<石碑>
東松山市役所の敷地内です。市指定史跡です。
なんで群馬の藩の陣屋が埼玉に?
時は幕末。武蔵川越藩の第7代藩主・松平直克は、居城を川越城からした前橋城に移し、前橋藩主となりました。これにより、当地を含む現在の埼玉県内の領地(比企郡・高麗郡・入間郡・埼玉郡周辺で約6万石)が飛び地となり、藩の出先機関として陣屋が必要になりました。
なんで前橋城へ移ったのか?
もともと松平氏は前橋城を居城としていました。しかし酒井氏の跡を継いで松平朝矩(とものり)が前橋に入ったころには、城は暴れ川の利根川の影響で崩壊寸前。これに対策を講じるだけの余裕がなく、松平氏は城の修繕を断念して川越に居城を移したのでした(1767年)。前橋は川越藩の分領となり、前橋城は一旦廃城となっています(1769年)。
それから約百年もあとの話になりますが、前橋城は再び城郭として整備されることに。1867年には直克が入城し、前橋藩の再興が実現しました。
<松山陣屋>
これにより、この地に統治のための出先機関が必要となったわけですね。逆に川越藩時代は、前橋には前橋陣屋が設けられていたそうです。
<説明板>
現在遺構はありませんが、かつては陣屋の周りに土塁、そして堀が設けられていました。広さも陣屋としては大規模(約87,000m2)。説明板の左側に配置図がありますが、かなり立派です。前橋城の支城のような存在だったそうです。
ただ、築かれたのが幕末。わずか5年で廃藩置県となり、役割を終えたようです。
<陣屋跡>
陣屋跡で間違いないのですが、ちょっとした平城の跡地とも言えますね
■訪問:松山陣屋跡
[埼玉県東松山市松葉町]
----------(追 記)----------
利根川に悩まされた前橋城と前橋藩について、別途投稿しています。拙文ですが、よかったら覗いてみて下さい。
■投稿:2018年03月23日
■タイトル:『群馬県庁の土塁 前橋城のなごり』
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