記事
第305回 出獄 [2016/07/25 11:03]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年三月十五日、日本では株価が三分の一に大暴落し、欧州大戦後の戦後恐慌が始まった。
三月二十三日、大杉が三ヶ月の刑期を終えて豊多摩監獄から出獄した。
『読売新聞』は「昨朝 大杉栄氏 出獄す」という見出しで、こう報じている。
……昨日朝七時、伊藤野枝氏を始め同士廿数名に迎へられ革命歌に擁せられて出獄せり。
同氏は頤髭(あごひげ)蓬々(ぼうぼう)たれども極めて元気なりしと。
..
第292回 東京監獄八王子分監 [2016/07/13 11:17]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年十月三日、懲役二年の刑を終えた神近市子が東京監獄八王子分監から出所した。
『読売新聞』が「淋しい笑顔を見せつゝ 神近市子出獄す」「好物のバナナを携へて露国の盲目文学者などが出迎へ」という見出しで報じている。
風呂敷き包みを抱えた彼女の写真も掲載されている。
「露国の盲目文学者」とはワシリー・エロシェンコで、秋田雨雀らとともに自動車で迎えに行ったのである。
市子は朝五時五十分に起..
第246回 第二革命 [2016/06/09 16:27]
文●ツルシカズヒコ
一九一七(大正六)年十月三日、保釈中だった神近は東京監獄八王子分監に下獄した。
二畳ほどの独房に入れられた神近は、午前八時から午後五時まで、屑糸をつなぐ作業に従事させられた。
昼食後の三十分の休憩、夕食後から夜八時の就寝までは仕事がないので、本を読むことができた。
神近が保釈後に執筆を開始した『引かれものの唄』の原稿は、下獄間近に仕上がり、十月三十日に法木書店から出版された。
..
第240回 百姓愛道場 [2016/06/04 17:49]
文●ツルシカズヒコ
日蔭茶屋事件後、半年くらいの間、大杉は「神近の怨霊」をよく見たという。
……夜の三時頃、眠つてゐる僕の咽喉を刺して、今にも其の室を出て行かうとする彼女が、僕に呼びとめられて、ちよつと立ちとまつて振り返つて見た、その瞬間の彼女の姿だ。
毎晩ではない、が時々、夜ふと目がさめる。
すると其の目は同時にもう前の壁に釘づけにされてゐて、そこには彼女の其の姿が立つてゐるのだ。
そして、其のいづれの..
第237回 三月革命 [2016/06/04 14:04]
文●ツルシカズヒコ
一九一七(大正六)年三月五日、横浜監獄の未決監に収監されている神近に、横浜地方裁判所は懲役四年の判決を下した。
神近は即、控訴した。
三月六日、『東京日日新聞』社会部記者の宮崎光男が、大杉に取材するために菊富士ホテルを訪れた。
宮崎は東京日日新聞社に移る以前は実業之世界社にいたが、日蔭茶屋事件が起きる二ヶ月前に、東京日日新聞社に入社していた。
実業之世界社時代から大杉と親交があった宮崎は、..
第227回 宮嶋資夫の憤激 [2016/05/30 17:03]
文●ツルシカズヒコ
十一月十日の『東京朝日新聞』は、五面の半分くらいのスペースを使って、この事件を報道している。
見出しは「大杉栄情婦に刺さる 被害者は知名の社会主義者 兇行者は婦人記者神近市子 相州葉山日蔭の茶屋の惨劇」である。
内田魯庵は、こうコメントしている。
……近代の西洋にはかう云ふ思想とか云ふ恋愛の経験を持つてゐる人がいくらもある……彼が此恋愛事件に就いて或る雑誌に其所信を披瀝したのを見ると、フイ..
第226回 オースギカミチカニキラレタ [2016/05/30 16:41]
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)年十一月九日未明、神近に左頸部を短刀で刺された大杉は、神奈川県三浦郡田越村(たごえむら)逗子の千葉病院に入院した。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、大杉の傷は「右下顎骨下一寸の個所に長さ一・八センチ、深さ二・五センチの創傷」だった。
大杉の容態は一時思わしくなかったが、夕刻にはだいぶ回復して、話ができるようになったので、医師は一命に別状はないだろう、と診断する。
病院に..
第225回 新婚気分 [2016/05/28 18:52]
文●ツルシカズヒコ
『神近市子自伝 わが愛わが闘争』には「私が葉山の宿に着いたのは、夜になっていた。大正五年十一月八日のことである」と記されているが、「十一月八日」は十一月七日の誤記である。
日蔭茶屋に着いた神近が、出て来た女中さんに「大杉さんご夫妻はみえていますか?」と訊ねると、出で来た女中さんは無邪気にみえていると答え、そのまま奥二階の部屋に案内した。
廊下の唐紙は開いていた。
「お客さまでございます」
..
第224回 第一福四万館 [2016/05/28 18:20]
文●ツルシカズヒコ
『神近市子自伝 わが愛わが闘争』に、こういう下りがある。
ある日、大杉氏が私にいった。
「伊藤野枝君が下宿にはいりこんできて困っている」
「どうしたんです? あの人乳飲み児の子どもさんがあるんでしょう?」
「子どもを千葉県の御宿にあずけるというんだが、金がないんだ」
(『神近市子自伝 わが愛わが闘争』_p150~151)
野枝が御宿に行く前に大杉の下宿、第一福四万館に出入りし..
第223回 フリーラブ [2016/05/28 14:08]
文●ツルシカズヒコ
以下、『神近市子自伝 わが愛わが闘争』に沿って、日蔭茶屋事件を見てみる。
大杉が初めて麻布区霞町の神近の家に泊まったのは、一九一五(大正四)年の秋だったという。
私は自分の一生の悲劇は、恋愛というものを、本能によらず、頭の上だけでしていたことにあると思う。
頭脳が先走っていて、現実というのものが見えなかった。
いま考えると、私に結婚の意志があることをほのめかした男性たちは、いずれも..
第222回 豚に投げた真珠 [2016/05/28 13:39]
文●ツルシカズヒコ
思い迷っていた神近は一度、蒲団から起き出し、大杉を起こして自分の頭に往来している気持ちを話し、その上で自分と別れてくれないかと頼んでみようかと考えた。
しかし、大杉の思い上がった他人を侮蔑した態度、それに長い間苦しめられてきた神近の心がこう叫んだ。
「まだおまえはあの男の悪意を見定め足りないのか!」
黙しながら蓄えてきた彼女の怨恨が、そのとき一度に爆発した。
彼女は一度、寝床に帰って来た。
..
第221回 短刀 [2016/05/28 12:04]
文●ツルシカズヒコ
大杉が書いた「お化を見た話」が掲載されたのは『改造』一九二二年九月号だったが、この「お化を見た話」の反論という形で神近が書いたのが「豚に投げた真珠」で、同誌の次号(一九二二年十月号)に掲載された。
「豚に投げた真珠」に沿って日蔭茶屋事件を追ってみたい。
「豚に投げた真珠」によれば、神近は十一月七日、午後三時くらいの汽車で葉山に向かった。
裁判では神近は野枝が日蔭茶屋に来ていることは知らなかったということで通し..