深く長い歴史が刻まれた嵐山町には、多くの史跡が残されています。当ブログのテーマである城跡も多数。そして、あの有名な木曾義仲、坂東武者の鑑と賞される畠山重忠ゆかりの地でもあります。
<菅谷館跡>すがや
もともとあった坂東武者の館跡を、どなたかが拡張工事した城跡。かつてあったと推測される泥田堀、そして今もはっきりと残る二重土塁や空堀。戦国時代の平城が、こんな良好な状態で存在し、縄張り全体が見渡せるのですから素晴らしいですね。
これほどの城跡が、あまり世間に知られていないのは勿体ないことです。そもそも、ここ嵐山も「あらしやま」とか呼ばれているのではないでしょうか?これは「らんざん」と読みます。埼玉県中部に位置する町です。戦国時代、諸将の勢力が交錯する場所であったことから、結果として多くの城が築かれました。その嵐山町を含む埼玉県比企郡には、中世以降「放っとかれた城跡」が多数存在しています。全国的には有名でないことが、逆に探究心を掻き立てます。
<杉山城跡の写真>
嵐山駅で撮影しました。この瞬間まで、私は杉山城の存在を知りませんでした。
あら…これ凄いやこれ…
しばらく立ちつくしました。
行ってみたいなぁ…
ただこの日は電車での訪問。杉山城も嵐山町の城跡ですが、駅からやや距離があることを知り、断念しました。時間の制約もありましたので。
帰宅してから調べたら、杉山城もやはり中世の城。堀や土塁、曲輪が良好に残る山城跡です。北条氏関係の城、いやそうではない等々、情報はいろいろと交錯しているようです。「つわものどもが城の跡」の「つわもの」が誰なのか、これはもちろん関心事です。ただ、城の遺構があのレベルで確認できるなら、それだけで見に行く価値があります。実際には行ってないので「行く価値があると思います」としておきます。きっと菅谷館跡なみに、城跡好きが鳥肌をたてる城跡なのでしょうね。
埼玉県比企郡嵐山町
いつかまた必ず訪問すると思います。
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