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2018年05月21日

金子山城のなごり

つわものどもが夢の跡
今回の訪問はさいたま市の金子山城です。

<堀跡>
shirononagori233top.JPG
あまり情報がなく、先達の方々のブログだけを頼りに訪問しました。


■現地訪問■
<JR指扇駅>さしおうぎ
shirononagori233 (1).JPG
私さいたま市在住です。しかしあまり下りたことのない駅。綺麗な駅なんですね。

さて、今回の目的地ですが、駅から指扇病院まで辿りついてしまえば、あとはほぼ道なり。道路が北東に伸びていますので、数百メートルで目印の淡島神社が見えてきます(進行方向左手)。

<宝来橋>
shirononagori233AD.JPG
途中で滝沼川という荒川の支流を渡ります。これを頭の隅において行動すると、自分が徐々に「高台」に向かっていることを実感できます。かつてこの付近の低地は湿地帯でした。金子山城は、そんな場所の高台に築かれた城です。

<指扇病院付近>
shirononagori233 (2).JPG
病院前の道路。既に高低差が始まってます。このまましばらく進めば、左手に目的地が現れます。

<目的地近く>
shirononagori233 (3).JPG
道路より一段高い位置に広がる畑。そしてその畑より更に高い位置に、かなり古い神社があるはず・・・でしたが、イメージしているのとは違う空間へ到着することに


■現地にて■
<淡島神社>
shirononagori233 (6).JPG
あれ・・・

頼りにしていた先駆者のブログでは、古い神社がうっそうとした木々に覆われていましたが・・・新しくなったようですね。

shirononagori233 (7).JPG
木々も伐採され、整然としています。

shirononagori233 (8).JPG
周辺より少し高い場所にあります。多少は草を掻き分けるくらいの覚悟でしたが、見ただけで分かってしまう。やや拍子抜けしました。

<堀跡>
shirononagori233 (9).JPG
西側の空堀。これはありがたい。

shirononagori233 (10).JPG
人が何かしら手を加えたなごり。ただもっと凄い光景をネットで見た上で訪問しています。どこだか分りませんが、とりあえず神社の周辺を探索してみますかね。

来た道を少し戻って、神社の東側へ移動します。

<高低差>
shirononagori233 (4).JPG
これは遺構を撮影しているのではなく、城が築かれた場所は平坦ではないという意味に受け取って下さい。

確かに高低差は実感できます。ただ「金子山」というのだから、ちょっとした山があるものと想像していました。厳密な分類にはこだわりませんが、山城ではなく平城で良いかと。低地が広がるこの地では、ちょっとした丘を山と呼んでいたのでしょう。あるいは、森や林を指して山と呼んだのかも知れません。私が育った田舎ではそうでした。

<高低差>
shirononagori233 (5).JPG
これも土塁ではありません。ただ堀切りを連想させるいい感じの場所なので、登れば何かあり?と思ってチャレンジしました。が、すぐに断念。城の遺構うんぬん以前に、明らかに個人宅へとつながる道でした。遠くからこちらを見つめる犬と目が合いました。結構強そうです。吠えられる前に撤退です。別なところを探索しますかね。

<周辺調査>
shirononagori233B (1).JPG
竹藪沿いを歩く。城の北側に向かっています。

<竹藪>
shirononagori233B (2).JPG
あ、明らかに出入口ですね。そして中は開けています。先駆者のブログによれば竹藪に堀跡があるらしいので、ちょっと入ってみますかね。いざとなったら出られる範囲で

<竹藪の堀跡>
shirononagori233B (3).JPG
堀跡です。竹が多すぎて画像だと伝わりにくいですかね?

<空堀>
shirononagori233B (4).JPG
別な画像。明らかに堀です。もうちょっとだけ調べたいところですが、よほどの山奥ならともかく、微妙に民家も近いことから躊躇・・・

<タケノコ>
shirononagori233B (5).JPG
あの、私は竹の子泥棒ではありません・・・

ということで、竹藪探索は入口付近のみで終了です。柵などはなく、この時は蚊の襲撃もありませんでしたが、意識してやめておきました。


■金子氏の城跡■
金子彦十郎家忠が築いた城と考えられています。彦十郎さん?ちょっと勉強不足で存じ上げません。ただ金子氏は桓武平氏の流れをくむ一族。武蔵七党の村山党から派生し、現在の埼玉県入間市付近を領した豪族です。金子は入間にもともとあった地名。移り住み、その地名を名乗るというよくあるパターンとお考え下さい。子孫は戦国の世を通じて活躍しています。遠く離れた伊予国に拠点(金子城)を構えた伊予金子氏も同族。この付近でいうと、さいたま市のお隣の富士見市を拠点とした難波田氏(なんばたし)も、金子氏が枝分かれした氏族です。まぁとにかく、今回の訪問地は、その金子氏の城跡ということですね。

■高野陣屋跡■ 福田氏陣屋
江戸時代になると、豊臣遺臣の福田又左衛門と高野隼人がこの地に陣屋を構えたと伝わります。なるほど・・・実は、両名とも存じ上げずません。そういえば、豊臣の家臣で、石田三成にも仕えた高野越中(えっちゅう)という武将がいましたが、ここでいう高野氏と関係あるのでしょうか?私なりに調べましたが、この高野隼人とはつながりませんでした。福田又左衛門も詳細わからず。福田氏がこの地の開発に従事し、屋敷を構えていたというお話が伝わっているようです。まぁいずれにせよ、豊臣が排除され続ける関東において、あまり立派な陣屋は構えられなかったのではないでしょうか。まず豊臣の遺臣という話が正しいことを前提に考えると、そんな気がします。


■帰 路■
<遠回り>
shirononagori233B (6).JPG
城の範囲もわからないまま、周辺をとにかく歩きました。

<水路>
shirononagori233B (7).JPG
この水路、もともとの堀切を利用したものなら面白いのになぁ……などと妄想しながらてくてくと。あまり成果もないまま、かなり大回りして指扇駅へ戻りました。

ということで
背景となる歴史に実感がないものの、地形は説得力があったし、期待した以上の遺構とも出会えました。全体としては満足な城跡巡りとなりました。

------■ 金子山城 ■------
別 称:高野陣屋
築城年:不明(室町時代)
築城者:不明(金子彦十郎)
城 主:金子氏
現 状:淡島神社
[埼玉県さいたま市西区高木]


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タグ:埼玉
posted by Isuke at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]
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