記事
第292回 東京監獄八王子分監 [2016/07/13 11:17]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年十月三日、懲役二年の刑を終えた神近市子が東京監獄八王子分監から出所した。
『読売新聞』が「淋しい笑顔を見せつゝ 神近市子出獄す」「好物のバナナを携へて露国の盲目文学者などが出迎へ」という見出しで報じている。
風呂敷き包みを抱えた彼女の写真も掲載されている。
「露国の盲目文学者」とはワシリー・エロシェンコで、秋田雨雀らとともに自動車で迎えに行ったのである。
市子は朝五時五十分に起..
第235回 特別要視察人 [2016/06/03 16:57]
文●ツルシカズヒコ
大杉の四妹・秋は名古屋市在住の叔父、中根吉兵衛(焼津鰹節製造株式会社社長)宅に同居していたが、この叔父の媒酌で東京で回漕業を営む某氏と婚約、挙式を間近に控えていた。
彼女が自殺したのは一九一六(大正五)年十二月十三日の朝だった。
……大杉あき子(十九)は十三日午前六時頃己(おの)が寝室にて出刃庖丁を以つて咽喉を掻き切り自殺を遂げたり……兄栄の事件が累をなし突然破談となりたれば其を悲観しての自殺なる可し..
第227回 宮嶋資夫の憤激 [2016/05/30 17:03]
文●ツルシカズヒコ
十一月十日の『東京朝日新聞』は、五面の半分くらいのスペースを使って、この事件を報道している。
見出しは「大杉栄情婦に刺さる 被害者は知名の社会主義者 兇行者は婦人記者神近市子 相州葉山日蔭の茶屋の惨劇」である。
内田魯庵は、こうコメントしている。
……近代の西洋にはかう云ふ思想とか云ふ恋愛の経験を持つてゐる人がいくらもある……彼が此恋愛事件に就いて或る雑誌に其所信を披瀝したのを見ると、フイ..
第226回 オースギカミチカニキラレタ [2016/05/30 16:41]
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)年十一月九日未明、神近に左頸部を短刀で刺された大杉は、神奈川県三浦郡田越村(たごえむら)逗子の千葉病院に入院した。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、大杉の傷は「右下顎骨下一寸の個所に長さ一・八センチ、深さ二・五センチの創傷」だった。
大杉の容態は一時思わしくなかったが、夕刻にはだいぶ回復して、話ができるようになったので、医師は一命に別状はないだろう、と診断する。
病院に..
第223回 フリーラブ [2016/05/28 14:08]
文●ツルシカズヒコ
以下、『神近市子自伝 わが愛わが闘争』に沿って、日蔭茶屋事件を見てみる。
大杉が初めて麻布区霞町の神近の家に泊まったのは、一九一五(大正四)年の秋だったという。
私は自分の一生の悲劇は、恋愛というものを、本能によらず、頭の上だけでしていたことにあると思う。
頭脳が先走っていて、現実というのものが見えなかった。
いま考えると、私に結婚の意志があることをほのめかした男性たちは、いずれも..
第206回 野狐さん [2016/05/22 17:34]
文●ツルシカズヒコ
……永代静雄のやつてゐるイーグルと云ふ月二回かの妙な雑誌があるね。
あれに面白い事が書いてある。
自由恋愛実行団と云ふ題の、ちよつとした六号ものだ。
『大杉は保子を慰め、神近を教育し、而して野枝と寝る』と云ふやうな文句だつた。
平民講演の帰りに、神近や青山と一緒に雑誌店で見たのだが、神近は『本当にさうなんですよ』と云つてゐた。
青山は、あなたが僕に進んで来て以来、僕等の問題に就いては..
第199回 私達の関係 [2016/05/20 19:54]
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)年五月九日。
麹町区三番町の下宿、第一福四万館で夕飯をすませた大杉に、堀保子からすぐ来てくれという電話がかかってきた。
大杉が四谷区南伊賀町の保子の家に行くと、何か用事があるわけではなかった。
保子は涙ぐんでいた。
大杉は野枝の生い立ち、気風、嗜好などいろいろ保子に語った。
保子に野枝に対する親しみを持たせたかったからだ。
大杉はすぐ帰るつもりだったが..
第198回 金盞花 (きんせんか) [2016/05/20 16:17]
文●ツルシカズヒコ
五月八日、野枝は午前中に十枚ほど原稿を書いた。
午後は流二のお守りをして過ごした。
前日の嵐がひどかったので、別荘の掃除が大変だと言って、婆やが午後から暇をもらったからである。
この日の御宿の夕方は風がなく、野枝が御宿に来て初めての静かな夕方だった。
妙に憂鬱になった野枝は支店のおかみさんを呼んで、女中たちと一緒にお酒を飲んで騒いでみたけれど、少しも酔えず、気がめいるばかりだった。
..
第195回 青鉛筆 [2016/05/19 16:10]
文●ツルシカズヒコ
大杉からの五月六日の手紙に、野枝はこう返信した。
停車場を出ると、前の支店でしばらく休んで、それから宿に帰へりました。
帰つてからも室(へや)にゆくのが何んだかいやなので、帳場で話をして、それから室にはいると直ぐあの新聞を読んで、中央公論を読んで仕舞ひました。
思つたほど何んでもなかつたので、すつかりつまらなくなつて室中を見まはしました。
何も彼も出かけた時のままになつてゐます。
..
第191回 狐さん [2016/05/18 18:55]
文●ツルシカズヒコ
五月一日、野枝は大杉からの手紙を受け取った。
ながい間憧憬してゐたらしい、御宿の、ゆうべの寝心地はいかに。
こちらでは、よる遅くなつてから降り出したが、そちらでも同じ事だつたらうと思ふ。
別れ、旅、雨、などと憂愁のたねばかり重なり合つたのだから、妙にセンチメンタルな気持に誘はれはしなかつたか。
それとも、解放のよろこびにうつとりしたか、或は又苦闘の後のつかれにがつかりしたか、ただぼんや..
第188回 白山下 [2016/05/18 13:59]
文●ツルシカズヒコ
野枝はそのころの自分の感情や考えを、青山菊栄にもうまく話せていなかったようだ。
菊栄はこう書いている。
其頃(※一九一六年春ごろ)から例の大杉さんを中心に先妻と神近市子氏と野枝さんとが搦(から)み合つた恋の渦巻が捲き起こつたのであるが、私は大杉さんの野枝さんに対する強い愛情は知り抜いてゐたものの、野枝さんの方であゝ難なく応ずるとは思はなかつた。
そして大杉さんの傍若無人な態度を片腹痛く思つてゐた矢先、野枝..
第185回 別居について [2016/05/17 18:38]
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)年二月から四月にかけての野枝の心境はどうだったのか。
野枝が辻の家を出て別居を決行するのは四月末であるが、野枝はそこに到るまでの自分の心中を「申訳丈けに」に書いている。
五年間の結婚生活は自分に無理を強いるものだったと、まず野枝は書いている。
辻とふたりだけの生活ではなく、姑と小姑が同居している家庭は、たとえ彼女たちが寛大な人間であっても、野枝にとって忍従を強いるものだった。
..