はこんな感じになります。山の上部に本丸を含む曲輪や物見台が設けられ、最も高い位置に天守台があります。そして主要な曲輪の下には守りを補うための帯曲輪。戦闘を意識した時代の思惑が、随所にみられる縄張りです。
■つわものどもが夢の跡■
<笠間城跡の石碑>
佐白山を利用した典型的な中世の山城でありながら、江戸時代も存続していました。山城は戦いでは有効ながら、統治の拠点としては不便。江戸時代の藩主の居館は麓に設けられていたようです。
--------■ 笠間城 ■--------
別 名:桂城
築城年:1219年(承久元)
築城者:笠間時朝
城 主:笠間氏 蒲生氏
浅野氏 牧野氏 他
廃 城:1868年(明治4)
[ 茨城県笠間市笠間 ]
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------- 追 記 -------
以下は笠間城付近又は市内で撮影したものです。
<笠間百坊旧跡>
千人溜り跡の道を挟んだ向かい側です。佐白山は古くから信仰の山として栄えていました。
<大黒石>
佐白山を登る途中にある巨大な石。笠間氏がこの地に進出するきっかけとなった僧兵同士の争いと深い関係がある(とされている)石です。
<大石邸跡>
笠間城主でもあった浅野家の家臣・大石氏の屋敷跡が佐白山の麓にあります。忠臣蔵で有名な大石内蔵助の祖父の屋敷跡です。
<かさま歴史交流館井筒屋>
笠間城は続100名城に選ばれています。そのスタンプ設置場所はこちらの井筒屋さんになります。こちらの2階は歴史展示コーナーとなっており、笠間城のジオラマなども展示されています。
<笠間稲荷神社>
笠間稲荷です。創建は飛鳥時代。古くから厚く信仰され、年間の参拝客は 300万人。初詣の80万人超は茨城県内1位。別称は胡桃下稲荷。江戸時代には歴代の笠間藩主が崇敬した神社です。笠間城探索のあと、休憩も兼ねて立ち寄りました。お世話になりました。
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